第26話 孤独ではない不安

 翌日。既に日が昇り、明日を生きる為に今日という時間を労働で潰す。

 変わらない光景。変わらない日常。皆が皆、死んだ目をしながら薄暗い曇り空の下で仕事をこなす。

 ただこの日は一か所だけ、変化があった。普段周囲に関心を示さない人々ですらその変化を横目で見ざるを得ないものであった。

 バヨネットと少年が大きくて狭いキャンピングカーで二人暮らしを始めて気付けば四日目。最初は三日だけ面倒を見てやると言っていたバヨネットだったが特に延長ともこれで終わりだとも言わず、少年との生活を続けていた。

 少年は昨日同様朝食の買い出しをしに行った。またチンピラにでも絡まれるかと思いきや、その逆だった。

 少年が行く所には道が出来た。バヨネットの所に住んでいる子供というのがヴィレッジ住人に認知されたからである。広いようで狭いヴィレッジという社会の中で、世間を困らせていた集団の一つである鬼火を単身叩き潰した男など広まらない訳がない。その男の下に暮らしている子供など誰もちょっかいかけよう等と思わなかった。誰だって死にたくはないだろう。

 バヨネットがなぜいきなり仕事でもないのに鬼火を壊滅させたのか、その理由は記事にされなかったが、根も葉もない噂が広がる中、バヨネットの金を握っていた少年をカツアゲした馬鹿がいたから潰されたという真実も混じっており、そこから鬼火壊滅の話を知る人々は自然と少年に手を出さなくなったのだ。少年自身には自覚は無かったが、勝手に道を開けてくれる大人達を見て悪い気はしなかった。

 今日買ってきたものは缶詰めや、出来合いの物ではなく野菜や魚、米といった食材であり、朝一でバヨネットが始めた事は自炊だった。ただの自炊ではなく、少年を側に立たせて途中途中を少年に手伝わせた。米をしっかりと研げだとか、魚の内臓にビビるなだの、まるで家事ができない嫁に文句を言う姑のような物言いであったが、包丁を持つ少年の手の上から手を添えてあげたり、芋の皮むきの際に指を切らないかずっと見つめたりと、子供に教育を施している姿を見た通行人は思わず二度見した。

 それが数刻前の事で、今バヨネット達はキャンピングカーの前でテーブル越しに向き合いながら何かをしていた。二人はお互いの顔を見ずにテーブルを見つめ、少年は鉛筆を動かす。

 二人の横を巡回の警備隊員が何人も通り過ぎて暫くすると、一人の警備隊員がバヨネット達の前で止まった。


「何をしている?」


 警備隊員の声にバヨネットが顔を上げて見ると見覚えのある顔があった。相変わらず仏頂面を貼り付けた火野神威であった。神威の声に少年も手を止めて神威の顔を見上げた。二人の視線に刺される神威。一瞬の沈黙を壊したのはバヨネットだった。


「見りゃ分かんだろ。文字教えてんだよ」


 そう、神威の前にあるテーブルには少し砂で汚れてはいるがちゃんとした紙が下敷きの上に敷かれており、少年が酷く拙い形のひらがなをあいうえお順に書いていた。縦に並んだ同じひらがなの一番上にはバヨネットの筆跡であろう以外にも綺麗な形のひらがなが書かれている。自家製書き取りドリルといったところか。神威も馬鹿ではない、そんなもの見れば分かるのだ。問題はそこではない。何でそんな事をしているのかと神威は問いたかったのだ。なんとも言葉の足らない男だがバヨネットもそうなのでバヨネットも神威に突っ込む気は起こらなかった。

 ただぶっきらぼうに返事をする。


「何してようがお前には関係ないだろう」

「そうだが……まあいい、バヨネット少し話がしたいのだが時間あるか」


 あるかと聞いているものの、その言葉自体には質問よりも強制の意思が孕んでおり、バヨネットは少年の顔を一瞬見た後、ため息交じりに神威の方を向いた。


「お前にはこれがおままごとか何かに見えてるのか?」

「重要な話だ。ある意味その少年にも」

「じゃあここで話せばいいだろうが」

「子供にも心というものがある。聞かない方が良い話だってある。そのくらいはお前にも分かるだろう」


 そこまで言われてバヨネットは黙って少し考えると、ようやく重い腰を上げた。


「小僧、戻ってくる前に書き終わったら車の中にいろ。変に物を触るなよ」


 それだけ言うと少年が頷くのを見てバヨネットと神威は歩き出した。



******



 駅ビルの中にある食堂の中に二人はいた。

 傭兵から警備隊員、スカベンジャーと業種問わず入れる格安の居酒屋兼定食屋のような場所だ。暖色の照明、天井で雲のように滞留する煙草の煙、少ない素材をパズルゲームのように入れ替えてバリエーションを増やしたようなメニューが壁に張り出されている様は正に昔に存在した場末の居酒屋だ。

 古臭く細かい傷がいくつもついたテーブルを挟んでバヨネットと神威は仏頂面で向かい合う。

 仕事の愚痴や思わず顔を顰めたくなるような下ネタ、飯食いながらするには嫌に生々しいブリガンドとの戦いの話等が大声で飛び交い、それらを中和するようなゲラゲラと笑う喧しい空間で黙ったままの二人はまるで異物。

 店員がバヨネットの前にやたら泡の多いビールが置かれると神威が沈黙を破った。


「あの子供は何処で拾ってきた?」

「何でお前が気にする」


 言いながらぬるい店内であったまった喉に冷えたビールを流し込む。美味くも不味くもない。体質的に酔いもしない。ただのどごしを楽しむだけの嗜好品。

 物資も技術も一度壊滅的な打撃を受けて文明が後退したにも関わらずこういう嗜好品の製造技術だけは直ぐに取り戻すあたり、人間の欲の底なしさを感じざるを得ない。そんな事を思いながらバヨネットの粗野な飲みっぷりを眺める神威は目の前に漂ってくる他人の紫煙を手で払いながら言葉を返す。


「いきなりお前と一緒に住みだした。家出息子か孤児かしかあるまい。最近家出人の子供なんて話は聞かん。つまり後者だ。使いっぱしりを雇うにはおさな過ぎるだろ」

「答えになってねえ」


 バヨネットが淡々とした口調で言い返すと神威は間髪入れず一枚の写真をテーブルの上に投げた。


「昨晩鬼火残党がいないか鬼火のアジトを見に行ったら傭兵、ナックル蛇栖太の死体があった。銃剣が突き刺さったままのな」


 写真に映っていたのは、蛇栖太だった。全身を切り刻まれているが、問題はそこではなかった。バヨネットが殺した時よりも損傷が激しく、写真には顔しか映っていないがそれでも口の端がまるで口裂け女の如く切り裂かれており、鼻が削ぎ落され、額は割られていた。

 あまりの死体損壊ぶりに流石のバヨネットも一瞬眉をピクつかせる。凄惨な写真を見た後に何食わぬ顔でビールをあおり、次いで出た言葉は冷静そのものだった。


「……ここまではやってねえ」

「ここまでは? では殺ったのはお前なんだな?」

「ああ、殺しに来たから返り討ちにしただけだ。まさかこのご時世にそれでしょっぴく気じゃねえだろうな」


 バヨネットの物言いに神威は怒るかと思ったが、逆だった。少しホッとした様子で写真をしまうと背もたれに体を預けた。


「お前は危険な男だと思っていた。だが意味も無く敵を痛めつけるサイコ野郎とは思っていなかったからなそれを聞けて良かった」

「俺が嘘言ってたらどうする?」

「そんなしょうもない事で他人を試すタマじゃないだろ?」

「まあな」


 三口目。ビールを飲み干すとすぐさま横を通る店員の視線に留まるように手を上げて呼びつけ、もう一杯頼むバヨネット。

 それを見て神威は朝からまだ飲む気かと少し呆れ顔。

 二杯目に口をつけるバヨネットを眺めながら神威は続ける。


「鬼火のトップは暴力と恐怖で部下を支配していた。そのくせ大したボスじゃなかったのに組織としてはヴィレッジ内で問題になるレベルに出来上がっていた。つまり何らかの裏があると思ってお前は再びアジトへ向かい、そこでナックル蛇栖太と切り結んだ。……何があった?」

「何がも、分かってんだろ? 奴がガキを使って金を集めさせて傭兵業以外でも稼いでやがった。それを知られて口封じしようとした奴を俺が返り討ちにした。そんだけの話さ」

「本当にそれだけか?」


 神威の勘は鋭い。バヨネットが何かを隠している。それだけではない真実を知っている。そう思ったのだ。伊達に若くして警備隊員として活躍している訳ではないようだ。

 バヨネットも神威の勘の良さを分かっていた。故にこういった話し合いの場を設けたくなかった。適当に流してしまおうとしていた。だが結局捕まった。

 酒を奢って貰うだけで釣られてしまった辺り、バヨネット自体本気で隠そうとも思ってないのだろう。しかし、ならばどうして中途半端に神威と向き合おうとしないのか。そういう性格といってしまえばおしまいだが、長らく傭兵として生き、そして特殊な出自の彼はどこか遠く先まで見通しているかのような視線を神威の顔の更に向こうへ向けていた。

 その姿を神威は時々見ていた。バヨネットが横浜ヴィレッジに住んだ時からの付き合いだがそう面と向かって話す機会は数少ない。お互い傭兵と警備隊員、多忙でそう会う事もあまりない。しかしそれでも出会う度に神威はその全てを見透かすような鋭く得体の知れない雰囲気を感じ取っていた。

 薄紫の瞳に神威の顔が映る。


「バヨネット。俺はナックル蛇栖太が人間を組織的に纏める能力がある人間とはどうしても思えん。まだ上に誰か潜んでいると思っている」

「だからなんだ。組織は潰した。お前らヴィレッジ警備隊的にはこれで終いだろ」

「いや、俺の勘が正しければ組織を潰したお前に復讐しようとしてくる者が出て来るはずだ。子供すら利用する血も涙もない外道が」

「外道ねぇ……」

「お前が狙われた所で簡単にくたばる奴じゃないというのは分かってる。しかしあの子供はどうだ?」


 神威の言葉に、バヨネットの表情が一瞬固まった。

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