第28話 一人と一匹

 世界はありとあらゆるものに不平等だ。力がある者、知恵のある者、金のある者、どれも持たない者がいる。

 格差は人と人の間に歪みを生み、理解から遠ざける。二人の間にあるのは〝今〟の生き方の違いだけではない。もっと根の深いものである。

 人は自分の無い物を持つ者に対し様々な感情を抱くもの。そしてその感情は大抵の場合負の感情だ。純粋な者ならば、憧憬を抱くかもしれないが。

 残念ながらここに居るのは清濁併せ吞むところか泥水しか啜ってこなかった荒んだ男だけだ。

 そして言葉や意思、意図が分かっていてもそれを拒絶する心がある限り、投げかけられた言葉を払い除ける。

 バヨネットは神威の考えや発言の意図を分かっていても、それを受け入れる気は無かった。理屈じゃなく、心の中で感じていたのだ。

 それは持っていなかった物を得られそうな、手が届きそうで届かないもどかしく胸元がざわつき痒くなるような感覚。だがそれを神威に察して欲しくなかった。

 口を衝いて出た言葉は誤魔化しの嫌味。


「ほーん。お前って若手のエリート様ですし? 相当稼いでると思ったぜ。町の中ぶらぶら歩いてるだけで俺の手取りの倍くらいは」


 神威は溜息をつきながら嫌味に対して素っ気なく言葉を返す。

 その口調もその表情も、まるで嫌味を嫌味として受け取っていないといった様子だ。

 嫌味や皮肉が横行するこの世界で生きていれば感覚も麻痺するというもの。


「冗談抜きでそんなに稼いではいない。管理部直下の組織だから困窮する程ではないが。今より稼ぎたいなら、お前も警備隊に入ったらいい」

「馬鹿言うな。俺は金より自由が良い。金に困ったらこうやってお前のお小言聞く対価を貰うさ。ねーちゃんビールもう一杯」


 手を上げてテーブルの横を通り過ぎそうになった店員を呼び止めて注文すると直ぐに新しいビールがジョッキで運ばれてくる。特に確認の言葉も無くテーブル端に寄せられた空ジョッキを店員は回収して去る。

 出されたビールに直ぐに口づけて喉を鳴らすバヨネットを神威がジトっとした目で見つめる。


「全く……。まあそんなお前のお陰でヴィレッジの壁付近での戦闘というのは実際減ってるから文句は言えん。が、話を逸らすな。どういう風の吹き回しか知らんがお前に人ひとり真っ当に育てられるとは思えんと言っている」

「真っ当ってなんだよ」

「何?」


 静かにジョッキをテーブルに置き、今度はバヨネットが座った目で神威を睨んだ。


「お前の言う真っ当って何だ。良い所の家で朝目覚め、高い金出して温かい飯を食い小綺麗な服を着て、同い年の子供が通う学校へ同級生とお手手繋いで登下校。与えられた飯と服と本で生活して、大人に囲まれながら綿の詰まった布団で眠り、外界の恐ろしさを本の中だけでしか知らずに世の中に出てマニュアル通りの人生を送れる事が真っ当な人生か?」

「孤児院ならばそういう暮らしが出来る」

「出た後は? 明日の飯の事に悩まず生きられる奴なんかたった一握りしかいない世界に放り出された後はどう生きる。社会が守ってくれるのか? 地面に寝泊まりしながら飢え死にするような連中がその辺にいるヴィレッジがアイツを社会の一員として生かしてくれるのか?」


 孤児院に入った人間がどうなるか、バヨネットはなんとなく知っていた。

 横浜ヴィレッジ教会は宗教団体であり、人々の拠り所ではあり、孤児の面倒も孤児院で見たりヴィレッジ管理部と協力して炊き出しを行うなど慈善事業も多く行う、この世界では数少ない〝他人の為に動く組織〟だ。だがそんな善人の顔とは別の顔も持っている。強力な防弾繊維で編まれた防弾法衣を身に着け武装する神父や孤児院の子供たちに手を出そうとする者はそういない。そしてその頑丈な法衣はそのまま退院後も着る者がほとんどだ。そしてその服を纏った孤児院の人間がどうしているのか、ヴィレッジの外を知るバヨネットは散々見てきていた。

 質の良い武器や防具は結局それだけあっても意味が無い。使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。結局どんなに良い装備を身に着けようが着ている者が弱ければ殺されて奪われるだけだ。

 バヨネットは思った。他人に預けるくらいなら自分で生きる術を教えた方が長生きできると。

 故にバヨネットは神威に問う。俺の手から離れたあの少年を、この過酷な世界で自力で生きれるような男に育てられるのかと。


「それは……」

「真っ当な人生って誰がどうやって送れるんだ? なあ、お坊ちゃん」


 言葉も出ない神威にバヨネットは更に続けた。その言葉選びは兎に角乱暴であったが、口調自体は嫌な程冷静で気味の悪さまで感じられた。


「自分で育てる器量も無く最初から施設送りなんて考えてる奴に責任感だの育児能力だの言われる筋合いはねえよ」


 孤児院に入れろと言われるより、俺が育てた方がマシだと言われたかった。

 自分で何とかする気概の無さに責任の無い所から好き勝手言ってんじゃねえぞという言葉が喉元まで出かかっていた。

 バヨネットの言葉には神威も確かにと思ったのか、口元に手を当て何か考えるそぶりをすると、何か諦めたかのように深く息を吐き出した。


「そこまで言うという事は、本気でお前はあの少年を育てるつもりでいるんだな?」

「ああ、そうだよ悪ぃかよ。そういうの向いてないだの似合ってないだのは俺が一番分かってんだよ」

「ならば、俺がお前を監視する」


 ジョッキに伸びる手が止まった。二人の間に二、三秒程度の沈黙が流れる。

 その沈黙を破ったのはバヨネットの気の抜けた声だった。


「…………はぁ?」

「お前があの少年を無事に独り立ちさせられるかどうか、俺が手が空いてる時様子を見に行く。お前自体も〝素行が問題で役に立つが危険な奴〟だと警備隊の中ではお前を不安視する者もいるし丁度良い機会だ。監視する理由としては十分だろう」

「急に何を言って」

「自分の言葉で育てると言ってのけたんだ。あの少年が危険な目に合ったりしたらその時は容赦なく俺があの少年を引き取り、孤児院へ入れる」


 そう言うなり懐から小さな紙の弾薬箱を取り出すとテーブルに置いて立ち上がった。

 引き留めようとする声を無視して神威は去って行く。これ以上減らず口を叩こうが聞く耳は持たないと背中が語る。


「お、おいちょっと待て!」

「さっきも言ったが、子犬を買うのとは訳が違う。傭兵と二人暮らしするのと孤児院でしっかりとした教育を受けながらちゃんと食事も出来る環境、どっちがあの子にとって良い環境か今一度考えるんだな」

「ちょっ――」


 店の客や店員の人ごみの中に消えていく神威をただ見送るしか出来ないバヨネット。

 その気になればテーブルを踏み台に飛び出してその背中に飛び掛かるくらいなら造作もないだろうが、ここで力に任せてはそれこそ少年の面倒を見ると言った手前やるべき行動ではないとバヨネットの頭でも理解していた。

 子犬を買うのとは訳が違う。そんな事は分かってる。人ひとり育てる事の難しさは経験した事が無くとも分かっているつもりだ。

 だがバヨネットは自分の側に置いておきたいという漠然とした衝動に負けたのである。


「――犬、か。犬は俺の方かもしれねえなぁ」


 結局神威が出した代金以上に酒を呷った上に摘まみまで食い、自腹で足りない分を支払い懐を軽くして店を出るバヨネット。

 その背中はいつもより小さかった。

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