レーサーとトナカイ 疾走と弾丸・外伝

榊かえる

11.5-1

 等々力響介は、浮遊霊である。


 時は四年前の冬。場所は日本。クリスマス商戦も佳境。それもそうだ、クリスマスイブとかいう日だから。巷に溢れかえるカップル、どこを見てもカップル。


 そんな中、響介は浮遊霊の称号にふさわしくふらふらしていた。


 レース中の事故で死んで、気がついたらこんな感じだった。もっとこう見た目はドロゲチョのスプラッタ状態なのかと思ったが案外そうでもなく、普通にレーシングスーツを着込んだまま、普通の見た目だ。

 とりあえず幽霊になったので、化けて出て誰か驚かせてやろうかと思ったが上手くいかない。そもそも認知されない。その次にやったのは映画のタダ見。あと観光。どこでも行き放題、見放題。腹は減らないし眠くならないし時間は有り余っている。残念ながら、疲労感や痛さや痒さなんかはそのまま残っていて、不意打ちで面倒くさいことになる。

 ふわふわと浮くことができるのは変な感覚で、まあ思い出した時に飛ぶようにはしているが未だに慣れない。なのでつい歩いてしまう。電車にも乗る。壁なんていくらでも抜けられるのに、ついドアが開くまで待ってしまう。


 今日も今日とて人混みに紛れて歩きながら、響介はクリスマスの感触を満喫していた。瞬くイルミネーション、浮ついたような人達、ケーキ、お約束のチキン。特に何をするわけでもないが、妙にウキウキしてくる。要は、お祭りが好きなだけ。みんな浮かれてワッショイワッショイやってるのがとにかく好きなのだ。


 自分と同じような立場の奴が、何人かいる。そう、幽霊だ。人混みの中で目が合って頭を下げたりする。自分みたいに呑気な奴はいい。こちらものんびりと対応できる。

 正直なところ、こんな呑気にふらふらしている幽霊なんていうのはあまりいないのだ。虚空を見つめてブツブツ何かを呟き続けている奴とか、生きている人をそれはもう恨めしそうに見つめている奴とか、もっと凄いのになると、現役の幽霊である自分ですら「アレはヤバイ」と感じるのもいる。もうあれは「元人間」などという範疇ではない……勿論、速攻で逃げた。


 逃げた、と言えば。

 実は、あの世の「獄卒」とか言う奴等に追い掛け回されている。まあ、浮遊霊なんてのは裁判所に出頭しない奴という扱いな訳で、おまわりさんに追っかけられているようなものだ。

 しかしこのぐうたらな生活(?)に慣れてしまうともうやめられない。あとちょっと、もうちょっと、と逃げ続けているうちに結構経ってしまった。

 もういっそこのまま、可能な限り逃げ続けて浮遊霊の記録更新をしてやろうか。なんて最近は考え始めた。

 最近と言っても、時間概念がかなりあやふやなので「最近」ではないのかもしれない。あっという間に数ヶ月過ぎてしまうのだ。親がよく「一年が飛ぶように過ぎてゆく」なんて言っていたが、自分も歳を食ってきたということなのだろうか。いや、死んでるから歳とらないんだけど。


 自分の考えの下らなさに苦笑いした時だ。


「等々力響介だな?」


 突然、名を呼ばれた。現在の自分の立場から、名を呼ばれるということがどれだけの異常事態であるかよく分かる。

 やばい、獄卒か。人混みに紛れて逃げるべきか、それとも飛んでしまうべきか。だが、背後から感じる威圧感は尋常ではなかった。威圧感どころではない、何だかよく分からないが光っている。

 光っているレベルということは、とにかくヤバイしマズイ。振り向きもせず走りだそうとしたが、問答無用で襟首を掴まれた。


「一緒に来てもらうぞ」

「え、ちょ、ちょお待ってな」


 振り向くと、そこには威圧感最大値みたいな顔をした男がいた。デカイ。日本人ではない。目付きが悪い。殺意丸出し。そして何より、その背中。学芸会とは言いがたいレベルの、それはもう本格的な翼が広がっている。

 アレか、クリスマスイブだけに天使降臨ってか。うわぁーめでたいなぁーハハッ。って違う!

 とか一人ボケツッコミをかましている間に胴体を抱え込まれた。ばさり、と羽音が響く。体が強制的に浮き上がる感触。威圧感マキシマムなこの天使は、今まさに、大空へ飛び立とうとしているのだ。


「え?! ちょちょちょちょちょ、マジで? ええ? ど、どこに連れてくん? ってうおおおおおおお?!」


 上昇速度が凄い。一度羽ばたいただけであっという間に上空だ。

 ああ、俺はこのまま、あからさまにジャンル違いの天使に地獄まで連れて行かれるんだろうか。だめだよなあ、ふらふらしてもうどれだけ経った? もう誤魔化しなんて効かないよなあ……。

 と陰鬱な気持ちに苛まれていたが、上昇は途中で止まった。どうしたのかと思う暇もなく、今度は水平移動が始まる。


「……あのぅ」

「何だ」

「ほんま、どこ連れていかれるん、俺」

「立川だ」

「……たちかわ?」

「東京都の立川だ」

「へ?」

「着いたぞ」


 突然の急降下。実におっかない。こんな急降下を喰らったのはそれこそ死んだあの事故以来だ。壁だろうが屋根だろうが問題なくすり抜けられると分かっていながら、それでもつい恐怖で目を閉じてしまう。しばらくそのままでいたが、部屋の中と思わしき温かい感触と、予想外の言葉に目を見開いた。


「うっわあー! 本物の等々力響介だー!」


 目に前にいるのは、見知らぬおっさん達。素っ頓狂な声を上げたのは黒髪のロン毛。日本人ではない。ちょっと変わったヘアバンドをつけているが、どうやら茨であるらしい。パンク系か。

 もう一人、ノートパソコンを広げてぐすぐすと涙ぐんでいるのもいる。こちらは見事なパンチパーマ。ものすごい福耳が気になって仕方ない。


「ホラ、ブッダ、等々力響介だよおおお本物だよおお」

「うわ! 連れて来ちゃったんだ?! っていうか、ここにいるって言うことは成仏してなかった、ってことだよね?」


 嫌な予感がする。ノートパソコンには某巨大動画サイトが広げてあり、そこに流されていたのは案の定。


「俺が死んだ時のレースやん……」

「うう、これからだったのに。このままF1まで一直線だったはずなのに」

「惜しいことをしたね……相田雅之もこの後、引退しちゃうんでしょ? 悲しすぎるよ」


 未だに胴体を抱えられたままであったので、三回叩いて合図を送る。強面兄ちゃんもすぐに分かって素直に下ろしてくれた。

 勝手にテンションが上がっているこのおっさん達を眺めていたら、驚くほど冷静になってくる。まるでレース中の如く状況が頭に入ってくるようになった。


「あのう」


 呼びかけてようやく、盛り上がっている二名はこちらに意識を向ける。


「キリストさんと、お釈迦様ですよね?」

「……バレた! 一発でバレた?!」

「っていうかさ、なんでブッダだけ様付けなの? 私は? ねえ私は??」

「じゃあお釈迦さん」

「様自体が消えたァー!」


 慌てる二名。ある意味ほとんど放置して、話を強引に進める。


「いやどうみても神様系やん? その頭。その髪型。俺が見えてるっていう事実。後ろの強面天使のニイチャンやて見えてて、そのニイチャンが直にココに連れてきたんやから、そりゃもうただの人間なわけないやん? まあ普通のニイチャンや言われりゃそう見えるんやけど」

「鋭いなあ」

「つかね、もうツッコミ待ちなんやと。クリスマスイブに浮かれたコスプレした人っていうんなら、テンション上がりすぎやん」

「ねえブッダ、私達に足りないものはこのツッコミ力だよ。見習わなきゃ」

「イエス……どうしてもお笑い界に殴り込みかけたいんだね……」

「で、どうして俺がココに呼ばれたん」


 ほとんどヤケクソだった。裁判所をすっ飛ばしてトップのところまで連れてこられたのだ、もうどうこうしようもあるまい。だったらいっそ、手早く済ませてほしいものだ。


「いやあ、等々力くんあんまりにも不憫だから、転生させてあげようと思って」

「てんせい、っすか」

「うん。元来の輪廻ルートとは違うけど、絶対良い就職先だと思うよ!」

「しゅうしょく?」

「人手不足だって言ってたしね。この土壇場で申し訳ないんだけど、助けてやると思ってここはどうかひとつ」

「どたんば?」


 全く話が見えない。首をひねっていると、背後の強面ニイチャンの方から電話の着信音が聞こえてきた。

 なんだ、昨今は天使も携帯電話持ってるのか。世も末だ。しばらく渋い顔で話していたかと思うと、これまた渋い顔のまま唐突に通話を切ってしまう。


「申し訳ありません、時間が無いそうです」

「ああそうか、もう夜だもんね!」

「このまま連行します」

「その言い方はどうなのウリエル……」


 言葉も終わらぬうちに、またもや胴体を抱え上げられる。俺は手荷物か何かか。不平不満を言う間もなく、強制移動が始まる。自分で飛べればいいんですけどね。そんなに速くないですからね。すみませんね。


「えっと、今度はどこに行くん」

「北極だ」

「うっわあ北極?! ええと、極寒の刑とかそんなんやつ?」


 なるほど確かに、進めば進むほど寒くなってくる。上空にいる時点でかなり寒いのだが……

 と、ここまで考えて、おや、と疑問にぶち当たる。今まで、暑さ寒さを感じたことがあっただろうか? 痛さや痒さ、疲労感はあった。だが、寒暖は感じなかったはずだ。気にしなかっただけだろうか? 顔に当たる風も分かる。明らかに、感じ取ることができる範囲が広がっていた。

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