第15話【蒲生いづみ編】やばい女

「フルート! またズレてる!」


 リズム感のない私は、よくメロディラインからはみ出る。顧問はそれを瞬時に聞き分け指摘してくる。


「ちょっと、蒲生さん。ちゃんと個人練してる? 私らまで怒られるんだけど」


 吹奏楽部の先輩たちは、下手で、ズレている私に厳しい。特にフルートのパートリーダーからは毎日のように嫌味を言われる。


「蒲生先輩ってやばいよね」


 廊下の角で聞いてしまった後輩の悪口。そう、私はきっとやばいのだ。はみ出た、ズレた女なのだ。




 才能がないのは分かっている。コンクールにも出させてもらえたことはない。ただ、中三の時に見た演奏会の高校生に憧れてしまったのだ。曲の名前も知らないが、あのフルートのソロパートを私は忘れることはない。勉強もスポーツもいまいちで、おしゃれも分からない中途半端な私が、唯一何者かになれそうだと思ってしまった瞬間。それがあの演奏会なのだ。根拠はない。ただ、あそこに立つ私を想像すると気分が良かった。


 しかし私はあのかっこいい高校生になれることはなかった。そもそも楽器なんてピアニカとリコーダーくらいしか触ったことがない私が、思い描いた自分を簡単に実現できるわけがなかったのだ。


 やめてしまえばいいと思う。顧問や先輩にやめろと言われたら、すぐに辞めるかもしれない。でも自分で辞める勇気はない。辛くても、これを辞めた自分が想像できない。これを辞めると、何も残らない。そんな気がする。吹奏楽部のフルートの人。その肩書が、自信のない私のお守りなのだ。




「いづみお疲れ~」


 実那が校門近くに立っていた。


「遅かったじゃんー。また怒られてたのー?」


 実那はいつもあっけらかんとしている。実那に何かあろうと、私に何が起ころうと、いつもフラットな人。


「てか聞いてー。井上がさー、また今日もこっちジロジロ見てきたの!」


 実那が喋り始めるだけで、心にパッと電球が点いたみたいに明るくなる。会うまでに何で悩んでいたか忘れそうになる。嫌なことがあっても、でも私にはこの人がいるしなー、と思える。



 私と実那の出会いは二年になってからで、浅いと言えば浅い関係ではある。特別仲の良い子がいるわけでもない私は、またきっと教室で浮くだろうと予想していた。それなのになぜか声をかけられ、なぜか仲良くなって、なぜか毎日一緒にいるのが真鍋実那。細かいことは分からない。何も知らなくていい。ただこの一瞬一瞬が永遠に続きますように。


 実那に照らされた私は、先の見えない夜道だって恐れず歩ける。




 そして電球は何の前触れもなく、その輝きを失った。忘れもしない、七月十五日金曜日。実那が無断欠席した。


 ”実那、今日休み? 大丈夫?”


 ”熱でも出したの? 心配だから連絡して?”


 メッセージを何度か送ったが、全て未読のまま。日曜には家まで突撃しようかとも考えたが、何か私の手に負えない事情があるのかもしれない。迷惑かもしれない。そう思って踏みとどまった。


 ところが月曜、実那は朝から普通に学校にいた。


「実那! 何で連絡くれないの? 心配したじゃん!」


「あ、ごめんね。体調悪かっただけ」


 大丈夫、と実那は何度も言っていたが、明らかに元気がなかった。そこから一学期の終業式まで、私を照らしていたあの笑顔が戻ることはなかった。


「実那、私何か悪いことしちゃった? それなら謝るよ?」


「実那、ほんとに何もないんだよね? 何か一人で悩んでない?」


 何を聞いても薄ら笑いで「大丈夫だって」と流された。これ以上は踏み込んじゃいけないんだ。次第にそんな思いになって、夏休みを迎えた。


 一緒に夏祭りにも行こうと思っていた。お泊りなんかもできたらいいなと思っていた。でも私は何となく実那に連絡する勇気が出なかった。もぬけの殻になったような実那を見てしまうのが日に日に怖くなったのだ。


 実那は夏休みの間、誰とどう過ごして、何を思っていたんだろう。二学期の初め、私は実那に自分から話しかけることができなくなっていた。実那も話しかけて来ることはなかった。気まずい空気が結露して、静かに身体を伝った。




 “なんでもバスケットで遊ぼう!”


 


 あぁ、現実世界でこんなことあり得るんだ。そう思った。ほんの少しわくわくすらしてしまった。映画で観たことある展開の中に、今自分が存在している。主人公の私は何かを変えられるかもしれない。私はこれを機に、何者かになれるかもしれない。ズレた私が、この異空間でなら世界の中心になれるかもしれない。淡い期待感があったのだ。


「ってことで……セックスしたことある人―!!!」


 谷塚秀が放った軽率な一言は、その淡い期待をぶち破るどころか、私の役割まで変えてしまった。


「私は……あれを、セックスなんて思ってないから」


 頭の中で全てが繋がっていった。あのはつらつとした光に、陰が差した原因。


「お題。無理やりセックスさせられて処女を奪われた人―っ!!!」


 実那の震える身体。細枝のようになってしまった腕。どんな雨露よりも 弱々しい涙。


「いづみ、座って……。いづみは生きて……」


 冷めたと思っていた熱。それはまだ触れると温かかった。どんな闇に包まれてしまおうとも、実那は私への温もりを残していた。


「死んでやる! あんたの目の前で死んで、一生恨み続けてやる! こんな死ぬほど恥ずかしい思いさせて!!! 死んでやる!!! あんたを一生呪ってやる!!!」


 私の耳に最期の最期までこべりついた言葉。割れて散った実那の鋭い破片が、何もしてあげられなかった私の心にまで飛んでくるようだった。


「そんなによ……。そんなに死にてえんなら勝手に死ねやクソアマが!!! てめえも気持ち良さそうにしてたくせに今さら被害者面してんじゃねえぞ!!!」


 悪魔の雄叫びがこだまして、私の記憶はそこで曖昧になっている。実那がこの世にいない。実那の分も生きる。実那の分も呪う。実那の分も殺す。そんな思いだけが明確だった。


 実那が残した破片はまるで心臓に刻まれた入れ墨のように、私の胸を痛め続けて消えない。


 青ざめて冷えた身体に触れたあの瞬間、私は後悔と憤怒に満ちた悪役ヴィランへと堕ちたのだ。




 私のやってることが間違ってる? 上等。


 実那が死んだこと、悲しいと思ってる? 何も知らない軽率な言葉どもには、私の胸の鮮血が疼いた。


 実那が報われるなら私は何だってやる。脅しだって、人殺しだって……。はみ出ようが、ズレようがもう気にしない。そう思っていた。


 実那の死を蔑ろにしようとしている真矢ちゃん。実那の抜け殻を蹴った金城真矢。どうしても気に入らなかった。特別恨みがあったわけではない。いや、妬みはあったかもしれない。


 何も知らないくせに。全てに恵まれたお前には分かんないよ。


 出来心というには、あまりに罪深かった。私のタイミングで、私の意思で、私は金城真矢を殺してしまった。


 ほんの少しの罪悪感をよそに、私は誰からも責められなかった。和花ちゃんにも、晶子ちゃんにも、小林くんにさえも何も言われなかった。その状況が、小さかった罪悪感をふつふつと膨らませていった。


 そして癪にも触った。金城真矢の周りの人間は皆、私なんかよりずっと……。




「ほら、蒲生。最高のチャンスだ。友達まで失ったどん底のレイプ犯をとうとう地獄まで落とせるぞ」


 井上が私を指名した。金城真矢を殺してしまったことで頭がいっぱいだった私は、せっかく谷塚への殺意を冷静に俯瞰していたというのに。


「なあ、蒲生。俺死にたくねえ。俺のこと殺したって仕方ねえって。まじで生き残って償うからさ。お前も生きてさ、後からいくらでも俺のこと責めてくれて構わねえからさ。頼むよ。殺さないでくれよ」


 実那の分、実那の分と言い聞かせてきた私だったが、そんなこと実那は望んでいないと頭では分かっていた。


「俺、死ぬ地獄よりさ、生きる地獄の方が良いんだよ。もう取返しつかねえことばっかりだけどさ、死んだらもう何も分かんなくなんじゃん」


 そして悪魔に見えたレイプ魔も、愚かな人間の一人に過ぎなかった。なんだあの情けない顔は。その、か弱い命乞いは。


「実那ちゃんは確かに秀を殺したいほど憎んでたと思うよ? でもさ、実那ちゃんはいづみちゃんに秀を殺して欲しいとまで思ってるかな? 二人は仲良かったんでしょ? 親友が苦しみながら手を汚す姿なんて、実那ちゃんは望んでないんじゃない?」


 姫宮くんと初めてまともに喋った。そんなこと、本当は分かってる……。


「友達想いじゃないんだね。誰かを意図的に殺したって心に残るのは深い傷だけだよ。ここで秀を殺せば秀は死に地獄に行くかもしれないけど、君は生き地獄を這いつくばるんだよ? 僕はそんな風になって欲しくないな」


 友達想いじゃない……? 私は実那のことを想って……。


 皆、私に優しくした。この期に及んでも、誰も私を糾弾しようとしなかった。それどころか私を、助けたいと。


 あぁ――。


 何だ。皆、私にそんなに優しくできる心があるんだ。それならもっと早く優しくして欲しかった。教室で、私のことが見えているのなんて実那ぐらいだと思っていた。もっと早く、私の間違いを、私の歪んだ思考を、歪な性格を、救って欲しかった。


「指名、蒲生いづみ」


 私が今、実那のために唯一できることは、生きてここを出ることだった。それなのに、晶子ちゃんは私を指名した。まあ、元はと言えば恨まれるようなことをした私が悪いのだ。脅してくるような人間は、あなたたちの世界に必要ないもんね。因果応報。私のつまらない物語。人生がここで終わるのだ。


 左手首の鋭い痛みはやがて痺れとなり、全身へと広がっていく。燃えるように熱くなった身体。呼吸が苦しくなって頭が朦朧とした。死ぬんだ。これが、死なんだ。


 私の人生なんて本当にお粗末なものだった。普通にしているつもりなのに、いつの間にか蚊帳の外なのだ。考え方が極端で、それでいてやることは中途半端。主人公にも、敵にもなれない。こんなフィクションみたいな環境でさえ脇役だった。


 呼吸がある時を境に楽になった。それと共に澄んだフルートの音色が聴こえてきた。そうそう、こんな風に、心地よく吹いてみたかったんだ。楽譜の五線からはみでないように、他の楽器とズレないように。もっとうまくやれてたら、初めから皆、私に優しくしてくれてたかなあ。


 どうすればいいか、分からなかったんだ。私って、やばいやつだから。


「いづみお疲れ~」


 これでも自分なりに考えて頑張ったんだ。フラットないつもの調子で、実那が待ってくれているはず。


「ありがとうね」


 どんな時でも実那がまた温かく、私を照らしてくれる。そう信じて、薄れゆく意識に身を委ねた。




〈死亡〉

蒲生いづみ


〈カウント2〉

井上修司

牛田琢朗

後藤篤史

小林劉弥

武里一也

谷塚秀

野村悠


千住桃波

新田晶子

津田めぐみ


〈カウント1〉

梅島京助

木村寛大

姫宮希空

矢田優斗


草加茜

堀切和花


残り16人




〈現在のチーム編成〉


りんご

新田晶子 堀切和花 梅島京助 武里一也 谷塚秀


いちご

草加茜 千住桃波


ぶどう

井上修司 矢田優斗


ばなな

津田めぐみ 牛田琢朗 木村寛大 野村悠 姫宮希空


無所属

後藤篤史 小林劉弥

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