第4話 齧歯類重装甲突然変異体『鉄鼠』

 文明崩壊後の地上は何もかもがいびつだ。

 過去の繁栄を表すコンクリートジャングルは異常成長した植物に半ば浸食されかけコンクリートとジャングルといった様相を呈していた。

 空を狭めていた高層ビル群のほとんどが瓦礫の山と化すか、辛うじて姿を保っている状態。大気汚染が深刻な場所が点在し、また逆に文明崩壊前では考えられないほどに澄んだ空気で満ちた場所もあった。

 人々はヴィレッジの中に住む者と外に住む者に分かれ、地上の資源を集め辛うじて生き残っているが、見境なく物資を暴力で奪おうとするブリガンドと呼ばれる者達、大気汚染や汚染物質、野生動物が醜く変異した突然変異種ミュータント等、多くの危険に曝されていた。

 だが、多くの危険があるという事はそれが稼ぎになる事もある。危険の中に身を投じる事で収入を得る者――傭兵が求められる世界。

 かつて日本と呼ばれていた地の一部である関東エリアは汚染地帯とミュータントの巣、多くのブリガンド組織の拠点に囲まれ隔絶された陸の孤島と化していた。

 その関東エリアの中でも最大規模を誇るヴィレッジ、横浜ヴィレッジは数少ない文明崩壊以前の文化的生活を可能にする技術と物資を有しており、そしてその為多くの危険に文字通り囲まれている。

 軍需工場を復旧させ潤沢な人員と装備を誇る横浜ヴィレッジ警備隊、それでもヴィレッジの平和は辛うじて守られている状況であり、隊員達は皆疲弊していた。


「おい、南側の防壁に取りついてるミュータントはどうした」


 昼間でも薄暗い曇り空の下、声に疲れが見える警備員が詰め所の外のベンチに座っている同僚に声をかけている。

 勢いは無いが冷気を帯びた湿った風は、厚着の警備隊員達の体力をじわりじわりと奪っていく。

 鉄板や廃車、瓦礫、廃材、何でも使ってやっと築き上げたヴィレッジと外界を隔てる防壁は横浜ヴィレッジの生命線。

 声をかけられた警備員はオイルライターで折れ曲がった煙草に火を点け、大きな溜息と共に空を仰いだ。


鉄鼠てっその事か? ありゃダメだ。音でビビらそうとしても逃げやしねえし、あの外皮、俺たちの銃なんざ効きやしねえ……」

「折角給料貯めて百八工業ヒャッハーのライフル買ったってのに相手が化け物じゃあなぁ」


 そう言いながら煙草を歯で挟みながら足で貧乏ゆすりをする警備員の様子は誰が見ても苛立っていた。


「壁の外の略奪者ブリガンドどもを相手にするのは毎日の事だし慣れたもんだが、あんな面倒なミュータントがこの辺に出る事なんて無かったからな」

「鉄鼠っていやぁもっと北に住んでる筈だったな」

「どんなルート使ってきたか知らねぇが、川崎ヴィレッジからも品川ヴィレッジからもそんな連絡無かったし謎だ」

「地下鉄からか?」

「東京エリアまで伸びてる地下鉄はこのヴィレッジには無いぞ」


 不可解なミュータントの出現に困惑する横浜ヴィレッジ警備隊。

 弾丸をものともしない高硬度の外皮に包まれた鼠の突然変異体ミュータントに手を焼く彼らの元に、酒瓶を指に挟みながらゆったりとした歩き方で近寄るもう一人の警備隊員がやって来た。その顔は少し赤らんでおり、既に一杯引っ掛けた後という様子。

 そんな上機嫌そうな彼を見て煙草を咥えていた警備員が軽い溜息を漏らした。


「昼間っから良い身分だなぁ? ええ? おい」

「もうやる事ねぇからなぁ」


 赤ら顔で言う警備員は別に休暇オフという訳でも早上がりというわけでもない。しかしもうやる事は無いと言い、手にした酒を煽った。

 何言ってんだコイツと言いたげにその様子を見る二人。

 酒瓶を逆さまにしてぐびぐびっと喉を鳴らしながら安酒を飲む警備員の額には深いシワが出来ていた。その様は祝杯というよりも――。


「なんだよやる事無いって」

「……上の連中、傭兵を雇ったってよ」


 苛立ちを隠そうともしない警備員は酔った勢いなのか、それともそれ程腹立たしい事だったのか。

 酒瓶を持ち震える手は今にも手にしたそれを握り砕いてしまいそうだ。

 煙草を吸っていた警備員は煙草を吸う事を忘れて赤い顔を眺める内、指に熱を感じて慌てて最後の一口を勿体なさそうに吸い込み、大口を開けて紫煙を吐き出しながら吸殻を指で弾いた。

 傭兵――。文明崩壊前に存在していたその名の職業は二十世紀に入ってほとんど存在しなくなっていた。戦場での略奪など目に余る行動が記録されているが、十九世紀の国家間で起こる戦争には金銭などで雇われる戦闘員。それが本来の傭兵だ。だが、この時代においての傭兵は意味が変化していた。


「傭兵なんざどいつもこいつもヴィレッジ内で問題を起こすわ、依頼料を後から釣り上げて恐喝まがいの事をしてくるわ、碌な奴がいねぇ」

「傭兵じゃなくても、ヴィレッジ内で問題起こす奴はいる」

ゴミ拾いスカベンジャーと傭兵じゃ面倒の規模がちげーんだよ。なんにせよ、お利口さん気取ってるブリガンドみてぇなもんさ。そんな奴らに仕事を振るとか俺たち警備隊の面目丸つぶれじゃねぇか」


 酔った勢いに任せ日頃溜め込んでいたのだろう、聞かれなくてもベラベラと饒舌に悪態をつく警備員に周りは苦笑いをするしかなかった。



******



 横浜駅とそのロータリー、地下に広がる巨大シェルターを囲うように伸びる二股の川に挟まれてたたずむ横浜ヴィレッジの姿は廃墟に浮かぶ戦艦のよう。

 西側の陸地から入るか、北と南に流れる川に渡されたいくつかの橋を渡るしかなく、ヴィレッジを囲う四メートルの防壁と合わせて神奈川では随一の強固さを誇る。

 深緑色の防護柵が残る幅広く短い橋の上、そこにそれはいた。

 灰色のでっぷりした巨体、遠目に見れば遠近感がバグったダイオウグソクムシ。しかしその軽トラック程の巨体には齧歯類のような頭と消防車の排水ポンプのような太い尻尾が生えている。鉄鼠だ――。

 昨晩ヴィレッジを襲撃したブリガンドの死体が転がり、その死肉を啄む三つ足の烏が巨大な鉄鼠を見つめている。

 鉄鼠は何かを探る様に、誘われる様に、鋼鉄の防壁に頭から突っ込み、周囲に轟音を響かせていた。まるで鉄の塊で銅鑼を乱暴に殴打したかのような耳障りな追突音と地響きに、壁の内側にいる住民たちは慌てふためくばかり。やがて鉄鼠は防壁を破くのを諦めたのか、今度は防壁のすぐ下のアスファルトをほじくり始めた。

 気味の悪いゴリゴリという爪で硬いアスファルトを削る音に、戦う能力の無い一般住民も、銃を持ちつつもそれが役に立たない事を知っている近くの警備隊員も恐怖に震えた。

 そんな様子を、烏と同じく眺める二つの人影があった。


「まんまと餌に釣られてやがるなぁ暗鬼よ」


 灰色の空の下、鉄鼠を見下ろす瓦礫の山の上に彼らは立っていた。

 隣にたたずむ漆黒の強化外骨格に語りかけるのは、身長二メートル程の巨漢。その肩は子供が座れそうな程で、瓢箪のような腕は血管が走り、その先端には高圧電流カイザーナックルが鈍く光る。

 名を呼ばれた強化外骨格の男は隣に立つ巨漢と並ぶと痩せぎすの低身長に見える。背負っているバックパックは大きくは無いが物々しい金属製の箱状をしており、それは背負う物というより強化外骨格の背面に接続されている物のようだ。頭すら露出の一切ない全身真っ黒な姿と猫背、そして白い顔に金色の牙と角が生えた般若の面の形をしたガスマスクが威圧感を放っていた。

 二人はヴィレッジの外側で、橋の上で防壁を攻撃する鉄鼠をただ眺めていた。


「メスのフェロモンを撒いて鉄鼠をヴィレッジにけしかけさせ、そこに自分を売り込み金と名声を手に入れる……何も知らぬ管理部の連中はワシらにこうべを垂れながら感謝する事だろう。なぁ蛇栖太だすたよ」


 暗鬼のマスク越しの籠った声は無感情で冷徹さが伺える。

 淡々と語る暗鬼に対し、筋骨隆々の巨漢――蛇栖太は首を回し音を鳴らして伸びをした。そして己の拳と拳を突き合わせてニタリと笑う。


「最近平和だったからなぁ、仕事が無いならしかねえ……とはいえ、恐ろしい男だぜ」

「そんな恐ろしい男の企みを聞いてゲラゲラ笑いながら二つ返事で乗っかったお主も十分恐ろしい男だと思うが?」


 その言葉に蛇栖太はゲラゲラ笑いだすと違いないと言ってひび割れた地面に痰を吐いた。


「さあ、始めようぜ。後は警備隊が見てる前であのクソネズミをぶちのめせば終わりよ」

「気をつけろよ蛇栖太。ここに運ぶ前は不意打ちで済んだが今回の鉄鼠は気が立っている。背後から行っても気付かれるぞ」

「そんときゃ真正面から……ぶっ飛ばせば良いだろ!」


 そう言いながら瓦礫の坂を勢いよく滑り降りていく蛇栖太。

 その姿を見下ろしながら暗鬼はくつくつと笑った。しかし、その表情は本当に笑っているのか分からない。

 不気味な般若の面がゆらりと動くと滑り降りる蛇栖太の後を追うように、急な瓦礫の斜面を駆け出した。

 まるでそこが緩やかな傾斜の草原の上を駆けているような軽やかで乱れの無い走りは正にその漆黒の強化外骨格によってもたらされた凄まじいパワーとバランス感覚が成せる技。

 ガリガリと音を立てながら時折障害物を避けて滑る蛇栖太に早くも追いつき、そのまま追い抜いていくと蛇栖太は暗鬼の黒い背中を見て感心の口笛を吹いた。


「あれが軍用強化外骨格の性能ってヤツかい。まるでニンジャだな。俺に合うサイズがあればなぁ~」


 等と言っているが、蛇栖太は手にしたカイザーナックルと自前の怪力に自信があった。故に鉄鼠に拳で向かっていく。

 瓦礫の山から降りきってまず鉄鼠の前に踊りだしたのは他でもない暗鬼だ。

 暗鬼の姿を確認した警備隊は防壁の上から声を張った。


「やっと来やがったか! キッチリ働いてそいつをさっさと始末しろ!」


 半ば罵声のような語気で言葉を浴びせる警備隊員に暗鬼は冷ややかに嘲笑を返した。


「ククッ……弱者はそこで指を銜えて見ておれ」


 暗鬼はそれだけ言うと、腰に差した幾本もの太く長い針を指に挟んで引き抜き、身構えた――。

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