第3話 俺と陽キャギャルの7行間戦争

 フォンス・カフェの一席。


 ニキシー管みたいなランプの黄色い光に照らされながらも春日部美華は必死にペンを握っていた。


 自分の創作した物語がまだまだ人に見せられる状態じゃないってことは納得がいったらしく、俺が結果論で告げただけの評価を必死になってルーズリーフに書き留めているのだ。


 というかこいつ、見た目はあげぽよなギャルの癖して、妙にマメだし実は真面目な人間なんじゃないだろうか。


 ちょっと見直そうかと思った直後。


「中村が書いたの、読みたい」


 春日部美華が、とんでもないリクエストを始めた。


 ――冗談じゃねぇ!


 そう思ったけれど、何故だかさっきぽろりと零した涙が目に浮かんでしまって、ぴしゃりと断ることができなかった。


 とはいえ、読んでのも違うと判断した。


 判断してしまった。そして、余計な憎まれ口が口をついて出る。


「読みたきゃ買ってこいよ。ただでやる義理なんぞねぇ」


「えっ、えっ? 嘘、本になってるの!?」


「あっ」


「マジで!? すごい! なんて題名!? 出版社は!?」


 テンション爆上げである。さっきまでの勤勉な態度や、その前のぐすぐす泣いてた姿からすると別人みたいに詰め寄ってくる。それこそ、バズったばかりのスイーツに食いつくギャルみたいである。


 うん、まぁ、俺の知ってる春日部美華は常時こんなテンションで過ごしている。何が楽しいのか不明な理由できゃらきゃら笑い、自分や友達をパシャパシャ写メって、大して美味しくもない見た目重視のスイーツに大はしゃぎする。


 典型的な陽キャのギャル。


 いやまぁ同じくらいの頻度でスッゲー冷めた顔してるのも見るけど。


 告白してくる男子を振ったりナンパをあしらったりするときは、マジで人を殺せるんじゃないかってレベルの顔してる。美人だからこそ迫力があって怖い。


 どちらにしろ、俺の苦手なタイプの人間である。


「良いじゃん! 買う、マジで買うから教えてよ!」


「……い、いい、嫌、だ」


「何でよ!? 中村が買えって言ったんでしょ!? 買うって言ってるんだから教えてよ!」


「あ、あれは、失言っ、だだだった」


「じゃあくれるの!? くれるなら貰うよ! 今持ってる!? それとも明日学校で渡してくれるの!?」


 なんでだよ。


 この押し問答は五分近く続き、結局俺は折れた。


「……マジのプロ作家なんだ……」


 スマホで俺の書籍タイトルを調べたらしい春日部美華は、やや呆然とした顔で俺を見つめていた。


「しょ、書籍っ化作家が、こんな吃音、陰キャで、がががっかり、したか?」


「ハァ!? なんで? 関係ないじゃん」


 一度だけ開かれたサイン会で、ファンからあからさまに驚かれた苦い思い出が脳裏をよぎるが、春日部美華はむしろ気分を害されたような顔で俺を睨んだ。


 くりっとした瞳で怒りに染まった視線をぶつけられると、何とも居心地が悪い。


「吃音なんて別に気にならない。中村はきちんと私と話ができてる。そうやって自分を卑下するの、カッコ悪いよ」


 ましてや、と言葉を区切って萌え袖からすらっとした指を出して、ビシリと俺へと向けた。


「中村のどこが陰キャなのよ! 陰キャってのはカースト底辺の人間なの! 本物の陰キャだったらギャルやってる私相手に、あんなボロクソ言えるわけないでしょ! クソ雑魚ナメクジなんだから私の靴の裏舐めながら媚びへつらうはずよ!」


「え、ええええ……!」


 陰キャに対する偏見エグくないか、お前。


 だったら俺を呼び出したりするときにももうちょっと方法が……ってもしかして、断らせないように敢えてああいう呼び出し方したのか?


 ふと思い付いた恐ろしい発想に愕然となる。


 こいつ、ワザと目立つ呼び出し方しやがったな……!


「何ビックリしてんのよ!? 私の方がビックリよ! 毒舌・偉そう・オマケにプロ作家の中村が、どこをどう見たら陰キャな訳!? まさかそういう設定作って浸ってるわけじゃないでしょうね!?」


「ふ、ふざっけるなよ!? そそそそそ、そんな、訳っ、ないだろっ!」


「じゃあどこが陰キャなのか説明してみなさいよ!」


「ううう、うるせぇっギャル! お、お前っみたいな頭ン中あっぱらぱーな奴っには、底辺の気持ちなんて、わかるわけ、っないだろっ!」


「分からないわよ! そ・も・そ・も! どこが底辺なのか説明しなさいって言ってるのよ! プロなのよプロ! 底辺は私の方でしょうが! なんたってプロ作家様に『小説として厳しい』なんて言われたんだから!」


「おまっ、根に持ってんじゃねぇ! お前が、頼んで来たっことだろっ!」


「お前って言うなぁ! 美華って呼んでよ! もしくは美華様!! 中村が底辺だっていうならね!!!」


「誰が言うか! おっまえなんてっ、呼び捨てで十分だっ!」


「じゃあ呼び捨てしてみなさいよ!」


「み、美華!」


「やればできるじゃない! 今度からずっとそう呼びなさいよ!」


 ……………………は?


 本気で意味が分からないんだけど、気付いたら俺はコイツのことを名前で呼び捨てにすることになっていた。


 慌てて弁解しようとするも、折悪く店員さんがやってきて、俺たちの大声を「他のお客さんの迷惑になるから」と窘められてしまって一気に気持ちがしぼむ。


 結局、居心地が悪くなってしまった俺たちはそそくさと会計を済ませて店を後にするのであった。


「どうしてくれんだよ……あそ、こ、担当さんとの打ち合わせでよく、つ、使ってんだぞ?」


「うわ、マジでプロの発言だ……すご。あっ、帰りにもっかい本屋寄って買ってこ。中村の本買わなきゃ」


「うるせ。お前は読むな」


「お前じゃなくて美華様ですー」


「だまれギャル」


 ごちゃごちゃと言い合いながらも、本屋付近で別れる。


 俺はここから下りで四駅移動し、さらに乗り換えて三駅。美華は駅近のタワマンに住んでいるとのことだ。まぁ家近くだったとしても一緒に帰ろうとは思わんが。


 しかしまぁ、筆を折るようなことにならなくて良かった。


 そんなことを考えながら電車に揺られていると、ふと一つの大問題が脳裏を掠めた。


 ……口止めすんの、忘れた。


『俺が作家だって話、絶対誰にもすんなよ』


 送信ボタンを押すと、ずぶりと座席に沈み込む。


 これから約一時間、俺は電車に揺られることとなる。普段ならば創作活動に充てるのだが、どうにも今日は疲れてしまった。


 家が学校の近くなら、と思わないでもないが、敢えて遠い場所を選んだのは自分だ。


 理由は単純。


 同じ中学校の奴らに遭遇したくなかったからだ。


 中学に入って吃音が目立つようになった俺は、カーストトップの連中にそれこそ死ぬほど煽られた。


 その上、小説を書いているところに出くわしてしまった。


「『お、お、おれは~、せせせっ、世界をっ、救うっ』!」


「馬鹿、もっとどもれよ! それじゃぞ!」


 俺がノートに書いていた小説を取り上げ、わざと吃音きつおんの真似をしながら読み上げたあいつらを許すことは、一生ないだろう。もちろんその場でも許せずに殴りかかり、両者の親まで呼ばれる大事に発展した。


『吃音を馬鹿にした相手が原因だが、我慢できずに暴力を振るった中村も悪い』


 クソ教師のとりなしでお互い、その場では謝ったけれど裏では馬鹿にされ続けた。イジメは教師が重石おもしとなった分だけ見付かりづらく陰湿なものとなり、俺の心をえぐり続けた。


 始めは同情的だった教師も、本音では面倒だったのだろう、


『お互いに謝罪をしたんだから水に流せ』


『お前が一方的に拘ってるだけだ』


『吃音くらい気にし過ぎなんだよ』


『向こうはもう気にしてないって言ってる』


 表面上は解決したのだから、後は我慢しろとの事であった。


 そもそもこの担任は「吃音なんて気にしない」とか言う癖に、授業で俺を指名しておいて「すまん。聞き取れなかったからもう一回」なんてのが日常的にある人間であった。


 それは気にしないんじゃなくて、鈍感なだけだ。


 俺は中学校には通うことをやめた。


 幸いにも両親は俺の決断を認めてくれたが、交換条件で出されたのは『きちんと勉強をすること』と『高校に進学し、卒業すること』だった。


 最初は通信制を考えていたが、話し合いの末、全日制を選ぶこととなった。このまま閉じた世界にいてはいけない、というのが両親の考えだった。


 俺はそこまでは思っていなかったけれど、確かにちょっと外出したい、と考えた時にアイツらの顔が浮かんでくるなんてのは御免だったので、両親の意見に従って全日制を選んだ。


 要はリハビリみたいなもんだ、と自分を納得させながら。


 そこまで考えたところでスマホが震える。


 美華からの返信だ。


 了承だろうと思って画面を開けば、


『私の名前は?』


 クソウザい絡みだった。


 一緒に送られてきた小首をかしげたフクロウのスタンプがまた憎らしい。


『春日部ギャル子』


『買うように友達に勧める。プイッターで宣伝もしてやる』


『えっ、売り上げ伸びるの? 重版出来じゅうはんしゅったいありがとうございます』


『作者もバラしてやる』


『それはマジで許さん。つけまつ毛むしってネトオクで変態に売るぞ』


『残念でしたー! これは天然ですー!!!』


『むしろ変態なら入札金額があがるかも』


『うわキモ。で、私の名前は?』


 拘るな、と溜息を吐きながら、何故かちょっとだけ強張る指でフリックして返信した。もちろん呼び捨て。


『よろしい。悪の組織に拷問されても秘密にするね♡』


『それはバラせよ。お前が解体バラされんぞ』


 ふんす、と気合を入れた顔のフクロウスタンプに、思わず笑みが零れた。


 あー、そういや、リアルの知り合いで連絡先交換したの、コイツが初めてかも知れねぇな。


 連絡先に並んでいるのは家族を除けば創作関係者ばかり。一冊目を出した後、速攻で他部署に行った元編集さんに、現在の編集さん。それからイラストを担当してくれているイラストレーターさんと、去年、デビュー作の授賞式で開かれたパーティーに出ていた先輩作家さんが数名。


 なんとも寂しい人数だが、そこに『♡Mika♡』とウザい主張をしてくる連絡先が加わっていた。名前の前後にハートがつくとか、キラキラネームどころの話じゃねぇぞ。今度発音させてみるか。


 高校に進学して一年、体育のペアは余りものだし、それですら嫌な顔をされるのがデフォ。それ以外は基本的にぼっちだった俺が、まさかスクールカーストトップの女子と連絡先を交換するような事態になるとは思わなかった。


「……まぁ、なるようになるか」


 俺はスマホをポケットにねじ込むと、腕を組んで目を閉じる。


 タタン、と電車が小気味よく揺れた。

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