第12話 前途多難

 それは前途多難であった。

 バヨネットの気まぐれにより始まった少年の丁稚奉公にも似た住み込みの雑用係という仕事。

 雑用係というのは謂わば家事や買い出しといった物の相称であり、雑用係というよりも家政婦だとか使用人といった具合のものだ。

 バヨネットは遠征に出る時に使用している寝袋をキャンピングカーの奥から引っ張り出すと、それを車内に敷いて「そこがお前のテリトリーだ」とだけ言うと少年をそこに寝かせた。

 少年が眠りに落ちるのに五分もかからなかった。横浜ヴィレッジのスラム地区に住んでいた彼に家と呼べるものは無く、夏は熱く冬は冷たいトタンやアスファルトの上で他の路上生活者と寝床の取り合いをする日々を過ごしていた彼にとって、今日ほど安眠できた日は無いだろう。それが例え世間様が畏怖する存在のねぐらの中であっても。


 翌日――。

 バヨネットは朝早く目覚めた。少年との生活初日。

 まだ外は勤務時間が終わりそうな夜勤の警備隊員が眠気眼で見回りをしている足音だけが聞こえる静かな朝。バヨネットはこの僅かな静かな朝を気に入っていた。

 もうすぐ、白い朝が眠りにつく。その後空は青く染まり、キャラバン隊の連中が忙しなく働き始める。日常が始まる前の非日常的な静けさが好きらしい。

 大型のキャンピングカーとはいえ子供一人増えると急に狭く感じる。

 バヨネットはやや神経質な面もありガサツな言動をする割に車内は整頓されていたが、それでも仕事の報酬や伏せるべき様々な方法で手に入れてきた戦利品で溢れそうになっていた。


(人ひとり増える程度……)


 長い傭兵生活の中で誰かを匿ったり怪我人を運んだりした事もあってか、難なく迎えられるスペースは確保されていた。最低限ではあるが。

 バヨネットはソファーに掛け布団だけという狭く不健康な寝床から身を起こすと車内を見渡した。

 年季の入った車体には似つかわしくない程ピカピカで張り替えたばかりのガラス窓から差し込む朝日は、遮光カーテンに阻まれ僅かにカーテンの隙間から漏れ出ている。黒いカーテンが白銅色の日差しを受けてその明度を上げれば、外に出てもいないのに草の香りが混じった朝の匂いを感じて少しずつ視界が鮮明になっていく。

 まだ眠っている少年を起こさぬように音も無く車から出たバヨネットは真っすぐヴィレッジとは反対方向の廃墟の中へ入り、壊れた蛇口から噴き出す水を手で受け取って顔を洗い、完全な覚醒へと脳を導く。


「まさか、俺が他人を雇う、しかも倍くらい歳の差のあるガキを、か」


 ふと呟いた独り言、自分の口から零れた言葉を自分で聞いてバヨネットはひとりくつくつと笑った。

 喜びの笑いでも自棄になった笑いでもない。子供のお守が趣味は筈も無く、面倒見が良いわけでもない。

 彼はずっとこの地上で独りで生きてきた。そこらに転がっている鉄パイプや石を武器にして獲物を狩ったり、行き倒れの遺品を持ち去ったり、傭兵という生き方を見つける前は殺し合いが行われた場所で死体漁りなんかもした。

 誰かを利用する事はあったが、誰かと生きようなどと思わなかった。

 しかしバヨネットとて地上での生活において常に独りでいた訳ではない。

 少年が自分を雇ってくれと言った時、バヨネットは過去の自分を思い出していた。


 住む場所も食料にも困っていた時、バヨネットは川崎ヴィレッジや横浜ヴィレッジといった規模の大きいヴィレッジに足を運んでいた。

 規模の大きいヴィレッジは物資の輸出入も多く、特に横浜ヴィレッジには神奈川エリアで唯一の宗教が根付き、そしてその拠点があった。別に宗教家になろうと思った訳ではない。

 その宗教団体はヴィレッジ管理部と連携して飢えに苦しむ人々に炊き出しを行っている。それ目当て、という訳でもなかった。

 バヨネットは律儀というべきか偏屈というべきか、無償の施しを受けるという事に嫌悪感を抱いている。無償で何かを行う事も、行われる事も嫌いなのだ。出来るかどうかは二の次になる程。

 敢えて施しを受けず、傭兵の下で雑用をこなしたり、キャラバン隊の護衛を請け負ったりしていた。バヨネットにはそれが出来る〝力〟があったからだ。

 ヴィレッジの外の廃墟で寝泊まりしながらヴィレッジで傭兵まがいの仕事をするようになり、そして本物の傭兵になっていた。


 だが件の少年はどうだ。到底、バヨネットのような働きは期待できない。何故、バヨネットは少年の望み通りに雇う事を受け入れたのか。

 答えは簡単だった。

 昔の俺もこんな感じだったなあ、等という懐古の情に流された訳ではなく、自分が〝年下のガキに無償で施しを受けた〟という事実を作るのが心底嫌だったのだ。

 皆が皆、明日も無事に生きられるか分からないという不安を抱きながら生きている時代。その中で何かをしてもらう、何か物を貰うという事に何も対価が無かったり、明らかに割に合わない対価といったものが嫌いだった。


「アイツが生きていたら、ぜってぇ馬鹿にされただろうなあ」


 日が昇り、色が変わり始めた空の向こうに過去を見る。その先に自分の背中で死んだ者の顔が浮かんで消えた。

 それはナノマシンが見せた過去の記憶か、それとも回顧の中で強い記憶トラウマが見せた幻想か。

 バヨネットは「らしくねえ」と、それだけ呟いて車へと戻っていった。


「起きろ小僧。仕事してもらうぜ」



******



 頬を軽く小突かれて起こされた少年は直ぐに仕事が始まった。

 最初に与えられた仕事は朝飯の調達だった。バヨネットから預かった金で二人分の飯を買ってくるだけの仕事である。

 しかし――。


「アァ? なんだって?」


 車の側でいつもの折り畳み椅子に座りながら新聞を読んでいたバヨネットだったが、虫の居所が悪い様子。それは当然である。

 目の前の少年は頬を赤く腫らし、ボロボロだった一張羅のシャツも無くして上半身裸で戻って来ていた。

 両目から大粒の涙が一滴頬を伝うが、少年は泣きじゃくる事もなく、鬼の形相のバヨネットの前でただただ立っている。

 涙は流すも必死に堪える少年を見てバヨネットは珍しく困っていた。子供のお守はしたことが無い。自分がぽろぽろ泣いたことも無い。バヨネットが今相手しているのはただの子供ではない。未知の生物なのだ。


「スラムの、伯燐ハクリンに脅されて……抵抗したんだけど」


 スラムのハクリン。バヨネットはその名に覚えは無かった。

 言葉を区切る毎に声が上ずり、いつ感情のダムが決壊してもおかしくない状態の少年の話を聞く。

 バヨネットがそのハクリンとかいう者を知らないのも無理はない。そいつは横浜ヴィレッジのスラム街に住むストリートチルドレンのボス的存在らしく、盗みや恐喝などで食料や金を得ているケチな小悪党だという。

 スラムに住むストリートチルドレン達は皆、素行が悪く凶暴なハクリンに逆らえず、暴力と恐怖で支配されており、ご機嫌を取りながらつるんでいるのだという。

 そこまで聞くとバヨネットはゆっくりと椅子から立ち上がった。もう十分だと言うその声色は少年を責めてはいなかった。


「お前、血は見た事あるか?」


 突然の質問に少年は涙を拭いながら一度だけ頷いて見せると「路上で血を流して倒れてる人とかスラムではよく見る」と言うが、間を置いて「あと、よくハクリンにつるんでる奴らに殴られてたから……」と付け加えた。

 それを聞いてもバヨネットの表情は変わらない。大方予想通り、といった様子で腰に手を当て少年に言う。


「つまり自分から血を流させたりした事はねぇわけだ」


 そう言うとバヨネットはついて来いとだけ言ってすたすたと歩き出してしまった。

 少年は肩で風を切る大きな背中を見ながら、ただついて行くしかない。バヨネットの放った言葉に不安がよぎる少年。しかしバヨネットはそんな事などお構いなしに歩き出し……そして歩みを止めた。

 振り返ってバヨネットは少年に言った。


「そいつらの居場所が分からねえ」


 少年はハクリンと面識があるようだったので先へ行けと促すも、少年も首を振ってしまった。

 スラムで活動しているのは知っているけど拠点をコロコロ変えてるから分からない、と――。

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