第5話 異名と名誉

 灰色の曇り空、厚い雲の隙間から僅かに光が射し、揺らめく輝きのカーテンを作り出す。

 横浜ヴィレッジの防壁の前で巨大な鼠ミュータント・鉄鼠と傭兵の戦いが始まろうとしていた。

 廃ビルの二階部分の窓を破壊して渡された防壁上部の通路で中年の警備隊員の一人が高みの見物と言わんばかりに余裕の表情でジャケットの胸ポケットから煙草のパックを取り出した。

 煙草を口に銜え、火を点けようとした矢先、廃ビルの暗がりから一人姿を現したのは赤髪の男だった。

 その赤髪の顔を見た瞬間、警備員は慌てた様子で咥えていた煙草をパックに押し込んだ。


「本来俺達の仕事である筈の害獣処理を傭兵に任せて何をしている」


 明らかに警備員よりも年下といった養子の赤髪の青年は鋭い目つきと冷淡な印象を受ける声色でそう警備員に訪ねながら眼下を見下ろした。

 年下の上司という感じで、警備員は途端に背筋を伸ばして半歩下がった。

 二人は年齢差は二十歳前後だろうか。青年の方が明らかに装備が新しく、同じ警備隊の中でも装備の格差が出来ているようだった。

 継ぎ接ぎだらけボロの上に申し訳程度に防弾チョッキと警備隊の腕章をつけ、背中に如何にも手作りといった様子のウッドストックが目につくロングバレルのライフルの中年警備員は警備隊でも下級のパトロールが使う支給品のようだが、青年は全身に軽装備ながらしっかりとジャケットやプロテクターなどを身に着け、腰や背中の銃もポリマーフレームの高級品だ。全身黒々とした装備に艶消し加工されたプロテクターの表面に走る薄っすらとした光が威圧感を放っている。


「神威さん! いやぁ本部が傭兵を雇ったっていうものですから、ちゃんと仕事するのか監視してるんですよぉー」


 言葉の後ろの方は苦笑いが混じりながら震えていた。

 中年の警備員は手を揉みながら神威の後ろで控え、神威の次の言葉がどう出るのかと不安の表情を浮かべる。


「闘鶏を観戦する客のように見えたがな」

「ハ、ハハ……そんな事は」


 ただの上司というだけならばここまで萎縮する事は無いだろう。実際、神威と呼ばれた警備隊の上司は後ろの警備員に叱咤する気などさらさら無いようで、壁の向こうの鉄鼠を見下ろしている。

 その姿はまるで叱咤する気が無いというよりも、そもそも関心すら無いといった具合だ。

 文明崩壊後、あらゆる環境、組織において年功序列という概念は消え失せ、代わりに極端な実力主義が残された人間社会を支配していた。二人の関係はまさにその縮図だ。

 力ある存在だと認知されることで、仮に本人にその気は無くとも畏怖される存在になる。そして弱者は強者の一歩後ろに下がって狭い視野の世界で生きていくしかない。

 これはこの横浜ヴィレッジ警備隊という組織の雰囲気がそうだという訳ではない。これがこの世界では普通になってしまっている。

 神威の視線の先には鉄鼠に立ち向かう二人の傭兵の姿があった。蛇栖太と暗鬼、それら二人を目にして神威は眉間に皺を寄せた。

 振り返り、後ろに控えていた中年警備隊員を睨んだ。


「一人いないじゃないか。監視してたんじゃないのか」


 その言葉に警備隊員は額から汗を吹き出しながら震える唇を開いた。


「そ、そんな筈は……。上からは傭兵のナックル蛇栖太だすた十針とばり暗鬼あんきの二名を雇ったと……」

「何? 俺の所には三人だと。……後から一人追加したのか」

「傭兵のチームじゃなくてフリーの傭兵を三人……? 上は何を考えているんです?」

「知るか。少なくとも俺達よりそのフリーの傭兵の方が使えると思ったんだろう。舐めやがって」


 そんな事を言いつつ自ら戦いに赴かない神威。銃は自前の物でも弾薬は警備隊に入った時点で全て警備隊が管理する事になっている。警備隊の備品扱いであるせいで自分の意思で背に掛けた銃を使えないでいるのだ。その立場に苛立ち、再び視線を防壁の前で行われている戦いの方へ向けた。

 眼下で繰り広げられる戦いに混ざりたい。そんな熱い視線が注がれる中で、その視線を向けられた傭兵二人はその視線に気付く事はない。



******



 戦いの始まりは鉄鼠の咆哮からだった。

 それは到底鼠の鳴き声とは思えぬもので、例えるならばそれはヒステリックな女の耳障りな金切声、若しくは怒り狂った象の叫び。

 空気を震わせるような凶暴な咆哮から続けて飛び出す突進に暗鬼は傭兵としての経験でギリギリ回避できるタイミングを計る。

 遅ければ全速力で突っ込んでくる何百キロもの巨体に突き飛ばされ、早すぎても方向転換されて直撃は無いしろ無事では済まないだろう。

 故に、暗鬼は十分に引き付けておき、そして横へ飛んだ。

 強化外骨格で強化された体だからこそできる予備動作無しの高速跳躍は、鉄鼠から見れば鼻っ面に捉えていた筈の獲物が突然眼前から消えたように映る。それ程に素早い回避行動だった。


「所詮は獣よ……」


 虚空を貫き瓦礫に頭から突っ込んでいく鉄鼠。その瓦礫の山は先ほど暗鬼達が滑り降りた山だった。

 そして、蛇栖太はまだ瓦礫を降りている途中だった。


「ちょ、ま、待てオイ!」


 瓦礫に突っ込んだ鉄鼠によって微妙なバランスで山の形を成していた瓦礫は途端にその姿を変え始め、その表面を滑っていた蛇栖太は体勢を崩され宙へ放り投げられてしまう。

 情けない声をあげながら真下の鉄鼠の背中へ落ちていく蛇栖太。しかし、蛇栖太は情けない声とは裏腹に、冷静に空中で姿勢制御をしたかと思えばその丸太のような太い腕を振り上げた。


「オラアアアアア!!」


 振り上げた拳を振り下ろし、落下の勢いも込めた一撃は鉄鼠の背中に叩きつけられた。

 鈍く響き渡る殴打の音は中身の詰まった樽を鉄の棒で殴りつけたような、生々しいく耳にこびりつくようなものだったが、その壮絶な打撃をした蛇栖太はというと表情を曇らせながら鉄鼠の背中から飛び降りた。

 アスファルトに着地するなり、その巨体から想像できない軽やかで迅速な動作で後退して鉄鼠から離れる蛇栖太。その手は痺れているようで手の甲を押さえながら鉄鼠を睨みつけた。


「どうした蛇栖太」

「どうしたもこうしたもあるか暗鬼ィ! テメェ俺がまだいるっつーのにあのクソネズミを突っ込ませやがって!」

「そんなもの知るか。ワシは攻撃を避けただけの事。そもそもあの程度でやられてしまうタマではあるまい? 蛇栖太よ」

「チッ……まあな」


 蛇栖太の横に暗鬼が歩み寄るとゆっくりとその腕を上げ、蛇栖太の拳を指さした。


「〝ナックル〟の異名を持つ傭兵とあろう者が、鉄鼠一匹その拳で仕留められぬのか?」

「テメェ、喧嘩売ってんのか。お前こそ〝針使い〟〝ハイテクニンジャ〟〝智慧の鬼〟なんて大層な渾名がある割にはやる事は様子見だけか? えぇ?」


 蛇栖太の安い挑発に対しカカカ……と、くぐもった笑い声を漏らす暗鬼。

 その姿に蛇栖太は顔を赤くして暗鬼の肩に掴みかかろうと腕を伸ばす。しかし、そんな動きなど呼んでいたといった様子で暗鬼は一歩引き、ギリギリの所で蛇栖太の大きな手からすり抜ける。

 盛大に舌打ちを鳴らして腕を震わせる蛇栖太。


「テメェが鉄鼠の弱点が電気だって言いやがるからこっちもとっておきの電撃ナックルを持ってきたっつーのに、見ろ!」


 蛇栖太が鉄鼠を指さすと、鉄鼠は既に瓦礫から抜け出して再び暗鬼に向かって突進の構えをとっていた。

 その姿にダメージを受けた様子は一切無い。だが電撃を食らったという自覚はあるようで、長い爪でアスファルトをガリガリと削りながら力を溜めるその姿は先ほどよりも怒り狂っているように見える。


「蛇栖太よ、話を聞いていなかったのか。打ち合わせの時に言ったではないか、鉄鼠の皮膚は西洋鎧のようなもので、その鋼鉄のような外皮と外皮の間にある隙間の奥にある弱点に直接電撃を与えねばならぬと。だからワシがあの隙間に針を通し、その針に電撃を流せという話だったろう」


 冷静に語る暗鬼に蛇栖太は口をつぐんでしまう。どうやら忘れていたらしい。

 蛇栖太のその様子に呆れたように溜息をついた暗鬼だったが、その時、鉄鼠は再び強烈で耳障りな咆哮をあげた。

 次は殺す。殺気の宿ったその咆哮と共に突撃を開始する鉄鼠。

 暗鬼の背後には横浜ヴィレッジの防壁がある。

 鉄鼠の猛烈な突進によって防壁に大きなダメージが入れば傭兵としての信用問題に直結するだろう。

 そしてこの物資も少ないケチな世界では、仕事の出来次第で賃金を減らされるなどザラである。防壁を守り鉄鼠を退治する仕事を受けた傭兵二人は自分自身の他に防壁も守らねばならないのだ。

 ジャリジャリと地面を削り取りながら凄まじい速度で突撃する鉄鼠。それを前に二人は身構える。

 自分から撒いた種とはいえ、それを無事に摘み取れないようでは沽券に関わる。

 ヴィレッジの警備隊よりも仕事ができる事、信頼して仕事を任せられる証でもある〝異名〟を得る事は傭兵の世界では難しく、異名で呼ばれる事は名誉であり、実力と異名、二つ揃って身分証となる。

 この戦いは今日明日の金の為だけの戦いではないのだ――。

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