第14話 鬼火散る

 スラムは相変わらず狭苦しく、湿っぽく、生活臭があり人気ひとけがあるのにも関わらず暗然としていた。

 狭い路地を行く人々からは生気を感じられず、暗澹とした思いを漂わせているのもあるだろう。

 表通りから追い払われて行き場を失った物乞いが掠れた呻き声を上げながら粗末な木の茶碗を掲げているのをバヨネットは無視して歩く。

 バヨネットの後ろをついて行く少年もつい昨日まではここの住人であったが、そんな事など知りはしない物乞いは少年とバヨネットの背中を恨めし気に見つめていた。

 その気配を察した少年はゾクリと背中に嫌なものが伝い肩を震わせた。


「あの……」

「黙って歩け」


 バヨネットも察していたようだが一切気にしていない。いや、気にしてはいけないのだ。

 神威から教えられたアジトの場所へ向かう途中、バヨネットは建物と建物の間にある狭い通路の端に目をやった。

 既に昼前だというのに背中を丸めて眠る路上生活者や、朝っぱらから安酒をひっかけながら宴会を開いてる浮浪者達を見ながら歩き続けるバヨネットであったが、ふと足を止めた。

 バヨネットの視線の先を少年が追ってみる。そこには建物の壁に背を預けて眠る男がいた。バヨネットを真似て眠っている男を観察すると、少年は小さく悲鳴を上げた。


「ひっ……」

「ビビってどうする。もう死んでる」


 死んでるなら恐れる必要はないと言っているような口ぶりのバヨネットはその男の死体にずんずんと近寄っていくとその体を調べた。

 着古してペラペラになったコートには何ヵ所にも及ぶ刺し傷と乾いた血糊が見える。

 躊躇なく体をひっくり返して黄ばんだ肌着を一気に引き裂くとその死体の皮膚を見た。


「な、何しているんですか?」

「病気じゃねえか見てるだけだ」


 パッと見何かしらの感染症の類は無いと判断したバヨネットは死体から丁寧に着ていたコートを脱がした。

 そして自分の着ているだんだら模様が入ったロングコートを脱ぐと畳んで少年に手渡す。

 素直にコートを受け取った少年を見るなりバヨネットは死体から引っぺがしたコートを羽織った。

 そしてわざと髪をくしゃくしゃと乱すと改めて歩き出した。


「行くぞ。コートそいつ汚すなよ」

「は、はい!」


 先を行くバヨネットを見て、そしてコートを取られた上に肌着を破られ、上半身を外気に曝した男の死体を交互に見て、少年は一度だけ死体に手を合わせ、足早にその場を後にした。



******



 おい、あのノッポ良いカモじゃね?

 そんな声が闇の中から聞こえてきたのはバヨネットが浮浪者の姿に変装してそう間もない頃だった。

 少年がその声を耳にしてバヨネットに忠告しようと顔を覗いて、そして身震いした。

 笑っていたのだ。

 声も無く、口角だけを吊り上げて、真っすぐ前を見て歩いていた。獲物がかかったなという、冷笑である。

 腕は良いが、少し短絡的で、金のやり取りに厳しいケチな傭兵、それがバヨネットという男だが、しかし少し行動を共にするだけで分かる。それだけじゃない男であると。この時初めて少年はバヨネットという男を恐ろしいと感じた。

 少年からは少し口が悪いだけの、根は優しい男だという印象を初めての出会いで抱いていたからだ。

 まだバヨネットの傭兵の顔を知らない少年は、これから行われる事に不安を抱く。


 暗く狭い路地を行くバヨネットと少年。

 二人の足音が建物の壁に反響していく中、カサカサとひび割れたアスファルトの上を滑る様に移動する小汚い鼠が足元をすり抜けていく。

 元から狭かった貧困層の為の居住区。人口が増加傾向にあるにもかかわらず区画整備は行われず、ただただ隙間を埋めるようにあばら家が考え無しに作られ、それでも足りないと家の上に家を建てる。

 そうして出来上がった地上部分は迷路のように入り組み、地元民でも気を抜けば迷うような場所でバヨネットは予め神威に教わっていたが網を張っている場所に足を踏み入れていたのだ。

 しばらく歩いていると二人のものとは違う靴音が混ざり始め、バヨネットは足を止めた。


「小僧、端の方にいろ」


 バヨネットはそういうと少年はそそくさと側にある積み上げられ腐敗が始まっている木箱の影で膝を折った。


「おーいそこのおじさーん」


 気の抜けるような人を小馬鹿にしたような口調のその声はバヨネットの前から聞こえた。

 行く道を阻むように姿を現したのは三人組の子供だった。

 どの子供もボロを纏っているものの、思い思いに派手な色を付けたシャツやバンダナを身に纏い出来る範囲で洒落っ気を見せているが、所謂威嚇や存在の誇示の意味があるのだろう。

 だが威勢の良い態度でバヨネットににじり寄るも大人に対し三人で束になっている辺り、神威が言っていた弱者だと自覚しているという部分が出ていた。

 今のバヨネットは何処にでもいるスラムの貧民。目ざとい者であればコートの穴や血糊から手負いだと思うかもしれない。

 そんな相手に対し、子供たちはイキった態度で迫ってきた。


「なあ、オレ達お腹空いちゃってさー、カネ貸してくんね?」

「配給の整理券でもいいからさー」


 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら近寄る三人組にバヨネットはゆっくり口を開いた。


「お前らだけじゃねえんだろ?」


 バヨネットの問いに三人組のひとりが眉間に皺を寄せた。


「アァ?」

「お前らの後ろにもう二人、何かあった時の為に控えさせてるんだろ。纏めて来た方が勝率上がるぜ?」

「ハッ、やる気かよオッサン。おいお前ら、コイツの身ぐるみ剥いで裸で大通りに放り出してやろうぜ!」


 その声に乗じて現れる隠れていた子供二人が顔を出す。

 狭い路地を完全に塞ぐように広がり迫る純粋な悪意に対し、バヨネットは正面から向かい合う。

 バヨネットを値踏みするように見つめる一人が突如ケラケラと嗤いだす。


「おいおいこのオッサン、自分から喧嘩売っといて手が震えてるぜぇ~? ナメた態度取ってサーセンって言うなら今の内だぜ?」

「そうだぜそうだぜ。俺達〝鬼火〟に刃向かった奴はズタズタのボロ雑巾にされて後悔するんだからよぉ」


 そう言いながら少年暴力団もとい鬼火と名乗る集団の一人が刃渡り十センチ弱のナイフを取り出してバヨネットに向けた。

 暗がりの中鈍く輪郭を光らせるナイフを見てバヨネットはフッと鼻で笑った。


「ナイフの構えがなってねえな」

「ああ? ふざけんなてめ――」


 ナイフを持った鬼火が声を荒げた瞬間、バヨネットは既にその少年の手首を掴み取っていた。

 五人はバヨネットが一瞬で距離を詰めた事に気付いたのは、ナイフを手にした手がメキリと嫌な音を立てた後だった。

 手首を折られ、地面に叩きつけられた鬼火の腕からナイフを奪い取ったバヨネットは瞬きする暇すら与えず、直ぐ側にいた鬼火に足をかけ、後頭部から地面に倒した。

 最初にバヨネットに声をかけてきた鬼火はアスファルトに後頭部を強か打ち付けると声すら上げる事無くそのまま意識を失うと、後から現れた二人組は直ぐに踵を返して逃げようとする。しかし、バヨネットが逃がすはずもなかった。

 奪ったナイフを背を向けて逃げ出す鬼火のアキレス腱に向けて投擲。とんでもないコントロールでナイフが突き刺さるとたまらず転倒。

 刺されなかった鬼火は倒れた鬼火を見捨てて逃げようとするも、ナイフが刺さり倒れた鬼火に服の裾を掴まれ仲良く地面にぶっ倒れたのだった。

 ここまで僅か数秒。

 唯一無事だった最初に声をかけてきた鬼火の内の一人はバヨネットの側でその壮絶で滅茶苦茶な戦い方に目を見開き、腰を抜かして倒れた。


「ダイとゴウの兄貴! 一体何が!」

「スラムを騒がすギャング共、といっても所詮はガキが弱い者虐めして遊んでるだけの連中。雑魚と分かっていても、手応えが無さすぎる」

「ヒッ……!」


 最早動く事も出来ない奴を見る事も無く、バヨネットは軽い足取りで逃げ遅れた鬼火の首根っこを掴み取るとそのまま持ち上げた。

 地に足がつかず、僅かに足をバタつかせて抵抗するもその圧倒的な力の前に恐怖し、筋肉に力が入らなくなったその体では逃げる事など不可能だった。

 後ろ首を掴まれたまま持ち上げられ、振り向く事すら叶わない鬼火は背後の鬼がどんな表情をしているか夢想し、自身の恐怖に打ち負け、静かに失禁した。

 びちゃびちゃと失禁した鬼火を持ち上げたまま歩き出したバヨネット。来た道を戻って腰を抜かしていた鬼火に失禁した鬼火を投げつけると重なった二人をなぶるように踏みつけた。


「おいクソガキども。どうだ? 自分がしてきた事をされる気分は」

「ず、ずびばぜん……! ずびばぜん……!!」


 何が起こったのたのか分からずに腰を抜かしていた鬼火は状況を把握してしまい、駆けあがってくる感情に理性のダムが決壊した。

 大粒の涙を零し、嗚咽交じりに命乞いをする様のなんと惨めな事か。

 しかしこれはバヨネットが行う教育の始まりに過ぎなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る