第18話 今までのこと全部

〈前回までのあらすじ〉

 記憶が錯綜する一也だったが、少しずつ本来の”日常”を思い出していく。困窮した生活、愛情のない母親、醜い容姿、いじめ、思い出せそうで思い出せない何か。そして、湧き出る憎悪の感覚。耐え難い現実が一也の心を歪ませていく。




 身体が思うように動かなくてうまく泳げなかった。自分が思っていたよりもずっと筋肉がない。


 そうだ。虚弱で、子供の頃から体調を崩してばかりで、よく母さんに叱られた。父さんが出ていってから、母さんは夜に働きにいくようになった。どこかに行く当てもなく、孤独で、薄暗く終わっていく団地の休日。


 いつか夢に見たことがある。父さんと母さんが仲良くして、お金持ちになって、大きな一軒家で、何不自由なく楽しい毎日を過ごす。もう寂しい思いはしなくていいよ、ごめんね。


 大好きだよ、と。




「武里ー」


 六限の授業が終わり、姫宮が軽い調子で話しかけてきた。俺は肩に背負った憎悪と、謎の恐怖心で、返事ができなかった。


「今日外せない用事できちゃってさー、掃除当番、代わりにやっといてくれないー?」


「え?」


 姫宮の眼光が鋭い。


「どうせ放課後ヒマでしょ? やっといてね」


 目の死んだ笑顔で圧をかけにくる。しかし俺は反論の一つもできない。こういうのには慣れている。昔から、何十人分の掃除当番を代わりにやってきたか。これを断ったらどんな目に遭うかも知っている。でも、今のこの気分で何かされようものなら、あいつを、あいつらを……。衝動で取り返しのつかないことをしてしまいそうだ。




「あっ」


 濡れたトイレの床で滑って転んだ。頭を激しくぶつけて、目の前が一瞬見えなくなる。


「きったな」


 トイレの前をちょうど通りかかった小菅に見られていたようだ。


「どうしたー?」


 顔を上げずとも誰の声か分かる。千住だ。


「見て、便所で転んでる」


 まだ起き上がれない俺は抵抗一つもできずに、その醜態を晒す。


「だっさ」


 千住は言い捨てると、すぐにどこかへ行ってしまった。


 鈍痛に襲われながらのそのそと身体を起こす。顔も制服も濡れて汚れてしまった。


 惨めだ。あまりに。でも、こんなことは昔からで。もはやこれくらい最低な方が自分に合っている。そう思っていたはずなのに、どこから湧いてくるのだろう。この不快で煮えたぎるような怒りは。


 ――ブスな顔でこっち見ないでもらえる?


 不意に朝、母さんに言われたことを思い出す。思い上がるなと、言葉で押さえつけられているようだ。


「……ごめんなさい」


 気づくと小声でつぶやいていた。無価値な自分、何の役にも立たない醜い自分。いたたまれなくなって出てしまった言葉だ。


 また何事もなかったかのように感情に蓋をして、マグマの奥底に鎮めた。




 トイレ掃除を終えやっと帰路につこうとすると、見覚えのある先輩が立っていた。その先輩を見ると自然と嫌な気持ちになっていった。


「うぃー、武里ー」


 馴れ馴れしく肩を組んできて、きつい香水の匂いが鼻を突いた。


「カラオケ行こうぜー。泰河も待ってんぞー」


 そうだ、この人は楓馬さん。確か、草加と仲良い先輩だ。俺、この人とこんなに距離近かったっけ?


 混乱する記憶の中、連れられたカラオケでは、私服の泰河さんが待っていた。高校生のくせに部屋がヤニ臭かった。


「おい、早く脱げよ」


「へ?」


 泰河さんに突拍子もないことを言われ、意味が分からない。


「ぬーげ、ぬーげ、ぬーげ」


 楓馬さんが煽ると、泰河さんも一緒に手拍子した。


「ぬーげ! ぬーげ! ぬーげ!」


 恐怖で脂汗が吹き出る。二人の顔がなぜか遠ざかっていき、現実でないような感覚に襲われる。意思に反して、俺は制服を脱ぎ始めていた。


「うぇーい」


 パンツ一枚になった所で楓馬が座れ、と命令してきた。二人の間に座らされ、静かな間があった。


「しゃぶって」


 小さい音量でカラオケモニターにCMが流れている。


「え?」


 薄暗い部屋で、楓馬さんは確かにそう言った。


「分かっててきたんだろ? しゃぶれよ」


 ベルトを外し始めた。


「いや、え? え?」


 泰河さんもニヤニヤしていて、この状況を楽しんでいる。


 もう限界だった。


 なぜ俺はここまで搾取されて、誰かの笑いものにならなくてはいけないのだろう。日陰で、こんなことをしなければならないのだろう。


 乱れたモニターに真鍋の顔が映し出されている。


「なーめーろ、なーめーろ、なーめーろ」


 おぞましいコールが始まる。


 ――アアアアアアアア


 映像の真鍋が痙攣し始め、断末魔の叫びを上げる。


 ――地獄に落ちろ


 天井近くの角のスピーカーから井上の声がする。


 ――なーめーろ、なーめーろ、なーめーろ


 ――死んでやる!!! あんたを一生呪ってやる!!!


 もう誰の声かも識別できないが、頭が割れそうな音量が部屋の四方八方から轟く。


「やめろ! やめてくれ!」


 耳をふさいでも意味はなかった。


「もう嫌だ! やめて! やめてくれ! やめてくれーーー!」


 ――ブスのくせに牛のくせにブタのくせに努力もセズニ、キモイ死ね陰キャ害悪ビンボウノ癖に豚ギゼンシャダサいクセにガリべんメガネ劣っタニンゲン格シタ、日カゲでイぬ死に犬ウシビッチウラ切リモノ猿カズヤ




 雑音に混じって罵詈雑言を放つ自分の声がした。


 耳元で誰かの気配がし、ふっと吐息がかかる。




 ――地獄に落ちろタケサト




 井上の囁きが聞こえ、俺は目いっぱい大声を出そうとしたが、恐怖でそれも阻まれた。


 視界が捻じれる。


「一也!」


 誰かの声がする。


「一也! しっかりしろ!」


 甲高い耳鳴りの中に、誰かの声が混じって聞こえる。


「一也!」


 右頬に強い衝撃が走って、頭が落とされる。


 ビンタ……されたのか?




「正気に戻れって! お前も死にてえのかよ!」


 徐々に夢から覚めていく。床と、誰かの足が見えた。


「あれ……」


 顔を上げると、俺の前に立っていたのは茜だった。


「辛いのは分かるけどよ、お前まで死にたいわけじゃねーだろ?」


 ぼんやりとした頭で考える。そうだ、俺は……。


 うっすら血生臭いこの部屋。円形の椅子。りんごのイラストが映し出されたスマートウォッチ。監視カメラ。そして死体の山。


 “なんでもバスケットで遊ぼう!”


 吐き気のする字幕を思い出した。


「俺は、デスゲームに……」




 そうだ。


 俺はデスゲームに参加させられていたんだ。


 現実は……こっちだ!




 死体処理時間が終わり、代表者はいつの間にか矢田になっていた。


「矢田、ぶどうチームだよね?」


 希空が矢田に話しかけている。


 ゲームはどれだけ進んだ? 俺の記憶はどこで途絶えた!?


「おん」


「良かったらばななチームに入らない?」


「んー、嫌」


「何で? もうぶどうチームって矢田だけでしょ? チームの人数多い方が生存確率高いと思わない?」


「お前のいるチームには入らない」


「ふーん。敵対するんだ」


「敵対してきたのはお前の方だろバーカ」


「このゲームでお前と敵対した覚えないけど」


「普段からだよ! 面倒なこと全部押し付けやがって。俺にとってな、一番有害なのはお前だよ!」


 矢田と希空がなぜか口論を始めたが、それより俺には確かめなきゃいけないことがいくつもある。


「なあ、小林」


 たまたま隣に座っていた小林に、小声で話しかける。


「うん?」


「俺、ちょっと正気じゃないみたいでさ。記憶が……。秀は……死んだんだよな……?」


「……死んだよ。辛かったな」


 あぁ、そういえばこいつも金城とか東とか、大切な人間を失っているんだった。


「秀が死んでからどれだけゲームが進んだ? 誰が死んだ?」


「秀と、あと井上。ついさっきのこと覚えてないのか?」


「井上!? 井上が死んだのか?」


「ちょっと、うるさいんだけどそこ!」


 口論最中の希空が怒鳴ってきた。井上の死に、つい声が大きくなってしまった。まだ知りたいことはあったが、希空にも一つ、もの申したい気分だ。


「希空、もう命の価値を決める道徳ごっこは終わりか? 気に入らないやつが消えて満足か?」


 嫌味に希空の右口角が上がった。


「やっとまともに会話できるようになったかと思ったら減らず口か」


「減らず口はお前だっつーの!」


 矢田は希空にキレている。


 希空が小さく舌打ちした。


「矢田が不問にしたから事なきを得たものの、いじめの件。あれにお前の卑怯な面が出てるよ」


「卑怯はどっちだよ。よくそんな口が利けるな」


 状況を全て飲み込めた訳ではないが、希空への怒りだけは確かだった。


「僕は価値のない人間を多数決で淘汰しているだけだよ。何も間違ってない! 最後に生き残る人間は世の中のためになる人間じゃないと。低俗な人間が混じってると生きづらいんだよ。僕は世界をより良くしようとしているだけだ!」


 正気を失っていた俺が言うのも何だが、希空が完全にイカれてた目をしている。


「お、お前……」


 急に牛田が希空を指さした。


「お前このゲームの、運営側か……?」


 場がザワつき始める。


「命の価値とか言って、俺たちを誘導してんのか? 暗転した時のテロップも生きる価値がどうとか言ってたの覚えてるぞ!」


「はあ? 漫画の読みすぎなんじゃない。僕はただ合理的に――」


「はい、決定ー」


 矢田も希空を指さす。


「ちょっと、さすがにもうちょっと落ち着いて考えなよ」


 桃波が珍しく止めに入る。


「もう分からないよ……」


 堀切は相変わらず意気消沈といった感じで思考停止している。


「そうだ! 僕が運営側って証拠なんてどこにもない! お前らおかしいって――」


「指名、姫宮希空」


 間髪入れずに矢田は希空を指名した。


「おい、よくも! 俺はっ、こんなとこで死ねないんだよ!」


 希空は矢田に掴みかかったが、すぐに力が抜けたようで膝から崩れ落ちた。


「ツ……バ……サ……」


 希空が最期に口にしたのは「ツバサ」という名前だった。希空の親友の名前だ。食堂で飯を食べる時、希空はいつも一緒にいなかった。夏祭りもだ。ツバサと一緒にいたのだ。こいつにとって初めからツバサ以外の、二年一組のやつらなんてどうでも良かったのかもしれない。


 こいつがこのデスゲームの運営に関係していたのかは分からない。本当に死んでしまったところを見ると、それは違う気もする。ただエゴが強いナルシストだったのかもしれない。認めたくないが、俺にも、似ている所がある気がする。


 円のど真ん中で横たわる希空を運ぼうとしたのは茜だった。そしてそれを手伝ったのは桃波。希空に対して、何かしら思う所があったのだろう。


 死体処理時間の間、俺は正気を失っている間に起こった出来事を小林に説明してもらった。秀が死んで代表は名簿順で矢田になり、生きる価値のない人間として井上の名前が上がったが、そこで井上が俺の名前を出した。中学で矢田をいじめていた件でだ。心神喪失した俺は不利な状況だったが、何と矢田が俺をかばったと。そこで流れが変わり、多数決で井上が死亡。うなされる俺を茜がビンタし、今に至ると。


「次、誰」


 二度お題を出した矢田は、名簿順で次の人に代表の権利が渡る。


「あ、私か」


 時計を確認した茜が立ち上がる。


 矢田の次の男子はいないので、女子の最初に名簿が戻る。草加くさかまでの名字の女子はもう、全員死んだらしい。自分の番だと分からないのも無理はない。


 少し前までは、脅威になる人間をどうにか陥れるために自分のもとへ代表が回ってくるよう動いていたが、もう蒲生も井上も、希空さえいない。秀が死んで、守るものもないのだ。


 今のりんごチームは梅島、新田、堀切、そして俺。正直これっぽっちも一緒に生き残りたいと思えるメンツではないが、誰と生き残るかなどこの際どうでもいいのだ。俺が、俺一人だけでも生き残って……。


 今までのこと全部、悔い改めたい。



〈死亡〉

井上修司

谷塚秀

姫宮希空


〈カウント2〉

牛田琢朗

後藤篤史

小林劉弥

武里一也

野村悠


千住桃波

新田晶子


〈カウント1〉

梅島京助

木村寛大

矢田優斗


草加茜

堀切和花


残り12人




〈現在のチーム編成〉


りんご

新田晶子 堀切和花 梅島京助 武里一也


いちご

草加茜 千住桃波


ぶどう

矢田優斗


ばなな

牛田琢朗 木村寛大 野村悠 後藤篤史 小林劉弥


無所属

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