第16話 『心霊探偵』 後編
バックミラー取り付けから三日。
再び、フロントガラスには紅葉のような小さな手形がぺたんと付けられた、と真っ青な顔の夫人から連絡がきた。映像を解析し、よくよく精査してから紙にまとめるのが本来の形なのだが、どうにも夫人のメンタルは限界に達していたようで、結果を聞きたいの一点張りで帰る様子はない。
取り外しにたっぷり二時間半使い、汗だくの状態だったので勘弁してほしかったが、仕方ないのでそのまま事務所奥にあるパソコンに向かう。
さすがに部外者には見せられないものもあるので、夫人にはまた待っていてもらうことにしたけれど。
パソコンにデータを取り込み、20倍速で再生していく。
画質は良くないものの、夫人が乗り込む様子や運転する街並みがはっきりと映っていた。
そうして、問題が起きたであろう日の夜の映像へと差し掛かる。等速まで落とした映像には、幽鬼のようにふらふらしながら自動車へと近づいてくる女の姿があった。
年齢は三〇前半だろう。
女は車の前まで来ると、袈裟懸けにしたポシェットをごそごそと漁り、何かを取り出す。
それは、子どもの腕に見えた。
思わず心臓が跳ねるが、映像を一時停止して深呼吸する。
気持ちを落ち着けてよくよく注視すれば、それは本物の手ではない。
手の形をしてはいるものの、人形か何かのものであった。
女は自分の顔にぐりぐりとそれをこすりつけると、擦るようにしてフロントガラスにくっつけた。体重をかけ、車が軽く揺れるほどに押し付けていく。指の一本一本まで、きちんと跡がくっつくように。
鬼気迫る表情で人形の指をガラスに押し付ける女。手形は人形のもの。痕になっていたのは女の皮脂か、そうでなければ化粧の一部。
やがてガラスにくっきりと手形が残り、女は満足したように顔をあげた。
はっきりと顔が映る。
「……ああクソ……整合性なんて取れやしない……」
俺は大きな溜息を吐いた。
***
「解決策がわかりました。が、鈴木さんの望むものではないかも知れません」
「どういうことですか?」
説明に困るが、別に俺が悪いことをしたわけではないのであらかじめ用意してきた案を提示する。
「一つは私にすべてを任せること。貴方は何もわからないでしょうが、今後、手形がつかなくなるようにはできるでしょう。もう一つは、この問題の背景をすべて明らかにすること。ある程度原因に至るまでの経緯まで説明できますが、きっと貴方は後悔します」
「全てを教えてください」
夫人は迷うことなく、はっきりと選んだ。
俺は頷くと、印刷してきた画像を夫人に見せる。
「……佐々岡さん?」
やはりそうだよな。
「佐々岡さんが、どうして?!」
「落ち着いてください」
「だって! ねぇ、なんで!?」
夫人をなだめながら、ことの経緯を説明する。
「本当ならば守秘義務違反なんですが、きっと貴方は『この女のことを調べてください』と言うでしょうからそのまま続けます」
佐々岡京子。三六歳、独身。
鈴木夫人にここを紹介した女で、少し前に依頼をしてきた女である。
「佐々岡さんは、一年ほど前にウチに来ました。依頼内容は『私を捨てた恋人を見つけて欲しい』。どうやら、身ごもった途端に捨てられたようです」
身をこわばらせたまま動かない鈴木夫人だが、本人の望んだことなのでこのままことばを続ける。
「彼女は恋人との間に子どもをもうけたものの、恋人が実は既婚者だったのです。恋人が蒸発し、慌てて依頼をしに来たのが一年ほど前」
「……それが、何で、私に」
「彼女と付き合っていた男は鈴木義孝、貴方の旦那さんです。車の手形は貴女に向けたものではなく、旦那さんに向けたものでしょうね」
「うそ、ウソ、嘘っ!!!」
「旦那さんはずっと浮気をしていました。その相手が佐々岡さんです。捨てられた佐々岡さんは復縁を迫ろうと私たちに依頼し、そこで初めて鈴木義孝が既婚者であることを知ったそうです」
呆然とする鈴木夫人。
表情が抜け落ちた彼女は、無機質な涙をボロボロとこぼしていた。
「そして、ここからが重要なところなのですが」
できれば言いたくないことだが、これを言わねばただ痴情の縺れを暴いただけになってしまう。なので、できるだけハッキリと、誤解のないように告げる。
「佐々岡さんは、出産してすぐに自殺しています。自らの子どもを巻き込んで、無理心中で、亡くなっているんです」
「――――っ」
「結論です。旦那さんに、きちんと過去を清算するように伝え、水子供養をするようにしてください。ライトバンも含めてお祓いをするか、処分してしまうのが賢明でしょう」
そして、クソッタレな業務提携に基づいて、近場の寺を紹介する。所長が契約をしている神社仏閣で、水子菩提を供養してくれるところを一件、それからお祓いの実績があるところを一件選んだ。最近の拝み屋は頼まれれば土地や人だけでなく、車や何かであってもきちんと祓ってくれるのだ。
それから半日近く鈴木夫人に寄り添い、何とか平静を取り戻したところで今回の依頼は終了となった。
何を思ったのか、鈴木夫人は例の車で銀行まで向かい、契約していた料金よりもずっと多くの額を現金で手渡ししてくれた。
さすがに「またのご利用を」とは言えないが、嫌な思いをしたのに見合うだけの金額が包まれていた。
今回の件もやはり、整合性が取れない。
乳児が生まれ、心中したはずなのに、どうして車に手形をつけるのに人形の手なのか。そもそもが、どうして本人の元には行かず、名義だけしか関わりのない車が対象になったのか。死んだ場所に現れた訳でもなければ、本人に直接何かをするわけでもない。
というか、正直なところ何をしたいのかが分からない。
どうにも得心できないけれど、この先の予定は決まっていた。
整合性が取れないということは、それを捻じ曲げるだけの情念を持っているからだ、と語った所長の表情が脳裏をよぎる。
「さて、と」
俺は鈴木さんの車を見送ると、所長が契約している寺の一つに連絡を入れる。
「どうも、お世話になっています」
『なんだ、貴様か。どうせまた碌でもないことに首を突っ込んだんだろう』
「いや、依頼なんで仕方なく、です」
『碌な死に方はせんぞ。死ぬまでにせいぜいしっかり貯めとけば、まともな葬式を挙げてはやるがな』
電話の主は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
『で、今度は何だ? 遺品の類か?』
「いえ、映像媒体です。既婚者に弄ばれて、生まれたての乳児と無理心中した女が映ってます」
『……映した媒体と、一度でもそのデータを読んだものがあったら全部持ってこい。お前もお祓いしてやる』
「ありがとうございます」
『相応の金額を覚悟しろ』
欲の皮が突っ張った生臭坊主の悪態を受け流して電話を切ると、俺は大きく溜息を吐く。
翌朝の新聞には、居酒屋を営む夫婦が痴情の縺れで喧嘩をし、妻が夫を刺殺した後に自らも首を吊ったと、小さな記事が取り上げられていた。
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