11.5-3
前方に伸びる細長い島、日本だ。ぽつりぽつりとポイントが見える。北海道はもう間近だ。
進行方向から戦闘機が飛んで来るのが見える。思わず体が強張るが、ニコラオスが「あれは自衛隊じゃ」と言うので警戒は解いた。
複数の戦闘機はソリの周辺までやってくるとUターンし、ソリと並走する。
『貴機は日本領空に接近しつつある。速やかに針路を変更せよ』
まただ。耳元で聞こえる声、僅かに入るノイズからして無線なのだろう。声に緊張感はあまりない。
「こちらビッグ・レッド・ワン。ルーキーの初飛行じゃ。メリークリスマス!」
『了解、毎年お疲れ様です』
「ルーキーは日本人じゃよ。今後よろしゅう頼むでな」
ニコラオスの言葉に、何人かが感嘆の声を上げた。
『嬉しいなあ、尚更頑張ってほしいですね。降下部隊もご武運をお祈りします』
当の降下部隊は準備を進めているが、先程と違い銃火器を備えていない。そして人数が多い。こちらは緊張感がみなぎっており、表情は硬い。
自衛隊機は何回か翼を振り、美しい編隊飛行を保ったまま離れてゆく。
ポイントが間近に迫ってきた。「今年は倒されるなよ」とすこぶる不穏当な励ましの言葉が聞こえる。
「倒されるって?!」
ポイントを通過するため真正面を向いたまま尋ねるが、ちょうど降下タイミングと重なってしまう。数名が地上へと吸い込まれるように落ちていって、空中にパラシュートの花が咲いた。
「知らんのかキョウスケ、日本にはクリスマス中止勢というのがおってな、ワシらを倒すことによってクリスマス自体をなかったコトにしようとするんじゃ。毎年結構な数の降下部隊が倒されとる」
「うっそやん……日本てそんな物騒な国やったんか」
「中止勢はいわゆる独り身じゃよ。なんでもかんでもカップルイベントにしたがるのはちょいとどうかと思うがな。日本の悪い癖じゃなぁ」
「あー、ごめん、俺も多分中止勢や」
「なら、裏切り者じゃな」
ワハハと笑って済ませるニコラオス。響介はどう返して良いのかやはり分からずに、曖昧な笑いを浮かべるだけにとどまった。
日本上空の降下ポイントはやけに多い。倒されてしまう分、人海戦術で何とかするためだそうだ。が、これがパイロットとしてはネックであった。降下ポイントの密度に対し高度の差が激しい。あまりの高度差があるとそのまま直進は出来ず、高度の調整のために大回りしなければならないのだ。
響介としては、タイムロスを避けたかった。勿論、己の意地としてだ。後ろのソリに追いつかれるなんて言語道断、できるなら最速記録くらいは叩き出してやりたい。
そんなことばかり考えながら夢中になってソリを走らせていたものだから、アジアを通過し、中東も突破してヨーロッパに突入するまで、諸々の重要事項をすっかり忘れていたのだ。
ヨーロッパ上空、眼下に広がる街の光が美しい。その美しさに意識が向いてようやく、響介は余裕が出てきた。クリスマスの立役者、の一部になっているのだと思うとこそばゆいような、嬉しいような。
目に前にいるトナカイ達の汗。蒸発して湯気のように立ち上っている。そりを引く動物っていうのはこんなにも迫力があるものなのかと感心しきり。
「凄いな、九頭だけでこんなパワーあるんや。何馬力くらいなんやろ……えっと、九、鹿力?」
「大将、俺達トナカイだぜ」
「九トナカイ力? トナカイすげぇ」
「だろう? 走ってよし、食ってよし、皮剥いでよし、非の打ち所がないぞ」
「あとの二つはそれでええんかい?」
「自慢できるところは全部取り込んでいくのさ。ああ、角もカッコイイだろ」
「そんなこと言えるアンタ自身がかっこええわ。惚れるわ。ドキドキしてまうわ」
和やかな空気であったが、調子良く喋っていたルドルフがふと、黙り込んだ。
「ん? どないしたん」
「……そろそろだ。スイス領空に入るぞ」
一種の殺気にも似た気配に支配される。殺気というやつは物質なのではないか、そう思うほどだった。質量を伴って響介を圧し包む。銃火器を準備する重い金属音が聞こえ、トナカイ達の背中に力が入るのも見て取れる。
「キョウスケ、ここが正念場じゃ。降下部隊が狙い撃ちされるのを防ぐため、こっからは低空で走る。低空を高速で走ると『短距離防空ミサイルシステム』が反応するから全部避けろ」
「ミサイル……!」
「カッチリ全部ぶっ放してくるからな、覚悟しておけい! 一定の高度を保てばええから、避けることだけに専念せえ。降下はこちらが判断して行う」
降下ポイントほど明るくはないが、薄ぼんやりとした光の層が下に広がっている。その層が「限界高度」だ。イタリア上空から北上しつつ、響介は高度を下げていった。背後の降下部隊が構えたあのバカでかい武器は一体何なのか気にはなったが、あえて聞かない。おっかないから。
トナカイ達の首に付けられた鈴の音が夜空を震わせて、彼らのソリはついに、スイス領空へと侵入した。
「レイピア、来るぞ!」
誰かが叫ぶ。暗い地上に、オレンジ色の光が花開くように輝いた。橙色の花が次々に列を成して咲く。咲いた花の生み出すものは、対空ミサイル。「レイピアミサイルシステム」が動いたのだ。放たれたミサイルの群れが白煙をたなびかせ、こちらへと一直線に飛翔してくる。
「ちっくしょおおおおお!」
追尾してくるミサイル。響介は絶叫しながら手綱を操り、錐揉み状にカーブを切った。軌道がもつれたミサイル同士がぶつかり合い、爆発して冬の夜空に炎の花を描く。
「何基反応した?!」
「二十基!」
「半分以下か!」
「……ホンマに? 冗談きっついわソレ!」
言葉を発してようやく、自分が全力で歯を食いしばっていたことに気が付いた。背中は汗で濡れている。
少しだけ、レース中の感覚に似ている。そんなふうに思う。
「キョウスケ、まだ来るぞ! 迎撃にも限度がある、全部避ける気で行け!」
降下部隊の一部が例のデカい武器をぶっ放していた。結構な至近距離で爆裂し、何か欠片かカスのようなものが飛んできて熱い。
「しょ、正体と目的を明かせば、止めてくれるんやないの?」
「無理だ! ワシらの正体も目的も、とっくの昔に知っとるわい!」
「じゃ、じゃあ、なんで」
「それでもワシらはこの国から見れば『領空を侵犯する国籍不明の飛行物体』なんじゃ。それを放置することは、国としてできん。国ってのはそういうもんじゃ」
飛んでくるミサイルをものともせず、ニコラオスは言い放った。ニコラオスの言い方には寛容と敬意とが混ざっていて、響介は何も言い返せない。
だが、それどころではないというのが現在の事実だ。地上に咲くマズルフラッシュの花は途切れない。爆風と轟音とが絶え間なく襲いかかる。響介はひたすらそれを掻い潜り、限界高度エリアが途切れるまで避けることのみに専念した。
訳も分からぬまま走りに走って、気が付いたらヨーロッパエリア自体が終了していた。何箇所か逃してしまったのではなかろうかと不安に駆られたが、どうやら大丈夫だったらしい。
ポッカリと開けた大西洋。向かう先は南アメリカ大陸。南米大陸を北上し、北米大陸をクリアすれば終了だ。なんとか先が見えてきた。
背後の降下部隊も人数が随分減って数名を残すばかりとなっている。心なしか、荷重が減ったから速くなっているような気もする。気がするだけで、実際はどうだろう。九頭のトナカイ達はやはり汗だくで走り続けている。疲労はいかほどか。彼等も「半生身」なのか。
じっとトナカイ達の背中を見ていて、気付いた。彼等の体に無数の傷がある。古いもの、新しいもの、そして、多分今しがた付いたであろうもの。中には肉が少し抉れて血が流れている箇所もある。
申し訳無さと悔しさが込み上げる。自分がもっとうまく避けていれば。背後の降下部隊だって、降下してからが仕事だというのに迎撃で随分と体力を使わせてしまった。
「……あんなぁ」
誰にともなく、響介は問う。
「なんで、こんなんなってまでプレゼント配るん。サンタさんなんて信じとる人間、もうほとんどおらんやろ。他のルートだと、奪おうとする奴までおるって言ってたやん。なあ、なんで?」
「そりゃあお前、見てられないからじゃ」
ニコラオスが髭の隙間から、白い息を吐きながら答える。
「ワシゃの、理不尽ってやつが大っ嫌いなんじゃ。貧乏でもう体売るしかない、とか、船を守るために海に投げ出された、とか、無実の罪で投獄された、とか、冤罪で死刑、とか、もうダメじゃ。耐えられないんじゃ。ワシが手出ししてなんとかなるんだったら必ずなんとかしたいんじゃ。全部できるわけじゃない。だがの、手の届く限りは全力を尽くしたい」
その言葉が心からのものだと、すぐに分かる。根拠はない。だが、分かるのだ。
「この世の中、辛い思いしとる子がいっぱいおるじゃろ。多分、お前さんの想像もつかないような境遇の子じゃ。そんな子供らにちっとでもええから、楽しい思いをさせてやりたくってな。まあ……とんでもないお節介なんだがな!」
豪快に笑うニコラオス。響介は嬉しくなった。偽善だと言う人もいるだろうが、それでも構わない。その手を伸ばす事自体が大事だと思うから。
響介は手綱を握り直した。
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