第8話 容疑者Nの自白

「……書籍化作家って聞こえたんだけど、ちょっと詳しく聞かせてもらえないかな?」



 問い1 陰キャな貴方が正統派美少女である先輩に秘密を嗅ぎつけられ、真正面から問い詰められました。秘密を暴露しますか?


 配点(精神衛生)(学校生活)


 いやもう答えなんて決まってるようなもんだと思うけど、この場合だと配点がその後の学校生活とか俺の精神衛生なんだよな……。


 窓の外をぼんやり眺めようと視線を動かせば、美華がとてつもなく気まずそうな顔で俺を見つめていた。こいつが口を滑らせなければ話が拗れることもなかっただろうに。


 とはいえここで美華を責めるほど狭量ではないつもりだし、責めたところで事態が好転するわけでもない。しょうがないので俺は深呼吸をして先輩へと向き直る。


「くく、く詳しく、も、何も、っ俺が、書いたやつが、しょ、書籍っ、化してます」


「中村」


「良い」


 短く美華のことばを遮れば、迷子になったかのような表情で俺を見つめてくる。


 やめろ。


 お前はいつもどおりぎゃあぎゃあ騒いでるくらいが丁度いいんだよ。


「書籍化……商業作品として、どこかの出版社から発刊されているということで良いんだよね?」


「は、い」


 身構えながらも肯定すれば、先輩の表情は劇的に変化した。


 じわりと広がる笑みは、決壊するかのように満面の笑みへと変わる。俺の手を拾い上げるように両手で包み、ぎゅっと握りしめる。


「すばらしいっ! 出版社は!? タイトルは!? なんていうとこに応募したんだい!?」


「ちょっと、静城先輩」


「いやさっきは生意気なことを言ってすまなかった! 教えてあげられるどころか、教えて欲しい! もう一から十まで! 余すところなく! 全てを!」


 ニンジンをぶら下げられた馬もかくや、と言った勢いの先輩は大興奮で俺に詰め寄り何事かをまくし立てるけれど、残念ながら俺の耳には入らない。


 頬を紅潮させ、瞳を輝かせた正統派美少女が俺に詰め寄ってきているのだ。今までの陰キャ人生ではあり得なかったイベントだし、これからもあり得ないはずのイベントである。


「やはり入部すべき人間だ君は! 君のネームバリューで我が文芸部を救ってくれないか!?」


「静城先輩、おちついてください! 中村、死にそうな顔してますよ!?」


「えっ、あ……いやすまない。はしたないところを見せた」


 はしたないっていうか、まともじゃないっていうか。


 うん。言葉にはしないけども、さっきまでとは完全に別人だった。


「それで、入部してくれたりはしない? 今なら有能な部長と、一年生でやたらガタイの良いホラー好きな下僕が手に入るよ?」


「……す、すみま、せん」


 俺は頭を下げる。


「今は美華、の、書いてるの、を、見たいんで」


「うん、春日部さんも書くんだよね? 折角だから二人で入部しようよ! 絶対楽しいから!」


 押しが強い……。


 正直なところ、興味があったのは美華だけではなく俺も一緒だ。だからこそ、一年の春ごろに文芸部の門をくぐったのだから。


 ぐいぐい来る静城先輩を止めてくれたのは美華だ。


「あの、先輩。申し訳ないんですけど、決めるのは私たちですよね?」


「ん? ああ、もちろんそうだが」


「じゃあ、もう少し中村と相談したいです。中村に色々教えて貰っている私が言うのもなんですが、中村にも事情があるんです」


「……そうか、そうだね。焦り過ぎていたかもしれない。ごめんね」


 先輩は美華の真剣な眼差しを正面から受け止めると、ほ、と肩の力を抜いて去っていった。そのまま店のアルバイトとして活動するらしいけれど、生憎と今は俺達以外に客はいない。


 カウンターに座る店主の横に行くと、店主と同じような姿勢で本を読み始めた。


 助かる。


 感謝を込めて美華へと視線を向ければ、そこには今にも泣きそうな顔の美華がいてぎょっとする。


「ま、まて」


「何よ」


「なな、何でだ? 何が、あった?」


「ごめん」


 美華はぐすっと鼻を鳴らすと、俺に頭を下げる。


「中村、隠したいって言ってたのに。私は、秘密にするって約束したのに」


 俺が作家だって話か。


「いっ、いいよ、別、に。わざとじゃ、ないの、分かってる。し。俺も、美華を、煽った」


「でも!」


「良い。今は、ぶぶっぶ文芸部の、っことを、考え、よっ」


「……そうだね。ありがと」


 文芸部。


 入りたい気持ちはある。


 美華の創作活動にはプラスになるだろうし、俺だって得るものがないとは思わない。


 創作活動は基本的に少人数での作業だ。


 ひとりで作り、担当編集やイラストレーターさんと相談して、出版。同人誌でなければすり合わせや何かもそれだけなので、他の意見に触れる機会というものがほとんどない。


 もちろんファンレターなどは多少貰うことはあるけれど、それは飽くまでも読者の感想であり、創作活動をする人間であるとは限らない。絵画や芸術の世界でいう、『プロの視点だと』っていうやつだ。


 そこまで御大層なもんじゃないけど、作ってみないと分からないことはたくさんあるから、その苦労を知っている人の方法論は聞いていて面白いし、なるほどと思うものもある。


 そんなわけで創作活動をする者と意見を交わす場というのは貴重なのだ。


 ましてや部活動ともなれば、ネット上の匿名掲示板やSNSとは違って匿名性が一切担保されない。一時の感情に振り回されたような極端に偏った意見は主張できないし、自分の意見に対して質問されれば、どこまでも掘り下げていかなければならないのだ。


 有意義な時間になる気はする。


 とはいえ、美華が文芸部に入部すれば、それこそ学校全体が注目するような事態になりかねないし、下手すれば美華を目当てに男が入部届けを持って殺到するだろう。


 そこでのうのうと美華の近くに座る俺に気付けば、攻撃の刃は俺にも向くのは間違いない。美華も創作活動をしていることは秘密にしておきたいようだし、俺だってそれは同じだ。


 逡巡する俺を、美華は何となく潤んだ瞳で見つめていた。


「怒ってる?」


「おおお、怒って、ないっ」


「分かった……」


 絶対分かってねぇ……!


 ずぶ濡れの猫みたいにぺしゃぺしゃになった美華に内心で嘆息するが、とりあえずは今後のことを決めないといけないんじゃないかと思う。


「美華は、入りたいっ、だよな?」


「中村に迷惑かけるなら辞める」


「そ、うじゃ、ねぇだろっ。お俺は、美華の、っ気持ちを、聞いて、る」


「…………………………」


「黙っ、て、ない、でっ、教えっ、てくれ」


「……………………入りたい」


 なら、中途半端だけれども道はある。


「ゆ、幽れ、部員、は?」


「幽霊部員? 活動しないのに入っても意味なくない?」


「週一、か、二、で、ここっで、活動、する」


 俺の立てた作戦はこうだ。


 美華は文芸部へと入部する。とはいえ、『静城先輩に直接頼まれたし、幽霊部員で良いって言われたから仕方なく』というを取ってもらう。静城先輩も目が覚めるほどの美人だし、何より同性なので変な嫉妬や憶測は飛びにくいだろう。


 こうしておけば、どの部活から勧誘が来ても『活動はしません』と言い切れるはずだ。


 俺もこっそり入部するけれど、美華に一日か二日ほど待ってもらって先に入部しておけば変に邪推されることもないだろうし、美華が幽霊部員ならば表向きは関わるわけでもない。そこまで大きな問題にはならないはずだ。


 クソナード一匹がどこの文化部に入ろうと、学校内の勢力図に変化はないからな。


 で、実際にはSNSやメッセージでやりとりをしつつ『ルポワール』で活動をする。インターネット万歳だ。


 これなら美華も俺も部活動はできるし、学校内での立ち位置なんかを気にすることもないだろう。


 必死に説明する俺に、美華はたくさん頷いてくれた。


 それから、今度は静城先輩と話してくる、と言ってカウンターへと赴く。


 ……何を必死になってんだ俺は。


 泣きそうな顔の美華を見て思わずできる限りの妥協と譲歩をしたけれど、そこまでしてやる義理があっただろうか。


 ふと我に返ってみれば滑稽なことをしているような気もしたけれど、今さら待ったを言えるはずもない。


 静城先輩に真剣な面持ちで相対する美華を見てそんなことを考えていると、俺の向かいに店主さんが座った。


 人好きのする笑みを浮かべた店主さんは、大人とは思えないくらいあっさりと、そして深々と頭を下げた。


「うちの姪っ子が迷惑を掛けてすまない。アツくなると周りが見えなくなるタチでね。それだけ真剣に創作に取り組んでるってことではあるんだけど、本当に申し訳ない」


「べ、別に、大丈っ夫、です」


「ありがとう……もう一個ケーキ食べるかい? もちろん奢りだ」


 美華が静城先輩を伴って戻ってくる前に食べた洋ナシのタルトは、普通に美味しかった。

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