第21話 過去の自分にさよなら
生き物とは動物であろうが人間であろうが生きたいという意思を持つものである。しかしそういう意思というのはこの残酷でどうしようもない現実に直面し、生きていく中でその意思は失われていく。
痛く、辛く、ひもじく、自分の面倒を見るだけで精一杯の人が殆どの世の中で人は生きている内に希望を失っていく。
時間が解決してくれるという言葉があるが、時間は解決した数以上の苦痛を与えてくるものだ。だが、その残酷な時間の魔の手に脅かされていない者が存在する。それが子供だ。
過酷な世界で生きていてもまだ心が磨り減り切れてない子供の持つ〝生きたい〟という純粋な気持ちを宿した瞳。その眩しさは過酷な人生を歩んだ者ほど眩しく強く、そして羨ましいと思わせる。叶う事の無い過去への憧憬だ。
バヨネットは何を感じ、何を思ったのだろうか。片眉を上げるとフッと鼻で嗤った。
「体づくりなんざ一日二日でやれるもんじゃねえ。この世は生まれた時点で大体搾取される側とする側ってのは決まっちまうもんなのさ」
「それは……」
バヨネットの言葉は残酷だった。だが事実である。
文明が崩壊しようがしなかろうが、人間社会というのは生まれた時点でその地位はある程度決まってしまう。貧乏な家に生まれれば余程努力しなければ成り上がる事は出来ず、裕福な家庭は余程怠けなければ没落することは無い。資産があれば良い学びを得られ、人との繋がりも増えるが、無ければ自分を磨く事すら難しい。成長期に恵まれた食事にありつけられるかも親の資産が物を言う。ならばこの少年はどうだ。貧相な体で、生きる為に最低限の言葉を理解しているだけのひ弱な少年が、たった数日そこらでヴィレッジ内で起こるような暴力に屈しないようになるにはそもそもスタートラインが他者と違い過ぎるのだ。バヨネットはそれを理解し、少年に簡単な言葉ながら現実を突きつけた。
少年は黙ってしまった。しばしの逡巡、少年は再び口を開いた。
「それでも、それでも僕はここに居たい。バヨネットさんから教わりたいんです。生き方を」
語気が弱まっていたが、少年の言うそれでもという言葉にバヨネットは何を思ったが立ち上がり、椅子に座ってる少年を見下ろした。
そしていきなり少年の頭をくしゃりと撫でた。
「とりあえず飯を済ませろ。そんで今日は大人しくしてろ。いいな」
少し表情を曇らせて、バヨネットはそれだけ言うと足早に仕事へ向かってしまった。
その姿はまるで少年から逃げているようで――。
******
バヨネットの仕事。それはヴィレッジ警備隊から懸賞金がかかっているブリガンド個人または集団を始末したり、ヴィレッジ住人の個人的な依頼をこなして報酬を得ている。
大体は荒事だ。やれ誰かを脅せ、痛めつけろ、二度と反抗出来ないようにしろ、息の根を止めろ。時にはヴィレッジの平和の為に、時には個人的な恨みの為に、その嵐のような暴力を振るった。
今日はと言えばバヨネットにとってはなんてことのない簡単な仕事だった。赤レンガ倉庫の住民を苦しませているブリガンド集団の討伐依頼を受け、横浜ヴィレッジから北東にある水没した高層マンション跡に侵入して一人残らず物言わぬ死体に変えていった。文明崩壊前に資産家だった者の子孫たちで構成された暴力的で閉鎖的な社会は、今更意味をなさない先祖の威光を掲げ、血統にプライドを拗らせた結果横浜ヴィレッジに守られる事を〝支配される〟と解釈した連中である。
ご先祖様達が私腹を肥やしていた紙幣などこの世界では何の意味も持たないただの紙切れ。結局余所の物資を奪う事でしか生活を守る事が出来ず、自分の手を労働で汚す事を嫌った余りに周辺住民の依頼一つであっという間に滅んでしまった。
水没している高層マンションは謂わば堀で囲まれた城であり、辿り着こうとすれば銃を撃ち下ろされる。船で堂々と近づけば沈められ、泳いで近寄ろうものならそのまま魚の餌になるのがオチだ。
バヨネットはそんな要害とも言える拠点のブリガンド集団を常人ではあり得ない方法で簡単に陥落させた。
前払いで貰った依頼料を使い雇った漁師の船でマンションに近寄るなり予想通り降り始める弾丸の雨。しかし弾丸もこの世界では通貨の一つ、勿体ぶってるのか雨といっても小雨のよう。
素人でも数撃てば当たるもの。どんな人間にもラッキーパンチはあるもので、弾の数発がバヨネットの眉間と肺に向かって飛んでいく。常人ならばそんな瞬間等見えるわけがないが、バヨネットには見えていた。一発、二発、三発と、バヨネットは他人から見たら何をしているのか意味不明に感じるほどの速さで銃剣を抜き放つとそれを振るう。金属と金属が一瞬激しくぶつかる耳障りな音が響き渡るとライフルを手にマンション上階にいたブリガンドの一人が気付いた。しかし気付いたところでもう遅かった。
顔が引きつり青ざめる狙撃手に観測手だろう双眼鏡を持ったブリガンドが肩を叩いて活を入れる。
その後も撃ち続ける狙撃手の弾はバヨネットに当たる事無く、十分にマンションに近づいた所で船は止まった。そして、バヨネットは駆けた。
マンションのベランダに出ていたブリガンド達は目の前の光景に驚きの声を上げる暇も無かった。
途轍もない速度で配管やベランダの縁を足場に跳躍してマンションの外壁を飛び跳ね、駆け上がる。
ブリガンドの眼前に飛び出た瞬間、ベランダに鮮血が飛び散った。ベランダにいたブリガンドが瞬く間に首や手を失い、埃の積もったベランダに転がる。
そのままアジトに乗り込んだバヨネットは長き年月で見る影もない高級マンションの縮んで固くなった敷物の上を駆け抜け、現れる敵全てをすれ違いざまに切り刻み、ものの数分で組織を壊滅させるとコートの裾を返り血で汚した姿で船に戻り、その日の内に仕事を済ませて完遂した報酬を手に足早に帰路に就く。
足早に変える理由はただ一つ。あの少年だ。
バヨネットは少年自体を心配してその足を忙しなく動かしていたのではない。余計な事をしていないかとか面倒事を増やしてないだろうかという方で帰りを急いだのだ。
子供という生き物が大人しくしていろと言って大人しくしていられるような生き物では無い事をバヨネットは知っていた。
空が茜色になる頃に帰宅すると、バヨネットが思っていたような事は起きていなかった。それどころか、少年はバヨネットのキャンピングカーの中に入っておらず、いつもバヨネットが車の前に出して座っている椅子の上で体育座りしてジッと自分の膝を見つめていた。ボサボサの長い髪のせいで顔のほとんどが隠れてしまっている少年の側までバヨネットが歩み寄るとやっと少年は顔を上げた。
琥珀色の瞳がバヨネットの顔を見上げる。瞳の向こうでバヨネットが眉間に皺を寄せた。大人しくしていたのに何が不満なのか。
「お前、中に入らなかったのか」
「入って良いと言ってなかったので」
そうだっただろうかと自分の発言を思い出すバヨネットは直ぐに確かに言ってなかったなと思いつつ、そうはいっても外でずっと帰りを待ってる奴がいるか? と思った。そして気付く。そういう〝躾〟を受けてきたのだろうと。
気付いたバヨネットは何を思ったのか無言で車のドアを開くと一人で先に入っていく。そして直ぐに出て来るとその手には木製の桶。中にはタオルとハサミが入っていた。
車のドアを閉めると施錠して少年の汚らしい頭の上に手を置いた。
「確かに、そんなナリで車に上がられても困るな。ついて来い」
「あ、はい……」
これまで何度か上げさせたのに今更困る素振りをみせるバヨネット。
少年を連れ出してヴィレッジの地下シェルターにある大衆風呂屋に向かう。そこで周りから白い目で見られながらも土と埃の臭いを纏ったフケだらけの浮浪児の体と頭を洗ってやるとその長い焦げ茶色の髪にハサミを入れた。
ざっくりとばっさりと切り落とされていく少年の髪がタイルの上に落ちていく。その度に少年は頭が軽くなっていく感覚にそわそわしつつ、恥ずかしそうに肩を窄めた。
耳が出る位のショートヘアーになるまでガッツリ切り落とされた自分の髪と、鏡に映るいつぶりかの短い髪の自分に少年は顔を耳まで赤らめる。
プラスチックの椅子に座りながら鏡に釘付けの少年の後ろでバヨネットが切り取った髪を纏めて桶に入れると少年の頭を鷲掴みにした。
「今までどう生きて来たか知らねえが、これでお前は生まれ変わった」
「生まれ、変わった……」
「ああ、今までの汚れを落として新しく生き直す。その為に俺についてきたんだろうが」
無表情のままバヨネットは自分の体も洗うと少年を待たずに浴槽に向かう。
バヨネットを知る先客が蜘蛛の子を散らす勢いで風呂から上がっていくと実質貸し切り状態になると、それを見た少年は少し申し訳なさそうにバヨネットの後に続く。
生まれて初めて湯船に浸かった少年はそのあまりの心地よさに大きい溜息を零すと魂が抜けたかのように眠りこけてしまった。
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