第20話 ここに居たい

 逃げ去るチンピラ二人組。置き去りにされる少年。

 バタバタとけたたましく雑踏の中に混じる足音。

 チンピラ達の行く先々で突き飛ばされる道行く人々。

 倒される荷車と道端に放り出された木箱の山。

 駆け付けた警備隊員は雑踏の向こうへ消えた二人組を深追いせずに少年の側で足を止めた。輩を追いかけるよりも怪我人の状態確認が先決と考えたのだろう。

 警備隊員が倒れている少年の側でしゃがみ込み、顔を覗き込む。


「大丈夫か?」

「う、う……あ、この前の……」


 少年の目に映った警備隊員は神威だった。

 神威は立ち上がろうとする少年の手を取り、体を支える。


「立てるか?」

「はい……」

「たまたま通りかかったから良かったものの、あまり俺がいうのもなんだが警備隊もヴィレッジ中に目を光らせている訳じゃない。……命の危険を感じたら逃げる事も覚えろ」


 神威の顔を見て少年はひとつの疑問が浮かび、それを聞こうと思った。どうしてそんな悲しい顔をしているのか、と。でも言葉が口から出てこなかった。少年は直感的に聞いてはいけない事だと思ったからだ。

 一度きつく瞼を閉じ、見開いて表情を正した神威の顔はいつもバヨネットに見せるような仏頂面に変わる。

 少年が立ち上がる。あちこち擦り傷だらけで、唇の端からも血が出ている姿は痛々しい。

 神威は髪についた砂埃を払ってあげると少年はされるがままに撫でられた。そこで神威は気付いた。


「そういえばお前、バヨネットが連れてた子供じゃないか」

「あ、はい。この前はありがとうございました」

「そんな事より、お前の名前は? 親はどうした。まさか奴の子供じゃあるまい」


 それを言われて少年は固まってしまった。それを見た神威も直ぐに不味い事を聞いたなと思ったが、一度出た言葉を引っ込めるわけにもいかない。それに警備隊員の立場としては、あんな粗暴で自分勝手な傭兵の側に子供がいるとなるとどういう関係なのか聞いておかねばならないだろう。それ以外に個人的にバヨネットの性格を知っている為、あんな奴が子供を作るとも思えず、拾って育てるなんて事も考えられない。あまりにくっつきそうにない二人に疑念を抱いた神威から出た言葉であった。

 人通りの真ん中で制服姿の神威の側に立つボロボロの少年。傍から見たら補導されそうになってるのかと思ってしまいそうな独特な空気の重さが周囲を包む。

 少年は神威の顔を見上げたまま、唇と噤んだり開いたりを繰り返す。ただそこから声は出ず、ぱくぱくと唇と唇が離れる音が漏れるだけだ。

 歯切れの悪い少年に神威は直ぐに察した。


「孤児か」


 神威じゃなくとも直ぐに察する事は出来ただろう。珍しい存在でもないからだ。

 つい昨日孤児たちの集団鬼火を目にしたばかりというのもあるだろう。あの連中の小間使いだったのがバヨネットの所にでも駆けこんだのかと神威は思った。そんな事でもなければバヨネットが子供など側に置いておくわけがないと。合点がいった神威は少年に続けて問う。


「会話は出来るようだな。教会の孤児院に行く気はあるか? 警備隊員として引き渡し手続きをしてやる」


 少年の手を引こうとする神威。しかし少年は引かれるままではなかった。

 神威に手を引かれるもそこから動こうとしない。


「どうした? 来ないのか?」

「僕はその、まだ何も教わってないので……!」


 少年は神威の手を振り払うとそのまま走り出してしまった。バヨネットの所にだろう。その背中を追いかける事も、声をかける事もしなかった。

 ただ黙って見送った。

 小さな背中を見つめながら、神威は小首をかしげた。何も教わっていないとはどういう事だろうか。



******



 速足で帰ってきた少年。キャンピングカーの前には、バヨネットが変わらずそこにいた。

 時間は既に昼前、日はまだ真上に来ていないが朝食には既に遅い。

 少年の前でバヨネットは椅子に座りながら焼き鳥串を頬張っていた。

 横浜ヴィレッジの輸送隊キャラバンが仕事する様をぼんやりと眺めながら食べる焼き鳥の味は塩辛い。

 椅子の側に置かれた簡素な折り畳み机には十本程の焼き鳥と数発の九ミリ弾が縦に置かれており、少年が帰ってきたのを見てバヨネットはそこから弾を三発握り込み、徐に立ち上がった。


「掃除の駄賃だ。なくすんじゃねえぞ」


 そう言ってバヨネットは少年の手首を掴み、掌に弾を握らせた。少年はバヨネットの顔を見上げる。焼き鳥を銜えたまま眉間に皺を寄せる顔がそこにあった。

 突然の報酬に一瞬唖然としていた少年だったが、受け取った弾をズボンのポケットに突っ込むと直ぐにお礼をした。

 何気ないやり取り。だが周囲の人々はそうは思わなかった。ここは横浜ヴィレッジの玄関口。多くの人間が行き来するがその殆どがそこを職場とする輸出入を行う作業員か警備隊員だ。関係を持ってはいなくともそこに住んでいるだけで顔馴染みのような感じで赤の他人でもバヨネットの暮らしや言動など大体分かられている。そういう人達からするとバヨネットが見知らぬ少年と会話しているどころか金を渡しているという事に違和感を感じざるを得ないのだ。傭兵は信用第一、実力だけで買われて素行の悪さが知られているバヨネットとはいえ、流石に子供相手に何か起こす事は無いだろう。それを分かっていても目の前で悪評もある厳つい男とその圧に圧倒されているような内気な少年がいれば気にするなと言う方が無理な話である。

 そんな異質な光景を怪訝そうに伺う人々の視線を少年は気付かない。バヨネットは感じていても素知らぬ顔。


「ありがとうございます!」

「お前の稼ぎだ。気にするな」


 再び椅子に戻り腰かけると、机を指でトントンと叩く。


「お前も食え」

「良いんですか?」

「何も食わない気か? 遠慮なんてしてたら生きていけない。……冷めると不味くなる」


 視線を焼き鳥から車の側にある赤茶けたボトルクレートに這わすとそれを見た少年はバヨネットの側にボトルクレートを寄せた。

 少年は机の上の焼き鳥に手を伸ばすもバヨネットの顔色を伺ってしまう。そんな少年の事など知らん顔で自分の分をさっさと胃に収めるとバヨネットは立ち上がった。


「仕事に出る。お前は車の中で好きにしてろ。その辺をほっつき歩くとまた怪我作って来そうだからな」


 少年の体中に出来た擦り傷をバヨネットは見て見ぬふりをしている訳ではないらしい。

 怪我の事に言及するも、それ以上何も追求しないバヨネット。

 さっさと食っちまえとだけまた言って仕事に出ようとするその背中を少年の声が引き留めた。


「あの……!」

「なんだ?」

「僕、ひとりで生きていけるようになりたいんです。バヨネットさんみたいに!」

「……」


 初めて会った時からずっと内気で、どこかオドオドした喋り方だったのが今初めて自分の意思を強く前に出していた。

 その様子を見てバヨネットの目つきが変わった。それまで相手にする気もなさそうなキツイ目つきだったものが、目を一瞬細めたように見えた。

 何か言い出せば言葉を被せていいから車に乗ってろと言って少年の言葉を遮ろうとしていた。人の話を聞かない男であるが、人の意思の強さを感じ取れる男だ。

 バヨネットは少年の前に立つと黙って膝を折った。少年と目線を合わせ、黙ったまま見つめている。

 それは話を続けろという意味で、少年もバヨネットの目を見て理解し、自分から話を続けた。


「だからその、僕に教えてください。強くなる方法を!」


 意思がしっかりとした強い眼差し。若々しい眼差し。

 捻くれ者のバヨネットに素直で真っすぐな言葉と視線は眩しすぎた。

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