6-016. まさかの来客

 アンバー侯爵と別れた俺達は、彼から渡されたVIPカードを頼りにパーズの五つ星ホテルに泊まることにした。

 俺は宿ならどこでもよかったんだけど、ジェリカがせっかくだから普段泊まれない場所に泊まろうと言い出したので、いくつかある高級宿の中でも最上級のホテル――しかも五階建て!――に泊まることになったのだ。

 エル・ロワでは、大きく、高く、広い建物ほど権威の象徴となる。

 いくらVIPカードがあるからと言って、そんな高級ホテルが俺達のような冒険者を泊めてくれるのか疑問だったが――


「お部屋にご案内いたします」


 ――カードの効果は絶大で、宿の案内係は嫌な顔ひとつ見せずに俺達を部屋へと案内してくれた。

 しかも、最上階のVIPルームへのご案内ときたもんだ。


 VIPルームは全部で四部屋。

 いずれかを自由に選ぶことができたので、俺は日当たりのよい東部屋を選ばせてもらった。

 ネフラは隣の北部屋を選び、ジェリカはその隣の西部屋を選んだ。


「わらわは疲れた。今日はすぐに寝るつもりだから、今後の相談は明朝することとしよう」

「わかった」

「ではな。おやすみジルコ。頑張れネフラ」


 そう言うや、ジェリカは三人いた案内係の一人に連れられて西部屋へと向かう。

 おやすみと言うのはわかるけど、頑張れとはどういうことだ?

 俺がネフラへと向き直った時、彼女はすでに別の案内係と共に北部屋への通路を進んでいた。

 せめて、おやすみの挨拶くらいは言わせてくれ。


「ネフラ、おやすみ」

「……おやすみなさい」


 挨拶を返してくれたものの、彼女は俺に背中を向けたまま通路の先へと進んでいってしまう。

 まだ機嫌を損ねていたのだろうか?

 女心は難しい……。

 まぁ、一夜明ければ元に戻るかな。


 その後、俺は最後に残った案内係について、東部屋へと案内された。

 部屋の前にたどり着くや、彼がドアの施錠を解き始める。


「こちらが東部屋――ラファエルの間にございます」

「ラファエル……確かジエル教の天使の名だね」

「左様でございます。東は天使ラファエルのつかさどる聖なる方角。日の出と共に、前日までの穢れは朝日に洗われ、素晴らしき一日が始まるでしょう」

「それはいいね」


 部屋の前で講釈を受けた後、案内係がドアを開いて俺に入室を促した。

 中に入ってみると、その部屋の広さに驚かされた。

 一人部屋なのに、一般的な宿のラウンジくらいの広さがある。

 奥には天幕付きのベッド、手前にはソファーがいくつも置かれている上、皿に果物が乗せられた大理石のテーブルまである。

 まるで貴族の屋敷の一室をまるごとくり抜いてきたような光景だ。


「窓につきましては、ご就寝の際にカーテンをお引きください」

「窓?」


 ベッドの奥を見ると、壁が一面ガラス張りになっていた。

 ガラスの向こうにはパーズの街並みが一望できるようになっていて、夜のとばりが下りる中、建物のひとつひとつに灯る光はまるで宝石のように輝いて見えた。


「……ここ、本当に一人部屋なんだよね?」

「左様でございます。本来は高貴なる方々がお泊まりになられるお部屋ですので、付き人のための家具も取り揃えてございます」

「なるほど……」


 開放感は抜群。

 だけど、こんな広い部屋を一人で使うなんて落ち着かないな。


「それでは失礼いたします。お休みなさいませ、ジルコ様」

「ああ。ありがとう」


 案内係は俺に部屋の鍵を渡した後、一礼して部屋から出ていった。

 一人になれたことで、俺はようやく肩の力を抜くことができる。

 丁寧な接客に慣れていない身からすると、案内係の態度には終始むずむずして仕方なかったのだ。


「俺も、もう寝るか……」


 慣れない環境でちゃんと寝付けるか不安もあるが、今はもう休みたい気分。

 俺はコートやブーツを脱いだ後、両足からホルスターを外してテーブルの上に置いた。

 そして、ベッドへと飛び込んだ。


「はぁ。もこもこしていて気持ちいい~」


 清潔なシーツに、羽毛入りの柔らかな布団。

 これならすぐに寝られそうだな。

 ……そう思った時、入り口のドアがコンコンと音を立てた。


「誰だ?」


 ドアの向こうからは返事がない。

 案内係だったらすぐに返答があるはず。

 それがないということは、招かれざる客か……?

 俺は万が一を考え、テーブルの上に置いていたホルスターから宝飾銃ジュエルガンを一丁抜いて、ドアへと向かった。


 〈バロック〉の件も片付いた今、まさか刺客ってことはないだろう。

 しかし、ジャスファやキャッタンなど、個人的に俺に恨みを持っている奴は何人も野放しになっている。

 そいつらが襲ってこないとも限らないのだ。


「もう一度言う。誰だ!?」


 直後、ドアが開いた。

 思えば施錠をしていなかった。

 なんて間抜けなんだ俺は、と思って銃を構えた先には――


「ひっ!?」


 ――ネフラがびっくりした顔で立っていた。


「なんだ、ネフラか。驚かすなよ……」

「それはこっちのセリフッ!」

「ごめんごめん。まさか来客があるとは思わなくて」


 ネフラは頬を膨らませながら部屋の中に入ってきた。

 彼女は当然のようにドアに施錠した後、俺の傍にあるソファーまでやってきてどすんと腰を下ろす。


「どうかしたのか?」

「……」


 彼女は黙り込んだまま、落ち着きなく手遊びをしている。


「……寝付けなくて」

「寝付けない?」

「……その、部屋があまりにも広すぎるから」

「ああ、わかる」


 それには同意する。

 俺達みたいな庶民がいきなりこんな広い部屋をあてがわれたら困惑するよな。


「……」

「……?」


 ネフラは耳の先まで赤くして、まごまごしていた。

 まるで何か恥ずかしい隠し事でも白状しようとしているかのよう。


「さっきから大丈夫か?」

「ううん。なんでも……ない……」

「……」

「……っ」


 ネフラがじっと俺を見つめてくる。

 そんなふうに見つめられたら、俺の方まで落ち着かなくなってくるじゃないか。

 先日のサンストンの件を思い出してしまって、俺も緊張してきた。


「果物でも食べるか? えぇと……リンゴにナシに、凄いな……ブドウまである」


 気持ちを落ち着かせるためにテーブルに向かったのはいいが、気の利いたセリフが出てこない。

 ネフラは甘い物が好きだから、どれをあげても喜ぶだろう。

 そんなことを考えているうち、俺は宝飾銃ジュエルガンを握っていたことを思い出した。

 場違いな銃を皿の横に置き、代わりにブドウを手に取った。


 俺が振り返ると、いつの間にソファーから立ち上がったのか、目の前までネフラが近づいてきていた。

 彼女の接近に気付かないとは、気が動転し過ぎている。


「ジルコくん! 私っ!!」


 ネフラが俺に寄り添ってくる。

 眼鏡越しに見えるネフラの瞳は潤んでいて、頬まで赤く染まった表情はとても艶めかしい。

 心臓が大きく弾む。

 俺は思わず彼女の背中へと両腕を回そうとした。

 その時――


「失礼。よろしいかしら」


 ――ドアの向こうから女の声が聞こえた。


「……っ」

「……!!」


 我に返った俺は、ネフラの背中に回そうとした両手を引いた。

 代わりに彼女の肩に添えて、その体を静かに引き剥がす。

 そんな俺を、ネフラは恨めしそうな表情でじっと見上げている。


「出なきゃ」

「うん」


 ……高まった気持ちが急速に萎えていく。

 なんだこれは。なんなんだ。

 なんだってこんなタイミングの悪い瞬間に尋ねてくるんだ!


 ドアの向こうから聞こえた声はジェリカじゃなかった。

 おそらくはネフラを部屋まで案内した女性の案内係だろう。

 大方、伝え損ねたことがあって部屋を訪ねたものの、彼女がいなかったので隣の俺の部屋を訪ねてきたに違いない。


 俺が入り口に向かう途中、改めてドアからノックが聞こえてきた。


 こっちの都合も知らず、ムードを台無しにしてくれた廊下の女に苛立ちが募る。

 一発ガツンと言ってやらなきゃ気が済まない。

 俺はドアノブを取るや、勢いよくドアを開きながら大声で叫んだ。


「せっかく寝付けそうだったのに何の用だ!!」


 ドアの前では――


「ご、ごめんなさい……ジルコくん」


 ――アイオラ先生が目を丸くしていた。


「……なんで?」





 ◇





 部屋には俺とネフラ、そしてアイオラ先生が、それぞれソファーに座って向かい合っていた。

 まさかの来客に困惑する俺。

 うなだれたまま動かないネフラ。

 にこにこしているアイオラ先生。

 ……なんだこの状況。


「ごめんなさい。まさか先客がいるなんて思わなくて」

「いえ」


 先生を怒鳴りつけてしまうなんて、バツが悪い。

 だってまさか同じ宿に泊まっているなんて思わないじゃないか。


「それにしても奇遇ですね。まさか同じ宿の――しかも隣の部屋にジルコくんがいるなんて」

「俺も驚きました。こんな形で先生とまた会えるなんて」


 聞けば、先生はVIPルームの一部屋に泊まっていると言う。

 さっき俺達が上がってきたのを偶然見ていたらしく、俺を訪ねてきてくれたとのことだった。


「お邪魔……でしたか?」

「いいえ! そんなことありませんっ」


 俺がそう口にした瞬間、隣からピリピリとした視線が飛んでくるのを感じた。

 ちらりと横を見てみると、やっぱりネフラが俺のことを睨んでいる。

 ……バツが悪い。


「そ、それより……母さんから、先生が家計の手助けをしてくれていたことを聞きました」

「あら。そんなこと気にしなくてもいいのに」

「それと、父さんとのことも」

「そうなの」

「まさか父さんが先生の後援者パトロンだったなんて驚きました」

「ごめんなさい。言う必要はないと思い、きみには黙っていました」

「あの……先生」

「何?」

「先生は――」


 ……どうして俺を弟子にしてくれたんですか?

 そう尋ねようとしたのに、俺の口はそれ以上動かなかった。


 十年前、俺は町で出会った先生に無理を言って弟子にしてもらった。

 それが父さんへの借りを返すために仕方なしに弟子入りを認めたのだとしたら、俺は先生の時間を無駄にしてしまったことになる。

 あの半年間は俺にとってかけがえのない時間だったけれど、先生にとってはどうだったのだろう。

 もしも嫌々俺に付き合ってくれていたとしたら……。

 今さらながら、彼女の真意を知るのが怖いと思う俺がいる。


「どうしました?」

「あ、いえ……なんでもありませんっ」


 結局、俺は聞きたかった質問を濁してしまった。

 我ながら情けない。


「あの、アイオラ……さん」

「何かしら」

「ジルコくんに一体何のご用ですか?」


 俺がもごもごしている間に、ネフラが先生に話しかけた。

 その態度はどことなくツンツンしている。


「……相談事があるのです」

「相談事?」

「はい」

「ジルコくんはなんでも屋じゃありません。そういうのはギルドへどうぞ」


 おいおいおい、ダメだよネフラ。

 先生の相談事をそんなないがしろになんてできないって!


「聞かせてください先生!」

「いいの?」

「もちろん。今さらですが、先生の恩に報いたいんです。俺個人としても、ブレドウィナー家としても!」

「……ありがとう、ジルコくん」


 にこりと笑う先生。

 一方で、俺を睨みつけてくるネフラ。

 ……冷や汗が止まらない。


「ジルコくんに私と一緒にドラゴグへ行ってほしいの」

「え……えぇっ!?」


 突然ドラゴグの名前が出てきて、俺は驚いてしまった。


「サンクトエイビスから魔物がやってくる、という話を聞いたことは?」

「あります」

「ドラゴグでは魔物の殲滅せんめつのために義勇兵を募っているそうです。ジルコくんには、私と一緒に義勇軍に参加してほしいと思っています」


 東への大規模遠征があるとはジニアスも言っていたな。

 その遠征には、商人ギルドジニアス達と共にゾイサイトも参加しているはず。

 魔物の群れが相手なら、戦力は多い方がいいのはわかるけど……。


「ちょっと待って! 私達もやることがあってパーズにいるんです。突然そんなこと言われても困りますっ」


 ネフラが血相を変えて割り込んできた。

 彼女の言うことはもっともだ。

 でも、俺は先生の頼みを無下に断ることなんてできない。

 ……とは言え、どうする?


「ドラゴグには私がお世話になった方々がいます。彼らの恩に報いるためにも、私は何に代えても義勇軍に加わりたい。ジルコくんが一緒なら、これほど頼もしいことはありません!」

「先生……」

「もしも私と一緒に来てくれるなら、きみにこの身を捧げてもいい。だからお願いします、ジルコくん!」

「えっ……えぇぇぇ!?」


 身を捧げる?

 ど、それ、ど、それどういうこと?

 まさか……言葉の通りの意味なのか……!?


 俺に向かって先生が身を乗り出してきた。

 前屈みの姿勢になっているせいで、胸の谷間が強調されて俺の目に入ってくる。

 ……ヤバい。

 頭が真っ白になってくる。


 その時、すぐ傍で重い物が落ちるような音がして我に返った。

 何かと思ったら、俺と先生のちょうど合間に本が投げ出されていた。

 ……ネフラの本だ。


 ネフラの視線は俺には向いていない。

 彼女が目を向けているのは……先生なのか?


「この泥棒猫」


 ネフラの口から静かに暴言が飛び出した。

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