第15話 恐怖+怒り=

 人々の暮らしには多くの物が必要だ。

 電気水道ガス、ライフラインと呼ばれるそれは人に管理され機能する。

 しかし文明崩壊後、管理されなくなった多くの物が機能不全に陥り、人々の生活を支えることは無くなった。

 横浜ヴィレッジは文明崩壊前の技術を一部再生に成功していたが、全てを元に戻す事は出来なかった。


 ――下水道。

 数多の施設から生活排水を集め、然るべき場所へと運ぶ水路であり、横浜ヴィレッジの地下に張り巡らされているそこは人工的な迷宮のようになっていた。

 長い年月により老朽化し、一部崩落して本来の役目を失いただの悪臭漂う地下室の様になった場所に彼らはいた。

 家庭用静音ジェネレーターから供給される電気によって壁や天井に後付けされた照明で照らされた下水道の一角である。

 崩落により下水はせき止められ、悪臭を入れないように瓦礫の隙間を土嚢、無ければそこらのゴミを詰め込んで埋め、粗末な布切れや木の板で壁を作り何とか個人のパーソナルスペースを確保しているこの場所は彼らだけの世界であり、警備隊から逃れる為に作られた地下の秘密基地であった。

 ボロボロの服に毒々しく派手な色をまき散らしたように染めた青少年達。皆が死んだ目をしながら薄ら笑いを浮かべ、色褪せた紙のカードゲームをしたり、自分より格下の孤児を囲って暴行し、各々の自尊心を慰めている。

 壁沿いに作られた個室に挟まれるように出来た通路は本来水が流れていた所であり窪んでいるが、水が流れなくなって久しく乾ききっているそこを我が物顔で行き来する鬼火達。

 その通路の先、小分けにされず広く空間が用意されたそこはテレビゲーム等でよく見る〝王の間〟だ。そこには配下に囲まれ、一人だけ小綺麗な白く裾の長い詰襟を着た狐目の青年がいた。

 ストリートチルドレンと呼ばれる路頭に迷った孤児の中でも問題児ばかりを集めて束ね結成され、警備隊からは少年暴力団と呼ばれる程厄介がられている集団〝鬼火〟を纏める男、ハクリンだ。

 部下から貢がれた元は誰の物かも分からない煙草をくわえ、狭く暗い下水道の中で紫煙をくゆらせる。

 虫食いだらけで色あせた赤いソファを玉座にして、広間の最奥に座しながら金を数えるその様は王様というよりは盗賊である。

 つまらなそうな表情を浮かべながらソファの隣に置かれた卓上のネジやナットを目で追い数えていると、それは聞こえてきた。


「……なに?」


 眉間に皺を作りながら正面、鬼火のアジトの入口から広間まで真っすぐ伸びた枯れた水路の向こうを睨む。

 照明はあれど、古い豆電球を転々と置いただけの空間で影の無い空間を作る事などできない。電球と電球の間には漆黒の闇が出来る程度の僅かな光で照らされたアジトの奥まで百メートルはあるだろうか。

 幾つもの光と闇が連なる通路の向こう側から聞こえるのはどよめき、そして悲鳴だった。

 排泄物や腐った水の臭い、洗剤などのケミカルな悪臭に混じって漂ってくるその声の数々にハクリンは思わず腰を上げた。

 ソファの下に隠していた青龍刀を引っ張り出すと再び通路の先を見やる。


 そこに、彼は立っていた――。

 

「誰? 警備隊の連中かしら」


 アジトの入口に突然現れた〝彼〟にハクリンは声をかける。

 大きな声が下水道の中にこだまして、その声が届いた時、彼は顔を上げた。照明の真下に立つその顔は髪の影に隠れて分からず、体の輪郭だけが明るく照らされていた。

 真っ暗闇の中、照明の真下に立つ彼はまるで闇の中に忽然と姿を現した亡霊のようであったが、その存在感は圧倒的で、顔を上げた瞬間の眼光に鬼火の数人が戦意を砕かれしゃがみ込み、怯え切ってしまっていた。

 それを見て照明に照らされた男――バヨネットが口を開いた。


「よぉ。やっと会えたな下水の王様」


 その手は血に濡れていた。ただ人を殴っただけでそんな返り血はつかないだろうと言いたくなる程にべったりと鮮血をまとった手。

 ボロボロのコートの裾で拭うとそのままコートの中に手を伸ばし、すらりとナイフ型の銃剣を抜く。

 バヨネットについてきた少年は下水道の嫌な臭いに預かっていたコートを口元に押さえつけながら、鬼火達の死角になる物陰で心配そうな視線をバヨネットに注ぐ。

 そんな少年にバヨネットは振り返らずに言う。


「俺の真似をしろとは言わねえ、どうせ出来やしねえからな。だが、自分の身を守る術とぜってえ負けねえという気持ちは持つようにしろ。……いいな?」


 静かに呟くバヨネット。少年は一度だけこくんと頷いて見せた。それをバヨネットは見ていなかったし、返事も返さなかったが、バヨネットはそのまま歩き出した。

 一歩一歩、前に進むたびに腰を抜かした鬼火どもがぺたぺたと両手両足を使って這い、逃走用に用意したのであろう最奥の広場の脇にある鉄格子の扉を開け放つ。

 しかし、下水の王・ハクリンは逃走を許さなかった。

 王の側近らしき青年のひとりが扉の前に立ちはだかると、王は言った。


「なにビビってんの。俺達はスラムで最強のギャング〝鬼火〟なのよ。オッサンひとりにビビってんじゃない!」


 ハクリン切れ長の目が更に細まり、眉間に皺を寄せながら青龍刀を部下たちに向けた。青龍刀の切っ先を見て部下の子供たちは震え上がる。

 狭い地下に反響する怒声を聞いてバヨネットは眉を寄せた。


「なんだ? 王様じゃなくて王女様だったか。それとも……そういう趣味か?」

「幼い頃からオンナとして使ウチの苦労なんて、バリバリの傭兵男には分からないでしょうね。ウチの居場所を奪おうってんなら――」


 手にした青龍刀が弱い照明を照らし、その光が蛇がのたうつような軌跡を描いて切っ先をバヨネットに向けるように頭上高く構えた。

 舞うように戦闘の姿勢へ移行。しかしその軽やかな身のこなしとは裏腹に刃には怒りが宿る。

 その姿を見て周囲の側近二人も先端を潰して刃の様に研いだ長い鉄パイプを構えた。


「――バラバラに切り刻んで釣り餌にしてやるわ!」


 その言葉を聞いて逃げ惑う子供たちの一部がびくりと肩を震わせるのをバヨネットは見逃さなかった。つまりは冗談ではなく、そして何の目的か身内に恐れられるようなやり方で実行した事があるのだろう。

 ギャングだなんだと言った所で、その構成員はスラムの孤児の集まり。戦闘力や統率力などたかが知れている。

 自分よりも弱い相手に対し強気に出れても、自分より少しでも強い存在が現れれば忽ち萎縮してしまう。

 そんな連中を暴力と恐怖で支配するのは容易い。組織が辛うじて人の集まりとして機能していたのにはボスである狐目の青年の力によるものだろうが、生け捕りを目的とした警備隊に抵抗したり逃げ延びたりしてきた時と今回は訳が違う。明確に自分たちの死を感じさせる相手、自分たちのボスよりも恐ろしい存在を前に、ただの子供たちは挑む勇気など無かったのだ。

 部下達を脅すハクリンを見てバヨネットは含み笑いを浮かべるとハクリンに言った。


「わるものごっこは終わりだ王様。逃げずに武器を構えた事だけは褒めてやる。だが、奪った物は返してもらうぜ」

「フッ、今の時代は力こそ全て。何を奪われたか知らないけど、奪われるようなマヌケが悪いのよお!」

「そうかい。じゃあ、タマ奪われても奪われたマヌケが悪いって事だなぁ……!」


 強く一歩前に踏み出したバヨネットを見た瞬間、ハクリンは自ら出る事無く行け! と一声上げると側近の二人がハクリンの前に出てバヨネットに鉄パイプを向けた。

 バヨネットとハクリンの間は一直線の通路ではあるが鬼火のキャンプが並び幅は狭く、距離も百メートル近い。瞬く間に距離を詰めるというのは常人なら無理な話。

 そう、常人ならばの話だ。


「う、うわっ……!」


 凄まじい速度で、まるで飛ぶように駆けるバヨネット。その瞳に目の前の成人迎えたばかりのやわな野郎など眼中に無かった。

 実際、相手になる筈も無く、狼狽えながら鉄パイプを振り回した二人は鉄パイプの先端を広間の端のキャンプの布に引っ掛け、崩してしまう。驚きパニックになった二人は切っ先に引っかかったテントの切れ端を振り回し、視界が布で覆われると、その布の向こうから既に暴力の風が押し寄せていた。

 乱雑に振り回す鉄パイプの軌道を避け、布越しにバヨネットの拳がハクリンの側近を殴り飛ばす。全身をバネにして抉る様に放たれる高速のフックは二人を同時に殴り抜けたように錯覚させる。


「お前らみたいな相手選んで格下ボコってる奴らが、殺しを本業にしてる奴をまともに相手出来るとでも思ってんのか。なめるなよ、図体だけデカくなった子供ガキども」


 最早バヨネットに立ち向かえる者は己ひとりとなったハクリン。目の前で側近を秒で沈められ、その手が震えた。

 スラムを恐れさせながらも、その実地下に隠れ住む虚勢の集団のボスたるハクリンは自分の恐れという感情を怒りで塗りつぶそうと拳に力を籠めるのであった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る