第32話 バケモノ同士の戦い

 手にした黒い針を投げ放つと同時に走り出す暗鬼をバヨネットは見逃さなかった。

 多くの銃声が鳴り響いた後の静寂の中で、二人の勝負タイマンが始まった。それは今までのバヨネットによる一方的な蹂躙とは違い暴力の嵐と形容するものはそこになかった。

 まるで竜巻と竜巻がぶつかり合い、相殺されるような二つの力のぶつかり合い。しかしお互いにぶつかりに行くが同じ磁極の磁石のようにお互いを遠ざける。

 

 放たれた針を銃剣で弾き飛ばすバヨネットの眼前に既に暗鬼が接近しており、針を手にした黒い拳がバヨネットの腹部を狙う。だが迫る伸ばされた拳を見てバヨネットはそれを避ける為に仰け反りもしなければ横に飛ぼうともしない。バヨネットの手が暗鬼の腕を掴もうと伸びる。しかしその手を見て暗鬼も死角から空いた手で掴みかかる。身を引けばその分視野は広まるだろうが、自分が攻める時の択が減る。如何に攻め続けられるかの戦い。

 しかし次の一撃で片方が身を引く。バヨネットは振り下ろし切った銃剣をすかさず払い上げ、たまらず暗鬼は刃が届かぬ距離に飛びのいたのだ。

 僅か一瞬の攻防。椅子に座らされたまま二人の戦いを見ていた少年の目には何が起きているのかさっぱり理解できなかった。

 ただただ尋常じゃない速度で繰り返されるお互いに一撃も与えられない拮抗した戦いの間に言葉が介入する暇もなく、ただ風を切る音と、土を踏み、蹴る音だけがスタジアムに木霊した。

 バヨネットの銃剣が空を切り、暗鬼の針が空を突く。

 しかし、その状況に二人とも焦りは無く、闘志も冷めずにお互いに熱い眼差しを向けて続ける。だが、先にその熱が怒りに変わったのは暗鬼だった。


「銃剣よ、貴様なんのつもりだ?」

「あん?」

「最初戦った時と比べ明らかにワシに。見破れぬとでも思っていたか」

「なら俺からも言わせてもらうぜ。鬼の癖にビビってんじゃねえよ」

「ワシが、ビビっている……? 何を言っている」


 バヨネットは構えを解いて暗鬼を見据えると不敵な笑みを浮かべ、自分の蟀谷を指でトントンとつついた。


「お前は殺す気で俺と戦っている。だが、本気を出してないのはお互い様だって事だ。お前の方は、無意識なんだろうがな」

「何……?」

「お前は頭の片隅でこう思っているのさ。〝本気でやって負けちまったらどうしよう〟ってな」

「馬鹿な。ワシがそんな事を考えているなどと、挑発にしては質が悪いぞ」


 煽られていると思い暗鬼は構えを解かずにジリジリと土を擦る様に数ミリずつ距離を縮めていく、だがそれを見てもバヨネットは相変わらず両手をだらんと下したままで話を続ける。

 急に二人の動きが止まったのを見て少年は困惑の表情で、ただバヨネットの無事を祈る。そんな少年の気も知らないでバヨネットは隙だらけの体を暗鬼の前に曝す。その行為自体が暗鬼への挑発だからだ。


「今までどんな仕事をしてきたか知らねえがお前は自分の実力に絶対の自信がある。そんなのは、お前の言動を見てりゃ分かる。だがこの前俺に喧嘩ふっかけてきやがった時にお前は本気で殺す気だったのに手傷を負わされた挙句に退散する羽目になった。だからビビっちまってるのさ。また本気で殺しにいって今度こそ返り討ちにされたらどうしようってな」

「どこにそんな根拠が……」


 暗鬼が言いかけた瞬間、バヨネットが被せるように言い放つ。


「あいつさ」


 バヨネットが指差す先には少年。

 暗鬼の背後にいる少年を指差してバヨネットはこう言いたいのだ。〝いざとなったら人質にしてでも俺のタマを取る気だろう〟と。

 口に出さなくともそれは暗鬼にも伝わった。


「アレは、そうでもしなければ貴様は金にならない勝負など受けぬだろう」

「試す前にそう決めつけて絶対に他人おれから動くように仕向けたり、足がつきたくねえからと仲間に鬼火の金を回収させたり、お前は自分の強さを誇示したいがために他人を利用し、保身に走る。そういうのをなんていうか知ってるか? ――小心者ビビリって言うんだぜ?」


 ニタリと嗤ったバヨネットを見て辛抱たまらなくなったのか突如予備動作など無く暗鬼は黒い残像となった。それは少年から見えたものであり、少年の目には暗鬼が黒い靄のようなものに映ったのだ。実際には、単純に物凄い速さで針を手にバヨネットに詰め寄ったに過ぎない。だが、常人の動体視力ではその全貌を見る事の出来ない速度に暗鬼の本気が宿っていた。

 猛烈な速度で数メートルの距離を詰め、更にその勢いを乗せたままの鋭い針がバヨネットの心臓を狙う。バヨネットはあばら部分を守るように覆われたボディアーマーをコートの下に着ているものの、軽さ重視のボディアーマーでは距離の離れた九ミリの弾丸等は受け止められても、最早針というよりも細めの鉄杭のような暗器を高速でねじ込まれれば容易くアーマーなど貫通してしまうだろう。一秒にも満たない速度で飛び込む高速の突きはゼロ距離で釘打ち機を撃ちつけられるようなものだ。

 次の瞬間、苦痛を堪える呻き声が空気を震わせた。


「ぐっ……!」


 暗鬼である。

 何故か暗鬼は針を持った右手をそのまま自分の左肩口に突き立てている。

 バヨネットへ向けられた針、それはボディアーマーを後二ミリで貫けるだろう所で急に止まった。伸びきった暗鬼の腕の関節を銃剣を握ったままの拳で殴りつけ、くの字に曲がった所に手首を掴んでそのまま針を持った手を肩口へ押し込んだのだ。

 猛烈な突進を繰り出した暗鬼は咄嗟に後退など出来ない。自身の突進力と速さ、それ以上のバヨネットの速く鮮やかなカウンター、強化外骨格の中でも可動部で装甲の薄い部分を貫くのは簡単だった。

 自身に刺した針から手を離したのも束の間、暗鬼の視界に閃光が走る。バヨネットの拳を顔面に浴びると、それとほぼ同時に鳩尾に蹴りが突き刺さった。

 後退るなんて出来ない。暗鬼は蹴りの威力で宙を舞った。


「本当に自分こそ最強だって思うんなら、単身で俺の寝首でも掻きにりゃあ良かったんだ。だがおめぇはそうしなかった。だからよ――」


 そこまでバヨネットが言うとコートの中の刀身の長い銃剣を抜き、それを地面に突き立てると手にした短い銃剣も地面に投げ刺した。

 吹っ飛ばされた暗鬼は空中で姿勢を整えると何事もなかったかのように着地し、己に刺さった針を一瞥した。


「――お前が自ら死を願うまでじっくりいたぶってやるって決めたのさ」

「……っ!」


 鳩尾に体が吹っ飛ぶほどの蹴りを受けたにもかかわらず、まるでそれ自体を意に介さないように殴られた仮面の位置を正した後に刺さった針をゆっくり引き抜いた。そして、その引き抜く手が僅かに震えている事に暗鬼は気付く。引き抜かれた針に赤々と血がこびりついているのを冷静に見ている姿はまるで刺されて呻き声を上げていたのが嘘のようで、痛みを感じているようには見えない。


「このワシがあんな挑発に気圧されているだと……馬鹿な、認めんぞ。舐めおって……!」


 暗鬼の怒気にバヨネットはせせら笑い、自分のコートを脱ぎ捨てると地面に刺した銃剣二本を引き抜いてひとつを前へ、ひとつを頭上へ構えた。


「いいぜ、本気で来いよ。でねぇと、死んじまうぜ?」

「くっ……所詮お主もナノマシンに頼った戦いをするというにいい気になるな」

「っ……!?」


 突然のナノマシンという単語に、バヨネットは顔を強張らせた。

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