第9話 腕試し

 スラムの薄汚れた住人たちは仕事と金に飢えているが、それ以上に娯楽にも飢えている。

 自分たちに関係の無い喧嘩が始まれば、すぐさまそこは賭博場と化してしまう程に。

 しかし暗鬼はその住人たちの性格を理解していたはずである。


(馬鹿な……人間は捌けさせた筈、何故こうも早く戻って来たのだ……)


 暗鬼は最初からバヨネットから本来警備隊から得る筈だった報酬を奪うべく、ここに呼び出す予定だった。

 そしてその行為を誰にも悟られないために周辺の人間で息のかかった者を使い、周辺の人間を捌けさせていたのだ。

 だがその捌けさせた筈のスラムの住人たちは戻ってきていた。なぜ、どうしてと考えてしまうも怪しいのは目の前にいる男だけだ。

 バヨネットはいつの間にかその手に刃渡り十五センチ程度の短い銃剣を手にして逆手に握りこみ、拳を前に出すように構えていた。暗鬼もバヨネットが構えを取ったとほぼ同時にして反射的に拳を構える。

 二人が見合った時、頭上にいる観客どものテンションも上がりだす。

 怒声と罵声と歓声が入り混じる中、暗鬼が「見世物ではない、散れ! 散れ!」と言ってもただただ人々の興奮を煽るだけだった。

 その様子を見てバヨネットは薄ら笑いを浮かべていた。


「簡単な話だ」


 バヨネットが口を開く。


「お前が仕掛けた喧嘩でお前が勝てばいい。それで俺が金を取られたなら〝わざわざ警備隊のいない裏通りについて行ってボコられた傭兵〟という馬鹿な称号が俺につけられて終いだからなぁ」

「つまりワシが負ければ」

「自分から仕掛けておいて返り討ちにあったマヌケだ。さあ、どうする……?」


 覚悟を決めろと言わんばかりのバヨネットの挑発に暗鬼は乗るしかなかった。

 ここで逃げたり日和って回避しようものならばスラムの連中によってここでの出来事は噂として広がっていくだろう。そしてそれは多少なりとも今後の傭兵業に影響してくる筈だ。

 暗鬼はこの自体を避けたかった。しかしこうなってしまえば後はやるしかない。


「ならば、力ずくで行くしかないようだな……」

「元からそうするつもりだっただろうが。傭兵おれたちはそれしか能がぇんだからよ」


 バヨネットの言葉に暗鬼はマスク越しでも分かる声でフッと噴き出すと瞬間、二人の姿が一瞬消えた。

 いや、消えたのではない。しかし彼らを見下ろしていたスラムの住人達にはそう見えた。

 二人は五メートル程度離れて睨み合っていたと思っていたら次の瞬間には拳と拳を突き合わせていたのだ。

 暗鬼はバヨネットの拳とぶつかる己の拳を無言で一度引き、すぐさま次の殴打を仕掛ける。

 しかしその拳もバヨネットの拳と正面からぶつかり確信する。バヨネットは自分の動きが見えていると。


「強化されたワシの殴打をかわすどころか、合わせて来るだと……!?」

「そのスーツに頼り過ぎて腕が鈍ったんじゃねえのかぁ?」

「誤魔化すな! 一体生身の癖にその力と速さ、どこから来ている?」


 その問いに対してバヨネットは答える事無く銃剣を握ったままの拳の軸をずらし、そのまま刃で暗鬼の突き出された拳を切りつけようと踏み込む。

 手首のスナップを効かせた斬撃は弧を描く、事はなかった。


「やるじゃねえか仮面野郎」


 暗鬼は銃剣の刃を受け止めるだけでなく掴み込み、お互いに銃剣を放さない。


「ろくに振りかぶりもせず、無茶な切り払いなんぞ通用せんぞ……小僧!」


 バヨネットは素早く銃剣を引き、握ったままの暗鬼の手の平を切り裂こうとしたが暗鬼のスーツの握力とがそれを許さず、銃剣がギチギチと嫌な音を立てる。

 このまま銃剣が折れるまで睨み合いか、そう思われた矢先に動き出したのは暗鬼だった。

 空いた手で作った拳がバヨネットの顔面を狙う。それを見て反射的にバヨネットも片手でそれを受け止める為に手を顔の前に出し、余裕をもって暗鬼の拳を受け止めたが、バヨネットの表情は曇っていた。


「てめぇ……!」


 暗鬼の拳を受け止めたバヨネットの手の甲から一本の黒い棘が伸び、血が滴る。

 まるで手品のように戦う相手の意識の外で、強化外骨格の後ろ腰にしまっていた針を抜き、指に挟んで突き立てたのだ。

 黒鉄くろがねの針がバヨネットの手を貫き、先端から赤い血が跳ねた。暗鬼はそのまま傷口を抉る様にぐりぐりと拳を捻りながら針を押し込む。

 じりじりと焼けるような痛みがバヨネットの手から力を奪い、徐々に針の先端が眉間に迫った。


「鉄鼠を単身仕留めた時は化け物かと思ったが、この程度か……?」

「ミュータントは小細工しねえからな」


 直前まで声を荒げていたバヨネットは急に声のトーンが下がる。表情も血の気の多い獣のような眼光鋭い闘争を楽しむ笑顔から、途端に冷静な表情を通り越し最早完全にやる気を無くし無気力といった様子。

 その変化に暗鬼も気付いていたが、そのあからさまな変化に気を取られ重要な別の変化を見落としていた。

 それは震えだ。お互いにお互いの攻撃を防ぐために力を注ぎ、拮抗し合い震えていた互いの力んだ腕の震え。そして震えの変化に気付いた時、暗鬼は仮面の奥で冷や汗を垂らした。


「こ、こいつ……!」


 狼狽する声を漏らした暗鬼が気付いた事、それはバヨネットが完全に戦う気を失ったかのように見えているのにも関わらず、暗鬼の攻撃を防いでいる両の手は微塵も動いていないという事。そして何より一見切羽詰まっている状況なのにも関わらず汗の一滴も見せていない事だった。

 そしてそれに気付いた瞬間、暗鬼の視界は突如意思と反して中空を見上げた。

 鈍い衝撃音と痛みを暗鬼が認識したのはその直後だった。

 バヨネットは突然、予備動作無しに暗鬼の顎を蹴り上げたのである。


「ぐっ……!?」


 顎から脳天を貫く衝撃に視界が白む。

 暗鬼が蹴りを食らった事を自覚した時には既にバヨネットは次の行動に映っていた。それを遠目に見ていたスラムの住民の何割が視認できたかは分からない。

 バヨネットは蹴りを命中させた途端、刺さっていた棘を引き抜き、銃剣から手を放して蹴り上げた足を素早く地面につける。それと同時に拳を振り絞る。

 蹴りから僅かコンマ数秒にて安定した殴打を出来る構えになり、そして次の瞬間には鋭い拳が般若の眉間を捉えていた。


「ごああああっ!! な、なんだ今のは……」


 殴られた衝撃で手にしていた針と銃剣が宙を舞う。


「手応えあったと思った瞬間に油断する程、俺をナメていい相手だと思ったのか?」


 後退った暗鬼の目の前にいつの間にか詰め寄るバヨネット。暗鬼は驚く暇さえなかった。

 宙を舞った銃剣を再びその手に取り戻したバヨネットは的確に暗鬼の纏う外骨格の装甲の隙間を狙い、太ももの横に刃を突き刺した。

 ゴム質の特殊素材を貫いて、人工筋肉をぶちぶちと千切り、本物の皮膚を穿ち、肉を抉る。

 熱を帯びた痛みが暗鬼の思考回路をフル回転させ一瞬で状況判断を行わせた。

 余りに速すぎたバヨネットの反撃にスラムの住人も歓声ではなく「何が起きたんだ?」という目の前で起こったことを理解できない不安と恐怖によるどよめきだった。


「なんというスピードとパワー……滅茶苦茶だ」


 刺された足を引き摺りながら尚も距離を取る暗鬼。バヨネットはそれを追う事も無く、なんなら攻撃の姿勢すら見せずにその様子を見ていた。


「飽きたぜ」

「何……?」


 突然ぼそりと呟いたバヨネットは大きな溜息と零す。

 文字通り手傷を負わされたバヨネットであったが戦い自体に飽きたようで、素人目に見ても完全にやる気を失っているのが分かる程肩に力が入っていなかった。それは戦いのプロが見せる脱力ではなく落胆だ。

 暗鬼との喧嘩たわむれに飽きてしまったのだ。理解した暗鬼は屈辱に震えた。その屈辱と怒りは腿に銃剣が刺さっている痛みを忘れさせる程で、拳をも震わせる。恐らく仮面の向こうの素顔は顔を真っ赤にしていた事だろう。

 だが暗鬼はここまで力量がハッキリ分かった上で勝負に挑むような蛮勇な人間ではなかった。


「……参った」

「あん?」


 暗鬼は震える拳を理性で抑え込むと突然その場で膝を折り、正座をし始めた。

 目の前で行われた突然の正座に素っ頓狂な声を漏らすバヨネットであったが、当の暗鬼は真剣そのものといった様子でバヨネットの顔を真っすぐ見つめた。


「直接対峙する事で漸く実力差を知る事が出来た。ワシも傭兵だ、力の差を認め、素直に負けを認めよう」

「随分急に素直になりやがったじゃねえの?」

「傭兵社会は実力社会、そしてこの世界で長生きをしようと思うのならば無理な戦いをしない事が肝要……それだけの事」


 正座をしたままの暗鬼を見下ろすバヨネット。突然の敗北宣言に喧嘩が終わったと確信し興味を失って散っていくスラムの住人達。

 罵声と怒声、歓声とどよめきが起きていた暗く狭い空間に静寂が訪れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る