第10話 生きる為には

 観客が去り、スラムの奥地にある空き地に差し込む日の光が二人を照らす。

 広場の中心で佇むバヨネット、その前に膝を折って正座の姿勢で座す十針暗鬼。

 光のカーテンの下にある二人の様子は遠目からは古の宗教画に出て来るような懺悔する者とそれを聞く聖職者かはたまた天使に見えていたかもしれない。

 しかし実際は片や悪評が囁かれる傭兵の男で、もう片方は恐喝で同業者から儲けを奪おうとした小狡い男である。

 家屋の壁を走るパイプから雨水のぽたぽたと滴る音が、複雑に入り組んだスラムの道の中を反響する静けさの中で暗鬼は口を開いた。


「銃剣よ、聞いてよいか」

「何をだ」

「本当の〝名前〟だ」


 この世界の傭兵には奇妙な文化が根付いていた。

 バヨネットも十針暗鬼も本当の名前では無い。傭兵たちは自分から、又は他人から通り名、二つ名、芸名のようなもう一つの名前で呼ばれ、名乗るようになる。

 その名前は大体自分の売りだったり、他人から見た象徴的な得物や出来事、得意な任務などその人物の特徴が分かる名前をつけられることが多く、人に覚えられやすく、仕事を得やすくする為に古い傭兵たちが考え、継承されてきた文明崩壊後から生まれた新しい文化となっていた。

 バヨネットは己の得物である銃剣から、その戦い方を見て人々が彼をいつの間にかそう呼ぶようになっていった。十針暗鬼もその般若の面という特徴と扱う得物からきている。

 この通り名とも二つ名とも言える文化自体に名前は無いが、仮に名付けるとするならば傭兵名と呼んでおこう。傭兵名の文化が広まった結果、副次効果と言うべきか、新たな価値観も生まれていた。

 それが〝傭兵同士で本当の名前を聞かれる事は名誉ある事〟というものであった。

 傭兵名が流行りだしてからというもの、傭兵同士が本名を知る事など殆ど無かった。傭兵名など名乗ったり呼ばれるようになるのは名が売れ出してからであり、新人というのは皆本名で仕事をしているものだが、そんな時期の同業他者など誰も気にしない。というより、過酷な生活の中で気にしている暇が無い。傭兵が同業者の存在を知る時、それは既に傭兵名が売れて独り歩きしている頃という事になる。

 そしてそういった傭兵社会の中で、いつの間にか本名をわざわざ聞いて相手の存在を記憶に刻む事が敬意と羨望を意味する行為とされ、それは名誉ある事、という認識となっていった。

 暗鬼は今まさに、バヨネットのその恐ろしい強さに打ちのめされ、そして同時に畏怖と尊敬の念を抱いていた。

 ここまで恐ろしい男に出会ったことは無い、と。

 だがバヨネットは暗鬼の問いに言葉を詰まらせた。


「……」


 暗鬼を見下ろしたまま動かないバヨネット。

 バヨネットは名乗るべきか悩んだわけでも本名を聞くという意味を知らなかった訳でもない。

 本当に答えられなかったのだ。名前なんて無かったのだから。


「お前に名乗る名は無ぇよ」


 ぼそりと苦し紛れに放たれたその言葉に暗鬼は屈辱を感じる事も無く、そこから更に頭まで垂れ始める。


「此度の無礼に関してはこの通り、深くお詫びする。せめて、せめてその実力の秘訣を知りたい。ワシも傭兵を生業とする者、このまま終わるわけにはいかぬ。是非、是非師事させて頂きたく……!」

「フッ、笑わせてくれるぜ」


 暗鬼の今までの実績、名声を捨ててでもという覚悟すらも嘲笑うバヨネットは暗鬼に背を向けた。

 生ゴミのような酸味と苦みが混じった臭いが僅かに混じったぬるい風が二人の足元をぬるりと通り抜け、広場に差し込む光のカーテンが片寄り、二人の顔を影が覆う。

 暗鬼からバヨネットの表情は見えない。


「テメェが何してきたか知らねぇが、相手の格も察せずに武器を向ける雑魚に教える事はねぇよ。身の程を弁えて自分のレベルにあった世界で大人しくしてな」

「……!」


 バヨネットは地面に唾を吐き捨て、その場を去ろうと歩き出した途端、暗鬼の腰が浮き上がる。

 音も無く立ち上がった暗鬼はその手にいつの間にか針が握られていた!

 飛び掛かる動作とは違い、その場で膝立ちになった暗鬼は腰から引き抜いた針の尻を手の腹の部分で包むように支え、中指の上に乗せるように持つ変わった持ち方で腕を振り上げた。その構えは忍者が棒手裏剣を投げる所作のそれだ。

 ふわりと再び風が吹き、凪ぐ音が投擲する際のスーツの擦れる音をかき消したタイミングはまるで暗鬼による反撃を天が味方したかのよう。

 投げ放たれた針は、真っすぐにバヨネットの後頭部を捉えていた。


 強化外骨格により強化されたとてつもない肩と腕力、手首の柔軟性と長年扱ってきた武器による安定した投擲コントロールから飛び出す弾丸のような速度の針。

 ハンドガンと一般的に呼ばれるような片手で扱う銃に使われる弾丸は九ミリ、大口径でも十一.二ミリ等の大きさだ。

 ヴィレッジ警備隊などが肩に背負っているようなライフル等は文明崩壊前の機動隊や軍が使用していた物を復元したものが多く、それに使われる弾丸は五.五六ミリの所謂小口径高速弾と呼ばれる物が多い。それらの弾丸は、然るべき道具から火薬による爆発の推進力等を持って高速で発射され体や時には防具をも貫通する威力を得る。

 それに比べこの針はどうだ。棒手裏剣と形容したが正にそう呼べる形状と大きさであり、十ミリ程度の厚みに十五センチ程度の長さもある鉄の塊が、それらの銃と同等の速度で放たれたとなればその質量も相まって高いストッピングパワーを持つことは確実。そしてそれが急所を射貫こうものなら一撃で人を死に至らしめるのは想像に難くない。

 暗鬼とバヨネットの距離は多く見積もっても六~七メートル程度。その距離感で放たれた針は瞬く間にバヨネットに迫った。

 そして抜き放った漆黒の凶器はバヨネットを――。


「そう来ると思ったぜ」


 まるで投げて来る位置まで分かっていたかのように、バヨネットは振り返ったと同時に針を掴み取って見せた。

 ぶっきらぼうに、目の前を飛ぶ虫を取るような動きで掴み取られた針はまるで遊具の様に指の間を転がされている。


「くっ……!!」


 中腰の姿勢から一気に前傾姿勢で飛び出す暗鬼。それは傍から見れば玉砕覚悟の特攻にも見えて、何よりそれを目の前で目にするバヨネットはその意外な行動に舌打ちを鳴らしながら驚きの表情を浮かべた。

 今までの暗鬼の言動からして、如何に安全に、言い方を変えれば如何に卑怯な手を使ってでも勝つというスタイルの暗鬼が捨て身の攻撃をするとバヨネットは読めていなかったのである。

 しかしバヨネットの超人的反射神経と動体視力、思考速度は文字通り常人のそれとは違い、想定外の攻撃も直ぐに迎撃の為に動き出す。

 明らかな動揺を見せたバヨネットに暗鬼は瞬間的に勝機を感じたのかその突撃に迷いはない。

 僅か数メートル、その突撃は不意打ちとして十分だった。

 バヨネットが針を掴んだ瞬間から一秒も経たない、一瞬の攻防。暗鬼のタックルがバヨネットの肩にぶつかる。しかし直撃はしない。バヨネットはタックルを見てから避ける事は最初から諦めていた。だがその衝撃を最小限で受け流すためにぶつかった肩をそのまま押し返そうとせずに突き飛ばされるままに流される。

 上半身がぐらついて姿勢が崩れるがそれを片足で踏ん張ってみせたバヨネットであったが、暗鬼の〝手〟を見逃さなかった。


(この野郎、俺の弾を……!)


 翻ったバヨネットのコートの内側に伸びた手、タックルの直後に伸ばした手、スーツによって強化された腕力に任せたスリだ! ズボンのベルトにつけられた四角いタクティカルポーチが、力任せにベルトから引き千切られていく。

 鉄鼠討伐の稼ぎを得られないのならば少しでも奪えるものは奪っていく、仮面の奥に隠された暗鬼の執念をバヨネットは見抜けなかったのだった――。

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