第34話 自分を手放してでも

 その時の速さはバヨネットと同等、いやバヨネット以上だったかもしれない。

 その四肢が例え己の肉体ではなく機械だったとしても、そこに意志が宿るのか。

 生への執着、力に対する自尊心、バヨネットに抱く嫉妬、それらが入り混じった汚泥のようなねっとりした執念が暗鬼の背中を押した。


「てめぇ! 俺と決着をつけて、最強とやらを証明するんじゃなかったのか!!」


 バヨネットの叫びに暗鬼の足は止まらない。

 正に鬼のような殺気と尋常ならざる速度で迫る暗鬼に少年は足が竦み、息が詰まった。縛られている少年に出来る事など何もない。ただ座して恐怖に慄く事しかできない。

 僅か数秒、少年の隣に立ち、振り向きざまに返しの付いた太い針を少年の未発達な喉笛に添えてバヨネットを睨みつけた。

 追いかけていたバヨネットは暗鬼が振り向いた瞬間にその足が止まる。足を止め、歯を食いしばる様を見て暗鬼は息を切らしながらも小さくカカカと笑みをこぼした。


「銃剣よ! 我々は戦士ではない。戦いに掟が無ければ誇りも無い。傭兵業このせかいで生きておいて今更人間としての倫理観に目覚めたと言うまいな?」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ! そいつを殺した所でその後に俺がお前をぶっ殺す事は変わらねえぞ」

「ククッ、こんな小僧一人に情を持ってしまったが故に足を止めるとは、短い間に随分なまくらになったものだな」

「回りくどい!」

「どうせ死ぬのなら、お主が絶望する顔が見たい……!」


 渇きに満ちた声でそう漏らす暗鬼の凄みと歪みにバヨネットの表情が曇り、眉間のシワが深まる。その表情に暗鬼は満足そうに嘲笑う。


「ワシがここで死のうとも、お主には常にこの恐怖がつきまとう事になる! ワシはタダでは死なん。ワシの恨み憎しみは呪いとなってお主の心に生涯癒えぬ傷を残すまでよ」


 自分が勝てないのが分かった瞬間から、暗鬼にとってこの戦いの証人となる少年など不要の存在。寧ろ自分の恥部を知った許す事の出来ない存在。

 暗鬼が勝てば少年は逃がすと言うのは本当だったかもしれないが、負ける際に少年を生かしておくとは言っていない。最初からこの流れは暗鬼によって予定していた事。

 キルゾーンを作って待ち構えていた暗鬼達を強襲し、あっという間に部下を全滅させてみせ、その勢いのまま暗鬼を窮地に追いつめたバヨネットは内心暗鬼のペースを崩したものだと思っていた。

 しかしそれは違った。暗鬼はバヨネットへの嫉妬や力への執念という攻撃的な感情が表に出ていたが、その裏には劣等感や卑屈さが隠れていた。その卑屈さがこの戦いの場を用意したのだ。

 醜い奴め。そうバヨネットは言いたかった。だがそれはあまりにも残酷で、そして誰しもがそういうものを持っている事を知っていた。

 バヨネット自身、決して潔白な人間ではない。というより圧倒的に醜い感情で生きてきた男である。だから他人がどう汚い言動をしようと軽口叩くだけで本気で責めるような事は言わなかった。


「テメェの劣等感で他人を恨むのは勝手だ。だが、そんで他人巻き込んでまで俺を殺ろうとして自力で勝てねえって状況で、素直に引き下がる潔さがあればもう少し長生きできただろうによぉ……」


 だがそれは今までのバヨネットだからであって、少年との出会いで変わりかけていたバヨネットの中に自覚していない義憤という感情が芽生えて始めていた。己自身が汚れた存在という自覚を持つバヨネットにとってこの感情を自覚してしまえばきっと自分に対して今更善人面すんじゃねえと言うだろう。少年との出会いで、人間らしさを得始めていた。

 鉄鼠を倒し、警備隊に報酬をゴネたり、殺しにかかってきたとはいえ蛇栖太を警備隊に引き渡す事も無く返り討ちにして殺していた頃は遥か昔のよう――。


「自分の思うままにならぬ世界になど、未練は無い!」

「……ああ、そうかい」


 もはや言葉など届くまい。そう思いバヨネットは銃剣を構えた。切っ先を向けられて暗鬼は少年を強調するように背後に回り込んで、首を絞めるように少年の細い首に腕を絡め、その手の針の返しを首の後ろに引っ掛ける。そのまま引っ張れば首の肉が切り裂かれ、周囲に血飛沫を撒き散らし絶命するだろう。バヨネットが例え全力で駆けこもうが、暗鬼が腕を引く方が断然早い。


「覚悟は決まったか。ならば小僧の死と引き換えにワシの首、取ってみせ――」


 ――ダンッ!


 暗鬼が啖呵を切ろうとした瞬間、突如銃声がスタジアムに響き渡った。

 銃声がなるのと同時にバヨネットはその場に腰を落とし頭を下げた。暗鬼は銃声の鳴り出した方へ振り向いていた。それはコンマの世界。次に時が歩み出した時、般若の角が一本へし折れて吹き飛んだ。

 鈍く乾いた音と共に宙を舞う角と弾丸がヒットし仰け反る頭。衝撃で揺らぐ体。暗鬼の腕は反射的に死を悟り、その手に握る針で少年の喉を掻き切ろうと動き出す。

 僅かに腕が動き出した時、バヨネットの手が一瞬世界から消えた、ように見えた。人体が動いた時鳴るような音ではない、破裂音がバヨネットの動きから遅れて鳴り響く。

 あまりの力と速度に真空を作り出したバヨネットの腕。そしてその破裂音と同時に耳障りな金属音が重なった。

 キンッと耳をつんざく音と空気を割る音が同時になった時、暗鬼の手から針が弾き飛ばされる。

 何が起きたのか暗鬼に理解が出来なかった。そして理解が追いついた時、既にバヨネットが眼前に迫っていた。

 バヨネットは空気を破壊する程の全力で放ったのは己の手に握っていた銃剣。丸ノコのような高速回転し直線に飛んだそれは、切っ先の数ミリで針の返しを捕らえると引っ掛けて暗鬼の手から針を攫っていった。

 あと一ミリでも内側に飛んでいたらバヨネットの銃剣が少年の首を裂いていただろう。だが、バヨネットにはがあった。


「なっ……!」


 暗鬼が一言声を零した瞬間にはグラウンドで手榴弾が爆発したかのような粉塵が舞い上がっていた。バヨネットが駆けだした時の踏み込みで生じた粉塵である。

 粉塵の黒を背景に目で追えない速度で距離を詰めてきたバヨネットに暗鬼はまだよろめいた姿勢を正し切れていなかった。強化外骨格の人工筋肉が足や背中に瞬時に力を与えて、スーツの中のボロボロの肉体を生身の肉体以上の速度で正していく。

 それでもバヨネットの速さには間に合わない。苦し紛れに身を守る為突き出そうとした一本の腕が次の瞬間に肘から先が画面を割ったように、ズレた。

 粉塵の破片でグラウンド上の建てられた廃屋が軋み倒れる。それと同じくして暗鬼も背中から倒れ込む。


「神威! 銃を寄越せ!」


 暗鬼の角をへし折る銃弾、それを放った銃の持ち主は神威だった。球場ベンチの方から駆けてきた神威はバヨネットの言葉に驚きこそしたが躊躇いなく手にしていた銃を力いっぱいぶん投げた。

 もう逃がさないと言わんばかりにバヨネットは倒れた暗鬼の足首に銃剣を突き立てグラウンドに串刺しにした。


「チイッ! お、おのれ……!」


 その声には痛みを感じている様子はなく、それを証明するように足からは血が流れずに一瞬白い火花が散る。その足は自前の足ではなかった。

 仮面の奥から恨みの視線を向ける暗鬼の事など相手にせず、飛んできた銃をキャッチするバヨネット。

 バヨネットが投げ放ち、針を弾き飛ばした銃剣を神威が拾い上げ、少年の拘束を解くと少年は真っすぐバヨネットに飛びついた。


「バヨネットさん……!」

「泣くんじゃねえよ」


 目に涙をいっぱいに溜めて、バヨネットに抱きつく少年。バヨネットは自然に少年の背中をさする。

 泣くんじゃねえ。そういうバヨネットだったがその声色は珍しく人を気遣う優しさを纏い、その二人の様子に神威は表情に出さずとも驚いていた。

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