第35話 教えられる事
神威から受け取ったオートマチック拳銃を少年に銃を握らせる。
飾り気のないマットな光沢の黒一色で銃身下部にピカティニー・レールのついた一般には出回っていないだろう銃を見て、良いモン使いやがって……。と言いたげに神威の方を一瞥したバヨネットだったが、ここで変に言い合いが始まってもしょうがないと言葉を飲み込む。
突然握らされた銃とその重さに戸惑う少年は眉をハの字にしてバヨネットの顔を見上げる。
「あの……これは」
グラウンドを見下ろす幾つもの大型ライトが淡く男達を照らす。
日が暮れていよいよ夏が終わる刺さるような冷たい風が吹く中で、バヨネットが少年の腕を引っ張った。
銃を握らせたその手を動かして、その銃口を暗鬼に向ける。
仮面越しに篭った息遣いが聞こえる距離。銃剣で足を深く深く刺され、地に縫いつけられたまま、両手を失い芋虫のようにもがく事しかできない暗鬼。そんな姿を前にしても少年は怯えてへっぴり腰になる。
バヨネットは怯えている少年を見ながらお構いなしに言った。
「生きていく為に一番大事な事を教えてやる」
「えっ……」
少年は驚きの声を漏らす。その後ろで神威が小さく溜息をついた。こんなタイミングでやるのかと。
バヨネットは少年の背中に回した手を軽く押しながら自分の前に背を向けて立たせると銃をしっかり握らせた。
銃口を向けられるなか何とか逃げようと足の力だけで銃剣を地面から抜こうとする。しかし力が入らない。というより、膝から下がいう事をきかずに糸が切れたかのように動かない。激しい戦いの中で、スーツの中にある機械仕掛けの義足が壊れたのだ。
「くっ……! 殺すなら、殺すなら銃剣よ、お主自らトドメを刺さぬか!」
「生殺与奪の権利が俺にあるなら、テメェをどう殺すかは俺の自由だろ?」
「この……ケダモノがぁ!」
「ハッ、今更自己紹介は間に合ってるぜ」
ケダモノ。
死の淵にいてこの期に及んでまだ悪態をつく暗鬼をバヨネットは一笑に付す。
「俺はここ数日で
「な、なんの話だ」
「俺はな、ここにいる小僧と同じように本当の名前なんて無ぇのさ。バヨネットなんてのも、どっかの誰かが勝手に呼び始めたのを便利だからそのまま周りに呼ばせてるだけの話でな。正直言って羨ましかったのさ、自分の本当の名前を持っている人間をな」
バヨネットの言葉に薄ら寒さを覚えたのは神威だった。この中でいえば親から貰った名前なんかを持つのは神威だけ。
暗鬼よりも圧倒的に近い距離で付き合いのある神威。知人の知らない一面が突然暴露され、内容が内容、自分に対してもコンプレックスを抱かれていたのではと思わずにはいられない。
そんな背後の神威の気など気付くはずもなくバヨネットは続けた。
「……でもよ、別に名前の有無なんて大したことじゃねえんだって気付けたのさ。自分の生き方次第でどうとでも呼ばれるんだからよ。結局、どう生きるかの方が大事なんだってな。……俺は銃剣で良かった。俺はお前みたいな鬼にはならねぇよ」
「ぐぬ……この期に及んで自分だけ人間ヅラするか……!」
苦し紛れに言い放つ暗鬼。しかしそんな言葉ももう意味はない。気付けたバヨネットには、これ以上暗鬼との問答など無意味だったからだ。
暗鬼の言葉を余所に、少年の手首に手を添えて銃の使い方を説明する。
いつも通りのぶっきらぼうで愛想の無い声色。しかしその目はいつになく真剣で――。
「手前のレバーが
「こう、ですか」
「ああそうだ。そうしたら後ろのでっぱりを摘まんでスライドを――」
淡々と教えていくバヨネットと教わる少年。
今から人を殺す。そんな緊迫した状況である筈なのに、二人の姿はまるで休日に勉強を教える父と息子のようで、穏やかな時間が流れていく。
その手に握られた銃が模型で、的が人じゃなくターゲットペーパーなら夏休みの終わりに射的で遊ぶ親子にも見えたかもしれない。
少しずつ拳銃の扱いを教えてもらう少年。引き金を引く時が刻々と迫る。自分の死期が目に見えて分かる恐怖に暗鬼はいつしか「やめろ」という言葉を連呼するだけの機械になっていた。
「肩の力を抜け。りきみ過ぎると反動がモロに来る。深呼吸して銃をしっかり握りながら力を抜いていけ」
「すぅ……ふぅ……」
「いいぞ。両手で銃を握ったら
「か、顔とか……?」
なんとなく言った少年の一言。
バヨネットはその言葉にフッと笑みを零し、暗鬼は年端も行かない子供に顔を吹き飛ばされるという屈辱に半身を起こして怒声を上げた。
「このワシを無視しおって、そいつの親にでもなったつもりか! バヨネットォ!」
「ようやく俺の名を呼んだな。俺はコイツに依頼を受けちまったからよ、その依頼を傭兵として遂行するだけさ」
「依頼、だと……」
「教えてくれって頼まれちまったのさ、生き方ってやつの。俺が教えられる事は、こういう事しかねえからよ」
「そ、そんな依頼など破棄してしまえい! どうせそんな小僧からの報酬など端金だろう!?」
暗鬼が叫んだその時、急に風が止んだ。
風が止まった筈なのに、その場の空気は風が吹いていた時よりも冷たく、重くなっていき、バヨネットは大きく溜息をつくと冷たく光る青紫の瞳がゴミを見るような目で暗鬼を見下ろした。
「暗鬼、お前は払えるのか?」
「何をだ?」
「俺に一人の人間として生きれるかもしれねえって思わせてくれる事に代わる報酬があるってんなら、払ってみろよ」
「っ……!」
暗鬼は悟った。
バヨネットは自分と同じ世界で生きる同じ生き物だと思っていた。だがそれは違っていたと。
やっと分かった。分かってしまった。それ故に深い深い絶望と、そして相手を買い被っていた己自身への怒りが込み上げてきて感情がぐちゃぐちゃなっていく。
痛みとは違う、絶望と怒りと悲しみと動揺、そして憧憬……様々な感情が入り混じって体が震える。
両手は切り落とされ、足を潰され、倒れたまま。普通なら死んでいるダメージだ。それでも纏ったスーツに生かされているその体にトドメを刺すのは自身でもバヨネットでもない、力無き少年という事実は揺るがない。
「正確に敵を撃ち抜きたいなら片目を瞑れ。そしてよく狙え。後は、お前が引き金を引くだけだ」
バヨネットに促され、少年はこくりと頷いた。
片目を閉じ、見る者を圧倒する悲しみと怒りに満ちた形相の仮面に狙いをつける。
ぴくぴくと震える指が引き金にかかる。生唾を飲み込む少年の耳元でバヨネットが囁いた。
「ビビったら、お前が死ぬぞ」
「……はいっ!」
覚悟を決めた少年の表情からは恐怖と焦りが消え、瞳は真っすぐ般若を見た。表面だけの威圧感にもう怖がることはない。
冷たい風を引き裂いて鳴り響く発砲音は少年の心の成長を告げる祝砲と、悪鬼に送る告死の鐘のような、どこか寂しげな余韻を残した。
強い意思を持って絞られた引き金と、そこから飛び出す弾丸。反動で少し持ち上がる腕に弾は狙ったところより上がっていく。
仮面が砕けても尚、その中身は健在らしく仮面の奥が露わになると。バヨネットがもう一発だと少年の背中を押す。
少年は続けて暗鬼の顔を撃ち、今度こそ鬼は地獄へ帰って行った。
「はぁっ……はぁ……」
全身の力が抜けて大きく呼吸をする少年。膝が笑ってしまいガクガクと数秒震えたが直ぐに尻餅をついてしまった。
それを見てまだまだだなと苦笑いするバヨネット。
暗鬼との戦いは終わった。そんなバヨネットに神威が声を掛けた。
「本当はお前に
そう言う神威にバヨネットはハハッと乾いた笑みを零した。その背中は何処か寂しげで、暗鬼を縫いつけた銃剣を引き抜き宙に投げて遊ぶと軽く夜空に向けて振って言った。
「
それはそうだ。しかし、神威はその言葉の奥に隠された真の意味に薄っすらと気付く。
だから、直ぐにそうだなという言葉を返せなかった。
奇妙な雰囲気の中にいる二人を、少年は汗を流しながらも地べたに座りながら見上げていた――。
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