第16話 解体ショー

 恐怖が迫った時、脳裏を過ったのは最後に恐怖を感じた時の事だった。

 ストリートチルドレンの中でも問題児を寄せ集め束ねた少年暴力団、鬼火。その主である下水の王、ハクリン。

 バヨネットの顔と重なったのは、今は亡き実父の顔だった――。


 かつて父子家庭だったハクリンは、自ら父を殺して自分の意思でスラムに流れ着いた。

 それは幼少の頃に遡る。妻を失い病んだ男は自分の心に空いた穴を埋める為、一人息子を〝妻〟にした。

 親子として寝食を共にした時間は僅かだった。死んだ魚のような濁った瞳で、汚れた手で男は息子ハクリンを抱いた。


「俺を独りにしないでくれ、リン」

「く、来るな……!」


 ハクリンの言葉を聞いて、それまで悲壮感と欲情を孕んで破顔した表情が一変して鬼の形相に切り替わると金切声を上げながらハクリンの頬を引っ叩く。

 子供を躾けるような手の上げ方ではない。叩かれたハクリンの頬は赤く腫れ、鼻からは真っ赤な血が垂れて床を濡らした。


「なんだその男のような口の利き方は!! お前は女だ、オンナなんだ!! 分かったかあ!!」


 唾が飛び散る程の怒声を、十にもなっていない子供に浴びせかけるとまた頬を叩く。何度も、何度も……。

 どれだけハクリンが謝ろうと、泣き叫ぼうと、その手は止まらなかった。

 大人しくなり、抵抗しなくなったハクリンに打ちつけられる欲望、反射的に漏れ出る声は枯れ、目は真っ赤になっていた。そんな毎日。しかしその時は来る。

 ハクリンは男である。背が高くなり、筋肉がつき、体が筋張って、喉仏が出て、声も変わる。

 父は理不尽に激怒した。何故だと。当たり前のことに対して何故だと叫んだ。

 お前など要らない! そう叫んで手にしたナイフはハクリンに向かう。

 取っ組み合いになり、転がり、そしてハクリンが父に跨った。奪い取ったナイフを手にして。


「何をする気だ! 俺は、俺はお前の……!」

「もう、沢山……!」


 振り下ろすナイフ、飛び散る鮮血、最期に父は何か言っていたが、ごぼごぼと血で溺れた男の喉から言葉が漏れ出ることはなかった――。




 初めて死を間近に感じた瞬間が蘇り、ハクリンの目の色が変わる。

 鋭く切れ長の狐目が見開かれると手にした青龍刀を振り上げた。

 飛び掛かるバヨネットの顔と父の顔が重なる。


「っ……! もう沢山なのよ!!」


 振り下ろした青龍刀の太刀筋は鋭く、身を低く頭から飛び込んでくるバヨネットの顔めがけての一閃は並みのヴィレッジ警備隊員であればそのまま叩き切られていただろう正確さがあった。

 しかし、バヨネットはそんな馬鹿正直な振り下ろしなどでやられはしない。

 手にした銃剣で刃を受け流す。そのまま銃剣の切っ先をハクリンの喉元へ伸ばす――!


「お前を殺して、アタシは生きる! 身ぐるみ剥いでバラバラにしてやるわ!」


 一体その剣で何人の人間を殺してきたのか、人を前に振り下ろした青龍刀には迷いは無く、そしてバヨネットにそれを受け流されても返す手で即座に横へ薙ぎ払う。

 バヨネットも流石に捨て身で突っ込むつもりは無く、突き出した銃剣を引っ込めて即座に身を翻す。

 腹の前数ミリと言う所を青龍刀が通り過ぎていくギリギリの回避に、バヨネットは予想外といった様子で口笛を吹きながら驚いた。口には出さなかったが、その表情から読み取れる。やるじゃねえかという言葉を。

 まるで独楽こまのように回転しながら青龍刀を振り回しつつ同時に距離を取る為に飛び退くその姿は演舞のよう。

 距離を取り、睨み合う時間は殆ど無かった。

 身を引いて距離を取ったつもりだったハクリンだったが、次の攻撃姿勢に入りながらバヨネットの方へ向いた時、既にバヨネットは……眼前にいた。


「っ!?」

「実戦に使えない、幼稚な技だ」


 その言葉と同時にハクリンの腹部に重い衝撃が走る。

 一瞬視界が白む程の痛みに思わずふらつきながらぐらりと後退る。

 わざわざ銃剣で突き刺すことなく、ボディブローを叩き込んだバヨネットを見てハクリンは憎悪の表情に眉間に血管が浮かび上がり、汗が滴る。


「遊んでるつもり……?」

「お前に傭兵から命狙われる程の価値は無ぇよ」

「な、なんですって……!?」


 声を荒げるハクリンを見て、バヨネットは数秒の沈黙の後、突然嘲笑いだす。

 その声は下水道全域に響き渡るかのようで、邪悪さに満ちていた。まるで悪魔の嘲笑。広間の隅で縮こまっていた鬼火たちはその声と、この状況で刃物片手に嗤うバヨネットを見て本当に怯え切っていた。


「スラム街で話題のギャングって聞いてちったあ骨のある奴がボスなのかと思ったが……この前の仮面野郎暗鬼よりも大した事ねぇ――」


 顔を上げて嗤うバヨネットがハクリンの方を向いた時、その顔は冷淡、いや、それ以上に冷酷な視線を送る。

 見下していた。正に蛇に睨まれた蛙。ハクリンは背筋に冷たい物が走る感覚に震えた。

 己の小さな自己顕示欲を慰める為に行っていた虚勢の暴力など、本当の力を持つバヨネットの前では全く通じないという事実に絶望した。

 勝てない。どうしようもない力の前に、絶対に勝てないという事を自分自身が本能で理解してしまう。その絶望感と喪失感になけなしの虚栄心が打ち砕かれた。


「――つまらねえんだよ。お前のままごとみてぇな戦い方も、この世で最も弱い子供ガキを使ってテメェの食い扶持を稼ぐってのも」

「くっ……お前に何が」

「分かんねえよ」


 ハクリンの声に被せるようにバヨネットは静かな怒気を放つ。


「よくいるんだよ、お前みたいな負け犬。自分が敗北どうしようもしたなくなった時にわりぃ事した言い訳をタラタラほざき出す奴。そんなもの分からねえし分かりたくもねえ」


 言った直後に足に力を込め、一気に距離を詰める。気迫に圧されながらもハクリンはそれを迎え撃とうと青龍刀を舞わせるが、本能で勝てないと気付き、牙を折られた心で振るう剣にバヨネットを切り伏せる力などあろうか。

 先程の一太刀よりも雑で、当てずっぽうな剣など万に一つ当たるわけも無く、避けられるどころか剣を持ったその腕をバヨネットに掴まれてしまう。

 前腕を掴まれ、目の前まで詰められたハクリン。バヨネットは捕まえた腕に向かって己の肘を振り下ろした。


 メキリッ――!


 鼓膜にへばりつくような嫌な音を立ててハクリンの右腕の肘が逆方向に曲がった。

 その痛みに声を漏らす暇も無く、ハクリンの頬に裏拳がめり込むと半身をコンクリートの床に打ち付け、その側に折れた奥歯が転がった。


「こんな穴倉に住んでるんだ。お前にも何かしら大変な生き方してきたってのは分かる。だがな、そんなもの俺には関係無ぇし、大変な目にあってるのはテメェだけじゃねえ。お前は自分に酔って、支配してたはずのガキどもに甘ったれながら、〝手下を束ねるボス〟なんていう下らねえ地位に縋って堕落してただけだ。そんなお前の刃が、俺に一ミリでも触れられる筈がねぇんだよ」


 倒れたまま動かないハクリンの横を通り、汚れた玉座の横に置かれた貢物を手にしてポケットにねじ込む。

 奪われた物を取り返したバヨネットは、もう用は済んだとばかりにさっさとその場を後にしようと歩き出す。


「半端者に用はねえ。ボスを気取るんなら部下をちゃんと躾けるんだな、相手がどんな素性か下調べしろってな。次にお前の所の奴が何かやらかせば、バラバラにされて釣り餌にされるのはお前だ」


 その後ろ姿を見て、ハクリンは青龍刀を左手に持ち替えてゆらりと立ち上がる。刃を杖代わりに立ち上がって床を削る切っ先の音がじゃりじゃりと響く。

 暗がりの中からぬるりと照明の下に出て来る幅広の刃は僅かに震えている。

 折られた右腕の痛みに耐えながら、目の前の敵に最後の意地を見せようと駆けだす足に残された力は僅か。

 それでも、例え汚い手で手にした自分の居場所を失いたくなかった。

 このままバヨネットに一矢報いる事も無く逃がしてしまえば、隅で震えるばかりの鬼火達にも倒れ伏す側近にも示しがつかない。

 ハクリンの脳内に選択肢は二つあった。敗北を認め、部下を従えるだけの力を失い、鬼火を解散してひとりのストリートチルドレンとして再びスラムの路頭に迷うか、それとも、ここでバヨネットに立ち向かい一太刀浴びせてボスとしての威厳を取り戻すか。

 明らかに後者を選べば死が待っている。前者を選べば、少なからず今は生きられる。

 だが後者を選んだ。

 表の世界で、広い世界で生きるにしろ死ぬにしろみじめな思いをする位なら、ここで死んだっていい。

 その思いがふらふらの体を前に進ませた。


「ッ――――!」


 奇襲のつもりで声を殺しながらバヨネットの背中へ飛び込むが、立ち上がる音で、ふらふらの足で走る足音で、そんな奇襲をバヨネットが気付かない筈も無い。

 青龍刀を前に突き出しながら真っすぐ突っ込むハクリン。

 振り向くな、振り向くな、振り向くな……! そう願いながら。

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