第11話 彼方からの呼び声
放課後。
『ルポワール』に行こうかな、と席を立った辺りで出入口に大きな人影が立った。
身長は180以上あるだろう。アルミのサッシをくぐるのに頭を下げないといけないほどの巨漢。制服に身を包んではいるものの、しっかりと厚みを感じさせる体格の男だ。
髪型はオシャレ坊主とでもいうんだろうか、かなり短いものの刈り上げとかじゃないのでどことなく爽やかなスポーツマン風である。ちょっと幼くみえる顔立ちと相まって、ベビーフェイスのプロレスラーみたいにも見える。
また美華絡みか、と思うが既に美華はいない。
三谷の猛攻から逃げるようにさっさと荷物を纏めていなくなっていたので、今頃『ルポワール』に向かっていることだろう。
無駄足だったな、と心の中でごちていると、
「中村陸さんって、このクラスですか?」
がっつり響くバリトンボイスで指名されたのはまさかの俺であった。
――間違いない。柔道部の刺客だ。
朝の三谷との一幕でサッカー部は俺にチョッカイを出してくることはないだろうし、そのやり取りを見ていたクラスメイトの中にはラグビー部やバスケ部の奴もいた。
そういった奴等の中では、『春日部のことをわざわざ中村に聞くと、春日部からの評価が下がる』という共通認識ができあがっていることだろう。
下手すれば、部のイメージを損なわないためにグループメッセージで通達を出している、まである。
しかし、うちのクラスには柔道部は在籍していない。つまり、柔道部には朝のやり取りが伝わっていない可能性があるのだ。
頼みの綱である美華は既に教室から出て行っている。
俺も日ごろから鍛えている陰キャムーブでこっそり教室から出ようとするが、
「あ、すみません。中村さんって、――あ、はい。ありがとうございます」
あろうことか柔道部は何の関係もないクラスメイトを呼び止め、中村陸が俺だってことを特定してしまった。名探偵ばりの捜査能力である。
「突然すいません。ちょっと良いですか?」
「ひ、ぁっ、は、い」
つかつかと歩み寄ってくる柔道部。改めて目の前に立たれると、その威圧感は半端じゃない。
街中で声を掛けられたら、何もしてなくても謝って逃げ出したくなるくらい怖い。
「えと、中村陸さんですか?」
「は、っぁい」
美華に関する情報を絞られるんだろうか。
アイアンクローくらいなら耐えられるだろうけどコブラツイストとか筋肉バスターをされたら口を噤んでいられる自信はない。
背中に嫌な汗が滲むのを感じながらどう逃げるか思案するが、50m走で8秒後半の俺が逃げ切れるとは思えない。もし逃げ出したところを捕まればアウト。
やましいことがあると言っているようなものなので、取り調べは腕挫うでひしぎから始まるだろう。
「自分、1年D組の静城遼太郎って言います。今、お時間ありますか?」
もし関係性がバレたら蟹鋏みや楔倒しで――
ってシズキ? 静城?
「ええと、静城先輩の?」
「弟です。文芸部です」
…………詐欺だろ。
***
「んで、リョウを柔道部だと思った、ってことね」
ルポワールのソファ席。向かい側には美華と静城先輩という大輪の華が二つ。もしも学校の連中がこの光景を見たら、俺の殺害を計画するレベルで羨ましがられるだろう。
が、俺は今非常に窮屈な思いをしている。
静城先輩が俺を捕獲するために寄越した遼太郎を柔道部と勘違いしてからかわれていることもそうだが、物理的に狭い。
「……いや、こここ、の、体格っは、柔どっ、部だと、おおおっ思う、だろ」
「そうね。静城くんは何かスポーツやってないの?」
「ちっちゃい頃は空手やってましたけど、自分、運動はあんまり興味ないんですよね。別に鍛えてもいないです」
「リョウはホントに運動してないのにね」
静城先輩がカラカラ笑うと、俺の隣に座る遼太郎がポリポリと頭を掻いた。
この体格で文芸部は詐欺すぎる。
どう考えても柔道部かプロレスラーだ。
何なら地下闘技場のチャンピオンまである。
静城先輩の華奢なシルエットを考えると、血が繋がっていない可能性まで考えてしまうほどに違う。
これはこれで悩ましいらしく、遼太郎は体育会系の部活勧誘が面倒だったとか何とか。
確かにこの体格ならスカウトされてもおかしくはない。特に柔道部顧問なんか、中学で柔道やってた奴には直接勧誘に行くことで有名だし。
ちなみに遼太郎はこう見えてホラー大好き人間で、そっち系の創作をやる傍ら、ホラーならば小説のみならず映画や漫画も集めており、ネット上のオカルト板にも常駐するほどなんだとか。
人は見かけによらない、というか何度も言うけれども見た目が詐欺だ。
「さて、これで文芸部が全員そろったわけなんだけども」
静城先輩は、心から蕩けるような笑顔を俺と美華に振りまくと本題へと入った。
「7月に行われる陽樹祭で、部誌を発刊したいと思ってるんだ」
「おお。すごい」
「部、誌、ですかっ?」
俺の問いに、遼太郎が鞄をガサゴソ漁って幾つかの冊子を取り出した。
A5サイズの用紙をホチキスで止めたそれは如何にも手作りといった風情で、初めて作ったコピー本みたいにも見えて中々味がある。
ちなみに陽樹祭というのはうちの学校で行われる文化祭の名前である。
6月末の定期テストを終えた後に急いで準備を始め、7月10日前後に行われる催しだ。
学級での出し物の他、部活動でも活動をするところが多い。陽の目をみることが少ない文化部としては唯一の活動場所であり、運動部も大会に出ない連中を中心に出店やら何やらをやって部費を稼いだりする。
高校の文化祭レベルでいえば、割と大がかりなものだろう。
「『放課後の窓辺』」
美華が読み上げたタイトルは、モノクロながらも凝ったデザインのものである。
「そそ。これさ、発刊されなくなってだいぶ経つんだけど、復活させたいんだよね」
「最後に発刊されたのってどのくらい前ですか?」
「16年前。叔父さんの後輩の後輩くらいが最後かな」
遼太郎が持っている冊子も随分と茶色くなっているのが見て取れる。相当な年代物なのだ。
「私さ、叔父さん家に保存されてる部誌みて、ずっと憧れてたんだ」
昔は不定期ながら年に何度も刊行されていたが、部員が減り、部費も削がれていったこともあって刊行しなくなってしまったらしい。静城先輩の話では、『文筆家になろう』を始めとした幾つかのサイトに『文芸部』としてのアカウントを作る案も昔はあったらしいけれど、運営側が複数アカウントを禁止していたり、同人的な活動を想定していなかったこともあって結局はボツ。
そうこうしている内に先輩はみんな卒業してしまい、昨日までは先輩と遼太郎の二人だけが部員だった。
「文芸部は大会とかないから、陽樹祭で引退なんだよね」
先輩は、部誌を復活させることを自身の部活動最後の活動にしたいのだと言う。
「そこまで分厚くなくていいんだけど、一応は部のきまりで『10作品以上集まったら刊行』ってなってるんだ。だから不定期発刊だったみたいだし」
静城先輩が部長なのだから部の規則なんて変えてしまっても良い気がするけれど、それはきっと『静城先輩が憧れた部誌』ではなくなってしまうのだろう。
「い、良い、ですっ、ね」
「10作品……文字数とかページ数って制限あるんですか?」
「文字数とかの制限はなし。一応、テンプレートは部のUSBに残ってるよ。NSワード2000だけど」
「ふ、古っ」
互換性があるとはいえ、俺たちが生まれる前に開発されたバージョン。最早骨董品レベルである。
というかそこから誰も手を付けなかったのか。
「先輩たちも私も、『文筆家になろう』とか投稿サイトで活動してたしねぇ」
「あー、そういえば先輩は何を使って書いてますか?」
それからコチャコチャと創作談義へと移った。
どうやら遼太郎は静城先輩とは真逆で、家じゃないと創作できないタイプらしい。この『ルポワール』の特別会員にはなっているものの、基本的にはここで執筆することはないそうな。
「まぁ、親と喧嘩したときとかですかね」
「けけ、ケンカ……つよ、そうだ、な」
「うん。お父さん空手やってるし遼太郎もちっちゃい頃は習ってたから壮絶だよ」
遼太郎の代わりに何故か静城先輩が得意げに言う。
「武道、興味ないんですよね。幽霊には効かないし」
「幽霊に効くならやるの?」
「いえ、幽霊ってのはそういう物理法則とか科学を無視できる存在なんです」
キラリと目を輝かせる遼太郎の態度に、確信した。
長くなるヤツだコレ。
「そもそも幽霊って物質的には観測できないんですよね? そうすると異相に存在するか、もしくは精神的な部分に依存する存在だと思うんですよ。例えば紙に書かれたキャラクタが自分を認識できないように、次元が違うんだと考えると分かりやすいですね。ただ、そうすると何で幽霊を目撃したり、何らかの怪奇現象を起こせるのかっていう疑問が湧きますよね。自分が紙に指を当てれば当たってる部分だけは紙に接触してるので見える。これが幽霊だと思うんですよね。もしくは超自我とか集合的無意識領域に精神が残っているため、実際には存在していないのに感覚的に――」
「遼太郎。長い」
オタク特有の早口でまくし立てる遼太郎を止めてくれたのはカウンターで読書をしていた店主さんだ。
誰しもが思っていたことをバッサリと告げた後、短く一言。
「設定は物語の中で語りなさい」
「押忍」
店主さんのことばにこっくりと頷いて遼太郎は黙った。
「さて、話を戻そう。陽樹祭での部誌発刊についてだ」
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