第4話:繁華街へ誘われて
康孝は機嫌良さそうに、ややおぼつかない足取りで飲み屋街を一人歩く。
今日は妻である
茉莉もたまには気が利くじゃないかと、お言葉に甘え同僚を晩飯に誘い、分かれた後もふらふらと歩いているのだった。
日頃はまっすぐ帰ることが多い、と言っても一時期の流行り病のせいで飲み歩きを控えていただけで、本当は飲んで帰りたかった康孝は、久し振りの繁華街をじっくり堪能してやろうと息巻いていた。
家で出される薄味のご飯と、制限される酒。今日はそれらからの解放。
茉莉は酒を飲まないから付き合わないから面白味に欠けるし、会話をしてもニコニコしているだけで、反応も薄い。無知な人は無知なりに知識を与えた人間を尊敬すべきだろう、せめて称えるくらいはしてもバチが当たらないのに。
心の中で愚痴りながらも、明日は休みなのも手伝って、とことん飲んでやろうと気持ちも弾み、大股でふらふらと歩く。
久しぶりの繁華街を歩きながら馴染みの日本酒バーを目指す。
シックな木目調のドアを開けて康孝は中へと入る。一年以上来ていない店内に、懐かしさを感じながら店内を歩きよく座っていたカウンターに座る。
寡黙なマスターに注文すると、丁寧に頭を下げ手早く注文の品を出してくれる。
口の中で広がる香りと味と共に甦る記憶、喉に熱を残しながらも胸へと落ちていくお酒を心から味わう。
カウンターに置いてあるグラスの中で青く透明感のあるお酒が、店内の淡い光を受けて揺れながら煌めいている。
その煌めく液体を再び体内へ取り込もうとグラスに手を掛けたとき、バーのドアが開く音が耳に入る。
なんとなく気になった康孝が振り向くと、一人の女性が不馴れな様子で入ってくると、入り口のところでキョロキョロとしていて挙動不審な行動をとる。
だれか探しているのかな? その程度の感想で興味を失った康孝は手に持ったグラスを口に近付け、目の前にある酒を堪能しようとする。
だが、酒が康孝の口の中に入る前に、一席開けた椅子に少々乱暴に座った女性に気が散って手を止めてしまう。
僅かに入った酒を舌で感じながら視線を感じて隣を見たとき、女性も自分の方を見て目が合う。
「あの? もしかして……茉莉の旦那さんじゃないですか?」
康孝が首を傾げると、女性は自分を指さしながら自己紹介を始める。
「茉莉の結婚式でも会いましたけど、えーと、一番近いので去年の冬に映画館でお会いしたんですけど覚えてません?」
「ん、あ、ああ……ごめん。覚えてないかな……」
「うわっ、そんな印象薄かったですか?
そこまで言って沙姫は吹き出す。
「正直に分からないって言うんですね。適当に話を合わせたりしないんですね」
「ん、まあ、嘘ついても仕方ないし。ボロが出たらそっちの方が失礼かなって思うから」
康孝の言葉に沙姫は再び可笑しそうに笑って康孝を見つめる。
「茉莉は幸せですよねぇ。こんな優しくて正直な人が夫なんて」
「そんなことないと思うけどなぁ」
「いえっ、そんなことありますよ! 素直さが一番大事なんですよ」
きっぱりと断言され康孝が頭を掻き照れていると、康孝が持っていたグラスに沙姫の目が釘付けになる。
「そのお酒も日本酒なんですか? 青くてすごく綺麗なんですけど」
「あ、これ?
康孝が言い終える前にマスターがそっと、半分に切られたレモンの載った取り皿を差し出してくる。
取り皿を受け取りレモンを手にしてお酒の上で絞ると、落ちたレモン汁が青い色をピンクに染めていく。
「うわっすごくきれいっ! お酒詳しいんですね! 私お酒好きなんでけど日本酒って詳しくないんですよ」
「まあ僕も詳しくはないけどね。ちょっと自慢してみたんだ」
「そこは見え張ってもいいのに、変に正直なんですね」
「お、おかしいかな?」
「いえ、そんなことないんですよ。正直者は素敵だと思います。そうだ、一緒に飲みません? もっとお酒のこと教えてくださいよ!」
「えっ、でも誰かと待ち合わせしてるんじゃ?」
「えぇ、まあ、そうだったんですけど、たぶん来ない……いえ、大丈夫です。それよりもオススメとかありますか?」
途中言葉を濁す沙姫だがすぐに弾ける笑顔を見せ、その表情に康孝の心は弾んでしまう。
そうこれが求めていた反応と表情だと。
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