第6話 過去、重ねて

 それを言い表すならば、生きた戦車だろうか。

 鉄のような皮膚を持つ巨体は、鉄鼠はその爪も鋼鉄の如き強度であり、振るえば地面は勿論、コンクリートだろうが鉄板だろうが滅茶苦茶にしてしまう。

 凶悪な無限軌道のような爪を振り回し突撃してくる鉄鼠に対し、真っ先に動いたのは蛇栖太だった。


「かかってこいやあ! アルマジロの化け物ォ!」


 鉄鼠の進路上に飛び出した蛇栖太はその剛腕を突き出し、突っ込んできた鉄鼠の鼻っ面に掴みかかった。

 しかし、鉄鼠は戦車と比喩した通りの凄まじい推進力を持っており、いくら巨体で筋力を自慢とする蛇栖太でもその突進を止める事は出来ない。

 踏ん張るのが精一杯で、僅かにその速度を落とす事は出来てもズリズリと押し込まれ、そして両手が塞がった蛇栖太は鉄鼠の振り上げた巨大な爪を見上げた。

 暗鬼は鉄鼠の注意を引こうとして距離を取りつつも手にした針を投擲。だが乱暴に動く鉄鼠の体の隙間に針を通すのは難しく、鋼鉄の如き外皮に弾かれて針は明後日の方向へ飛んでいく。

 気を逸らすことも出来ず、鉄鼠は目の前で踏ん張る蛇栖太に襲いかかる!


「ぐっ、うおおおおおあああああ!!」

「蛇栖太……!?」


 前進を続ける鉄鼠をそのままヴィレッジの壁に突っ込ませる訳にはいかない。

 蛇栖太は渾身の力を込め、踏ん張る体の重心を僅かにずらして鉄鼠の進路をずらした。

 幅広の橋の上で行われた数秒間の競り合い。蛇栖太は強烈な鉄鼠の突進を利用して行った抵抗は鉄鼠の進行方向を狂わせた。

 鋭い爪がアスファルトを削り取る音が耳障りに響く中で、蛇栖太は鉄鼠に押され橋の防護柵に追突! 挟まれたのは一瞬の事だった。一際大きな破壊音が空気を震わせると、防護柵はひしゃげ、折れ、そして蛇栖太と鉄鼠は宙を舞った。

 一人と一匹は防護柵を突き破り、僅かな時間空中に放り出されると橋の下を流れる川へと落ちてしまった。


「蛇栖太!」


 水を割る大小の音と弾け飛ぶ水飛沫を前に暗鬼は叫んだ。

 すかさず橋の端へ駆け下を覗き込むも、そこそこの深さがある川なのか水面から背中を見せる鉄鼠はもがきながら上がれる場所を探している。

 そこに蛇栖太の姿は無い。


「ぬぅ……」


 暗鬼が唸るような声を漏らしながら鉄鼠を睨みつけていた。

 表情の分からぬ般若の面の向こう側ではどんな顔をしているかは想像できない。

 しかしその唸り声は悔しさや、まして蛇栖太をどう助けるかという思考から出たものではなかった。

 暗鬼は考えていた。この体たらくを雇い主でもある警備隊が見てる前で見せてしまった状況で、如何に自分の地位を落とさずに切り抜けるかを。

 保身である。仕事仲間である蛇栖太の安否よりもまず真っ先に考えたのは自分だけ言い逃れる事と金勘定だったのだ。


(蛇栖太め。貴様が肝心のアンチ鉄鼠武器を握っていたというのにしくじりおって……このまま陸に上がられては、ましてやヴィレッジ側の壁をよじ登られでもしたらそのままヴィレッジ内部に乗り込まれる恐れもある。そうなれば、依頼料どころでは済まなくなるではないか)


 チッチッチッ――。

 暗鬼は何度かマスク越しのくぐもった舌打ちを鳴らしながら、川を挟む堀の壁に爪を引っ掛け始めた鉄鼠を見ていくらか思案を巡らす。

 ガリガリと音を立てながら順調に登ってくる鉄鼠を見て一歩後ずさった時、その背中を見る男が一人。

 気配を消す事もなく、足音を殺す事もなく、砂と埃を踏みつぶす硬い靴底の音が暗鬼に近寄ると、暗鬼は手にした針を構えながら振り向いた。

 暗鬼の前にいたのは茶褐色で裾に黒いだんだら模様の意匠がある風変わりなロングレザーコートを纏った高身長の男。その青紫色の目は眼光鋭く、暗鬼は即座にその男を手練れであると見抜く。

 手にしたライフルを肩に乗せ、その銃身の先には銃剣が光っていた。

 左手には西瓜でも入っているかのような麻袋を持っている。


「何者だ? ブリガンドではないようだが」

「名も無き傭兵」


 だんだらコートの男はそれだけ言うと手にした麻袋を暗鬼の足元に放る。

 アスファルトにぶつかった麻袋はべちゃりと水気を帯びた音を立ててごろりと転がり、それを見た暗鬼は体を強張らせた。暗鬼はそれを何だか知っていた。知らないはずもない。

 暗鬼は努めて平静を装いながら男に訪ねる。


「……これは、何かね」

「とぼけんじゃねえよ。忘れ物を届けに来たんだ、アンタのだろ? 。」


 ――鉄鼠の鼻。

 異性を惹きつけるフェロモンが分泌される器官があり、そのフェロモンは人間にとってはとても微かな柑橘系の果物のような臭いがするものだ。

 そしてフェロモンを出す器官は死後三日は機能し続けるという。

 暗鬼がヴィレッジの敷地内に放り込んだ鉄鼠の鼻。まさにそれであった。


(こやつ、貧民街の廃バスの上に放り投げた鉄鼠の鼻を見つけ出して持ってきたというのか……? ワシの事を監視していたのか、いや、ならば今回の計画そのものを盗み聞きでもいていなければそんな事は出来ないだろう。この時代、正義感などという損しかしない感情如きの為に邪魔しに来たか。いや、ならば鉄鼠がヴィレッジを襲う前に鉄鼠の鼻をヴィレッジの外に人知れず捨てておけばよい。……なんのつもりだ?)


 一瞬で思考を巡らしつつも、暗鬼は男の様子を伺う。


「何の事だね? 仕事の邪魔をしに来たのでないなら下がっていてもらおうか」

「へぇ、今から逃げる算段をしてますって様子だったのにまだやるのか」


 たまたま煽った言葉なのか、それとも完全に見抜いていたのか、男の言葉に暗鬼は息を呑んだ。

 胸のざわめきを余所に暗鬼の目の前の男は更にニヤついて続ける。


「ここで尻尾巻いて逃げたら、警備隊の連中の笑い者だなぁ、えぇ?」

「ぬぅ……」

「お前がこの仕事を捨てるってんなら、せめて川底の落ちていった相棒を助けに飛び込んで行った方が、まだ言い訳になると思うぜ?」


 顎で川の方を指す男を見て暗鬼は更に男の心中が読めなくなっていた。

 しかし、男の言っている事にも一理あると理解はしていた。

 防壁の上で仕事の様子を伺う警備隊がいる前で仕事を放棄し逃げ出して、更に仕事仲間の安否も確かめず、助けにもいかないとなれば横浜ヴィレッジの警備隊の中で笑い者にされる事は必至。そしてその噂がヴィレッジ中に認知されればこのヴィレッジで仕事を得る事は難しくなるだろう。信用の無い傭兵に仕事をよこす奇特な人間などいやしない。

 暗鬼は川の水面を横目に一瞥する。蛇栖太の姿は無い。鉄鼠はもう陸地に完全に上がってきそうな状況。迷っている時間は無かった。

 川へ飛び込む暗鬼。しかし、川へ飛び、橋から飛び出した瞬間に男は暗鬼の背に言った。


「この仕事を降りたな? 悪く思うなよ、お前ら二人分の成功報酬は俺が貰う」

「な、なに!?」


 男の声に振り向こうとしたが既に遅く、暗鬼は横向きの体勢で水面に叩きつけられた。

 大きな水音が立ち、飛沫が上がる中で男は口角を釣り上げてくつくつと嗤った。

 そして男は防壁を見上げて警備隊に向かって声を上げる。


「先に雇った二人は仕事を降りるってよ! 用意してた成功報酬は俺が貰う!」


 それを聞いてそれまで黙って見ていた中年警備員と神威。中年警備員はそれを聞いて声を荒げた。


「勝手に決めてるんじゃねぇ! そういうのは仕事を終わってから交渉をだな……!」

「良いだろう!」


 中年警備員の怒声に被せるかのように神威は男に言うと、男は親指を立て、腕を下したと同時に鉄鼠の元へ走り出した。

 神威が男の要求に即答した事を中年警備員は驚き思わず興奮気味に声を震わせた。


「い、いくらなんでも金の話を現場で決めてしまうのは如何なものかと!」

「それで奴のやる気が上がるのならば安いものだろう。ここで無理だと言って〝じゃあ降りるわ〟なんて言われたらお前、どうする」

「それは……」

「俺たちの仕事は傭兵が仕事をするのを見張る事。そして前金まで払った傭兵が三人揃って仕事を放棄したと報告したら、恐らく今度は俺たちにお鉢が回るだろう。それは望むところだが、そんな手続きを踏んでいる間に防壁を突破されれば住民に被害が及ぶ事は避けられん。ここまで来たら何としても奴に鉄鼠を駆除してもらう。死んでもな」

「あ~、なるほど。そういう事ですか。流石神威さんですな! ガハハ!」


 〝死んでもな〟という部分は意気込みという意味で言ったつもりの神威。

 だが真横で聞いていた中年警備員は違った解釈をして下劣な笑い声を垂れ流した。

 刺し違えて死んでしまえば報酬もチャラになり、その金は警備隊の資金に戻る。そう神威は考えたと思った中年警備員。

 そんな勘違いをされている事も知らず、神威は鉄鼠の元へ駆けていく男の背を見送った。

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