第11話 同情

 最強、天才、超人的。そう他者から囁かれる存在でも、慢心していれば足元を掬われる。

 バヨネットは相手をナメきっていた。その結果がこれだ。

 文明崩壊以前でも、強引なスリというのは日本の外で起きていた。

 財布といえばよくズボンの尻ポケットに財布を入れて歩く者がいるが、治安の悪い場所ではあっという間に盗まれる為、胸ポケット等に小銭入れを入れる等お金を分けて持つなどの対策がある。

 しかし、そういう対策をしなければならない治安の悪い土地では他人の財産を奪う事に必死な者達がいる。そういう輩の〝本気〟は凄まじく、小銭入れをポケットごと引き千切り盗んでいく事だってするのだ。

 それに比べてバヨネットの腰につけられていたポーチはどうだ。ベルトに取りつけるタイプだったとはいえ、幾度の戦闘にも耐えうる頑丈さを持つ物だが、暗鬼の手腕と強化外骨格からくる猛烈な奪取にポーチの繊維が悲鳴を上げた。

 ブチブチと繊維の千切れる音が砂煙の中に消えていく。鮮やかで鋭い盗みの腕は昨日今日の技ではないだろう。

 本気の戦いを仕掛けたフリをしておき、本来の目的をぼかし、ここぞという時に目的を果たす。

 どこまでが演技だったのか本気だったのか分からない。


「な、てめぇ……!」


 待ちやがれと言う間もなかった。暗鬼はバヨネットの肩に右半身から突っ込んでいき、ぶつかると振り向くことなくそのまま駆け抜けて影の差す路地へと向かう。

 バヨネットは銃剣の扱いに長けている事が注目されているが実際はライフルの腕も良い。腰にはいつも直ぐに装弾する為に数発のライフル弾を入れたポーチを装備していた。暗鬼はそれを見逃さなかったのだった。

 まんまと金でもある弾をスリ取った暗鬼はそのまま勢いを落とさずに逃走を計る。その後ろ姿をバヨネットは苦々しい表情で見ていると、暗鬼の向かっていた路地に人影を見つけた。




 ――少年である。

 路地に置かれた汚れたゴミ箱の影から二人の様子を見ていた少年だ。暗鬼は見覚えのない少年であったが、バヨネットはその少年に見覚えがあった。

 たまたま鉄鼠の鼻を探していた時に出会った、仕事を探していた少年である。

 相変わらずの痩せぎすな体とぼさぼさで伸びっぱなしの髪、そのみすぼらしいシルエットは何処にでもいるスラムの子供だ。野次馬に混じっていたようだがその気配は暗鬼もバヨネットも感じなかった程に生気が無い。

 どこのタイミングでか分からないが、彼はバヨネットを見かけてその後をついて来ていた

 そんな少年に向かい暗鬼が怒声を浴びせる。


「ぬぅ……! どけぃ小僧!!」

「ひっ!」


 暗鬼の気迫に怯えた少年は思わず道を塞がる様に立ち上がってしまい、暗鬼は乱暴に少年を払い除けようと腕を振り上げる。


「逃げんじゃ、ねぇ!」


 バヨネットは特にその時何かを考えた訳でも、良心が芽生えたという訳でもなかった。しかし何故か、バヨネットは手にしていた暗鬼の針を暗鬼の背に向けて思い切り投げつけた。

 突き飛ばされて崩れた姿勢を整える事もせずにだ。

 それは文字通り暴投と言っていい。しっかり体勢を立て直してから狙いを定めて正しいフォームで投げていれば真っすぐ逃げる暗鬼の背に針を当てるなど造作もない事の筈だ。

 しかし大きく狙いが外れて飛んでいく針。暗鬼の背中の横を抜けていく。


 ドスッ――。


 それは不運だろうか。

 バヨネットが暴投した針は暗鬼の腕に突き刺さったのだ。


「ぐぬぅぅぅ! 覚えておれバヨネットォ! この借りはいずれ返そう!!」


 少年に気を取られてなければ手傷を負わずに済んだものを余計な事をした結果怪我をした暗鬼。一瞬怒りで振り向きそうになったが、その隙に少年は道の端に避ける。

 道の空いた所を暗鬼は駆け抜け、少年を無視して逃げ去ってしまった。

 脱兎の如く逃げ去った暗鬼のその逃げ足は負傷した体とは思えぬ軽やかさと速さで、彼が去った後に残されていたのは幾つかの血痕と異様に抉れた足跡だけ。

 闇の中へ消えて既に姿が無くなった後も、その後ろ姿を少年とバヨネットは見つめていた。

 しばらくして、バヨネットは改めて暗鬼に刺された手の平を見た。


「貸し借りは早い内にケリつけておきてぇタチなんだがな……」


 血の滴る傷口を見ながらそう呟くと、視界の外から声がした。


「あ、あの……これ」


 少年だった。バヨネットの前に先程の少年が立っていた。

 白い、綺麗な包帯を持って――。



******



 バヨネットは己の掌に包帯を巻き終えて、それを見つめてから天を仰いだ。

 スラムから移動し、自身の家であり移動手段でもあるキャンピングカーに戻ってきたバヨネットは外に出しているお気に入りの折り畳み椅子に腰かけ、一仕事終えた後の体を労っていた。

 紺碧と茜色の境界線を見上げながらバヨネットは呟いた。


「……いくらだ?」


 空に呟いた訳ではない。バヨネットの側にはあの少年がいた。

 声を掛けられビクッと体を震わせた少年。「えっ……」と言葉も震わせ戸惑う姿は蛇に睨まれた蛙のよう。

 ボサボサで伸びきった髪で隠れた表情は黄昏の中で強くなった影も相まって読み取れない。

 いくらだと聞いてもその答えず狼狽えるばかりの少年にバヨネットはどうする事もせず再び問うのだった。


包帯コイツの値段だ。こんな綺麗な物、中々手に入らないだろ」


 バヨネットの手に巻かれた包帯は埃一つなく綺麗で、洗濯したような跡も無さそうに見える。ほつれもあまりなく、それが新品である事は明らかだ。なんでも使いまわして使うこの世の中で、新品の物を手に入れるというのは難しい。入手するのも難しいが、店に並んでいる物を買うにしても高価なのは間違いない。

 そんな物をスラムの中で仕事を探しているような少年が簡単には手に入れられないだろう。だが、バヨネットはどうやって手に入れたかは聞かなかった。聞いても意味が無いからだ。

 限られた資源を奪ったり盗んだりは何処でも行われている。特に治安の悪い場所や貧困渦巻く薄暗いスラムでは――。

 何の為に手に入れ何の為に持っていたのかは分からない。しかしこうして使ってしまった以上、その対価は支払わなければならない。故にバヨネットは聞いた。包帯はいくらだ? と。

 この他人に対して傍若無人な態度の男はその凶悪な威圧感と戦いの時に見せる狂気にも似た好戦的な姿も相まって他人を寄せ付けず、他人と慣れ合わず、傭兵業という看板が無ければブリガンドと変わらないのではと思われる程だ。しかしその男をブリガンドだと人々は言わない。その理由はここにあった。


「その……お代は結構です」

「あん?」


 少年の放った言葉にバヨネットは反射的に椅子から立ち上がると少年の顔を睨みつけた。


「慈悲のつもりか? 俺をなめんじゃねえ。あの般若野郎に弾はスられたが一文無しじゃねえし、ガキから物ふんだくる程腐ってねえんだ」

「ち、違うんです。お代は要りません。代わりに――」


 少年が言い終わる前に釘を刺すバヨネット。だが少年はハッキリとした口調で言う。


「――僕を住み込みで働かせてくれませんか」


 少年の言葉にバヨネットはしばし、言葉を失った。

 僅か数秒の間の沈黙、しかしバヨネットはその時間は二人にとって嫌に長く感じられた。

 バヨネットは思った。こいつ正気か? と。


「ハッ、何を言い出すかと思いきや、そんな事して俺に何の得がある? 大体お前、何が出来るってんだ」

「それは……」


 口ごもる少年にバヨネットは近寄り、そしてしゃがみ込むと視線を合わせ、少年のボサボサの髪をかき上げた。

 泥水や埃に汚れた髪の中から現れたのは土埃で汚れた痩せた頬と大きなファイアオパールを連想させる赤茶色の瞳だった。瞼を震わせて怯える表情は子犬のよう。

 どこの血が混じったのか分からない無国籍感のある顔つきの少年は近くで見ればやはり痩せぎすで頼りない。

 力仕事、ましてや傭兵業を手伝うなどは無理であるのは明らかだ。

 かといって、役立たずだ帰れという訳にもいかず、適当な金握らせて納得させようという気もバヨネットは起きずにいた。


「何でもやる……は無しだぜ小僧。自分の程度も分からねえ奴が出来ない事をやっても碌な仕事は出来ねえ。そんでお前は自分で自分のケツを拭けるようなタマにも見えねえ」

「うぅ……」


 言いたい事をズバズバと言うバヨネットにすっかり萎縮してしまった少年、しかし、その目はしっかりバヨネットの目を見ていた。それをバヨネットは見逃さなかった。

 ふと何かを考えるそぶりを見せるとバヨネットはおもむろに立ち上がった。


「三日だ」

「……はい?」

「三日だけ様子を見てやる。雑用を任すからやってみろ。俺を苛立たせたらその時点でクビだ。良いな」


 なんとも勝手な事を言い出したバヨネットだったが、少年はそんなぶっきらぼうな口調の彼を見上げながら瞳を輝かせていた。


「お前名前は?」

「その……ありません」


 少年の言葉に、バヨネットは暫く黙ったままだった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る