第15話 『心霊探偵』 前編

 助けて欲しい、と言われたのは、これで何度目だろうか。


 そもそもの話、私立探偵などという職業を頼ってくるものは多くが厄介ごとを抱えている。これが普通の事務所であれば浮気や職務上の違反に関する調査がほとんどで、残りは行方不明になったペットの捜索や週刊誌の下請けで芸能人のスキャンダルを掴むための張り込みを手伝う程度だ。


 もちろんウチでもそういったものは取り扱っているが、メインの内容はちょっとばかし毛色が違う。


「それで、何度拭いても手形が付くと」


 目の前のご婦人から聞き取った内容を要約すると、ご婦人は神経質そうにキョロキョロと目を動かしながらもうなずいた。


 霊能探偵、と言われて最初に思い浮かべるのは何だろうか。


 俺の場合は詐欺という言葉だ。


 もちろん所長にそんなことを言えば鋼みたいな拳が飛んでくるのは目に見えているから黙ってはいるが、おおよそ世間一般の人々も似たようなものを思い浮かべるんじゃないだろうか。そんなところを頼るのはよほど切羽詰まっているか、そうでなければ誰かからの口コミである。


 ちなみにこのご婦人は後者。


 一年ほど前、別件で依頼を持ってきた依頼人と同じ料理教室に通っていたらしく、何かの折に話題に挙がってたのを覚えていたんだとか。藁にも縋る思いでウチに来たと言っていた。仕方のないことだとは分かっているが、どんな依頼であっても誠実にこなしているだけに、面と向かって藁扱いされるのは少々不満である。


 とはいえ、俺や所長は霊に関係しているかどうかを判断できる、といったレベルの人間であり、間違っても除霊の類はできない。


 特殊な技能もなければ物理的に排除する力もない。せいぜいが原因を特定し、適切な業者とのつなぎを取る程度のことしかできないのだけれども。


「分かりました。それで、どうしましょう。原因を突き止めるのか、それとも解決するのか」


「か、解決してください!」


「その、貴女のお車に手形がつかない方法を提示すれば良い訳ですね」


「ええ。ええ、そうよ」


 それからいくつかの事項を確認すると、契約書にしたためてサインをもらう。


 これで調査開始、というわけだ。


 依頼人は、名前を鈴木芳美と言った。51という年齢を感じさせない、上品な雰囲気のご婦人である。


 事の発端は、鈴木夫人の乗る自動車のフロントガラス、丁度ワイパーの届かない左上にぺたりと手形のような跡を見つけたことにあった。


 紅葉にも似たそれは、幼い子どものものだろうと夫人は言う。


 スマートフォンで撮影された画像を見せてもらったが、なるほど幼稚園児かそれ以下、小さな手形が白く浮かんでいるのが見て取れた。ちなみに乗っているのは街中でもよく見かけるライトバン。


 見た目に似合わず、亭主と居酒屋を営んでいるという夫人は、旦那さんの名義で買った中古のそれを社用車として登録し、仕入れに使っているのだそうだ。まずは周辺調査からだろう、と重たい腰を上げると、夫人がライトバンを購入した販売店へと足を向けた。


 心霊、霊能、怪異。


 言い方はさまざまだが、要は科学では立証できない事象のことを、人はそう呼んでいる。


 俺だってその存在を実証できるわけじゃないが、とにかくこの手のものには何かしらの『理由』が存在している。


 軍服の幽霊が出る学校は戦時中に病院として使われていた経緯があったり、落ち武者の霊が目撃される廃ビルは古戦場であったり。


 しかし、その理由というのは煮詰めていくとやはり整合性が取れなくなるのが常である。


 例えば去年の中頃の話だ。


 友達四人で連れだって『出る』と噂の峠道へとドライブに赴いた若者たちがいた。


 車通りが少なく、車を止められるようなスペースのあるそのスポットは、噂によれば暴漢どもに拉致され、弄ばれた挙句に殺された女の霊が出るんだとか。


 そこで彼らは、髪を振り乱した女性の霊を見た。


 血まみれのワンピースに、手にはくまのぬいぐるみを持っていたとのことである。


 行くなよ馬鹿、と思うが、仕事なので引き受けた。


 図書館に通い詰めて縮小版を閲覧し、関連しそうな事件を浚っていく。


 頭がおかしくなりそうな作業ではあるが、その結果分かったことは四〇年近く前にその道路で交通事故があり、老婆が亡くなっていたことと、スピードを出す車が多く、事故が起きやすいところであるということだけだった。


 スピードの出し過ぎでの事故で新聞に取り上げられていたものは二件。片方は横転し、五〇代の夫婦がともに亡くなる事故。もう片方は軽乗用車とトラックが正面衝突して、軽乗用車の運転手である壮年の男性が亡くなっていた。


 ここで一つ謎が生まれる。


 若者たちが『見た』と断言し、噂になっている女性は、何なんだろうか。


 峠で死んだのは、『跳ねられた老婆』『五〇代の夫婦』『軽に乗っていた壮年の男性』である。どこを探しても、年若い女性は出てこなかったにも関わらず、彼らは見たという。


 集団ヒステリーという可能性もあるし、海外では『主催者が設定した、架空の霊を呼び出す』ことに成功した事例もある。思い込みや集団的無意識がそういったものを作り上げる可能性もなくはない。


 だが、噂にある『暴行されて殺された女性の霊』と彼らが見たものもズレている。


 性的暴行があったとして、なぜ彼らの見た女性は血まみれのワンピースを見にまとい、くまのぬいぐるみを持っていたのか。


 まったく説明がつかないのだが、そういったことがよくあるのが霊能や怪異の世界だ。


 ちなみにこの時は、『憑りつかれた』と騒ぐ彼らに解決策を提示することができず、着手金とお祓いを専門にする神社への紹介料しか手にすることはできなかった。


 所長に言われて追跡調査をして分かったのは、若者たちのうち、二人はお祓いを受けて残りの二人は受けなかったということ。そして、受けなかった二人は、どちらも車に跳ねられて死亡したということであった。


「整合性ってのは、要するに理屈だ」


 不快感を抑えながら報告した俺に、所長もやや苦い顔で語る。


「老婆なのか、若い女なのか。五〇代の夫婦や壮年の男性が原因かも知れないが、とにかく原因となっている『何か』は理屈を捻じ曲げるほどの情念を抱えていたってことだ」


 そういって、お祓い用にボーナスを支給してくれたことを、未だに覚えている。


 なお、お祓い先の寺とは話がついていたらしく、支給額とお祓い費用は下一桁まで一致していた。


 閑話休題。


 やや雑然とした中古車センターに着くと、鈴木夫人を担当した者を呼んでもらう。平日昼間ということもあって手が空いていたのか、五分と待たずに担当者は来てくれた。


 形骸的ながらも名刺交換を行い、話を聞く。


 俺の質問はただ一つ。


 「鈴木夫人に売った車は事故車ではないか」である。


 担当の男性は一瞬だけ不快そうな顔をしたが、すぐに切り替えて笑顔になる。


「そういった事実はございません。修復歴もなしでございます」


「修復歴ってのはフレームに関わらなければなしでしょう。修復歴の有無ではなく、事故の有無を知りたいのです」


「本当はお応えする義務はありませんし、車をお売りになられたお客様の個人情報に含まれるのでお断りすることも多いのですが」


 担当者は、前置きの後にはっきりと言った。


「そういった事実は一切ないので、『ない』とはっきり申し上げましょう」


 なんでも、夫人のライトバンは新古車としてこの店で取り扱っていたものらしい。購入者は車検やタイヤ交換、オイル交換に至るまでこの店でやっていたとのことなので、まず間違いないと断言された。


 礼を告げて後にする。


 少なくとも、これで『車に憑りついている』可能性は排除できた。


 さて、次は、と考えるが今度は『鈴木夫人に憑りついている』可能性を探らなければならない。


「とはいえ、だ」


 聞けることはそれほど多くない。


 まさか、お子さんを無くした経験は、などと聞けるはずもないし、そういった心当たりがあるのであればウチに来る前に寺か神社でお祓いの一つも受けるだろう。


 どうしたものかと思案しながらも夫人と電話を繋ぐ。


 結果、分かったことは多くない。


 夫人はパニック障害の診断を受けて長く服薬しており、店の仕入れと仕込みだけを手伝っていることや、御主人とは仲が良いものの、子宝には恵まれなかったこと。住んでいるのが一軒家ではなく割と良いマンションであることくらいだった。


 マンションのような集合住宅ならば他の住人の悪戯では、とも考えたのだが、マンションの分譲から結構な年月が経っていることもあり、住人はほとんどが子育てを終えていた。いくつかの世帯は未成年がいたが、中三男子、高二女子と、手形のサイズ的に考えづらいとのことであった。


 ならば、と仕方なしに電子機器が雑多に入った段ボールを漁る。


 取り出したのは、バックミラー型のカメラである。ダークグレーのそれは目立たないようになってはいるものの、全面が映るように複数のレンズが取り付けられているので、こいつを使えば何かが映るかも知れない。


 正直、気分は乗らない。


 ちょっと前、浮気調査の依頼で必要になって購入したものだが、複数のカメラを起動させておくだけの電力を賄うための配線関係が面倒なのだ。本当ならば委託してしまうのが一番良いんだろうが、報酬額を考えるとそこまでの余裕はない。


 本当ならば所長が電子機器は得意なんだが、別件で動いているので作業をするのは俺になる。


「はぁ……仕方ないか」


 屋根の裏からトライピラーの端っこ。ダッシュボードの裏側を通ってバッテリーにつなぐ。


「バッテリー、あがりやすくなってるので気を付けてくださいね」


「毎日運転してるから、大丈夫でしょう」


 夫人を二時間半ほど事務所で待たせ、汗だくになりながら取り付けた。


 後は結果を待つのみだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る