第10話 陰キャのミカタ!
三日後。
教室に入った俺は何となく違和感を覚えた。
熱に浮かされたような、祭りが始まる前日のようなそわそわした空気。
何、と聞ける相手などいるはずもないので、自分の席に腰掛けるとスマホをいじりながら周囲の会話に耳を傾ける。
いやまぁ傾けるも何も、スピーカーみたいな音量で喋ってる阿呆どもの声が勝手に耳に入ってくるんだけれども。
『おはよ』
にっこり笑って片翼を持ち上げるフクロウのスタンプ。
ちらりと視線を向けると、窓際に座る美華は如何にも退屈です、という表情で外を眺めていた。
『おはよ。何か騒がしいね』
『何か入部の件、さっそく回ってるみたい』
『早くね?』
『静城先輩、学校が開くのを待ってて朝一で提出に行ったみたいよ』
ああうん。あの人ならそのくらいは当たり前にやるだろう。
『職員室で私が文芸部って話があって、顧問→部員って伝わったみたい』
『マジか。個人情報ガバガバすぎる』
『柔道部とサッカー部は私を説得するように顧問から直接言われてるらしいよ』
『マ?』
『マ』
どんだけ必死なんだよ。
確かに美華は可愛いし、名の通り華もある。
美華がベンチに座り、『がんばって』なんて言えばそれだけでモチベーションは天元突破。普段とは別格のパフォーマンスができるなんて輩やからも少なくはないだろう。
少なくとも、俺の近くで喋ってるサッカー部の野郎どもはそんな感じだ。
「幽霊部員で良いからってお願いしたら――」
「いやマネージャーで幽霊部員ってさすがに――」
「そもそも部員は充分いるし、頼む理由が――」
何とか美華を説得したいらしい野郎どもが脳みそこねくり回して知恵を絞っているけれど、美華を説得するのは相当骨が折れると思う。
何せ、本人がやる気ゼロだ。いや、ゼロどころかマイナスだな多分。
『そういえば、昨日話したプレゼント、いつ渡す? 今?』
『何? 公開処刑のお知らせ?』
『告白っぽく渡してみよっか。『これ、受けとってください!』って大きな声で』
『俺に何の恨みがあるんだ』
『むしられたまつ毛の恨み』
『まだ毟ってねぇよ』
『まだってことはこれから……?』
フクロウが小首を傾げていたので、ニヤッと笑う悪役スタンプを返す。
そうこうしている内に、俺の前の席に一人の男子がドッカリと腰を下ろした。先ほどまで美華を説得するために相談をしていた男の一人で、ツーブロック系の髪型をした如何にもイケイケな男である。
「おはよう、中村」
「えっ、あ、ああ、お、っはよう」
カースト上位の人間だし、何よりも去年から一緒のクラスなので当然のことながら俺はコイツを知っている。
サッカー部の中心とも言える人物、三谷高貴。県外からの特待生が絶対的エースとして君臨する中、一般入学ながらエースの親友にしてムードメーカー。ゲーム内でも司令塔として活躍する男である。
勉学の成績もわりと上位に入る人間で、人当たりも良い。今は三年が引退する前なのでレギュラーにはなれていないが、実力もある。次期キャプテンはコイツだろうと誰かが言っていたのを小耳にはさんだことがあった。
そして、顔が芸能人の誰だったかに似ているとか何とかで、女子からの人気も結構あるらしい。
ただし、俺はコイツをこれっぽっちも信用していない。
体育でペアになった時に嫌な顔をしたの、きちんと見えてたからな。三谷自身は気付かれてないつもりでいるだろうが、俺はばっちり見た。
『今、隣にいる奴とペアを組め』という指示を聞いて思いっきり顔をしかめ、反対側の奴まで確認した後で取り繕ったように俺に笑いかけたのだ。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「ななな、っな、に?」
「春日部さんが文芸部に入ったらしいんだけど、何か知らない?」
「おお、れ、は、別に、しっ、らな、ぃ」
「ん? ……ああ、知らないって言ったのね」
「いいいい、言った」
「まぁ良いや。こないだお前、春日部さんに呼ばれてたから何か知ってるかと思ったんだけど。こないだは何で呼ばれたの?」
「い、いいいや、あっ、の、」
遠慮がないのか、俺を格下と見ているのか。
表情こそ人当たりのよさそうな柔らかい笑みではあるが、碌に会話もしたことない俺を『お前』呼ばわりしてずけずけと質問をしてくる辺り、好きになれそうにない。
「春日部さんに呼ばれたか聞いてるだけなんだけど」
「おおお、っれ、は、べべべべ、っ別、に――」
「なに言ってるか分かんないな。話せないようなこと?」
『なに言ってるか分かんないな』
そのことばが心に刺さる。ことばが出てこなくなる。
胸が苦しい。
嫌だ。
何なんだよコイツは。
混乱しながらもチロチロと燃え始めた怒りに俺自身がどうしていいか分からずに俯く。
はやく終わってくれ。
ホームルームまであと何分だったか。
「何か言えよー。俺がイジメてるみてぇじゃん」
三谷はにこやかな表情を作りながらも声色に不機嫌さを滲ませて、俺を小突く。
なんとか情報を絞ろうとするが、
「ねぇ」
不意に、美華の声がした。
「なんで私のことを中村に聞いてるの? 直接聞けばいいじゃん」
「かっ、春日部さん。いや、ちょっと聞きたいんだけど、文芸部に入ったって本当?」
「本当。静城先輩に頼まれて名前貸しただけだけど」
今まで聞いたことのないような、硬く冷たい声だ。
別人かと思って顔をあげると、そこには凍てつくような視線を三谷に向けた美華がいた。
「じゃあ、サッカー部にも――」
「嫌。興味ないから」
「いや、名前だけで良いんだって。マネージャー業務も無しで良いし」
「試合観に来いって言われた瞬間退部する許可を顧問から貰ってきてくれるなら」
「いや、それは――」
「じゃあ嫌。柔道部とラグビー部にも声かけられてるけど、同じ条件で断ってるから」
「そっか。気が変わったら教えて」
「変わらないけど。あと私のこと他の人に訊ねるのやめて。ムカつく」
「ご、ごめん」
美華はそれだけ告げると、あっさりと席に戻った。
後姿を見る三谷は苦い顔をしており、
「クソ」
小さく悪態を吐いて俺から離れていった。
これは、助けてくれたんだよな……?
『すまん、助かった』
『カバーストーリーがいるね』
『?』
『こないだ呼び出した理由とか、街中で目撃された時用の』
『そうな。この雰囲気だと他の部活やってるやつからも尋問されそう』
『案1、中村が陰キャ気取りなのを利用してスーパーカリスマギャルの下僕を公言する』
『下僕希望者が殺到するだろうな』
『廃案。案2、』
『?』
『ごめんパッと出てこない。ここは書籍化作家様のアイデアをお借りしたく……』
両の翼を合わせて拝むフクロウスタンプが送られてきた。
マジか。
そもそも俺が書いてるのって恋愛じゃない、どころかヒロインすら出てこないような奴だぞ?
ポストアポカリプスの世界で銃と剣を振り回して死体の山を築くバリッバリのダークファンタジーだ。いや次回作はラブコメにする予定だけどさ。
『案2.美華の中に封印された邪神が暴れているので俺の陰キャパワーで相殺しようとした』
『それ、ほんとに公言できる?』
『廃案。案3、』
さて、どうしようか。
『はやくー。締め切り近いよー』
『やめろその言葉は俺の心を抉る。企画プロットの提出明後日なんだよ……』
『じゃあ案3、はやく』
案1で投げ出した人間とは思えないセリフである。
『案3、実は親戚』
『うわーベッタベタ』
『でも縁戚関係は調べられないだろうし否定し辛くない?』
『そうね』
『じゃあそれで』
『いとこかはとこね』
『叔父と姪でも良いぞ』
『もしかして:40代』
『ぴちぴちの女子高生♂です』
『かくじつに:変態』
それからホームルームが始まり、いつも通りの日常が戻ってくる。
と思いきや、どうにも三谷は美華が気になっているらしく、果敢にも攻め続けている。いや別に気になってるわけじゃないんだけど、三谷の声が大きすぎて聞こえてくるんだよ。
休み時間は元より、昼休みにまで質問に向かった三谷に、思わず美華の顔が歪んだのは見間違いではないはずである。
Q1.こないだ中村に声かけてのってどうして? なんかあった?
A1.家庭の事情。親戚だから。
Q2.文芸部では活動するの?
A2.名前貸してるだけ。忙しいししない。
Q3.忙しいって普段放課後は何してんの? 今度遊びにいかない?
A3.買い物とか読書とか。あとたまに雑誌の撮影。
Q4.どんな本読むの?
A4.坂井幸太郎とか西野圭悟とか。ラノベも好き。雑食だから何でも読む。
Q5.今度遊びに行かない? 本屋とか一緒にどう?
A5.行かない。
エトセトラエトセトラ。
三谷ってもしかして鋼のようなメンタルを持ってるんじゃないだろうか。
美華も朝みたいにつっけんどんに怒った感じではなかったものの、三谷の質問攻勢に辟易していたのか、最後の方は誰が見ても分かるくらいの塩対応だった。
三谷は、といえば美華が唯一まともに反応した本に対する話題を広げようと必死になっているけれど、直球でデートのお誘いを投げて見事に無視されてるんだから一旦引けば良いのに、二回目のお誘いにはびっくりした。
美華も美華だ。最近映画になったラノベについて普通に喋ってんじゃねぇよ。そうやって愛想よくすると三谷がワンチャンあるかもとか思い始めるだろ。
そう思ってはいるものの助けてもらった手前文句をいうわけにもいかない。
ちょっと潰れたコンビニのサンドイッチとともに不満を噛み砕いて、飲み込んだ。
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