6-027. 聖人リドット

 およそ九ヵ月ぶりに再会したリドット・ゴールデンアップルは、微笑を称えたまま驚いた様子もなく俺を見つめている。

 元々あまり物事に動じない男だが、ギルドの金をたんまり使い込んだ後でサブマスターの俺と出くわして平然としているとはな……。


 リドットは相変わらずの美丈夫だ。

 長身でスラリと伸びた手足。

 美しい海のような青緑色ブルーグリーンの髪の毛。

 見つめられると圧倒される暗褐色ダークブラウンの大きな瞳。

 サンクトエイビス地方の出身者特有の彫の深い顔立ち。

 その完璧すぎる外見は、本人の生真面目で品行方正な性格もあって嫉妬すら覚えない。

 盾衛士シールダーである彼は、本来なら盾を含めた重武装をしているはずだが、今はプライベートだからか防具の類は身に着けていない。


 その隣にたたずむ女の子は、見た目からしてせいぜい十歳程度だろう。

 橙色オレンジの髪を後頭部で束ね、頬にはそばかす。

 くたびれたドレスを着ており、首には淫魔リリートゥのシンボルが描かれたチョーカーを巻いている。

 あれは公認娼婦を示す印だ。

 つまりあの子はこの町の娼館に管理されている娼婦ということ。

 ……胸糞悪いな。

 

「久しぶりだね。ジルコ」

「……今、その子がお前のことをお父さんって呼んだよな? どういう関係なんだ」

「気になるかい」

「気になるね」


 リドットとジェリカが結婚したのはもう何年も前のこと。

 しかし、二人の間に子供はいない。

 そもそもヒトとセリアンの混血児ハーフ――ライカンスロープなら、セリアンの特徴が体に現れるはず。

 それがないということは、彼女はジェリカの子供じゃない。


 もしかしてリドットの隠し子?

 彼はたしかクロードと同い年だから、今は25歳のはず。

 だとしたら15歳頃の子供?

 いやいや、さすがにそれはないだろう。

 ……ないよな?


「お父さん。あの人、なんか怖い」

「怖くないよ。良い奴なんだ」

「嘘。だってドロドロした感じするもん。絶対ろくな奴じゃないよ」


 なんだこの子。

 初対面の相手をいきなりディスってくるとは……。


「もう何ヵ月も連絡をよこさないから心配したんだぞ。とりあえず事情を説明してくれ!」

「……そうだな。その必要はあるな」

「クォーツにはジェリカも来ているんだぞ!」

「ジェリカもか」


 さすがのリドットもその名を出すと顔色が変わった。

 彼の中でジェリカは思い出の中の存在、というわけではないらしい。


「まずは俺が話を聞く。ジェリカに会わせるかどうかは……その後で決めたい」

「わかった。場所を変えてもいいかい?」

「もちろん」


 リドットは女の子の頭を撫でると、何やら耳打ちする。

 その後、彼女は不満げな顔でリドットを見上げるや、店内を駆け出した。


 途中すれ違う時、俺は彼女に思いきり睨まれた。


「……嫌われたみたいだ」

「店の裏手に狭い空き地がある。そこで話そうか」


 そう言ってリドットは俺を外へとうながした。

 店内を見渡すと、奥の方でネフラとフロスが服を選んでいる姿が見られた。

 まだ時間が掛かりそうだし、今なら店を離れても問題はなさそうだ。


「いいぜ」


 俺の言葉にリドットは小さくほほ笑んだ。





 ◇





 案内された空き地は山なりに盛り上がっていて、そこから川向こうの街並みを一望することができた。

 そのさらに向こう側にはグロリア火山の噴煙も見える。


「さぁ、俺の納得する説明をしてもらおうか」


 俺に背を向けて川を眺めているリドットに、急かすように言った。

 彼は静かに振り向くと――


「ジルコ。きみは今、何か問題を抱えているんだろう」


 ――勝手に違う話を始めた。


「俺が聞きたいのはそんな話じゃない」

「ベリルが――さっきの子が言っていた。きみは何を抱えている?」

「ドロドロがどうたらってやつか。子供が俺の印象を適当に言葉にしただけだろう」

「あの子には人の心を見通す不思議な力がある。きみが押し殺している負の感情を見抜いたんだよ」


 なんだよそれ。

 あんな子供にそんな力があるって言うのか?

 それとも俺の詰問をはぐらかそうとしているだけなのか?


「別に負の感情なんてない。話を逸らすなよ」

「後悔、罪悪感、後ろ暗さ、あるいは怒りと憎しみ……そんなところかな」

「はぁ?」

「ベリルが人を見てドロドロと感じた相手は、おおよそそういった負の感情を抱えていることが多いんだ。娼館街で働いているから、そういう感情に敏感になったんだろうね」


 後悔?

 罪悪感?

 後ろ暗さ?

 怒りと憎しみ?

 ……俺が?

 ……誰に?


 一瞬、アンの顔が脳裏を横切る。


 ああ、そうか……。

 俺に後悔や罪悪感があるとしたら、その根源はアンの心を助けられなかったこと。

 そして、その元凶となったイスタリ――奴への怒りと憎しみか。

 だが、後者は感情を向ける矛先はもうない。

 それらがドロドロとなって俺の心にしこりとして残っているというわけか。


「顔色が変わったね。自覚はあるんだろう」

「やめろ。俺の話はいい」

「弟分の助けになりたいだけなんだけどな」

「俺はお前に悩み事を聞いてもらいたいわけじゃない。事情を説明してほしいんだよ!」


 話を紛らわせようとするリドットに苛立ち、俺は声を荒げてしまった。


「……ごめん」

「いや。こちらこそ余計なお節介だった」

「……」

「……」


 沈黙が気まずい。

 わずかな静寂の後、リドットが口を開く。


「魔王が滅びて闇の時代が終わっても、復興の時代に向けて意識が切り替わらない人々は多い。特に魔物によって国を失った人は、過去に囚われて未来さきを見れない」

「……まさかこの数ヵ月、ずっとそういう人達を助けてきたのか?」

「タイヤン、アマクニ、ラゴネット――魔物の侵攻に遭って国の体を成さなくなった土地の荒廃は酷いものだったよ。それも当然のことだ。生き残った国々は自国の復興を優先するし、魔物と戦った勇者や冒険者達は彼らの生活までは助けてくれないんだからね」

「……」

「時代は変わった。でも、僕はまだまだできることがあると信じて、一人でも多くの人を救う旅を続けてきたんだ。……自己陶酔だと思うかい?」

「いや、立派だよ。さすがは聖人リドットだ。皮肉じゃなくてさ」


 俺が王都に閉じこもっている間、リドットはずっと戦い続けていたわけか。

 時折、銀行から融資を受けていたのもその活動資金のためだろう。

 なんだか俺は、自分が酷く矮小な人間に思えてきた。


「でも、僕も一人の人間だった。ある時、助け続けることに疲れてしまってね。自分を見つめ直そうと思ってエル・ロワに戻ってきたんだ」

「どうしてジェリカと連絡を取ってやらなかった?」

「どうしてかな。逃げたかったのかもしれない」

「え?」

「妻を気遣うことを重荷に感じて、簡単なことに逃げてしまった。結果、彼女を深く傷つけるだろうとわかっていながら」

「違う。他人を助けることの方がよっぽど大変だよ」

「不思議だね。誰よりも自分に近い女性ひとよりも、遠い他人を助ける方がずっと楽だなんて」


 底知れぬ善性――それがリドットの原動力。

 彼は誰かを救う行為そのものが、自分の存在価値生きがいとなっている。

 俺みたいに自己保身や意地のために戦っているんじゃない。

 やっぱりこの男、根っからの聖人だな。


「……ジェリカが新大陸の調査団に加わろうとしているのは知っているか?」

「いや。初耳だ」

「だろうな。彼女、疎遠になってもお前のことを忘れられないんだ。だから無理やり忘れようとして海の向こうへ去ろうとしている。でも、本音は違う。なんやかんや理由をつけてお前を追ってきたのだって、夫ともう一度やり直したいから――一緒に未来さきへ進みたいからじゃないかな」

「それを重荷に感じてしまうのは、僕の弱さなのかもしれない。笑うかい?」

「俺にお前を笑う資格なんてないよ。ただ、ずっと間近で二人を見てきた俺としては、幸せになってほしいと思う」

「優しいな。ジルコは」


 一度こじれた夫婦関係が簡単に元通りになるとは思わない。

 でも、リドットに伝えた言葉が俺の偽りなき本心。

 長年共に戦ってきた仲間達の幸せを願わない人間がいるだろうか。

 ……って、仲間を解雇クビにしようとしている人間の言う言葉じゃないな。

 さっき言及された後ろ暗さっていうのは、解雇任務それも含めてのことなのかもな。


「で、あの子――ベリルだっけ?――との関係は? 本当に親子……っていうわけじゃないんだろう」

「あの子が僕を慕ってそう呼んでくれているだけだ。色々あって、父親代わりのような真似をしていたからね」

「事情を知らないジェリカが聞いたら、えらい誤解を受けていたところだ」

「だろうね。でも、そう呼ばれて満足している自分もいる。それが彼女には申し訳なくて……今も会う勇気が出ない」

「ま、まぁそれは置いておくとして、ベリルは娼館街の子だろう。そんな世界と接点があるなんて思わなかったよ」

「少し前、クォーツはトロルの侵入を許した。駐屯兵は表通りを重点的に守り、裏通りはまともに警備が割かれなかったからだ。結果、娼館街は大損害を受けて、多くの娼婦が途方に暮れてしまっていたんだよ」

「それは……酷い話だな」

「娼館街で暴れるトロルを撃退した折、そこの代表者とえんができてね。娼婦達の生活を保証してほしいと長らく交渉していたんだが、僕から多額の資金を寄付することでなんとか娼館街の立て直しが決まったんだ」

「娼館街存続のために金を払ったのか。優しいのはどっちだよリドット!」


 その時、俺はハッとした。

 多額の資金というのは、もしや……!?


「な、なぁ。その資金てお前が全額払ったのか?」

「そうだね」

「もしかして……90万グロウ?」

「正しくは街の復興費に80万、娼婦達の当面の生活費に10万、だね」

「おおおお、おま、お前……っ!!」

「すまない」


 すまないで済むかっ!!

 ……と怒鳴りたいのは山々だったが、災難に遭った人達の救済費ということなら納得できないことも――否。やっぱり無理だ。


「勝手なことしてくれたな! そのためにギルドの口座から90万も勝手に出金しやがったのか!!」

「本当にすまない」

方々ほうぼうへの借金だって返済できてないんだぞ!?」

「金は責任をもって返す」

「ギルドの修繕費だって足りるか怪しいってのにぃ~~~っ!!」

「修繕費? ギルドで何かあったのか?」


 ギルドこちらの事情を何も知らないのは理解していたが、だからって相談もなしにポンッと90万も引き出すなよなぁ~~~!!

 しかも、すぐに返ってくるあてのない使い方をしやがって。

 娼婦達を助けるためとはいえ、人が好すぎるのもたいがいにしろよ!?

 ……とは言えない。


「はぁ。とりあえず事情はおおむね把握した。そのえんでベリルに慕われているってことか」

「そうだね。……ギルドで何かあったのかい?」

「それは後で説明するよ……」

「ずるいな。こちらの事情を話したのだから、そちらの事情も話してくれないとフェアじゃない」

「それより先に、お前には解決してもらわにゃならないことがある」

「申し訳ないけれど、今すぐ90万グロウを返すのは難しい」

「違う! ある意味、それよりも大事なこと!」

「?」

「本当にわからないのか!?」


 リドットはちょっと察しが悪いんだよな。

 かといって騙されるほど間抜けでもないし、別の意味で面倒くさい奴なのだ。


「ジェリカとのけじめをつけろっ!!」

「……ああ、そういう」


 リドットの顔が強張った。

 この期に及んで、まさか会いたくないなんて言わないよな?


「ジェリカは今、冒険者ギルドにいる。一緒に来てもらうぞっ」

「待ってほしい。心の準備ができていない」

「なんで妻と会うのに心の準備がいるんだよ!?」

「気まずいんだよ。彼女に会ったのなら、その……わかるだろう?」


 リドットが急に及び腰になった。

 誰彼構わず救いたがる聖人様のくせに、妻だけは救済を後回しになんてことはさせないからな。

 こうして見つけたからには、きっちりけじめをつけてもらう。

 結果、離縁するも復縁するもいい――否。できれば復縁してほしいけど。


 リドットが後ずさったのを見て、俺は彼の手を掴んだ。

 絶対に逃がさないぞ!


「この数ヵ月、どうしてジェリカをっぽっておいたんだよ!? 彼女、そのせいで思いつめちまっているんだぞ! 聖人ぶる前に、まずは愛した女を救ってやれよ!!」

「きみが言うほど簡単じゃないんだっ」


 言いながら、リドットが俺の手を振り払った。

 珍しく感情を露わにした彼を見て、俺は驚いてしまった。


「闇の時代、僕達は魔物との戦いに明け暮れてまともな夫婦生活を営めなかった。それが原因ですれ違いばかり――いつの間にか、僕と彼女の間には大きな溝ができてしまっていたんだ! きみも知っているだろう!?」

「だからって逃げるなよ! 今ならその溝を埋める時間だってあるはずだ!!」

「その自信が僕にはなかったんだ! ……今にして思えば、人々を助ける旅もジェリカの傍に居られなかった自分を正当化したかっただけなのかもしれない」


 ……やめろよリドット。

 そんな風に自分を卑下するのは。


「そうだ、今わかった。僕は彼女に向き合うために、誰かを助けられる人間だという確かな自信が欲しかったんだ。だから彼女と離れた……いつか戻ると一方的に誓いを立てて。……我ながら身勝手だな」


 ……ダメだリドット。

 俺はそうやって空回りして失敗した男を知っている。

 あいつと同じ失敗をしないでくれ!


「今すぐジェリカの元へ戻れ。彼女にはお前が必要だ!」 

「できない! まだダメなんだ。今の僕ではジェリカを……彼女の元へは戻れない!」

「面倒くさい奴だな! 好きな女と一緒にいるのがそんなに嫌なことなのか!!」

「ああ、嫌だよっ! 今の僕では――」


 その時、後ろから草を踏む音が聞こえた。

 音のした方を見たリドットが明確に焦燥の色を浮かべている。

 俺は嫌な予感がしたが、振り向かずにはいられなかった。


「……っ!!」


 振り向いた先には――


「そうか。わらわの元には戻ってはくれぬか……」


 ――フォインセティアを腕に留めたジェリカの姿が。


「ジェリカッ!? な、なんで……」

「わらわから心が離れていたことはわかっていたよ。でも、きっと元に戻れると信じていた。……浅はかだった」

「待った! ちょっと誤解があるぞ。話を聞――」

「うん。けじめがついた。世話を掛けたな、ジルコ」


 ジェリカの声に覇気がない。

 その表情は豪気な彼女らしくもなく、別人のようにしおれている。

 普段から目つきの悪いフォインセティアですら、主を見る眼光が弱い。


「さらばだリドット。わらわのことは忘れてくれてよい」


 ジェリカの頬を涙が伝う。

 俺がそれを認めた時には、彼女はきびすを返して通りを走って行ってしまった。

 追いかけようにも、雑踏に紛れてすでにその姿は見えない。


「ジェリカ……!」


 俺が歯がゆく思っていると、今度は背後から壁を叩く音が聞こえた。

 振り返ってみると、リドットが壁に自らの拳を打ち付けていた。

 拳からは血が流れ、指先から滴っている。


「彼女が去ってくれてホッとしている自分がいる。こんな有り様の僕に、ジェリカと共に歩む資格があるのか? 教えてくれ、ジルコ……ッ!」

「リドット……」


 身を震わせる彼の姿を見て、俺には言葉がなかった。

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