第8話 暗き鬼

 既に文明崩壊前の紙幣や硬貨という物には価値が無く、戦いに必要な銃や弾、復興に必要なネジやナットといった機械や建築物のパーツを〝金〟と呼んでいた。

 受け取った賃金を確かめる為に麻袋の中をチラリと確認するバヨネット。袋の中にぎっしり詰められたナットとボルトを見てこんなもんかといった様子で片眉を上げる。

 曇り空の下、麻袋の中で鈍く光を反射する金具の数々はヴィレッジを統治する組織によって管理されていたからか血や泥で汚れておらず綺麗だった。こういった物は錆びていると価値が下がる為、バヨネットは錆やヒビを見つけたらケチをつけてやろうと考えていたが、一目見てそういう類の物は無いと分かりつまらなそうに肩を落とす。

 コートのポケットに麻袋をねじ込み、失った武器をまた仕入れなければと市場へ繰り出そうとした時、人影が一つバヨネットの前に躍り出た。

 人が前に出てきた事で足を止めてバヨネットはその目の前の人物を見て首を傾げた。


「なんだお前か。あ~……」


 なんとも間の抜けた声を零すバヨネットは相手の名前が出てこなかった。一度は見た顔にも関わらず朧気で遠い記憶を呼び起こそうとするような神妙な面持ちのまま目の前の男を見るその姿にふざけて知らないふりをしているといった様子は無い。

 立ちふさがる男はガスマスク越しの篭った声で名乗りを上げた。


「暗鬼だ。暗器使い、十針の暗鬼はこの辺りでは少しは名が売れている傭兵なのだが、余程世間知らずと見えるな、銃剣バヨネットよ」


 細身で高身長、漆黒の強化外骨格に身を包み、般若の面がフィルターを咥えているデザインをした奇怪なガスマスクをつけた男は異様な存在感を放つ。

 普通の人であればその見た目と合わせて名前も覚えそうなものだが、名乗られてもバヨネットにはピンと来ていないようで怠そうに大欠伸を漏らした。


「はあ~……興味無ぇ。しかもダセェ」

「なに?」

「俺みたいな世間知らずにも名前が知られてねぇ内から名が売れてる傭兵だって自分で名乗ってるのが最高にダセェ」


 腕を組みながら見下すように話すバヨネット。その煽り口調に暗鬼は握りこぶしを作ったが、静かにその拳を開いた。


「ではその世間知らずの一人に覚えて貰ったところで、親切心で教えてやろう」

「おー、新参者にお優しい先輩だなぁ」

「――余所でどんな活躍したかなど関係ない。横浜ここでは先輩に敬意を払わん奴は自然に。気を付け給え」

「ほーん……」


 暗鬼の警告にバヨネットは全く臆する様子は無く、その表情からは敬意も尊敬も無く「あほらし」という文字が浮かんでいるように目が座っていた。


「この業界は実力主義、てめぇで撒いた種を自分でどうにもできずに世間知らずの後輩にケツ拭いてもらった奴に敬意なんざ無ぇよ」


 言葉尻に嘲笑を交えながらバヨネットは歯に衣着せぬ言葉を暗鬼に浴びせる。しかし暗鬼はそんな言葉で動じることは無く――。


「その事だが話がある。付き合ってもらおうか銃剣」

「あん?」


 般若の目の向こう側を見透かすような鋭い視線。二人の間に人の汗や硝煙、土の臭いが混じったぬるい風が吹き抜ける。

 道を行き交う人々が二人から放たれる雰囲気を感じ取り距離を置いて歩く。まるで二人の周りに見えない壁が出来ているかのように綺麗に人が捌けていき、やがてその通りは二人しかいなくなっていた。

 警備隊の事務所が近くにあるというのに一触即発の空気。そんな空気を破ったのはバヨネットでも暗鬼でもなかった。


「なんだお前ら。まだ居たのか」


 投げやりな声色で警告をしてきたのは事務所から出てきた神威だった。警備隊員の勘か、複数の出入口が存在する地下への入り口の中でもバヨネットの使った階段を使って上へと上がってきたようだ。

 バヨネットと暗鬼のふたりを疑うようにじろりと睨みつける神威。その手は腰の拳銃をいつでも抜けるようにしていた。


「警備隊事務所やヴィレッジ管理部がある地下への入口、一般人も通るこんな場所で〝一戦交えます〟なんて空気作るとは良い度胸だ。立会人をしてやろうか?」


 言葉はそこで切られたが、言葉の後ろに更に〝見届けた後しょっぴいてやるけどな〟と続いていることは安易に想像できた。

 素行が悪く他人の稼ぎも奪っていくような男であるバヨネットもヴィレッジ警備隊に逮捕されたとなれば廃業を逃れられない。


「そういうつもりは無かったんですよ警備員さん」


 暗鬼だ。マスク越しでも分かるくらい腰を低くしているような声色で言うその姿は警察の権力にビビるチンピラのそれである。暗鬼のその言葉を聞いて神威はわざとらしく舌打ちすると手で内から外へ振る仕草をした。


「そうか、だったら早く散れ。ヘタレ共」

「そうします。行こうか銃剣よ」

「……チッ」


 俺まで一緒にするんじゃねえ、と言いかけようとしたがバヨネットは面倒くさくなりへいへいと投げやりな返事をして歩き出す。

 雑踏の中へ消えていくバヨネットと暗鬼。その背中を見て神威はぼそりと呟いた。


「ふたり一緒に同じ方向に行く時点で隠れてヤル気満々じゃねえか……少しは誤魔化せ馬鹿ども」



******



 そそくさと移動する二人は自然と人通りの少ない場所へ向かった。

 明るく人通りの多い表通りの人波をすり抜けて、歩む二人。ヴィレッジの中でも暗鬼の存在は浮いていて、般若の面をつけた長身の男が歩けば周りの人間は自然に道を作っていく。

 二人は露店から漂う肉の焼ける匂い漂う大通りからそれて細道へと入っていく、そこはバヨネットにとって一度訪れた事のある場所だった。

 狭い空、薄暗い路地、道端に転がる鼠の死骸と行き倒れた人間の死体。低品質な薬物に手を出して体が壊死した廃人から漂う腐臭が風に乗って鼻腔を抉る横浜ヴィレッジのスラムだ。

 この世の終わりを表現したかのような惨状が日常であるスラムだがバヨネットはそんな場所でも眉一つ動かすことなく歩いていく。

 既にこの世は一度終わりを迎えている。そこから復興を試み、漸くヴィレッジという社会が再び地上に芽吹いたというのに共同体が大きくなれば再び格差という文明の闇が視覚化されていく。

 だがそれが〝普通〟となってしまえばこうしてバヨネットのように、暗鬼のように、その凄惨な光景にも何も感じなくなるのだ。

 暗鬼の後ろについて歩くバヨネットはスラムの奥まで進むと警備隊の巡回も無い場所で口を開いた。


「いい加減本題入ろうぜ。俺に何の用だ」

「何の用だと? 分かっているのだろう。我々が本来得る筈だった報酬の分も貰ったのだろう? 出して貰おうか」

「得る筈だった報酬だと? ……ククッ、笑わせんじゃねえよ。テメェらは失敗しただろうが。失敗した時点でお前らが得られるもんはなんもねぇよ」

「強情だな。ならば頂くまで」


 身構える暗鬼にバヨネットは鼻で嗤う。両手を軽く上げて肩を竦ませるといよいよバヨネットの嘲笑が漏れ出した。


「頂くまで、だと? フッ……クククククッ! 面白い冗談だな〝短気〟さんよ」

「〝暗鬼〟だ。間違えないで貰おう。武器も無いのにその余裕、いつまで続くかな?」


 暗鬼はそう言うと間髪入れず、素早く手から鉄の針をバヨネットの眉間に向けて投擲――!

 いつの間にはその手に忍ばせていた針は針というには長く太く、まるで五寸釘のようでそれを手早く正確に投げ放つ暗鬼のコントロールと肩の力は流石名のある傭兵としか表現しようがない。

 ぬるく重い空気を貫いて、シュッと音を立てて超高速で飛ぶ暗鬼の針は情人であれば回避する事など出来ないだろう。そしてとうのバヨネットも不意打ち的な近距離からの投擲には反応が遅れる、筈だった。


「……ッ!?」

「おいおい危ねぇなあ。初撃から殺す気か?」


 ニヤつきながら話すバヨネットの眉間に針は届かず、かといってバヨネットは避ける事もしなかった。

 掲げられたバヨネットの手にそれはあった。指と指の間に綺麗に挟まった暗鬼の針である。

 受け止めた針を器用に指の間で踊らせて遊んでいると、それを親指と人差し指で摘まむように握りこみ、振りかぶった。


「武器が無い相手に武器をくれるとはお優しいねぇ……そら、返すぜ!」


 わざと投げる合図をし、そして宣言通りわざとらしく振りかぶって投げ放たれた自身の針に暗鬼は冷静に反応して横へ避ける。

 それでもとてつもない速度で投げ放たれた針は嫌な音を立てながら般若の面の端をかすめて飛んだ。

 回避した暗鬼はバヨネットを見据えながら平静を装うが、その手は震えていた。ナメられた怒りからくるものではない、それは……。


「生身のくせに強化外骨格で強化されたワシに直撃ではないとはいえ当てて来るとは……!」


 恐れだ。暗鬼の纏う強化外骨格は文明崩壊前に製造されていた今の技術では再現不可能のロストテクノロジー。暗鬼の纏うそれは彼だけが着ている物ではなかったが、新品同様で機能をフルに発揮している物はこの神奈川には無いと言われている。暗鬼が傭兵としてヴィレッジ警備隊に一目置かれ雇われる程になったのにはこの強化外骨格による物が多いだろう。

 だが、その自分のアイデンティティが崩れ去ろうとしていた。生身の人間に迫られる強化外骨格の傭兵に特別な評価などされる訳がない、と。自分だけの特別な武器を持っていながら、持たざる者に僅差をつけられるという屈辱と恐れに暗鬼の胸の鼓動が激しくなった。

 その様子を見て、バヨネットは嗤う。


「やっぱお前、ダセェわ」

「なんだと……?」


 両手を頭の後ろで組みながら退屈そうに欠伸をするバヨネット。


「手ぶらの人間相手だから楽に恐喝できると踏んでたんだろ? ついでにこうやって人気の無い場所まで連れ込んで警備隊や一般人の目に入らないようにコソコソコロコロしちゃおうって思ってたんだろ? 相手が悪かったなぁ……クククッ!」

「ぬぅぅ……!」

「だがな。警備隊や表通りで事を起こさなくとも、お前の行動は知られていくぜ……?」

「な、何を――」


 暗鬼が狼狽えるとバヨネットは上を指差した。暗鬼はそれに釣られて上を見た。

 暗いスラムを見下ろす狭い空。縦に縦にと積み木を積み上げていくかのように不安定に増築された木材やトタンで作られた住宅群。そこには二人を見下ろすいくつもの影があった。


「お? 喧嘩か喧嘩かぁ~?」

「お前どっち賭ける?」

「俺はポニテの兄ちゃんに賭けるぜ! ありゃあ最近噂のバヨネットって傭兵だろお?」

「見る目ねぇなぁ、あの黒ずくめの般若は十針暗鬼ってえれぇ強ぇ傭兵だぞ。あんな若造が勝てるわけねえ!」


 そこにいたのはスラムここの住民であった。

 建物と建物を繋ぐ橋や、住宅の窓、渡り廊下から顔を出し、まるで闘鶏でも見るかのように二人を見下ろしていた。

 最初はただの喧嘩だと思っていたのだろう。しかしそれが傭兵の二人だと分かると皆目の色が変わり、いつの間にかただの喧嘩がショーと化してしまったのだ。

 囁くような堪えるようなすすり笑いだった〝観客〟の声は少しずつ大きくなり、やがて歓声や怒声へと変わっていく。


「なに突っ立ってんだ! さっさと殺っちまえ!」

「そんなガキぶっ殺しちまえ暗鬼ー!」


 多くの声に包まれている二人、そんな二人を見つめているのは欲望やストレス発散の為に見ている者達だけではなかった。

 バヨネットに熱い視線を送る小さな影がひとつ。バヨネットはその視線にまだ気付いていなかった――。

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