6-026. 温泉街クォーツ

 フォインセティアはジェリカの合図で大空へと舞った。

 その足には小さな皮袋がくくりつけられている。

 袋の中に入っているのは、俺がしたためたアンバー侯爵宛ての手紙とVIPカード、それと酋長からお詫びとして預かったハルピュイアの羽。


「あの子のスピードなら二時間ほどでパーズに到着する。今日中に戻ってこれるかは侯爵の判断次第だな」

「ああ。アンバー侯爵の英断に期待しよう」


 俺とジェリカはフォインセティアの姿が空の彼方に消えるのを待って、皆を馬車へと促した。


「クォーツまで半日足らずで着く。だが、どうする?」

「どうするって?」

「ヘロスだよ」

「あ」


 ……そうだった。

 ヘロスは龍脈のある森からパーズまでの瞬間移動ショートカットのためについてきてくれたので、クォーツに向かうことになった今では役割がない。

 トロルの襲撃に怯えて放逐依頼を出すような町にトロルを連れていくわけにもいかないし、ここで別れるしかないな。


「ヘロス。すまないがお前はヲピダムに戻ってくれ」

「……ドウシテ?」

「目的が変わったんだ。俺達はパーズじゃなくクォーツに向かう」

「ダッタラ、俺モツイテク」

「それは……ちょっとまずいんだよ」

「何ガマズイ? クォーツ、仲間ガヤラレルホド強イ奴イル。姉様――コホン。巫女様ガ行クナラ、俺ガ守ル」


 ヘロスからしてみれば、巫女であるフロスを守りたいのは当然だな。

 でも、トロルを同伴して町に近づけば騒ぎになって宝石探しどころじゃなくなってしまう。

 なんとか説得しないと……。


「ヘロス。あなたの役割は終わりました。ヲピダムへお戻りなさい」

「デ、デモ……」

「わたくしのことなら大丈夫。ジルコさん達が守ってくれます」

「……」

「納得なさい。あなたは村一番の勇者でしょう? お父様やみんなを守るのも、あなたの務めですよ」

「……ワカッタ」

「いい子です。お父様によろしくお伝えしてね」


 フロスに言い聞かされて、ヘロスは名残惜しそうに元来た道を戻っていく。

 俺が悩むまでもなかったな。

 最初から彼女に説得を任せればよかったんだ。


「さ。参りましょう!」


 フロスが俺の腕を引っ張る。

 馬車へ向かう彼女の横顔はとても楽しそうだ。


「うふふふっ」

「ずいぶん楽しそうだね」

「それはもう。好いた殿方との馬車旅ですもの」

「はは……」


 ずいぶん気に入られたもんだなぁ。

 トロルとはいえ女性――しかも今はヒト型人形に入っているわけだし、悪い気はしない。

 しかし、その一方で――


「……っ」


 ――やっぱり背中にチクチクと鋭い視線を感じる。

 いつまた本で殴られるかわかったもんじゃないぞ。


 俺は荷台の幌を開いてフロスに乗車を促した。

 乗車に際して、ようやく彼女は俺の腕から離れてくれた。

 続いてネフラに振り向くや――


「どいて!」


 ――彼女は俺を押し退けて強引に荷台へと乗り込んでしまった。

 ご機嫌斜めだな……。


「ジルコさん、こちらへどうぞ」


 フロスはそう言うと、ニコニコしながらすぐ隣の床を撫でている。

 そこへ座れということか?


「ジルコくん、こっち!」


 今度はネフラが床を叩き始めた。

 そこへ座れということね……。


「あらあら。ジルコさんはお一人ですよ。二ヵ所には座れませんわ」

「だから私の隣に座るんです」

「それは承服しかねますわ」

「むっ」


 ……荷台の上で女同士の睨み合いが始まった。

 この空気の中、どっちの隣に座るかを選べっていうのか?

 冗談じゃないぞ。

 どっちを選んでも角が立つじゃないか!


「こちらです」

「こっち!」

「いえいえ、こちらです」

「こっちですから!」


 静かな言い合いが少しずつ熱を帯びていく。

 馬車内の位置関係でどうしてこんなに騒がしくなるんだ……。


 俺は溜め息をついた後、二人の間に割って入ってそこへ座り込んだ。

 二人の真ん中に座ってしまえば文句はあるまい!


「ここからクォーツまで半日足らず。喧嘩はなしで行こう」

「……」

「……」


 よし。文句なし。

 二人の間に座った俺の英断だな。


「みんな乗ったか? 出発するぞ!」


 御者台の方からジェリカの声が聞こえてきた。

 間もなくして馬車が動き出し、ゴトゴトと荷台が揺れ始める。


「ジルコさんはリーダーのかがみですわね」

「えっ。そう?」

「わたくしとネフラさんの口論を治めようとしたのでしょう? 道中、同じグループ内で不和が生じるのを避けるために」

「まぁこれでも〈ジンカイト〉の次期ギルドマスターですから」

「素敵です」


 フロスが前屈みに寄り添ってきた。

 そのせいでポンチョの下からチラリと見える胸元が強調されて、目のやり場に困ってしまう。


「どこ見てるのジルコくん! 鼻の下を伸ばしてっ」


 反対側からはネフラがショルダーアタックの如く肩をぶつけてきた。

 ……二人とも近いよ。


「ネフラさん。嫉妬はあまり美しい姿ではありませんわよ」

「違います! 風紀的な観点からの注意ですっ」

「殿方が性的部位に目が行くのは人間の生理として当然のことです」

「そんなこと言ってるんじゃありませんから!」

「彼の意識がわたくしに向いているのが気がかりなら、あなたもローブを脱げばよろしいのではなくて?」

「はぁぁっ!?」


 俺の顔を挟んで二人の言い合いは加速していく。

 ジェリカ、馬車を飛ばして早くクォーツに着けてくれ。

 このままだと居心地の悪さに胃を悪くしそうだ……。





 ◇





 俺の願いが通じたのか、クォーツには思いのほか早く到着した。

 入り口の門楼ゲートハウスを通ると、幌の隙間からは硫黄の臭いが入り込んでくる。

 相変わらず何とも言えない独特の臭いだ。


「卵が腐ったような臭いがする。これ、硫黄の臭い?」

「ああ。温泉街クォーツはどこに行ってもこの臭いがする」

「ふぅん」


 ネフラが興味深そうにスンスンと鼻を動かしている。

 そんなに積極的に嗅ぎたいと思う臭いかな?


「ネフラはクォーツは初めてだったか」

「うん」

「俺も久しぶりに来たけど、ちょっと雰囲気変わったな」

「そうなの?」

「ああ。活気がある」


 前にクォーツを訪れたのは〈ジンカイト〉創設直後、ギルドマスターに連れられてエル・ロワを漫遊していた頃だ。

 当時は闇の時代ということもあって、ほとんど立ち寄る客がおらずどの温泉宿も開店休業状態だったと記憶しているが、今はまったく違う。

 通りに立ち並ぶ宿はどこも客の出入りが多く、賑わっている。


 さて。

 クォーツに着いたし、まずは町長を訪ねてトロルの問題が解決したことを伝えないとな。

 その後で、奈落の宝石の件を相談して――


「ジルコ」


 ――と考えていると、御者台の方から仕切りを開けてジェリカが顔を覗かせてきた。


「わらわは早急にこの町の冒険者ギルドへと向かいたい。構わぬか?」

「冒険者ギルドへ? ……ああ、リドットか」


 リドットがクォーツにいる。

 確証こそないが、その可能性は極めて高いように思う。

 ジェリカが逸る気持ちもわかるが……。


「一人で会う気か?」

「馬鹿な真似はせんよ。ただけじめをつけたい……それだけだ」


 そのけじめっていうのが怖いんだよな。

 フローラやジャスファと違って、ジェリカは理性的な人だから暴力に訴えることはないと思うが、リドットとの関係が複雑なせいでちょっと心配になる。

 できれば二人が顔を合わせる場面では俺も傍に居たいところだ。


「わかった。俺達は町長の経営する宿に向かうから、リドットを連れてきてくれ。俺も彼と話がしたい」

「承知した。勝手を言ってすまない」

「いや……」


 俺から視線を切ったジェリカが暗い顔を見せる。

 互いに心が離れてしまった夫婦の再会――何事もなければいいんだけど。





 ◇





 俺とネフラとフロスは通りを走っていく馬車を見送った後、町長の宿を目指して通りを歩き始めた。

 否。その前に衣装屋によってフロスの服を手に入れなければ。

 今は俺のコートを着させているからいいものの、コートの下は半裸。

 早いところ普通に服を着てもらわないと俺が困る。


「せっかくお借りしたこのコート、嫌に重いのですね」

「ごめん。防刃だから中に鉄板が入っているんだ」

「まぁ、そういうことでしたの。わたくしなどに気を使わず――」

「わわわっ! こんなところで脱ぐな!!」


 フロスがいきなりコートを脱ごうとしたので、俺は慌てて彼女を止めた。

 こんなところで半裸になられたら、町の人達にどんな目で見られるか……!


「いいからコートそのまま羽織ってて! すぐ衣装屋に向かうからっ」

「はぁ。わたくし、元の恰好でもぜんぜん平気ですのに」

「俺が平気じゃないんだって!」

「そうですか……。ジルコさんを困らせるわけにはいきませんし、ご厚意に甘えさせていただきますわ」

「それでお願いします……」


 この人、やっぱり中身がトロルだから一般的な人間とは価値観が違うらしい。

 知謀四族の町を半裸でうろつけば、巡回兵や無法者アウトローに目をつけられて無用のトラブルを起こすのは明白なのに。


「うっ!」


 また背中がチクチクしてきた。

 ネフラが俺の背中を睨んでいるのが手に取るようにわかるぞ。


「ネフラ、衣装屋の場所わかるか?」

「……わかるよ。地図があるから」

「さすがネフラ、用意が良いな! それじゃ行こうか」

「服を買ってあげるのはフロスさんだけ?」

「え?」

「フロスさんだけ?」

「あぇ……いや、まぁ、ネフラも気に入った服があれば……」

「本当!?」


 ネフラが久々に笑顔を見せてくれた。

 彼女の服まで買うとなると、節約してきた資金がまた余計に――否。何も言うまい。





 ◇





 通りを進んでいくうち、町を割るように流れている川にぶつかった。

 川の上には豪勢な橋が渡されていて、川向こうからはワンランク上の高級宿――俗に三ツ星宿の類――が立ち並ぶ裕福層向けのエリアになる。

 俺達が尋ねる町長の宿はそのエリアにあり、衣装屋もちょうどその通りにあるという。

 ……裕福層向けのエリアにある衣装屋となると、値も張るんだろうなぁ。


「ところでジルコさん」

「何?」

「先ほどおっしゃっていたリドットとは、〈ジンカイト〉に所属する盾衛士シールダーの冒険者のことでしょうか?」

「よく知っているね。そのリドットのことだよ」

「確かジェリカさんとはご夫婦でしたよね。お二人はご一緒に活動しているわけではないのですね」

「それは――」


 ジェリカとリドットが夫婦であることは、知っている人なら知っているだろう。

 しかし、二人の関係が危うくなっている事実は身近な人間しか知り得ない情報のはずだ。

 そんなことまで伝える必要はないな。


「――ジェリカもリドットも忙しい身だからね。名指しで依頼クエストを受けることもよくあるし」

「冒険者も大変なのですねぇ。高名だとなおさら」


 そんな他愛もない話をしながら、俺達は衣装屋へとたどり着いた。

 店内に入るとズラリと並べられた高級衣装が目に入ってきて、値札を見るのが怖くなる。


「どれを買えばよろしいですか? ヒトの町のドレスコードには疎くて」

「ネフラ。彼女のコーディネートを頼む」


 ネフラは頷くや、フロスを連れて店内を進んでいった。

 彼女なら金銭的な面も考慮した無難な見た目の服を選んでくれるだろう。


 俺は特段することもないので、二人が買い物を済ませるまで適当に店をうろつくことにした。

 店内には俺達以外にも客がいて、歳の近いカップルや親子ほども年の離れた男女の組み合わせが見られる。

 前者はどこの衣装屋でもよく見るが、後者はクォーツ特有といった感じだ。

 なぜなら、この町は温泉街として名を馳せる以外にも、裏通りでは娼館の類がしのぎを削っているから……。


「――いいですよ。こんな服、あたしにはとても」

「そんなことないさ。きみにも似合うと思うよ」

「だからってこんな高価な服……」

「遠慮しなくていい。僕が贈りたいんだ」


 視界に若い男女の姿が目に留まった。

 二人とも後ろ姿なので表情は見えないが、女性用の衣装の前で話をしている。

 ……なぜだか俺はこの二人に意識が向いてしまった。


「ありがとう」

「礼なんていいさ。それよりも、あの話は考えてくれたかい?」

「……それは……もう少し考えさせてください」


 盗み聞きをするつもりはなかったけど、手持無沙汰でついつい聞き耳を立ててしまう。


 男は身なりから察するに貴族の青年のようだ。

 小奇麗な服を着ているし、腰にはやけに刀身の広い宝飾剣ジュエルソードを携えている。

 一方、女の方はまだ年端も行かない子供のよう。

 男とはとても釣り合わないお粗末なドレスを着ている。


「しかし、これ以上この町に留まっていては……」

「簡単にはいかないです。だって、あたしの故郷なんだから」

「わかった。僕はいつまでも待つよ」

「うん。ありがとう……ごめんなさい……」


 ふぅむ。

 会話から察するに、正義感の強い貴族のお坊ちゃんが娼館で働く女の子を足抜けさせようとでもしているのだろう。

 娼館街がある町ではそういう話もよく聞く。

 復興の時代になってもこんなやり取りがあるのは悲しくなるが、覆しがたい人間社会の縮図か……。


 男が女の子を見下ろした時、その横顔が見えた。


「え!?」


 それは俺がよく知る顔だった。

 そこに居たのが紛れもない捜し人だと気が付いた時、俺は思わず――


「リドット?」


 ――その名を呼んでしまった。

 俺の声で二人がこちらへと振り向く。


「まさか……ジルコなのか」


 男の反応からして、間違いなくリドット本人だ。


「リドット! リドット・ゴールデンアップル!!」

「……そうだ。僕だよジルコ」


 リドットがクォーツにいる可能性は高いと思っていた。

 しかし、なんで……どうして……そんな女の子と一緒なんだ?

 まさかあの正義感の塊――〈護国の防人さきもり〉とまで言われた堅物リドットが、娼館の女にうつつを抜かしていたっていうのか!?


「お前、今まで連絡もよこさずに何してたんだ!」

「……」

「説明してもらうからな!!」


 突然のことに感情的になってしまう自分がいる。

 我慢できずに詰め寄ろうとした時、リドットの隣にいた女の子が彼に寄り添って手を握るのが見えた。


 ……まさか!

 やっぱりそうなのか!?

 堅物が遊びを覚えると一気に生活が堕落するとは聞いたことがあるが、まさかリドットがそんな事態に陥っていたってことなのか!!


「リドット、お前! ジェリカという女性ひとがありながら、なんでこんな――」

「誰なのこの人? お父さん」


 ……はい?


「おと、え、おと……っ!? お父さん!? えぇぇぇっ!!!?」


 復興の時代が始まって以来、初めてひっくり返るくらい驚いた。

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