第2話 二度目の人生

 横浜ヴィレッジ南部の防壁沿いで鉄鼠が暴れていたその頃。横浜ヴィレッジの中に入るための正面玄関と言える横浜駅東口――。

 その昔は複合商業施設やマンション、オフィスビル等に囲まれたロータリーがあったが今では他ヴィレッジとの交易等を行う輸送隊や個人商の停留所と化していた。

 木材やプラスチック板等の継ぎ接ぎで建てられた厩舎には輸送に使う馬の厩舎があり、そこから距離を置くようにして涙ぐましい努力で動くまでに修理された輸送隊のトラックが幾つか団子になって停められている。

 二十世紀初頭と二十一世紀以降に見られた光景が同居する不可思議な空間に、その男はいた。

 晩夏。文明崩壊により二酸化炭素の減少から地球温暖化に歯止めがかかったかに思えたがその実、日本は相も変わらず高温多湿の夏空に曝されていた。蝉の耳障りな大合唱も秋が近づいてきたこの頃にはその数も減り、カナカナ……とひぐらしの大合唱がそこかしこで聞こえてきて風情など感じられない程に五月蠅い。

 動かせる車を個人所有する事はこの文明崩壊後の世界では贅沢な事でありながら、車を所持するという事は危険なヴィレッジの外を移動する人間という証でもある。まるで軍用車を思わせるツヤの無い鉛色の大型キャンピングカーは、何度も修復を重ねてきた痛々しい縫合痕の見える老兵のような出で立ち。屋根にはオリーブドラブ色の軍用を思わせるバイクが太陽の光を鈍く反射していた。二つの車両を持つ男は若々しさはあれど額に刻まれたシワは深い。

 男は寝泊まりする家でもあるキャンピングカーの外でハイバックの折り畳み椅子に全身を預けながら、暗雲の隙間から覗く日光のカーテンの下、退屈そうに欠伸を漏らしていた。

 そんな彼の前を通り過ぎる人々は彼を恐れ、又は迷惑そうな目で見ていた。中にはひそひそと男の陰口を零す者もいた。


「おい、あれ〝バヨネット〟じゃねえか?」


 埃まみれの一張羅を纏う行商が囁く。

 隣を一緒に歩く同業者がちらりと椅子に座ったまま相変わらずつまらなそうにしている男を遠目に見る。


「最近噂の傭兵?」

「突然この辺に現れてなんでもやるって事で話題になってるらしいぜ」


 声を潜めながら話す男達。雑踏の中に溶けるその会話は本人に聞こえる筈がないのだが、人間という生き物はこういう時、自分の話だという内容を耳が拾ってしまう。カクテルパーティ効果が手伝った結果もあるが、噂されている男は特別耳が良かったのもあるだろう。だが聞こえていても男は知らぬ顔だ。


「なんでもって?」

「ブリガンドを殺しまくる事もあれば、ブリガンドに金で雇われることもあるだとかで、滅茶苦茶やるらしいぜ。べらぼうに強いから誰も手が出せないってんでヴィレッジ管理部も対処できないから野放しになってるだとか……」

「べらぼうに強いって言っても人間なんだ。鉛玉一発でも食らえば……」

「噂によると弾丸を手にした銃剣で叩き落とすらしいぜ」

「はぁ? んな馬鹿な。 それで〝バヨネット〟ってか?」

「実際出来るのか知らねえけど、この間の溝ノ口ヴィレッジにブリガンド集団が襲撃した事件覚えてるか? あれの報復の為に雇われてライフルと銃剣だけでブリガンド集団を壊滅させたって話だ」


 横浜ヴィレッジより北に位置する溝ノ口ヴィレッジは規模は小さいものの、東京エリアと神奈川エリアのヴィレッジが交易をする際の中継ポイントとしての価値があり、輸送隊や旅人、移動中の傭兵等、多くの人間の往来に利用され賑わっていた場所だった。しかしそこに四十人ものブリガンド達が強襲、多くの物資を奪い、そして火を放ったのである。

 何とか死守した僅かな物資を元手にただ一人雇われた男、バヨネット。彼は見事単身でブリガンド集団のアジトに乗り込みこれを壊滅せしめ、溝ノ口ヴィレッジの奪われた物資を奪還したという話はすぐさま神奈川エリアの多くのヴィレッジの間に広まっていった話だ。

 だがあまりにも現実離れし過ぎた話に、バヨネット本人が売名の為に話を盛ったとも言われ、時にはバヨネットが最初からブリガンドと組んで行った事件であり、壊滅したとされるブリガンド集団は別の場所でまだ生きて活動しているのでは等と根拠のない噂が飛び交うようになっていた。

 しかし、そんな噂も当のバヨネット本人は否定もせず肯定もせず、風に乗るまま尾ひれが付こうが構わないようだ。

 こうして本人が近くにいるというのにも関わらず行われる噂と憶測だけの会話も無視し続けていた。


「何者だか知らねえけどどっちにしろ腕の立つ傭兵には間違いないんだろ? 案外悪い噂の火消しの為に顔の広い人間に金握らせて英雄譚でも広めようとしてるんじゃね?」

「それはありそうだな。都合の悪い話題をもみ消すなら新しくて派手な話題で相殺でもしなきゃずっと残り続けるからな」


 男達がその場からいなくなるその瞬間まで、根も葉もない下種な会話は続けられていた。

 それでも人の多い場所だ。どこもかしこも仕事の話、他愛の無い会話、それらが入り混じった雑踏を前にして、バヨネットは徐にコートのポケットから煙草を取り出し徐に口に銜えた。

 オイルライターで煙草に火を点け、紫煙を燻らせると立ち上った白が暗雲の中へ混じって消えていく。

 ガラクタに価値を見出そうとする技術者達、それらを金づるだと思ってヴィレッジの外へゴミを漁りに行くスカベンジャー達。

 人間の汗と垢の臭い、馬の獣臭と馬糞ボロの臭い、埃と土と火薬の臭いが混じったぬるい風が吹く。

 バヨネットはロータリーの隅で開けた空を見上げてふと思った。


(退屈だ)


 彼にとって他人からどう思われているかなどどうでもよく、ただ自由を謳歌するために傭兵という仕事に就いていた。

 あの日の夜を思い出すバヨネット。

 地上に出る前は外の世界がもっと華のあるものだと思っていた。

 面白い事で満ち溢れており、仲間たちと共にバカやって笑いながらやりたい事だけをして過ごす日々を夢見ていた。結局それらは叶わなかった。


(天国って所は、こんな退屈もない所なのか? なあ三九番)


 最早バヨネットを知る者は地上にいない。

 そして本当の名前も無い彼は、ただただ生きる為に何年も戦い続けた。

 結果手にしたのは傭兵としての異名と、誇張され原型があるかも怪しい噂の数々、そして虚しさだった。


(俺一人残しやがって。何が名前をくれだ。テメーなんかにつける名前なんざ無ぇよ)


 誰に言うでもなく、届く事もない悪態を心の中で呟きながら、それを亡き者へ投げつけるように空を睨みつける。

 しかしそれすらも意味は無いとバヨネットは理解していた。故に、そんな無意味な事をして時間と感情を浪費する自分がたまらなく嫌になり、更に機嫌が悪くなっていく。その時だった。


「お、おいお前ら! 今ヴィレッジの南には行くなよ!」


 感情の負のスパイラルに陥りそうになっていた時、突然数多の雑音を蹴散らす声と足音が近づいてきた。

 横浜ヴィレッジから他のヴィレッジに輸送する食料品等を荷車に載せる作業をしていた輸送隊員達の元に、同僚と思われる一人が駆け寄っている。

 その声と動きからバヨネットは即座に只事ではないと気付くも、知らぬ顔をしながら聞き耳を立てる。

 駆けこんできた同僚を見て輸送隊員達は困惑の色を見せる。


「なんだよ。もうすぐ積み終わるってのに」

鉄鼠てっそが出たんだ! しかもでけえやつ! 南の防壁に何故かタックルしてて壁をぶっ壊しそうなんだってよ! そんな側を通ってみろ、餌になっちまう!」

「落ち着け落ち着け。そんなヤベーのがいるなら警備隊がもう動いてるだろ。もう少し待てば処理してくれるんじゃねえの?」

「壁の上にいる警備隊が銃で応戦してるのを見たが微塵も効いてる様子が無くてお手上げって感じだったぞ……」


 その後も「そもそも何故こんな所に突然鉄鼠が……」などと慌てふためく輸送隊員とその様子を見て事の異常さに気付き始めた周囲の人間達から怯えと困惑の感情が辺りを支配しはじめそうになると、その場を見回りしていた警備隊が慌てて仕事に戻れと話題を打ち切る様に急かす。

 ロータリーがどよめきに包まれようとしているのを見て、バヨネットは腰を上げた。

 自宅であるキャンピングカーの中に入るとスコープの無い〝百八〟という焼き印が押されたウッドストックのロングバレルライフルに銃剣を取りつけ、予備の銃剣をコート裏に仕込み、コンバットブーツの紐を締めなおす。

 そして表に出てぐるりと肩を回し、呟いた。


「稼ぎに行くとするか」


 ライフルのベルトを肩に掛けながら、退屈しのぎになりそうな臭いを嗅ぎつけ歩き出す。

 その目はギラつき、それを見た近くを通る人々は本能的危機感で道を開けていく。

 バヨネットはその様子を見ながら心の中で嗤っていた。

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