第19話 文筆屋のひとりごと


 明日は両者とも学校を休み、夕方にもう一度話し合いを行うこと。


 それが最終的に俺と三谷に言い渡された指示であった。


 そこに至るまでの経緯は、複雑というかどうしようもないというか、一言では表せないものである。


 最初はキチンと説明しようと思ったが、興奮と緊張でいつもよりもさらにどもった俺のことばに眉を顰める教員をみて中学時代の光景がフラッシュバックした。


 トラウマに身が強張こわばり吃音はいつもに輪をかけて酷くなってしまった上に、俺自身も緊張で混乱してしまって何を言っているのか自分でもわからなくなった。


 トドメは強面で有名なサッカー部顧問、安藤の怒声。


「なに言ってるか分からん! 男ならハッキリ喋れっ!」


 突き飛ばすような物言いに俺は全てをあきらめ、口を噤んだ。


 ぎり、と食いしばった口の中に苦いものが広がる。


 ――負け犬の味だ。


 そしてッ局は三谷の『春日部さんたちと仲良くお喋りをしていたら、突然奇声をあげながら殴りかかってきた』という証言が全面的に認められる形となり、担任と学年主任、そして生徒指導の安藤が立ち会う中で両名の保護者まで呼ばれる事態となった。


 ちなみに現れたのは職場が近かった親父である。むすっとした表情の父は、俺とは違う生命体かのように立派な体躯をしている。


 パリッとしたスーツに巨躯を押し込んだその威容は、良く捉えてもボディガード、悪く見ればヤクザだろう。


 三谷の方は専業主婦の母。やや神経質そうな面持ちの、線の細い中年女性であった。


 三谷母は自分の息子が暴力事件の被害者ということもあって結構な熱量で俺に食って掛かったが、俺の父親も負けてはいない。


 三谷母がキンキン喚く最中、俺の肩にぽん、と手を載せると、そのまま腰の捻りをいれて逆の拳で俺を思い切りぶん殴ったのだ。


 担任も、学年主任も、安藤も、三谷母も。


 三谷でさえも。


 全員が固まっただろう。ぶん殴られて吹っ飛んだせいでまったく見てる余裕はなかったけれど。


 キンキンと響く三谷母の声がピタッと止まったところで響いたのは、俺の父親の怒声である。


「テメェは文句があったら人に手ェあげんのか!? 前にも言っただろうが! 正当防衛以外で人に暴力振うな!」


 げんこつで火花が散っている脳内に、野太い重低音が効く。


 そんな事は分かっている。


 分かっているが、説教の前に思い切りぶん殴ってきた人間が『暴力を振るうな』ってのも随分と理不尽な話である。まぁ俺が小さい頃からずっと一貫している主張だし、正しいことではあると思う。


 だからこその、言って分からねぇなら、的な意味合いの拳だ。


「そそそ、っな、分かっ、ぁ、でも、ががががっ、がま、ん」


「我慢できねぇで済むのは小学校までなんだよ! 何のために口がついてんだ!」


「こここっ、こぇ、っ! き、きき、っこえ、っいって、どどどど、なっ、れ、て」


 だばっと鼻血が流れる中で、俺は必死に説明をする。親父はきちんと話を聞いてくれる。それだけが唯一の救いである。


 というか話さないと拳がさらに飛んでくる。


 俺の説明を聞き取った親父はピタリと動きを止めて、唖然としていた教員たちへと向き直る。


「声が聞こえないと怒鳴った教員がいらっしゃるようですが。入学時点で吃音に関することはご相談させて頂いていたはずですが、どういうことでしょう」


「いや、あの、」


「陸。話をしたのはどの先生だ」


「せぃ、しっど、あん、ど、せっせい」


「生徒指導の安藤先生はどちらで?」


「……私です」


 苦い顔をしながらも名乗り出たのはサッカー部顧問。


「陸を怒鳴ったので?」


「いえ。聞き取りづらかったのでハッキリ喋るように注意はしましたが」


「ほう。うちの息子はハッキリと『怒鳴られた』と認識しているようですが、注意されただけですか。何やら認識に大きな齟齬そごがあるようですな」


 親父は猛禽のような視線を顧問へと向ける。さすがにそれだけでビビったりはしないが、少なくとも旗色が悪いことは感じているのか、表情は渋い。


「それで、どういう経緯で息子は暴力事件を起こしたんでしょうか」


 加害者の父親の癖してどういう面の皮してんだよ、と思うくらいに堂々と訊ねる父に、安藤は何も言葉を返せない。まぁ当たり前だ。


 俺自身が喋れてないのだから、説明するとすれば三谷の証言である『俺が突然殴りかかった』しかないが、俺の保護者おやじにそれを言って納得してもらえるはずもない。


 このまま泥沼のグチャグチャになってしまうことが予期された話し合いであったが、結局は『大事にしたくない』『中村くんにも将来があるから』『落ち着いてからもう一度話し合いをしたい』と主張する三谷親子に乗っかる形で教員たちが何とか収めることとなった。


 安藤が怒鳴ったことを軸に話を詰めていた親父を止めるための提案だろう。


 あのままいけば、俺がどうこう、ってのは別として安藤にも何かしらペナルティが生じる可能性が高かった。


 三谷親子としてはサッカー部の顧問でもある安藤に恩を売ったつもりでいるのだろうな、と勝手にアタリをつける。


 お互いが冷静になる時間をつくる、と言えば耳障りは良いが、『中村は落ち着いて何があったか話せるように時間をおきましょう』というのが建前。本音は『学校側が言い訳考える時間が欲しいから延期』ってことだろうな。


 まぁ妥協点としては悪くない。


 今、俺が一番欲しかったのも時間だし。


「家、帰ったら全部話せよ。母さんにも」


「わか、っ、た。ご、めん」


「良い。理由があるんだろ?」


 無かったらぶん殴るだけじゃすまねぇだろアンタ。


 そうして家に帰って、両親の前で話を終えた俺を待っていたのは、美華によるメッセージの絨毯じゅうたん爆撃であった。




『何で三谷に殴りかかったの?』


『何があったか教えて』


『生徒指導終わったら連絡して』


『:不在着信』


『まだ終わらない? 見てない?』


『なんで突然殴ろうとしたの? 中村弱いのに』


『もしかして、私を助けようとした?』


『:不在着信』


『:不在着信』


『まだ学校? 終わったら教えて』


『:不在着信』


 さらには美華から事情の一端を聞いたらしい静城先輩と遼太郎からも何件かのメッセージやら着信が残されており、スマホの通知画面は俺の人生において経験したことがないほどににぎやかなことになっていた。


『三谷、クラスのグループのほうに出たみたいなんだけど、中村だけ残されてる?』


『反応してー』


『電池切れ?』


『:不在着信』


『:不在着信』


 メンヘラっぽい気配に若干引くが、よく考えてみれば美華は何の事情も知らないんだよな。唐突に友達……友達で良いんだよな? 友達って思ってくれてるよな?


 唐突に友達がブチ切れて、自分の近くにいた人に殴りかかったらびっくりするわそりゃ。増してや状況から推測すれば、美華視点では『自分を助けるために殴りかかった』なんてのも普通にありえてしまう。


 何かしらの責任を感じててもおかしくはないだろう。


『戻った。返信遅れてごめん』


 送った瞬間、着信がある。


 マナーモードでブルブルと震えるスマホ。拒否だ拒否。


『なんで? 私何かした?』


『吃音がひど過ぎて喋れない』


『気にしない』


『いや、俺自身がなに言ってるか理解できないレベル』


『気にしない』


『気にしなくても会話にならない』


『気にしない』


『もうちょっと落ち着いたら電話するから、しばらくメッセで』


『分かった』


 絵文字もスタンプもない、たった四文字の言葉にここまで不満が滲み出るもんか。なんとなくジトッとしたオーラを感じてしまう美華のメッセージに、さらにことばが重ねられる。


『何があったの? 私を助けてくれようとした?』


 いきなりド直球で核心を突いてくる。


 文字で説明するには面倒なので、断って別の話を振る。


『それは込み入った事情があるので落ち着いてから電話で話したい』


『あと、殴りかかったのは俺が我慢できなかったせい』


『美華のせいじゃないから』


『先に美華の小説の話をしたい』


『気持ちを落ち着ける意味も込めて。URLかタイトルおしえて』


 ぽぽんと連続で送ると、既読がついたまま美華の返信が止まる。


 URLのコピペに時間かかってるか、もしくはトイレか。そんなことを考えていると、


『小説書くのやめようと思う』


 美華から返信が来た。


 タップ、スワイプ、タップ。


「もももっし、ぃもっ、し」


『……電話、できないんじゃなかったの?』


 電話口の美華は、ぐすぐすとはなを鳴らしていた。


「なっ、ぃ、泣ぃ、てっ、だっよ」


『うっさいバカ。中村が突然あんなことするからでしょ! 何であんなことしたの!?』


「そそそっ、な、こここっ、と、どでっ、もっ、いいい良ぃ。何っで、やめ、る?」


 俺の問いに、美華はぐすりと大きく鼻をすする。


『私、才能ないもん。三谷は本気じゃないって言ってたのに40000PV。私は、本気で書いて6PV。ブックマークも評価もゼロ!』


 なるほど。


 根拠もなく持ってた自信を失ったところに三谷の話が飛んできて、創作意欲が粉々に削がれたってことか。


 まんま、俺が初めて投稿した時と同じ気持ちだろう。


「ややややめ、っるなっ。みみみ美華、は、才能っ、ななななく、な、んっ、て、ないっ」


『ないよ。誰も読んでくれないもん』


「みみ美華っ、は、俺の、しょっじょ、作、の話、忘れった、の、か?」


『そうじゃないけど』


「おおおお俺っ、は、書っ籍化、っ作家だっぞ? そそそそ、っれで、も、ささ才のっ、ない、か?」


『そうじゃないけど! じゃあ私のは何で読まれないの!? 何で三谷なんかがランキング上位にいるの!?』


 美華がキレた。


 叫ぶような声は、そのままイコールで創作に対する熱量だ。


 甘やかすのは簡単だ。


 こういうサイトだから。こういう読者層だから。こういう時代だから。理由を用意したり、原因っぽいものを探していけば、も自分には悪いところも直すべきところもないかのように言い訳できる。


 でも、それじゃあダメだ。


 うまくなりたいって。


 小説が書けるようになりたいって。


 そのために、美華は陰キャでぼっちな俺にわざわざ声を掛けてきたんだから。


 俺がボロクソ言って、泣きそうになっても、それを必死で受け止めようとしたんだから。


 


 小説の話をしよう。


 創作の話をしよう。


 プロの話をしよう。




 そのために。


 俺の感情を、意思を、思考を――全部を放出するんだ。洪水のように、美華の感情を押し流してしまえるほどの、全部を。


「あのな。そもそも初作品でランクインできる人間がこの世にどのくらいいると思ってるんだ? 三谷は置いといて、自分が書いた奴はそんなに万人に評価されるほど面白いって断言できるか?」


『そんなわけないじゃん! でも――』


「『でも』はない。結果は結果だ。美華の本を手に取った6人は評価をしなかった。それは事実として納得するしかないけど、評価をしないってのが『つまらない』なのか、それとも『わざわざファンレターを書くほどではない』なのかだって分からない。読んだ人間が筆まめなのか、筆無精なのかでも変わってくるだろう。


 なろうのユーザーのうち9割は評価を入れないなんて話も聞くし、ブクマだって単なる『しおり』として活用するんであれば読み終えた短編にしおりを挟んだりはしないだろう。どうしてもファンレターを書きたくなるような、思わず便箋を手に取りたくなるような話ではなかったんだろうけれど、それがイコールで詰まらないなんてことにはならない。評価もブクマもそこまで絶対的な指標にはなりえないんだよ」


『それは! ……それはそうかもだけど』


「そして、なろうのトップページを見る限り、ユーザーが200万人で作品数は88万。ランダムに一人一作読んだとしても、平均読者は三人以下だぞ? ましてやランキング以外は見ないユーザーや、退会してないだけでノンアクティブなユーザーだっている。だから読者はそこまで多くないのが実状なんだよ。


 背表紙だけが並ぶでかい本棚から、美華の本は手に取られなかった。PVってのはその程度のもんなんだ。本屋で平積みになってたり、ポップ付きで飾られているような本ならともかく、ただ本棚に並べられただけの本だぞ?


 ――残りの199万9994人はまだ出会えてもいないんだよ」


『……じゃあその中には面白いって言ってくれる人もいる?』


「それは読んでみないと分からん。だいたい、多くの人に読まれたいなら告知や何かも頑張るべきだったし、もっと言うなら俺に下読みさせてクオリティを上げるべきだったろ。あとはタイトルを今流行ってるあらすじ風長文に寄せたりとかな」


『自分の力で頑張ってみたかったし!』


「うん。それは俺もよく考えるし、気持ちも分かる。正直、美華にはえらそうに言っといてPVも評価もメチャクチャ気にしてる。でも、だったら余計に結果をきちんと受け止めないと」


『結果を、受け止める』


「スポーツと一緒だよ。うまく行かない、良いプレイができない、じゃあどうしよう。どこを改善しよう。そうやって上手くなってくしか道はないんだ」


『……じゃあ、私の読んで、優しく批評して』


「それは無理。俺の批評は辛口か激辛しかないから」


 おれの言葉に、美華はぷっと噴き出した。


『中村ってさ……ホント、容赦ないよね、創作に関しては』


「それしか頑張れるもんがないからな。なぁ、ホントに続けろよ。美華は全然下手じゃない。もちろん、すぐプロデビューできるレベルだとか、美華なら絶対に書籍化できるとかそんなことは俺だって言えないけど、読んでて面白いと思えるし、何より書きたい人間だって伝わってくる」


『そっかな……正直、あんまり自信ない』


 引っかかっているのは三谷のことだろう。


 とはいえ、創作をしていればこれから先色んな人に出会うことになる。三谷程度でへこたれてちゃ先はない。


「まぁ三谷のことは気にするな。どうせすぐ


『消える? なんでそんなこと言えるの?』


「ちょっと相談しないといけないこととかあるし、どう転ぶか決まるまでは話せないんだけど、アレは大丈夫だ」




 言葉を濁す俺に、いかにも納得していません、といった雰囲気の沈黙が返ってくる。


「じゃあ、アレだ」


『……アレ?』


「お願い、何でも言うこと聞く券、使う。美華、小説辞めんなよ。休んでも良いから、辞めるって言うな」


 一瞬の沈黙。


『……美少女とのデートを棒に振ってまでするお願いが、それ?』


「そうだ。辞めるって言うなよ、一生だ」


『中村、ホントバカ』


 ぐすりと大きく鼻を鳴らすと、美華は電話を切った。


『鼻声酷いからメッセに戻そ』


『おけ。急に切れたからびっくりした』


『キレたのは中村じゃん。何で? 結局聞いてないけど』


『説明ダル』


『おい』


 急に切れたから昼間に引き続き、またもや何か地雷踏んだかと思ったぞ。気配的には怒ってなさそうなのでほっと胸を撫でおろす。


 が、「おい」は流石に怖い。


『というか美華は三谷のことであんだけへこめるんだから、まだ読んでないだろ?』


『三谷の書いたやつのこと?』


『そそ』


『読むの? アレのを?』


 美華の嫌そうな顔が脳裏に浮かぶ。


 牛乳拭いた雑巾を「素手で洗って」とか言われた時と同じような顔をしていることだろう。っていうか『あれの』って美華も大概だよな。気持ちはわかるが。


『作者の人格と作品は関係ありません』


『陰キャでぼっちでも面白いの書けるもんね』


『お、ついに俺を陰キャだと認めたか』


『ごめん。自称陰キャでぼっちのイタい人だった。ごめんね』


『謝罪する振りして思いっきりディスってんな』


『で、何で? 読んだ方がいい?』


 いや、別に読む必要はない。これっぽちもないんだけど、せっかくだから美華への教材にするべきだろう。


 どうせ俺も、色々確認したり相談した後じゃなきゃ言いふらせない。


『読むなら今夜。あと読むなら一切のコメント・評価はしないこと』


『なんで?』


『読めばわかる。美華は絶対コメント入れたくなるから』


 明日――は謹慎で無理なので、明後日にでも感想を聞こう。


『明後日感想教えて』


『良いけど』


 腑に落ちないままの美華を何とかはぐらかし、明後日『ルポワール』で会う約束を取り付けた。


 さて、俺は俺で忙しいんだよね。


 大きく動くのは明日になるだろうけど、今のうちから準備をしておく必要がある。


 担当編集にメッセージで連絡を入れると、コキコキと指を鳴らした。

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