第31話 憎悪の行方
バヨネットがバイクを走らせるより少し前。
横浜ヴィレッジより南方にある朽ち果てた野球場に武装した男達が集まっていた。
鮮やかな青色だったであろうフェンスは経年劣化で色褪せ、刻まれたスポンサー名が読める部分は殆ど無い。観客席も何があったのか劣化だけでそうはならないだろうと思うほど荒れ果てている。辛うじて幾つか残されたナイター試合に使われる照明が弱々しくグラウンドを照らす。
野球場といってもグラウンドは野球が出来るような状態ではなく、多くのあばら家があり、そしてそのどれもが住むには向かない程朽ちていた。
今いる連中が荒らして回ったというには朽ち果てて時間が経っているように見え、かつてそこに住んでいたであろう人々の亡骸がそこかしこに転がっているがそのどれもが白骨化して久しい。
朽ち果てた平屋を崩し、ピッチャープレートのあった所からバッターボックスまでの空間が開かれており、一塁側ベンチの方向へもわざと人が通りやすいように木造の建物が崩され片付けられていた。それがそこからやって来た者を待ち受ける為のキルゾーンであるのは明らかで、二十人程度の武装した男達は執拗にその周囲を警戒している。
むさくるしい男達が集まる中、その場に似つかわしくない子供の悲鳴が聞こえてきた。
「離して、離してください!」
紐で手足を縛られ自分で歩く事すら出来ない少年はボディアーマーで身を固めたガタイの良い男に担がれて運ばれていた。
ホームベースのある場所に粗末な椅子が置かれており、少年はそこに座らされると更に胴体を別の縄で背もたれごと縛られ固定されてしまう。
ふらりと、まるで影がそのまま形を持ったかのような黒いシルエットが暗がりから照明の下に現れた。それを見て少年はヒュッと喉を鳴らした。
黒くマットな光沢が全身を包む強化外骨格、そして般若デザインのガスマスク。十針暗鬼だ。
オートマチックを片手にゆったりとした歩調で少年に近寄る十針暗鬼に、少年の表情は見る見るうちに青ざめていく。
「お主は餌だ。直ぐには殺さんから安心せい」
全身から威圧感を放ちながら拳銃を持った男が言った所で説得力の欠片も無い。少年もそれを聞いたところで信じられるはずもなく、カタカタと小刻みに震えていた。
暗鬼のマスク越しの声でもはっきりと聞き取れる距離で、無感情に思える単調な声色で少年に問いかける。
「ここをどう思うかね」
「へ……?」
「ここはな、お主が生まれるよりも前の時代には一つの集落があったのだ。横浜ヴィレッジに次ぐほどの賑わいを誇るヴィレッジがな」
天を仰ぎながら暗鬼は続ける。
「そこにここ一帯で最大勢力と言えるブリガンド組織が奇襲を計り、殺しと略奪の限りを尽くした。……ワシはそこにいた。そして家族も家も、自分の体さえも失った」
暗鬼が天に伸ばした手。その手すらも失われたものなのか。強化外骨格の中身はどうなっているのか。想像したくもない想像が少年の脳裏を駆け巡り更なる恐怖が背筋を凍らせた。
少年が怯えながらも、ごくりと唾液を飲み込んで震える唇を懸命に動かす。
「そ、その体は……」
「ブリガンドの玩具にされ四肢を失ったワシは誓った。誰にも負けぬ力を得てやると。その為にはどんな物にも手を出した。ついでに、あの襲撃でブリガンドに恐れ戦き応援を寄越さなかった腰抜けの横浜ヴィレッジにも一泡吹かせてやろうと思ったのだがな。どれもこれも〝あやつ〟に邪魔されてしまった」
「それって……」
少年は直ぐに察した。少年の言葉に暗鬼はその通りと言わんばかりに大きく頷いてみせた。
「あやつがいる限り、ワシの求める最強の座も、ワシが願う横浜ヴィレッジの破滅も叶わぬ。ならば、どんな手を使ってでも奴を消さねばならん。生きる為、それだけではない――成したい事を成し遂げてこその人生だ。ワシの執念が! 怒りが! 彼奴の存在を許さぬと朽ちた体の奥底を煮えたぎらせる!!」
急に語気を強めて少年に顔を近づける暗鬼に少年は思わず小さな悲鳴を上げた。
「お主はワシの野望を成し遂げる為の証人となってもらう。故に生かすのだ」
少年の耳元でそう囁くと暗鬼はくつくつと不気味な笑い声を漏らし、己の歪んだ復讐心と自己顕示欲に酔いしれる。
一人の男に向ける憎悪と執着は狂気となって暗鬼を突き動かした。しかし狂気を孕んでいるのは彼だけではない。
この廃墟となったヴィレッジ跡地に集まる男達はただ単純に暗鬼の一声で集まった訳ではない。一人の男を殺すというだけで人など集まる訳がない。それも万全な武装でとなれば猶更だ。つまり、ここにいる者は皆それぞれの理由はなんであれ奴を殺したくてたまらないのだ。
そして戦いの時は直ぐに来た。
「奴が来たぞ!」
暗鬼が集めた男達の中から声が上がる。だがしかし、その直後に銃声が鳴り響いた。
ドンッ――!
鈍く重い銃声が一度だけ鳴ると声を上げた男が首から血を流し倒れ込む。
男達が警戒していたキルゾーンからではない方向からの銃声に皆一瞬動揺したが、戦い慣れをしているのか全員揃って銃声の鳴った方向へ銃を向けた。
そこはスタジアムの外野、スコアボードに近い観客席だった。
レバーアクションライフルを構えただんだらコートが風にはためく。それを見た男達は一斉に発砲を開始した。
茶色と黒の革コートがじわりと揺れ、その体は大きく跳躍しフェンスの上に飛び乗ると再び跳躍、約五メートルの高さから飛んでグラウンドの荒れ果てた土を踏みしめたが特に動きが鈍くなることも無く殆ど着地と同時に走り出していた。
あっという間に距離を詰められた男達は情けない悲鳴を上げながらも手にした銃で懸命に応戦する。しかし、銃弾の雨の中を僅か数センチ左右へ揺れるような動きで線を避けていく。時に躱し切れない弾丸もあるが、そんなものは手にした銃剣で弾いて行く。
音速で飛び込んでくる弾丸を弾道から避け、弾き返してくる敵を前に男達は戦慄した。たった一人、暗鬼を除いて。
一人また一人、腕を、首を、途轍もない速さと力で切り落とされ絶命していく屈強な男達。集められた二十人の兵隊は数分も経たずにほぼ壊滅していた。
「よう、生きてるかぁ?」
バヨネットがピッチャーボードに足をつけると、間の抜けた声で少年に語りかける。
「バヨネットさん!」
「拉致ったのがブリガンドならもう貞操ぐらいは奪われてそうだなと思ってたが椅子に座れてるなら大丈夫そうだなあオイ」
「バ、バケモノォォォォォ!!」
人外じみたバヨネットの戦闘能力に発狂して一人の男が銃を捨てて逃げ出す。バヨネットはそれを眺めるだけだったが、この場から逃げる事を許さない者がいた。
「この戦いを見守らずに去ろうとする者に生きる価値は無い」
逃げ惑う男の背中を無情にも手にした銃で撃ち抜いたのは暗鬼だ。
自分で集めた男をなんの躊躇いも無く撃ち殺したばかりの拳銃の銃口を少年の蟀谷に近づける暗鬼。銃口の熱が僅かに伝わり、それでも恐怖で動けない少年。
「まずは、銃を捨てて貰おうか。銃剣よ」
「チッ、テメェはガキに銃向けてプライドはねぇのか?」
「生きる上で邪魔になるプライドなど不要」
「……ああそうかい」
バヨネットは特にゴネる事も無く大人しく手にしたライフルを足元に置いた後横へと蹴っ飛ばした。
そして銃剣を構え、空いた手で暗鬼を手招きした。
「おら来いよ。カタをつけようぜ」
その様子を見て暗鬼も手にした拳銃を放り投げ、腰に収められた黒く太い針を抜き放ち、両手に構えて前に出る。
バヨネットと暗鬼が睨み合う中、少年だけが二人を見つめていた。
「お主に仕事を奪われた哀れな傭兵共も束になればもしやと思ったが、やはり役に立たなかったか」
「人を見る目が無いようだな。マスク越しで何もかも曇って見えてるんじゃねえか?」
「抜かせ小僧。その減らず口も今日限りよ……。社会に馴染めないバケモノ同士、相応しい殺し合いをしようではないか」
暗鬼の言葉に、バヨネットは一瞬暗鬼の背後にいる少年を見た。
バヨネットは得ようとしていた。バケモノではない、人間としての生き方を――。
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