第2話 陽気なギャルが地球を回す
『放課後、ちょっと付き合ってくれない?』
小首をかしげたポーズの、可愛らしいフクロウのスタンプとともにされたお願いは、俺の気分を損ねるのに十分なものである。
『本屋行きたいから無理』
『丁度良かった。私も本屋寄るから、そのあと駅前のフォンスで』
待て。
何で俺が本屋寄った後に暇な前提で話を進めるんだ。
そう思って窓際にいる春日部美華を睨めば、何をどう勘違いしたのかにっこり笑みを浮かべてだるっとした萌え袖から指先を覗かせて手を振ってきた。
あざとい。
そしてイラっとする。
『?』
『フォンス・カフェ。知らない?』
『駅ビル東館の四階のカフェだろ。知ってる』
YESの吹き出し付きスタンプで肯定されたので、大きな溜息とともに『りょ』とだけ返信しておいた。
ちなみに俺の送ったハテナは店の解説を求めたんじゃなくて、何で会う前提になっているかを訊ねるものだったんだけども、誤解を解くのも面倒だった。
日本語って難しいぜ。
しっかし、なんで今日なんだよ……本屋に寄ったら本を買うし、本を買ったら読むに決まってんだろうに……。
ただでさえ最近は読書の時間が減っているんだ。今日を逃すとしばらく読めない可能性も高い。
俺はお預けを食らうことが決まった坂井幸太郎の新刊に思いを馳せ、小さな溜息を吐いた。
***
そうしてたどり着いたフォンス・カフェはニキシー管みたいなランプが席ごとに垂れ下がる形で照明となった、ちょっとオシャレなカフェだ。
ニキシー管というと現代社会じゃそうそうなじみのないものだけど、厨二病患者がタイムリープするアニメにでてきたアレみたいな形のランプである。ダイバージェンスな時計、といえば分かるだろうか。
お店でぶら下がってるのは数字ではなくて黄色の光が出ているだけなので別物なんだろうが、とにかくモダンレトロな雰囲気だとは思う。
店員に待ち合わせを告げるまでもなく、奥の席からひょっこり顔を覗かせた春日部美華と目が合った。再びだらしのない萌え袖を振って存在をアピールする。
駅ビル四階、といえば飲食店が多いフロアなので同級生もそれほどはいないが、万が一にも春日部美華と密会していることが知れたら、恋愛脳の奴らに何を言われるか分かったもんじゃないので足早に席へと向かう。
「ありがと。おごるから好きに頼んで」
「いや、別に大丈夫。――あ、す、すみません。ああ、っアイスティーッ、ストレート、で」
店員さんを捕まえて、メニューを見ることもなく注文した。
この店は、定期的に使っているので何があるかくらいはだいたい把握している。しているんだが、この女は俺におごろうとか正気なのか?
万が一、奢らせている場面でも目撃されようもんなら明日から俺の
「へぇ。コーヒー飲まないの?」
「あ、味は好きなんだが、胃が、よよ弱いんだ。の、飲むと、気持ち悪くなる」
「そっかそっか。それじゃあ仕方ない」
春日部美華はしたり顔でうんうん頷くと、最近じゃ登山系のバックパックに駆逐されつつあるスクールバッグを漁り、中からルーズリーフ用のバインダーを取り出した。
「あのね。短編だけど、書いてみたの! 読んで!」
「……マジか」
この店で、俺がそっち側に回ることなるとは思わず驚くが、どうやら昨日の今日で――いや、違うな。この様子だと、ずっと前から創作自体はしていたんだろう。
発表する場がなかったり、意見を貰える相手に飢えている印象である。
ルーズリーフに記されているのは、ちょっと丸みのあるかわいい文字。
手書き原稿、それも横書き。
「分かった。感想は激辛と辛口、どっちがいい?」
「えっ、中辛とか甘口はないの!?」
「ああっ、あるわけ、ないだろ。優しくされたいだけならクッ、クラスメイトに読んで、もらえよ。お、お、お前が書いたってわかってれば、男子なんか手放しで褒めるだろ」
俺のことばに、春日部美華は若干傷ついたような顔をする。
「別に誰が書いたかかんて関係ないじゃん! 激辛! もうハバネロくらい激辛で!」
残念。
俺の激辛はキャロライナリーパーだ。
内心で呟くと、さっそく原稿へと視線を落とす。ルーズリーフで7枚。パソコン派の俺からすると、手書きでこの文章量は結構な力作に思える。
店内の穏やかなBGMに紛れて、ペラリとルーズリーフをめくる音が小さく重なる。
内容的には、ちょっとした恋愛ものだ。
五年も付き合って順風満帆な関係だったはずの恋人にある日突然別れを告げられてしまった女性が主人公。
別れる納得できずに、何で振られたのかを探っていく。その結果、恋人が重い病を患って余命幾ばくもないことを知る、といった悲恋であった。
「……読んだ。何を聞きたい?」
「全部。激辛なんでしょ? 思ったこと全部言ってよ!」
「言っても良いけど、二つ、約束してくれるか?」
俺が提示した条件は、『反論はしても良いけれど、感情的にならないこと』と『ここでどんな意見が出ようと、そのことを他の人に漏らさないこと』だ。
前者は感情優先で動いているっぽい春日部美華が激昂しないよう――万が一激昂したらすぐに席を立てるように付けた条件で、後者は俺が学校内で生きづらくならないようにするための条件だ。
『中村、カフェで春日部さんを泣かせてたってよ』
なんて噂が立とうものなら俺は不登校になるぞ。確実に。いや、精神的にもそうだけど、柔道部やらラグビー部やらがやってきて物理的に不登校にさせられる可能性まであるからな。
春日部美華が了承の意を返したので、批評を始める。批評なんて偉そうに言えたもんじゃなくて、どっちかといえば思考を垂れ流すだけだけどな。
「全体的なストーリーは、悪くない。ありがちといえばありがちで、王道といえば王道だ」
だが、この小説はいただけない。
「まず、視点がブレてる。こっちでは主人公の涼子が『私は』の語り出しで物語を進めているのに、途中から『涼子は』に変わってる。どっちかに統一しないと読みにくい」
主人公が語り部をする一人称と、客観的に書き連ねる三人称が混同しているのだ。
「あ、うん。なんか、涼子視点だと書きづらくなっちゃったんだよね……」
「なら、最初から三人称に直すべきだな。もしくは、オススメはしないけれど区切りをいれて『一人称視点』と『三人称視点』のところをしっかり分けるか。それから、彼氏の雄太は何の病気なんだ?」
「えっと……考えてない」
「涼子は雄太のことを諦められないんだろ? だったら『不治の病で余命が二か月』といわれたとき、最初に『何の病気なの?』ってならないか? もしも俺がこういうシチュエーションに置かれたら、治す方法はないのかな、とか治療法を探さないと、って思う」
俺のことばに、春日部美華は殊勝な態度でこくんと頷いた。
「そういう感じで、全体的に設定とかリサーチが甘いのが読んでとれる。涼子が明るい人間なのか、それとも引っ込み思案なのかもブレてる気がするし、雄太も『涼子のために身を引いた』とかわざわざ言うのはイラっとする。もしお前が彼氏に『お前のために身を引いたんだ』なんて言われたら好感度下がらないか?」
「それは、そうかも」
同意しながらも、春日部美華の瞳には怒りの炎が浮かんでいる。
時分の作品を批判されれば誰だって腹が立つ。創作するということは時間も体力も使うし、何よりも愛着をもったキャラクタやストーリーにケチを付けられれば不満の一つもでてくるだろう。
とはいえ、それを隠すことができないのであれば、ここまでだろうか。
批評をお願いされたからしているのに、それにまで感情を優先した態度を取るようでは、まともな話し合いになるわけがない。
そう思ったが、彼女のことばは俺が想像しなかった方向へとぶん投げられた。
「ねぇ、私、春日部美華って名前があるんだけど」
「知ってるぞ?」
「中村、お前とか言ってばっかりで、一度も呼んでくれないでしょ!」
ええええ。
怒ってるポイント、そこなの……?
「じゃ、じゃあ、か、春日部さん」
「苗字、可愛くないから美華で」
「はぁ?」
「美華」
「……み、み、美華、さん、で」
クッソ。小説のことならすらすら喋れんのに、意識するとすぐどもる!
春日部美華がくすっと笑いやがったので睨みつけるが、そんな程度ではへこたれないらしい。
「うん、ありがと。呼び捨てでもいいよ?」
「よ、呼び方、なんてべ、別に良いだろ? しっ、小説の話をする、ぞっ!」
「分かった」
あっさり応じてくれて助かった。
……いや、助かったも何も、この女が絡んでこなければ無駄に話す必要もなかったんだよな。クソ。
俺は大きく深呼吸をして気持ちを切り替える。
喋るんじゃない。
思考を垂れ流すんだ。
そう自分に言い聞かせながら口を開く。
小説のことに関する思考を垂れ流しにするのであれば、俺はどもらない。
「それから、ラストのところだ。雄太が病気だって突き止めて病院に突撃するのは良いけど、アポなし・看護師とか受付とかとも会話なしに病室に突入するのはさすがに不自然だ。単純にプライバシーとか警備面で問題ありすぎ。しかもICUに突入って絶対無理だぞ」
「そうなの?」
「ああ。そもそもICUって何か知ってるか?」
「えっと。重症の人とかが入るところ」
「ざっくりしすぎだ。下調べをきちんとしろ。特にこういうシリアスな話だと、『現実にはありえないこと』があると読者の熱が一気に冷める」
「ええ……でもファンタジーなんかありえないことばっかりじゃん!」
「ファンタジーの設定と、恋愛のシナリオを同じ土俵に乗っけるなよ。そもそも、ファンタジーだって、設定が『現実にありえないこと』でもシナリオは『そういう世界があったら納得』なものになってるはずだ。ストーリー展開やキャラクタの言動までが『こんなのあり得ないよ』『不自然だ』のオンパレードだったら面白くないから、土台がファンタジーでもきちんとあり得そうなストーリー展開になってるはずだ」
「うん」
「あとは文章に波がありすぎる。ほら、ここからここまで、ト書きみたいになってるぞ。超短文で『~する。』って七連続。ドラマの脚本みたいになってる。こっちは一文が四行あるし、流石に読みづらい」
「うん」
「まぁ総合すると、このままだと小説としては厳しい。読者は最後まで読まずに離れるだろうな。ランキングとか書籍化は夢のまた夢だ」
「うん」
やけに物分かりが良いな、と春日部美華の方を見ると、そこには必死に涙を堪え、唇を嚙みながら相槌を打つ姿があった。
やっべぇ。
確実に言い過ぎである。
「ま、まて。ななななっ、泣くなっ」
「うん、ごめん」
ぐしぐしとカーディガンの袖で目元をこする春日部美華にしかし、俺は適当なことばを掛けてあげることができない。
「ほっ、ほら! 手書きでこんだけ書いたのはすごいと思う! そそっ、そ、それに、きちんとかかっ完結させて――」
必死にことばを重ねる俺に、春日部美華は目元を赤くしながらもぷっ、と噴き出した。なんとも表現し辛い、不思議な表情で俺を見る。
「ごめん、泣いたりして。自分からお願いしたのに、卑怯だよね」
「いいいいいや、俺っ、も言い過ぎた」
「ううん。私がお願いしたんだから、良いの」
物分かりの良いセリフだが、どう考えても落ち込んでいる。
このままでは、俺が原因で筆を折るなんてことになりかねない。
そんな重荷を背負うことが俺にできるか?
答えは決まっている。否だ。
「聞け。俺が初めて書いた小説はファンタジーだ。お色気ムンムンのお姉さんたちに迫られながらチート能力で世界を救う話だ。意味もなく眼帯をしてたし謎の呪文で強チートを発動させて敵をなぎ倒すし新キャラは出てきた瞬間主人公にガチ恋するし厨二病のカルテみたいな小説だった」
目尻を赤くしたままきょとんとする春日部美華だが、俺のことばは止まらない。
そう、垂れ流すのだ。
春日部美華が、書いても良いと、やめなくても良いと思えるように、俺のことを垂れ流しにするしかない。
「ネットに公開して三か月で読者は4人。しかも全員が1話だけを読んで離れていた。どうしても読んで欲しかった俺はプイッターで読者を求め、感想を求めた。最初に貰った感想は『童貞の妄想。ご都合主義とありきたりな設定の塊で面白いところを見つける方が難しい』だった」
「……」
「書き始めてから毎日、必ず更新してた俺はそこで心が折れて未だに未完結のままだ。それに比べたらお前はすごい。好きな場面を妄想するだけなら誰でもできる。物語を考えるだけなら楽しい。書き始めるのだってちょっとした道具があればできる。だけど、完結させるのはすごく難しいんだ。だから、きちんと完結させたお前はすごいよ」
「……名前」
「は?」
「……お前って言った。名前でもう一回ほめて」
「あ、ぅ、み、美華さんは、え、え、えらい」
何度もどもった俺に、春日部美華はくすりと笑みを浮かべた。
「……しゃっ、しゃべり、方は、きき、気にしてるんだ。わっ、笑わ、ないでくれ」
「違う違う! 別にばかにしてるとか、喋り方を笑ったんじゃないの!」
じゃあ何だよ、と聞く前に、春日部美華は怒涛の如く喋り始める。それこそ、俺が思考を垂れ流すのと同じくらいのことばの奔流だ。どうやらギャルは喋るのも得意らしい。
「最初はクールぶってるのかと思ったけど、『コーヒー飲めない』とか普通に言うじゃん? 今まで遊んでた奴らは『やっぱブラックだよな』とか言いながら苦そうに飲むし、中村は全然かっこつけてないんだって思って。小説のことは結構ショックだったけど、それも中村が一生懸命だからだって伝わってきたし、それに、フォローもしてくれたりけっこう優しいところもあるんだって思ったらかわいいって思って」
「……はぁ?」
「とにかく! 私は読んでもらえて、感想まで貰えて感謝してるの! だから、馬鹿にしたりとかそういうのは全然思ってない! 良い?」
「あ、はい」
剣幕に押されて頷けば、何故かドヤ顔の春日部美華がいた。
変な奴。
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