第5話:尾行は出会いへと

 お昼を過ぎたころ、沙姫さきが家で雑誌を読みながらくつろいでいると、スマホに通知が入る。口にクッキーを咥えたままスマホを手に取り、通知を開き文字を目で追って読むと眉間にしわを寄せる。


 ペットボトルのお茶でクッキーを流し込み、立ち上がると急ぎ支度をして外へと出て行く。



 ***



 沙姫はお酒は好きな方で、時々飲んだりはするが基本は家で飲む。飲み屋街に出ることは結婚してからはなかった。


 自分でも不審だと思うくらい挙動不審な沙姫は、辺りを警戒しながら日が沈み始めた飲み屋街の端の方を速足で歩く。


 ときどきスマホの画面を見ながらある通りで足を止める。そのまま建物の影に隠れるとそっと通りを覗く。


 バイブにしていたスマホが震え、慌てて画面を見ると『居酒屋・魚吉うおよしの出入り口』と一言だけ書かれている。


 建物の影に隠れたまま辺りを見回すとすぐ正面にメッセージの店があった。


 開く扉に慌てて身を縮め様子を窺うと、店の中から沙姫の夫である正和まさかずと知らない女が一緒に出てくる。


 右肩を大きく出したワンショルで、足に大胆なスリットの入ったラメの入ったワンピース。派手めな化粧から飲み屋関係の女だと、そして前の写真の女だと確信した。

 楽しそうに話ながら、家で見せたことのない表情をする夫の姿に頭に血が上るのが自分でも分かるほどだ。


 鞄の中のスマホが震える。


『今は怒りを抑え、泳がせるべき』


 その言葉を見て頭に上っていた血は煮えたぎる。


 ──怒りを抑える? 冗談じゃない!


 心で叫ぶ。今、目の前で浮気をしている夫がいるのだ。

 日頃自分に見向きもせず、見知らぬ女に鼻の下を伸ばし話をしている夫にこのまま黙っていられるかと。好きで裏切られたとか、嫉妬とかではなく、自分との生活をないがしろにして楽しんでいる夫が許せない。


 いつもより大股気味に歩き夫と女のもとに向かうが、タイミングよく二人は別れ別々の場所に向かって歩き始めてしまう。


 一瞬どちらへ向かうべきか迷ったが、沙姫は夫の背中を追う。


 見慣れた背中を追いかけ、声を掛けようとしたとき、横切る人にぶつかってしまう。謝るためにほんの少し目を離した隙に、夫の背中を見失ってしまう。


 思わず舌打ちをして、地面を蹴るように地団駄を踏む沙姫のスマホが震える。


『冷静に行動した方がいい』


 自分のことを見透かしたような言葉に、再び頭に血が上る。


『そもそもあんた誰よ!』


 イライラする気持ちを指に乗せ打ち込んだ文字に対し、しばらく間が空いた後一言だけ返信が返ってくる。


『日本酒バーほまれにて待つ』


 店の名前らしき文とその地図が添付された画面を見て沙姫は乱暴にスマホを鞄に投げ込むと、小走りで指定された店へと向かう。


 沙姫は看板を何度も確認し、店のドアを開け中に入ると店内を見渡すと自分に情報を与える人間を探す。

 丁度そのとき再び震えたスマホに『今回は会うのをやめよう。また連絡する』と送られきたメッセージを見て、沙姫の人探しは終わりを告げたかにみえた。


 だが、目の前のカウンターに座る人物に何となく見覚えがあった沙姫は、ダメもとで一席空けて隣に座って気になった人の顔を覗いたのだった。


 数回しか会ったことはないが、見覚えのある顔。その顔を思い出すと同時に先日友人の茉莉まりと話していた内容も蘇る。


 ──まあ、嘘がつけないっていうか素直ではあるかな? 思ったことをちゃんと伝える人かも。


「あの? もしかして……茉莉の旦那さんじゃないですか?」


 もしかしたらこの人がメッセージを送ってくれた人ではないだろうか? 確かめてみよう。そう思ったら、声を掛けていた。


 私が話す言葉を嫌そうな顔もせず聞いてくれ、楽しく面白くそして正直に話してくれる人。こういう人が夫だったら良いなって。自分の夫とは正反対だなって。


 茉莉は良いな。昔からぼんやりしてるのに、運が良くて幸せになるのは茉莉の方。世の中はなんて理不尽なのだろう。


 そう思いながら沙姫は酒に口をつける。


 ほんのり頬を桜色に染めて。

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