名も無き傭兵と野良犬《しょうねん》の一週間

夢想曲

第1話 十五の夜

 世界がどんな色に変わっていようとも、今地下施設にて監視され、管理され、教育されている彼には関係の無い話だ。

 文明崩壊という人類史の節目を迎えても尚、人類全てが地球上からいなくなることはなかった。ヴィレッジと呼ばれるシェルターに人々は避難し、長い年月をかけて復興を進めている。

 それも彼にとっては関係の無い事。


「三八番。出てきなさい」


 神経質そうな男の声が彼を呼んだ。

 彼は真っ白な空間にいた。薄緑色の施術衣のような簡素な布切れ一枚を着せられた十五そこらの彼に名前はなかった。

 与えられたのは番号と、一着の衣と、個体情報が印字されたピアスタグ、そして肉体強化ナノマシン。

 自分に振られた番号を呼ばれ、片目が隠れるほどに伸びた茶髪を揺らしながら立ち上がる。

 まるで重篤な精神病患者の隔離病室のような、白く、何もない部屋。しかし個室というわけではなく、彼には何人もの同居人がいた。

 皆同じ服とタグを身に着け、その姿は病院の患者、若しくは囚人のよう。

 地下施設は人口太陽光を用いた疑似天候システムで地上とほぼ変わらない暮らしができている。

 一般市民の為に開かれたヴィレッジシェルターの規模と技術を遥かに凌駕するアーコロジーシェルターの中にある施設においても、ここにいる者たちは色白で顔色が悪い。

 体調管理を徹底的に行われ、排泄物の中身まで分析されるような少年少女達がそのように見えるのは、精神的負担があまりにも重いからに他ならない。

 彼を座ったまま見上げる実験動物仲間達。

 彼らは皆体格も目鼻立ちも異なっていたが、どの子も淡い青紫色をした瞳を持っていた。

 それは遺伝子操作によって生まれた者の証であり、例え服を変えようが、タグを外そうが隠しきれない刻印。

 三八番と呼ばれた彼もまた、青紫の瞳をしていた。だが、他の実験体と違ってその眼光は鋭く、ひとつの強い意志を宿していた。

 番号を呼ばれた彼はこの部屋唯一の扉が開かれたのを気怠そうに見やると無言で歩き出す。

 彼を呼ぶ白衣の中年男は二人の警備員に挟まれる形で部屋の外に立ち、彼が部屋から出て来るのを待つ。

 警備員と言ってもその手にはフラッシュライトやフォアグリップ、ドットサイト光学照準器が取り付けられたライフルを手にし、防弾チョッキにヘルメットまで装備しており、最早軍隊のようだ。

 ぺたり、ぺたりと裸足で歩く彼は無言のまま部屋を一歩出るとすぐさま白衣の男が手にした非接触式体調検査器のトリガーを引く。

 センサー部分を男の頭の先から足の先まで向けて身体機能に不調が無いかを確認する。その時だった。


 ぺたり――。


 ぺたり、ぺたり――。


 ぺたり、ぺたり、ぺたり――。


 幾つもの裸足で歩く音が静寂の中で不気味に響く。

 白衣の男の周りにいた警備員が彼の向こう側、部屋の中を覗き見ると今まで無気力そうに部屋で膝を曲げて座っていた少年少女が全員立ち上がり、青紫の眼が全て一点を見つめていた。部屋の外である。


「お前らは呼んでないぞ、座れ」


 警備員の無機質な声。しかしその言葉で足を止める者はいない。


「おい、座ってろ」


 不気味な光景に警備員は銃を構えて命令する。

 しかし声など届いてないかのようにゆっくりと一歩一歩扉の方へ向かう少年少女達を見てもう一人の警備員が扉の開閉スイッチに手を伸ばす。

 だが、その手はスイッチに届かなかった。

 検査器を当てられていた彼は突然研究員の手首を掴み取ると、握力だけで男の手首を骨ごと握りつぶし、腕を引っ張りこみ引き込まれた顔に拳を叩き込む。

 白衣の男は声を上げる間もなく顔面を文字通り破壊された。その姿を見た警備員はすぐさま構えていた銃を彼に向けた。

 銃口を彼に向ける時間はそう長くもない。一秒もないだろう。だがその僅かな時間で彼は銃を構えていた警備員の腕を掴み、肘の関節を破壊し銃を奪い取ると、扉の開閉スイッチに手を伸ばしていた警備員の装甲の無い首を正確に撃ち抜いた。


「コッ……!? カハッ……!!」

「あ、あ、あああああ!!」


 喉を潰されもがきながら白い廊下に倒れる警備員と腕を反対側に折り曲げられ悲鳴をあげる警備員。

 白衣の男は殴られた威力も凄まじく、廊下の壁に後頭部を強か打ち付け、顔から目玉が飛び出し、壁に血痕を残して死んでいた。

 銃を手にした彼は慣れた手つきで腕がダメになった警備員を撃ち殺すとマガジンを抜いて残弾を確認した。

 そんな彼の肩を掴む手がひとつ。


「おいサンパチ! でかい音は立てるなって言っただろ!」


 白い手が彼を掴み、彼が振り返ると三九のタグをつけた筋肉質の少年が声を抑えながらも食って掛かる。

 サンパチ、番号でしか呼ばれない彼らはその番号から適当な呼び名で呼び合っていた。

 彼――サンパチは三九番を見て鬱陶しいと言わんばかりに舌打ちを鳴らすと死体をまさぐる。

 白衣の下に纏う体調管理ジャンプスーツの胸元にバイタル異常を知らせる赤いライトが明滅している。

 視覚的に着用者の異常を知らせる物だがこの遺伝子研究施設の職員の纏っている物は独自の規格で作られたものであり、施設内の異常を知る為に着用者に異常があった場合警備室に通知がされる仕組みが導入されている。

 彼ら実験体達が警報を鳴らさずして施設を脱する為には誰も殺さず、誰にもバレずに脱出しなければならなかった。

 だが四六時中監視され、部屋を出る時は一人ずつ、それも警備員や研究員が必ず周りを囲む。そんな状況で隠密行動を取って脱出など不可能だ。


「どのみち殺した時点でバレてた。……りかたぐらい好きにさせろ」


 淡々とした口調で言うその声には焦りは一切感じない。施設は既に異常事態を察知しており、遠くの方で警報が鳴り始めていた。

 もうバレた! どうしよう……! 慌てるんじゃねえ! そんな声がサンパチの周りで漏れる中、三九番が声を張った。


「落ち着けみんな! 遅かれ早かれバレるんだ。今までやらされてた訓練通りにやれば良い。ここから抜け出して、地上に出て自由になるんだ!」

「その前にさっさとそのタグを外せ。つけっぱなしにしてたら遠隔操作で殺される」


 サンパチが白衣のポケットから取り出したタブレットを操作し、タグの毒素注入機能を止める操作を行う。

 無理やり外そうとすれば外からの圧力を感知して注入装置が起動するからだ。


「そうだな。ボタン一つ、ゲーム感覚で殺されたんじゃこんな事をした意味が無い」


 大丈夫か不安がる周りを安心させるため、真っ先に耳のタグを外して毒注入装置の無力化を示す三十九番。

 それを見て皆次々と自分の耳につけられた忌々しいタグを外すと、各々が怒りや恨みの感情を込めて投げ捨てる。

 記憶力の高い三十九番の指示で皆が一斉に駆け出し、自由を手にする為に地上を目指した。



******



 最初は二十人以上いた脱走者達は実験施設を抜け出す頃には半分に、アーコロジーから脱出する頃には二人しか生き残らなかった。

 先天的に強化された人間に更にナノマシンによる強化を行う事で文明崩壊後の地上を支配する為の兵士を作るという計画から生み出された彼らも、どこまで強化されても人は人だった。

 生身で銃を撃たれれば死ぬ。自分の力以上の力で捻じ伏せて来る戦闘用アンドロイドに捕まれば死ぬ。装甲車に追突されれば死ぬ。彼らは生まれてから今まで厳しい教育、戦闘訓練を強制され、そしてそれを耐えられるだけの能力があった。それでも、人は死ぬ。だがその中で、サンパチだけは〝異常〟だった。

 彼は数多の犠牲の上に出来た一つの研究成果。人間の限界を超えた、正に新人類と呼ぶべき力を持っていたからだ。

 サンパチの脱走を阻める者はいなかった。

 弾丸を避け、手にした銃は正確に警備員の急所を撃ち抜き、奪った警棒を振るえば一撃でヘルメットごと頭蓋をかち割った。

 彼は走り続けた。敵や仲間の死体を踏み越えて走った。彼が走るのを辞めたのは地上へ向かうエレベーターに乗り込んだ時だった。


「はぁ……はぁ……。これで、これで地上に出れる……」


 サンパチは追手が来なくなった通路を負傷した三九番を背負って走った。

 人体の限界を超える速度での脱走。それを行うのに足への負担は計り知れず、三九番は自分の走りで自分の足を潰してしまったのだ。

 置いて行く事も出来た。しかしサンパチはそれをしなかった。

 唯一の腹を割って話せる友人だったから? 素っ気ない態度を取りながらも情に厚かったから? 答えはどちらでもなかった。


「気分屋のお前が、オレを助けてくれるとは思わなかったよ」

「目の前で死なれたら夢見が悪いなと思っただけだ」

「やっぱ気分の問題じゃないか」


 サンパチの背中で三九番は小さく笑う。しかし直ぐに苦しそうな息を漏らした。

 痛みに耐えるような本当に小さな呻き声だったが、耳の良いサンパチはそれを聞き逃しはしなかった。

 そしてその声を聞いてからサンパチは気付く。

 臭うのだ。それはねっとりと、鼻腔にへばりつくような鉄の臭い。


「お前、撃たれたのか?」

「分かるか? 汗の臭いで他人の動揺を見抜けるような奴には、どう隠そうとしてもダメか……」


 サンパチに自分の負傷を悟られて安堵したのか、とうとう三九番は呼吸を荒げた。我慢する理由を失ったからだ。

 慌てて三九番を背から下して出来る手当をしようと試みたサンパチだったが、三九番は「やめろ」と一言、背から下すのを拒んだ。

 何故だと聞くサンパチ。三九番は苦笑いを零しながらぽつぽつと言葉を紡いだ。


「もうオレは歩けない。けどどうしても本当の空が見たいんだ。このまま運んで欲しい」


 長らく放置されたエレベーターは風を切る音と金属が軋む音を発しながら二人を地上へ運んでいく。


「そのまえに手当てを――」

「――それともう一つ」


 サンパチの言葉に被せて言う三九番の語気は弱々しかったが、そんな声でもサンパチは黙ってしまう。

 粗暴な彼であったが、三九番とは短い付き合いではなかった。

 彼の願いを聞くのはこれで最後だと、無意識に感じ取ったのか無言のまま三九番の言葉を待つ。

 そんなサンパチの様子を見て三九番は強張った頬を揺らしながら微笑んだ。


「オレに、名前をくれないか?」


 その言葉にサンパチは体を硬直させた。


「夢だったんだ。誰かに、番号じゃなくて名前で呼ばれるの」

「……考えておく。だがその名前で呼ぶことになるんだ。生きなきゃダメだ」

「ふふ、そうだな……」


 二人の会話が終わるのを待っていたかのように、エレベーターはそこで止まった。

 何処かの広い会議室のような部屋であることが暗がりの中で分かったが、積もり積もった埃や外から聞こえる乱暴な風の音から二人は本当の地上に出れたのだと確信した。

 サンパチは三九番を背負うと体の負担にならないようにと体を揺らさぬように静かにゆっくり歩いた。


 ――そして、サンパチは地上への扉を開けた。


 頭上に広がる満天の星空と、調節されてない生の気温の寒さに自然の厳しさと美しさを叩き込まれ、サンパチはただ呆然と夜空を見上げていた。

 雲が星空を覆い隠そうとした時、サンパチはハッと我に返って背中にいる三九番にそっと声をかけた。


「おい、空だぞ」


 だが三九番は顔をサンパチの背中に預けたままだ。


「……おい、見たかったんだろ空。綺麗だぞ」

「……」


 サンパチは自分の体温が冷たい風に吸われていくのとは別に、背筋が凍る感覚で震えた。

 背負った三九番の体が冷たくなっていた。


「おい、名前が欲しいって言ってたじゃねえか。空が見たいって言ったじゃねえか」


 三九番を背負ったまま、サンパチは話しかける。

 それが無駄な事だと分かっていたとしても、話しかける事をやめたくなかったのだ。

 ただ、認めたくなかったからだ。


「起きろよ三九番。起きねぇと折角考えた名前、つけてやんねぇぞ。なぁ、おい……」


 声を張り上げても返事など返ってくる筈もない。

 そんな事はサンパチ自身分かっているのにやめられなかった。

 サンパチは涙したが、泣き声は出さなかった。

 三九番を背負ったまま歩き出したサンパチは初めての地上で行く当てなど無く、ただただ歩き続けた。

 兵士として作られた人間。しかしそんな彼も人間であり、十五歳というよわい、初めて見た本物の夜空の下で、静かに一つの決意をするのだった。


 生き抜いてみせると――。

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