Ep.2 HARUNA 2

 あたしは毛布をはねのけ、枕から首を持ち上げた。


 ハアハアと荒い息をつくと、明々と灯されたライトの中に、いくつもの人影があるのがだんだん見えてきた。

 なんと、同じそっくりの顔が二つ、鏡で映したように並んであたしを見下ろしている。

「シンイチロー……さんに、ヤスジローさん?」

 二人は一瞬のズレもなく同時にうなずいた。


 どうして彼らが深川の家にいるんだろうと不思議に思う間もなく、その二人を乱暴に押しのけて、おふくろがいきなりあたしをヒシッと抱きしめた。


「ヒドイ夢を見るってのはホントだったんだな。信用しなくてゴメンよ。……じゃあ、またアタイはおまえをぶん投げちまったのか?」

 あたしはおずおずとうなずく。心配はかけたくないけど、また例の悪夢を見たのは事実なんだから否定するわけにもいかない。


 ふとんの足元で、最近かけはじめた黒ぶちの老眼鏡ごしにラップトップをにらみつけているオヤジが、無精ヒゲをしごきながら言う。

「シンイチローとヤスジローは、記憶をたがいに移し替えることができる。だから、おまえの夢をのぞけるかどうか、やってみてもらったんだよ」


 だが、広岡兄弟は、どちらもさえない表情をして同時に首を振る。

「キミのお父さんのローレンスがくれたぼくらの能力は、どうやら一方通行らしい。残念ながら、夢を読み取ることはできなかったよ。なあ、ヤスジロー」

「そうだとも、シンイチロー。それに、デジタルとアナログの違いっていうか、ぼくらが交換できる情報は数値や言語の知識に限定されてるみたいで、複雑なイメージとか感情がからまった夢までは無理みたい。役に立てなくてごめんね」

「謝ることなんてないよ。ありがとう」


 二人は聖エルザにほど近い四谷のマンションに共同の事務所兼住居をかまえているから、いつ始まるかわからないあたしの夢のために、夜間にわざわざ駆けつけてくれたってことだろう。

 あたしの悪夢は、どんどんたくさんの人を巻き込んでいる。


 悪夢がぶり返した翌日、水谷パパとチクリンママの決断で深川の家に預けられた。

 エルザハイツが舞台だってことが判明したのは、ある面では進展といえたけど、リアルさが増した分、あたしが受ける衝撃の度合いもそれだけ強くなった。

 起きてしばらくは立つことさえできなくなり、ついには大きな悲鳴を上げて別室のパパとママを驚かせてしまった。


 深川に泊まってから一時的に悪夢が沈静化したことがあったし、おふくろとオヤジなら、一日中どちらかが声の届くところにいてくれる。それに、具合が悪ければオヤジがすぐに適切な処置や投薬をすることもできる。

 なので、しばらく授業を休んでもかまわないからと、パパがここに送ってきてくれたのだ。


「脳波や心電図には、これといった異常は見られないんだけどなあ……」

 オヤジのラップトップは、あたしの枕元の近くにある計器につながっている。そこからさらにコードがいっぱい延びて、いつのまにか電極があたしの手首、足首、おっぱいの下とか、頭のあちこちにも貼りつけてあった。


「なあ、コックリ。おまえの姉さんは精神科の医者でもあるんだろ。ハルナを診てもらうわけにはいかないのか?」

 おふくろがオヤジの肩に手をかけて訊ねる。

「もちろん、話したよ。だけど、思春期の女の子が情緒不安定になるなんてごくあたり前のことだって、鼻にもひっかけてくれないんだ」

「そ、そんなこといったって……」


「アメリカじゃ、生理痛が原因で錯乱状態になった女の子が教室で銃を乱射したとか、夢でオオカミに噛まれたって男が一晩で毛むくじゃらに変身した、なんて話がザラにあるんだってさ。アネキはそんくらい強烈なインパクトがないと興味を示してくれないんだよ」

 広岡兄弟がゴクリと息をのんで顔を見合わせた。

「な、なるほど……」

「……さすが、センパイのお姉さんですね」


「ああ。『ナイフふりかざして、あんたに襲いかかってくるようにでもなったら連れて来な』って。それで代わりにこの計器類を貸してくれたんだ」

 なんだか、オヤジの姉さんのセリフは、いちいちものすごい感じだ。


「そういえば、センパイのお姉さんって、アメリカでも有名な精神病理学のドクターなんでしょ? よく日本にもどって来てくれましたね」

 シンイチローが不思議そうにたずねた。


「ボクが連絡したとき、彼女はちょうど、クリニックを共同経営していた五人めだか六人めのダンナとケンカ別れしたところだったんだ」

「五人め……か、六人め!」

「そう。で、『慰謝料代わりに施設をくれてやったから、今の私はフリーの身よ』なんて言って、アッサリ病院を引き受けてくれたけど……あのアネキのことだから、もしかすると、何かヤバい人体実験でもやってアメリカに居づらくなった、なんて可能性もあるよなあ」

「は、はあ……」


「ボクの場合、興味の対象はとりとめなく広がっていく一方なんだけど、アネキはこれと思ったらズブズブはまり込んでくタイプだから……」

「天才にもタイプがあると――」

 ヤスジローは、妙なことに感心してうなずく。


「そういえば、姫の抜群の優秀さは、教師たちからよく『凛子以来の』って言われてたな。そうか、あれはコックリの姉さんのことだったのか……」

 おふくろも、聖エルザ時代の記憶をたどりながらつぶやいた。


 あたしの眼の前で、なんかとんでもない人物のうわさ話が飛びかっている。

 リンコ……?

 宇奈月家の人間は、だれもが〝好き勝手〟というのが特徴だとは思っていたけど、それをさらに過激にしたのがリンコ姉さんらしい。


 だけど、彼女はまちがいなく聖エルザの正統を継ぐ女子なのだ。

 もし、あの事件当時にリンコさんが在学していたとしたら、クルセイダーズのメンバーが一人入れ替わるどころの話ではなかっただろう。

 事件はもっと波瀾万丈な展開を見せ、実際とは似ても似つかない結果になっていたにちがいない――そんな想像をかきたてる人物に思える。


 ぜひ会ってみたいとは思うものの、患者としてとなるとちょっと……いや、だいぶ……

 できれば、この苦境をなんとか自分の手で乗りきってしまいたい。あたしはあらためてそう思った――

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