11.5-2
辿り着いた北極は凄まじく寒かった。そそり立つ岩肌ならぬ氷壁の隙間に入り込むと、何もなさそうな箇所にノックを三回。突如、真四角の空間がぱかりと開く。隠しドアだった。内側からそれを開けたのは、筋骨隆々とした老人。
「お、新入りか。入れ入れ、寒いだろう」
中は確かに暖かかった。いや、暑いくらいだ。半地下の空間に、何かのスタッフと思わしき人々が忙しなく動いていた。まるでレース前のピットだ。
ただひとつ、強烈に気になるのは。
「何で……みんな、赤い服着てるん……?」
赤かった。ことごとく赤い服であった。真っ赤な防寒服に身を包み、背中に白いズタ袋を背負って走り回っている。滑走路かサーキットかと思うようなアスファルト敷きの床。そこに居並ぶは、巨大なソリ。
……ソリ?
「おお、ついに来よったか! 新人!」
これまた屈強そうな肉体の別の老人がやってきて、猛烈な勢いで背中を叩きまくる。赤い上着は腰に巻き付け、半袖のTシャツを着ているが、この半袖から覗く腕が筋肉で盛り上がっているのだ。たっぷりと蓄えた白い髭。
猛烈に、嫌な予感がする。
「では、これで失礼します」
「茶でも飲んできゃいいじゃろう、おい、おーい……あーあ、行っちまったか」
強面天使兄ちゃんはさっさと立ち去ってしまい、後には何も分からない自分だけが残される。情けない顔を見て、筋肉爺ちゃんは全てを察してくれたらしい。またもや背中をバンバン容赦なく叩きながらにっこりと笑いかけてくれた。
「その様子だと、なぁんにも知らされないで強引に連れてこられたな?」
「え、あ、うん、そうやに」
「だろうなあ。ワシ以外の奴等はみぃんなそうじゃもの。まあ、習うより慣れろじゃ。なんとかなるわい」
ガハハハハ、と豪快に笑う。
「まずは自己紹介じゃな。ワシはニコラオスっちゅうもんじゃ。お前さんは日本人じゃな? だったら、分かりやすく言うと『サンタさん』かの」
「……そんな予感はしとったけど、やっぱ……!」
「お、分かっとったか」
「このタイミングで、北極で、赤い服で、爺さんで。そんでソリに白い袋。さっき神様に会うたし、もうちょっとやそっとのことじゃ驚かんわ」
「お、ええのう。豪胆だのう」
「……て、ことは……俺に、サンタクロースをやれ、ちゅう事?」
響介は恐る恐る尋ねる。が、ニコラオスの返答は否であった。
「うんにゃ。お前さんに頼みたいのは、こっちじゃい」
バシ、と叩いたのは設置してあるソリ。
「こいつの操縦をやってもらう。最低でもA級ライセンス持っとらんと、このソリは扱えんでな」
「具体的!」
「今年、操縦者が一人欠けてしもうてなあ。腕っこきの奴だったんじゃが、まあ、昇格して神になってしもうたから仕方ないわな」
神、と聞いてすげえと思ったが、つい先程会った大御所二名を考えると「神とは一体……」と不安にもなる。
「神様、ねえ」
「モータースポーツの神になったんじゃよ。二十年弱もこっちでコキ使っとったからな、申し訳ないとは思っとったんじゃが……そのレーシングスーツ着とった奴じゃよ。ああ、勝手に服、変えさせてもらったでな。ワシらもイメージが大事じゃてのう、やはり赤い服でないと」
言われて、慌てて自分の服を見る。着たきりスズメの黄色いレーシングスーツが深紅色になっていた。よく見れば、チーム名やスポンサーも別物になっている。
強烈に見覚えがあった。両親が大ファンで、彼がレース中の事故で亡くなったのが響介がカートの道を歩む切っ掛けになった、それはそれは超有名な大御所F1レーサーの着ていたものと全く同じ。
「え……ええー?! むちゃくちゃ有名やん? 大物やん? その人が? サンタのソリを? 操っとったん?」
「そうじゃ」
「最近まで?」
「そうじゃそうじゃ。去年まで現役じゃった」
あまりの事実に、もう呆気にとられるしか無い。そんな響介をよそにニコラオスは、小走りに駆け寄ってきたスタッフへ目を向けた。
「一番隊、テイクオフして下さい。時間いっぱいです」
「分かった。おいボウズ、行くぞい」
呼ばれて、思わず自分を指差す。
「俺エェ?!」
「そうじゃ。さっきも言ったが、習うより慣れろ。お前さんレーサーじゃろ? レース経験がある奴じゃったら何とかなるわい」
「ソリとか乗ったことあらへんよ?」
「乗りゃ分かるようになっとる。嫌でも分かる。ホレ乗った乗った! 飛びながら説明するわい!」
放り投げられるようにソリへ強制的に乗せられる。さっきまでいなかったトナカイが九頭、ソリに繋がれている。トナカイのイメージというやつは正直良く分からないが、何というか、トナカイというより競走馬、いや、輓曳馬だ。デカイ。足太い。ド迫力。めっちゃ強そう。
「大将、今年は新人か?」
先頭にいるトナカイが、なんと人語を発した。もう何が来ても驚くものかと思っていた響介も流石にビビる。
「そうじゃ、教えながら飛ぶぞ」
「久しぶりだなァ、いいね。楽しくなりそうだ」
トナカイなのに笑うのが分かった。しかも、何というか、屈強な軍人とか最強コックとか毒蛇に噛まれてもむしろ毒蛇の方が死ぬとか、そういう類の人が浮かべる笑顔。
「そうじゃ、お前さん、名前は?」
「等々力響介!」
「それじゃあキョウスケ、手綱を持てい。やってみりゃあ分かる。ゲートを開け、一番隊が出るぞ!」
豪雷の如き声が響く。前方の重そうなシャッターが軋んだ音を立てながら開いて、冷たい雪が強く吹き込んできた。思わず顔を腕でかばう。すると、ニコラオスがヘルメットを渡してきた。勿論赤い。とにかくそれを被らないことにはどうにもならないので被り、手綱を握った。
分かる。どこをどうすれば良いのか、まるで最初から分かっていたかのように。奇妙な感覚だった。だから、係員からテイクオフの合図が出た時、響介は迷いなく手綱を操ることが出来たのだ。
トナカイ達がアスファルトを踏み鳴らす音が、号砲の如く響き渡る。力強く駆ける蹄はゲートを通過した時点で宙を捉え始め、そしてソリは天空へと駆け上る。
「……あのう!」
ヘルメットを被ったままであるので、響介は大声で叫んだ。猛吹雪の激しい音も加わって聞き取れないかと思ったが。
「何じゃい? 大きい声出さんでも聞こえるから安心せえ」
耳元で喋っているのではないかという程はっきりと聞こえた。ソリの知識といい、会話の奇妙さといい、不思議な感覚が矢継ぎ早に続く。
とりあえず、目の前の疑問から順繰りに解決するしか無いのだが。
「どこに向かえばええの?」
「まずはまっすぐ、このまま上昇じゃ。NORADの偵察衛星にキャッチしてもらわんといかんでな」
「偵察、衛星?」
「聞いたことないか、NORADサンタ追跡プログラムて」
「……あー……昔、テレビで見たような見なかったような……」
「それじゃよ」
「フィクションやなかったんか!」
ソリはぐんぐん上昇してゆく。結構な傾斜だ。後ろが気になって少し振り向くと、地上は遥か下方である。気が遠くなる気がして視線を逸らした。
逸れた先、ソリの荷台部分には複数のサンタクロースが乗っていた。なかなかの人数である。道理でソリが重いわけだ。しかも彼らは白い袋の他に大量の銃火器も備えていた。重くならない訳がない。なんでそんなモン持っているのか。
「ロシアの北端から始めて、西へジグザグに南下と北上を繰り返す。後からくる隊は先に通ったルートから少し西にずれる。一つのソリで全ての国を回ることは難しいのでな、こんな風になっとるんじゃ。一番隊は多少遅れが出てもかまわん、後の隊でいくらでもフォローできるから安心せえ」
銃火器に囚われていた意識が、一挙に闘争心へと引っ張られた。遅れ、だなんて許せるはずがない。これはもう条件反射のようなものだ。
響介は気付かなかったが、その僅かに張った空気感をニコラオスは敏感に捉えていた。いや、わざと煽ったのだ。このソリの操縦を担当するものはことごとく「元レーサー」である。その彼らがどのようにすればよく走るか、ニコラオスは経験として知っている。
じきに、それどころではなくなることも。
「あれ、見えるか。下の、光っとる所」
「ああうん、見える。薄い光の塊みたいなやつやな」
「そうじゃ。そこが降下ポイントになる。ポイントは必ず通過せえ、さもないと後ろの連中に蹴り飛ばされるでな!」
再び振り向くと、後ろに控えている連中が親指を立ててみせた。
「あいつらは降下部隊じゃ。地上で直にプレゼントを配る係じゃな。あやつらを降下ポイントまで運び、的確に降下させなんだら、ワシラのやっとることの意味がなくなる」
ニコラオスの顔は笑ってはいるが、目は真剣だ。降下部隊を運ぶパイロットと、プレゼントを配る降下部隊の両方が機能しなければ彼らの存在意義自体が危うくなる。そういうことなのだ。
「降下ポイントは天候で左右されるでな、時間によっては移動する可能性もある。ポイント通過は可能な限り逃すな。全ポイントを通過し、二十四時間以内に地球の各国上空を網羅する。これがお前さんに頼みたい仕事じゃ。できるか」
響介は思う。このお爺さんはまるで、雅之んとこの監督さんみたいだ。あの人はやたら煽るのが上手かった。しかも、不快にならない煽り方をしてくるのだ。
「できるできやんやない、やらなあかんのやろ?」
「分かってるじゃないか。そうじゃ、やるんじゃ。出来る奴にしか頼まんでな」
ふと、上を見上げるニコラオス。広がる星空にキラリ、何かが光った。
「偵察衛星の認証が終わったぞ。ようし、それじゃあ行くか!」
降下部隊とトナカイ達の雄叫び。澄み切って痛い程の夜空にビリビリと響く。
「行くぜェ大将! しっかり手綱操作してくれよ?」
先頭のトナカイがそう吠えて、蹄を鳴らす。響介もそれに引っ張られて「おう!」と叫ぶ。まず狙うは最初に指し示されたポイント。ほぼ真下に位置する場所に、響介が操るソリはグルグルと弧を描きながら接近する。
降下部隊の二名がソリの際に移動。赤い服の上から降下用パラシュートを装着済みだ。ポイントへとある程度の距離を取ってからまっすぐに突入するのは、降下部隊への配慮である。
そうして、ソリが光の中へと突入した。
「エントリィイィイイイイ!」
「ィイーッヤッハァー!!」
サンタさん、と言うには若く、かついかにも屈強そうな男性が真っ逆様に落ちてゆく。しばらく経ってパラシュートが開き、響介は胸を撫で下ろした。
「今年はアレがおらなんだの」
「良かった良かった。アレの対応は面倒ですからね」
「ここいら辺は平和だってことかいの」
ニコラオスと降下部隊が何やら和やかに談笑している。和やかだが、何かが引っかかる。怖いので一応尋ねる。
「アレ、って何?」
「ロシアの原子力潜水艦」
「……へ?」
「ブラヴァー飛ばしてくるからなぁ、こっちの手持ち火器じゃどうにもならないし」
「避けてもらうしかないからのう」
「ぶ、ぶらじゃー?」
「おおっ、多感な十代っぽい発言〜!」
降下部隊の若手が大喜びしているが、実情としては「よく分からないが嫌な予感しかしないのでボケておく」程度のものだ。
「えっとね、潜水艦発射弾道ミサイル、だっけ。正式には」
「…………みさいう」
次のポイントは遥か彼方。早めに飛ばしてもまだ時間は掛かる。ニコラオスが説明を加えるには十分な時間である。
「だーいじな事、言うの忘れとったわ。いいか、ワシらは『聖人』として復活しとる。半分生身みたいなもんじゃ。そうでないと現世に介入できんでな。で、だ」
暖かそうな革の手袋に包まれた無骨な指が、先頭のトナカイを指差す。
「先頭のアイツ、ルドルフっちゅうんじゃが、アイツの鼻は見たか」
「ちらっと。赤かった。ああ、ほんまにサンタのトナカイって鼻赤いんやなぁって」
「そうじゃ、先頭のトナカイは皆、鼻が赤い。先頭で引っ張る者の証なんじゃ。だがなあ、ちぃと問題があってなぁ」
言葉を濁しても仕方ない。ニコラオスは軽く溜息をつくと、苦笑いしながらこう言った。
「あの赤い鼻、赤外線を発するんじゃ。弾道ミサイルとおんなじやつを」
響介はニコラオスの顔を見、先頭を見、もう一度ニコラオスを見た。
「その赤外線を衛星が追っとる。アメリカの早期警戒衛星にハリケーン探知用の気象衛星、NORADの地上レーダー網、イージス艦、全部あいつの赤外線を追跡しとるんじゃ。まあ、分かっとる国はいい。じゃがなあ、たまぁに分かってない国だとか、分かってるくせにちょっかい出してくる国だとかあってな。自動迎撃システム切ってなかったり、こちらを『物資』と見なして奪おうとしたり、相手が何であろうが迎撃するのが義務か礼儀だと思っとったり……要するに、ミサイルが飛んでくるってことじゃな」
「…………マジで」
「ワシらはみんな、いっぺん死んどる。だからこれから死ぬっちゅうことはない。しかし、半分生身じゃから痛いもんは痛い。生前の五感、全部戻ってきとるじゃろ?」
痛み、痒み、疲労。響介が感じることが出来たのはこの三つだけだった。だが、言われた通り今は全て分かる。どうして幽霊だった頃はこの三つだけだったのか、響介は分かっていた。死ぬ間際に感じた感覚がこの三つだったからだ。これで、もしも自分の体が炎に包まれていたらどうなっていたのだろう。そう考えると恐ろしい。
ああ、どこかを見つめてぶつぶつ言ってる奴だとか、怨念の塊みたいになってる奴は、死んだ瞬間の感覚に囚われ続けているのかもしれない。響介はふと、思う。
「去年はボレイ型原潜がおってなあ、向こうもうっかりしてたらしいが……弾道ミサイル発射しおってビックリしたわい」
「ビックリ、で済むレベルの話なんか」
「発射したあと自分らで落としとったからなあ」
思い出して爆笑するサンタ達。もちろんだが、響介は笑えない。
「とにかく避けるしかないでな、頑張れキョウスケ」
「簡単に! すっげえ簡単に言うなあオイ!」
「それに、しばらくは安全じゃ。次はお前さんの故郷じゃてな。危険なのは降下部隊の方じゃなあ」
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