Ep.2 HARUNA 3

 オヤジが変な姿勢でタンスにもたれ、口を半開きにしてかすかにイビキをかいている。


 あたしが眠っているほとんどの時間、オヤジは起きて見守ってくれているわけだから、反対にあたしがオヤジの寝顔を見る機会が多くなるのは当然だった。

 今週中は湘南の病院の予約をすべて延期して、ずっとあたしに付き添ってくれることになったのだ。


 おふくろは、仕事や家事の手がすくと二階に様子を見にくる。

 たいがいまともな格好で寝ていないオヤジを発見してあきれた顔をするが、事情はわかっているから無理に起こしたりはせず、 苦笑しながらあたしに目くばせし、 黙ってまた下に降りていく。


 あたしは病気というわけではないから、おふくろの買い物につきあって外出したりもする。

 オヤジとはだいたい毎日散歩に出て、途中から軽いランニングに切り替えてそのあたりを一回りし、公園のベンチで本を読みながら待っているオヤジのところへもどってくる。


 そして、あたしたちは三度三度ちゃぶ台を囲んで食事し、オヤジのトンデモ話に腹を抱えて笑いころげ、三〇年前の事件のこぼれ話なんかも出て盛り上がる。

 そもそものきっかけは異常なのだけれど、それをめぐって展開することになった三人の生活は、静かでえらくまともに見える。


 ちょっと前まで五年間もここで生活していたけど、こんな日々はほとんどなかった。本当の親子じゃないとわかったのに、秘密がなくなってかえっておたがいの立ち位置が安定したようにも感じる。


 深川に来てから、悪夢のつらさも頻度も少しずつ下がっている。あたしは、なんだか自分がこの生活を楽しみはじめているのがわかった。


 眠っているオヤジが時おりニタアッと薄笑いを浮かべるのは、言うところの〝エンターテインメントな夢〟を見ているからだろう。

 あたしの視線に気づいたみたいに、オヤジがふと眼を開けた。

「ホントに楽しい夢しか見ないのか?」

 とたずねると、よく聞いてくれたという感じで、いかにも嬉しそうに答えた。


「愉快な場面ばかりでできた映画なんてロクなもんじゃないよな。クサいセリフやお決まりのパターンでまとめにかかるテレビドラマもつまらない。だけど、『エイリアン』の一作めは胸を締めつけられるような緊張した場面が続くのに、最後まで眼をそらせないし、見終わったときのカタルシスはでかい。なぜなら、こちらが期待する怖さ、期待する驚きを、絶妙なタイミングで与えつづけてくれるからなんだ。優れたエンターテインメントっていうのは、みんなこういう構造を持っている。夢も同じなんだよ」


「だけど、〝期待する驚き〟って変じゃないか。予測できるなら、驚きは半減してしまうものだろ」

「そこが現実と夢との大きな違いさ。〝明晰夢〟っていうけど、夢の中の世界では、本来の意味の明晰な判断――つまり、『これはおかしい、ありえない』っていう〝ツッコミ〟は不可能なんだ。いくら奇妙な光景でも、不可解な場面でも、それを受け入れざるをえない。ある意味、夢のほうがシビアであり、リアルなんだ。逆に、常識的なツッコミが現実をつまらなくしているとも言える」


「そうか! 夢の中ではツッコミが効かないから、ありえないような不条理な場面に苦しめられて悪夢を見てしまうんだね」

「そういうこと。こないだボクは〝夢に変化をもたらせ〟って言ったけど、言い方を変えれば、そのリアルを受け入れて、こちらから積極的に関与する――どんどん前に進んでいけってことなんだ。風変わりな建物に入れば、いかにもそこにありそうな家具やドアや窓の配置が眼に入り、だれかとバッタリ出会う。丘を頂上まで登れば、やっぱりむこうに新しい空間が現れ、見知らぬ街とそこに続く道が見えてくる」


「それが、〝期待するもの〟ってこと?」

「目覚めてみるとそう感じるんだよ。自分の力で、あるいは自分の意志でそこにたどり着いたんだ、目撃したんだ、出会ったんだってね。ボクは、明晰夢を見たっていう人の多くは、こういう体験のことを言ってるんだと思う。自在に行動できる感覚を夢の中で持てれば、その人が目撃し、体験したことは、自由意志の結果ってことになるだろ」


「つまり、期待したとおりのことが起こったんだ、と……」

「そう。夢の中では選択や判断力はちゃんと機能しないわけだから、特定の人物や場面と遭遇したいっていう期待じゃない。何かしら人を心の奥底から突き動かす〝期待感〟が起こすことなんだ。仰天するような驚きや、マジで死に直面するようなスリルでさえ、人は期待してしまうものなのさ」

「へえ……」


「現実にだって似たような例はある。小さいときのおまえは人一倍怖がりだったくせに、『エイリアン』を見ようって、ボクを何度誘ったことか。猫のジョーンズとエイリアンが接触するシーンでは、いつも決まってボクの腕にギュッとしがみついたじゃないか」

「そ、そうだっけ……」


「『E.T.』と『ラピュタ』のレーザーディスクは、ボクがもう再生機は生産中止だからあんまり頻繁に使うなって注意したのに、とうとうぶっ壊してしまっただろ」

「そうだったね。ゴメン」


 ラピュタに崩壊をもたらすと知りながら、バズーとシータが手を取り合って滅びの呪文を唱える、悲壮感に満ちたシーンは忘れられない。E.T.が、自分を乗せたエリオットのマウンテンバイクばかりか、仲間たちもぜんぶ引き連れて天空に駆け上がっていく場面では、見ているこっちの身体もいっしょにフワリと浮くような感覚になる――


 あれらを見るためには、ぜったい最初からぜんぶ見なきゃいけなかった。そのたびに悲しさが胸に迫り、感動の涙が止まらなかったものだ。

「そのとき、おまえは映画の中の現実をまったく疑ってなかったはずだ。それって、夢の中で夢を疑うことができないのと同じだと思わないか?」

「あっ――」


「大好きな小説は、くり返し読みたくなる。いつも同じページに来ると自然に笑みが浮かぶし、別の場所ではかならず涙がこみ上げてくる。夢に入り込んでいるのと同じさ。それが、夢の中なら実体験として自分の身に起こるんだ。ストーリーとすればめちゃくちゃかもしれないけど、夢の中では一瞬一瞬が期待の産物であり、必然に思えるんだよ。これ以上のエンターテインメントはないだろ?」

 エンターテインメントな夢って、そういうことだったのか……


「だけど、それが現実に起こったことの記憶だったとしたら?」

「夢であるからには、実際の記憶か架空のイメージかはきっと関係ないよ。おまえの悪夢も、見るたびに少しずつ変質してきているはずだし、ぼんやりしていたところがより鮮明になるとか、前後の展開がもっと見えてくるかもしれない。いずれにせよ、それはおまえにとっての前進ってことさ」

 あたしは、心から納得して深くうなずいた。



 翌日の明け方、あの悪夢を見ることなく目覚めた。

 見なくてすんでホッとしたという感覚ではなく、なにか重い憑き物が落ちたようなスッキリした気分だった。

 リンコさんが一〇種類以上の市販薬だけで調合したという、〝ハイパー眠り薬〟なる怪しげな秘薬のおかげでもあるかもしれない。


 あたしは、掛けぶとんを抱き枕のようにして眠っているオヤジを横目に、手ばやくジョギングウェアに着替えた。厨房のほうから、もう湯気に乗っていい匂いが漂っている。仕込みをしているおふくろに気づかれないように足音を忍ばせ、狭い裏庭へ出る。板塀を乗り越えると、そこは人気のない路地裏だ。


(目指すのはあそこだ……)

 あたしは勢いよく駆けだした――

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