第9話 文芸部のお仕事

結局、俺と美華は文芸部に入部することになった。


 先輩は飛び跳ねて喜んでいたけれど、一つだけ懸念を伝えた。


 それは、俺も美華も創作活動をしていることが周囲にバレないようにしたい、という一点である。


「……まぁ分からなくもないけど」


 世間は一昔前に比べれば少しずつ寛容になってきてはいる。警察署の啓発ポスターがかわいい婦警さんのイラストだったりするし、社会現象となるようなアニメや漫画も存在するし、創作物は日常の中にも当たり前に入ってきているのだ。


 とはいってもヲタクに対する風当りがまったくないと言えば噓になるし、そういう活動を馬鹿にする人間も一定数はいる。


 先輩としては大手を振って仲間になってもらいたいと思っているらしく微妙な顔をしているが、こればかりは譲れない。


 俺は背中をぐっしょりと冷や汗で濡らしながらも、中学校での出来事を話した。


 途中で何度も吐きそうになったし、自分でも言ってることが分からなくなるくらいつっかえまくったけれど、美華も静城先輩も黙って最後まで聞いてくれていた。


「……ごめん。部員が増えるって浮かれて、中村くんのことも美華ちゃんのこともまったく考えられてなかった」


 いつの間にか下の名で呼び始めた美華と、冷や汗でべたべたな俺に対して静城先輩はきちんと頭を下げてくれた。そして、俺や美華に何らかの不利益があったら、全力で対処することも約束してくれた。


「必要なら書面に残す」


 とまで言ってくれたけど、美華が先輩を信じると断言したので、俺もそれにのっかっておく。


 それから連絡先を交換したり、何故かいつでも10部ほど持ち歩いているらしい入部届を貰ったりして今日のところはお開きである。朱肉まで持ってるのはちょっと狂気を感じる。


 帰るか、と解散ムードになったところで店主さんが再び現れる。


 その手には、会計を終えた証であるレシートと、名刺くらいのカードをラミネートしたものが二つ握られていた。


 レシートの方は奢りと名言されていたので今回はありがたく受けとっておくことにする。


 ラミネートカードは、表面に大きくシャチのシルエットとお店ルポワールのロゴ。


 裏面には『ルポワール特別会員証』なる文字と、その下に『No.003 中村陸』と書かれており、もう一枚には『No.004 春日部美華』と印字されていた。


 どうやら俺達が諸々の話をしている間に店主さんが作ってきたらしい。


「特別会員?」


「うん。まぁ、お遊びみたいなもんだけど」


 テーブル下を見てごらん、と微笑む店主さんに促されてテーブルの下に潜った。


 同時に目に飛び込んできたのは――


 ガンッ!


「っ~~~!!!」


「中村!? 大丈夫!?」


 ばかみたいに身体が跳ねて、後頭部を思い切りテーブルにぶつけた。


 何しろ、テーブルの下には薄い黒ストッキングに包まれた静城先輩の足と、白くてぷるんとしてそうな美華の脚が並んでいたのである。


 しかも美華の方はスカートを折り返してるので短くなっていて――


「ばか、たんこぶになってるじゃん!」


 星が散る視界の中に、淡いピンク色がぼんやりと焼き付いている気がする。


「くおおおお!!!」


「そんなに痛かった? 店長さん、冷やすもの貰えますか?」


 美華は氷をお願いしながらも、俺の髪をかき分けるようにたんこぶを確認した。


「血は出てないから大丈夫だと思うけど、すっごい音したからね。何があったの?」


 ぴんくの、と言えるはずもなく言い淀む俺を助けてくれのは、氷嚢らしきものを持ってきてくれた店主さんである。


 いや、こんな思いしてるのも店主さんが原因ではあるんだけども。


「ああ、実はテーブル下にちょっと仕掛けがあってね」


 姪っ子贔屓は見ての通りだけど、と茶化しながら店主さんが説明してくれたのは、テーブルの天板下に、隠すようにして設置されたコンセントのマルチタップであった。


 普通にしてたら気付かない位置なのはもちろんのこと、ラミネートされたポップで『特別会員以外の方は、一時使用につき一律二〇〇〇円を頂きます』と注意書きまでされていた。


「君たちもいろんな事情があるみたいだし、遥は家だと集中できないとか言ってよくウチにパソコン持ってきてここで書いてるんだ。君たちも、部室が使いにくいならここを使ってくれて構わないよ」


 にっこり笑う店主さんを見て、何だか秘密基地みたいですごくわくわくする自分に気付いた。


***


 タタン、と軽いリズムを刻む電車に揺られ、俺はぼんやりと外を眺めていた。


 新作に何を書こうか、なんて頭の中でイメージをコネコネしながら流れる景色を堪能していると、不意にスマホが震えた。


 美華だ。


『今日はゴメン』


 ぽつんと送られてきたそれに、どうしても美華の泣きそうな表情が重なった。


『許さん。罰としてまつ毛をオークションにかけてやる』


『それが嫌なら松坂和牛だな』


 ふざけたつもりで送ったが、既読がついたまま返信が途絶えた。


 三分ほど我慢したが、どうにも気になってしまったので仕方なくもう一度返信を綴る。


『冗談だから気にするな。怒ってないし許してる』


『落ち込んでる? マジで気にすんな』


 既読は付かない。


『どうしても気が済まないっていうなら何か笑顔になれる画像を一枚』


『↓↓ここにどうぞ↓↓』


 送るのとほぼ同時くらいに美華から返信が来た。


 俺のメッセージを読んでいたか怪しいくらいのタイミングだったけれど、一枚の画像が貼られている。


 木製の机に、ポストカードみたいな紙が置かれていた。


 字が潰れていたので画像を高画質で読み込むと、


『美華様が陰キャの言うことを何でも聞く券』


 と可愛らしい文字で書かれていた。


 何でも、の前に小さな吹き出し付きで『できる限り』なんて付け足されていたり、色とりどりのペンで模様みたいなのが描かれたりしていて何となく凝ったつくりに見える。


『小学生の父の日かよ』


『我が家では未だに毎年これです』


『制作費ゼロとかお父さん不憫』


『毎年分額に入れて飾られてる私の方が不憫』


『それは本当に不憫。送るのやめたら?』


『前年度分のお願いで毎年作らされてるの』


 溜息を吐いてぺたっとしたフクロウのスタンプとともに送られてきていた。どうやら美華のお父さんは随分と策士であるようだ。


『で、何をお願いする? あ、エッチなこと頼んできたら学校中にバラすから』


『じゃあまつ毛』


『まつ毛フェチなの?』


『毛ほども興味はない』


『まつ毛も毛だけど』


『毛頭興味はない』


『それも毛だよ』


 ジト目のフクロウに睨まれる。


『エッチなことは駄目だけど、スーパーカリスマ読モの美華様がデートくらいなら付き合ってあげるよ? 私服選んであげようか?』


『なぜ私服』


『どうせ褪せたジーパンとよれよれのネルシャツくらいしか持ってないっしょ?』


『俺を何だと思っている』


『陰キャ』


『作家様だぞ』


『じゃあ(シャ)ネルシャツ。よれよれの』


『よれよれなのは変わらんのか……デートの権利、校内でオークションに掛けたらいくらで売れるんだろ』


『売るの?』


『売らない。明日ちょうだい』


『何頼むつもり?』


『来年の誕生日に新しく「何でも言うこと聞く券」書いてもらう』


『発想が父なんだけど。もしかして:40代』


『額にいれて飾ってやる』


『発想が父なんだけど。もしかして:薄毛』


『父ちゃんハゲてるんか』


『ふさふさ』


『なんで薄毛をサジェストしたし』


『中村のイメージ』


『薄毛なイメージの高校生って嫌だな』


 何故かどや顔のフクロウスタンプがついたので俺も適当なスタンプを返す。


『えっすご。そのスタンプ中村のラノベのキャラじゃん。スタンプ売られてるんだ』


『マルチメディア展開は基本だってばっちゃが言ってた』


『お祖母ちゃん先進的すぎない?』


『アメリカをメリケンと呼ぶくらい先進的』


『一周回って新しいかも』


 再びスタンプの応酬が始まり、中身スッカスカなメッセージのやりとりも一区切りついたので、スマホの画面を暗くしてポケットにねじ込んで再びブレインストーミングに入る。


 今度はどんな物語を作ろうか。


 そんなことを考えながら意気揚々と帰り、使っているパソコンがデスクトップであるために『ルポワール』に持ち込めないと気付いて愕然とするのはそれから少し先の話である。


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