3-023. 賢者の裏切り

 鼻をつく焦げ臭いにおい。

 それを我慢して俺は積み重なった瓦礫をよじ登った。

 瓦礫の山を登り切ったところで、開かれた扉の奥を覗き込む。

 宝物庫の中では大量のランプが灯されていて、屋外のように明るい。


「クロード!」


 俺が声をあげても、聞こえてくるのは瓦礫が崩れる音だけだった。

 瓦礫の山を飛び降り、宝物庫へと入ったその時。

 宝物庫の奥――勇者の聖剣アルマスレイブリンガーが安置されている辺りから轟音ごうおんが聞こえてきた。


「何の音だ!?」


 床に敷き詰められた敷石がぐらぐらと振動している。

 その余波は周囲にも及び、燭台や飾り台の聖遺物が床へと倒れていく。

 ……これはただ事じゃない!

 俺は積み上げられた木箱の間を縫って宝物庫の奥まで走った。

 封印の光が見えた時、同時にクロードの姿も目に映る。


「おや。思ったより早かったですね」


 澄ました顔で俺に向き直るクロード。

 俺はクロードのすぐ後ろに広がる光景に目を疑った。

 聖剣が・・・封印ごと・・・・

 否。床ごと・・・抉り・・取られて・・・・宙に・・浮いていた・・・・・


「ど、ど、どうなってんだ!?」


 聖剣の厳重な封印は生きており、剣身は床に突き立ったままだ。

 しかし、その床・・・俺が立っている床・・・・・・・・との地続きにない。

 まるでフルーツを乗せた氷菓子をスプーンですくった時のような……。

 聖剣と周りの床だけがひとつの岩塊となって、ふわふわと浮遊しているのだ。


「それも風の精霊シルフの力なのか……」

「ご明察。この場で封印を解くのはちと面倒でしたので持ち帰ろうかと」


 あんな大きな岩の塊を宙に浮かせるとか、マジかよ。


「で、どうするのです?」

「え?」

「私を止めるのか、と聞いているのですよ」


 俺に言ったセリフだろうに、クロードの視線はすでに俺には向けられていない。

 ただ一点、目の前を浮遊する岩塊へと向けられている。

 ……完全に俺のことを舐めていやがる。


「止めるに決まっているだろうがっ!!」


 俺は即座にクロードへと銃口を向けた。

 引き金を引けば、確実に頭を撃ち抜ける距離と角度だ。


「きみなら重々承知だと思いますが――」


 不意に、クロードが俺へと視線を戻した。

 不敵な笑みをたたえながら。


「――私と戦えば、死にますよ?」


 ぞくり、と俺の背中に悪寒がした。

 冗談ではない。

 ハッタリでもない。

 大マジだ。

 真っ向からりあえば、確実に殺される。

 属性魔法や奇跡なら、顕現までのモーションがあるので何とかならないこともない。

 だが、精霊魔法だけはいけない。

 精霊魔法は、術者が契約した精霊と無言無挙動の意思疎通テレパシーで即発動する反則的な仕組みなのだ。

 こうしている間にも、クロードは俺への攻撃を精霊に命じているかもしれない。

 カイヤもそれなりに熟達した精霊奏者エレメンタラーだったが、体の挙動で精霊に指示を出しているようでは二流だ。

 超一流・・・は、身振りも手振りもなく思い通りの現象を顕現させる。


「どうしました。そのまま棒立ちしていては、良い的ですよ」

「……っ!」


 俺は、真横に置かれていた飾り台の陰へと身を隠した。

 クロードにとっては布一枚隔てているのと変わらないだろうが、直接向かい合っているよりはマシだ。

 俺一人ではとても勝ち目がない。

 立て続けに起きた騒音で、聖堂宮の連中は異常に気づいたはず。

 その連中が神聖騎士団ホーリーナイツを連れてきてくれることを祈るしかない。

 それまではなんとか時間を稼がなければ……。


「クロード! ひとつだけ聞かせろっ」

「どうぞ」

「お前、最初から勇者の聖剣アルマスレイブリンガーが目的だったのか!?」

「そうなりますね」

「なぜ!? なんで……!? 宗旨替えの話はなんだったんだ!?」

「すべては聖堂宮の宝物庫へと近づくためです」

「ヴァンパイア治療法の研究は!? ジエル教の奇跡が研究に必要なんだろう!?」

「馬鹿ですか、きみは。そんなものブラフに決まっているでしょう」


 全部、嘘だったってのか……?

 馬車の中での会話も。

 賊の黒幕の推理も!

 ヴァンパイアの話も!!

 どこまで俺はお人好しなんだ。

 どこまで俺を馬鹿にしやがるんだ。

 この野郎……っ!!


「ク……ロードォォォッ!!」


 抑えられない激情を抱きながら、俺は飾り台から飛び出した。

 滑るようにして床の上をサイドステップし、クロードめがけてミスリル銃の引き金を引く。

 ……だが、ダメ!

 浮遊する岩塊から分かれた破片が、スイスイと空中を動いて俺の光線からクロードを守った。


「くそっ!」


 俺は追撃を諦め、そのまま反対側に置かれた飾り台の陰へと転がり込む。

 隠れる場所が変わっただけで、状況は何も変わっていない。


「腰が引けていますよ。銃士ガンナーがそれではダメでしょう」


 ……嫌なところを突いてくる。

 確かに今の俺は浮足立っているのも事実。


「仲間と争いたくはない! 精霊魔法を解除して投降してくれっ」

「……仲間、ですか。よくきみにそんなことが言えますね」

「なんだと!?」

人造人間ホムンクルス製造の件をダシにして、私の首を切ろうとでもしていたのでは?」

「う……っ」


 気づかれていた!?

 そんな……いつ……どこで……どうして!?


「気づきもしますよ。王都のギルドが縮小傾向にある昨今。従業員はアンを除いて姿を現さず、切りやすい・・・・・ジャスファが真っ先に王都から姿を消した。ギルド再生の足がかりに荷物整理は結構なこと」


 ……ば、バレてるっ!


「しかし、きみも酷なことをする」

「何が!?」

「ネフラは承知の上で協力しているのですか? 利用するだけ利用して、最後には彼女も切り捨てるのであれば関心しませんね」

「……」


 クロードの指摘には閉口するしかない。

 ネフラは事情を知った上で協力してくれているが、理由は定かでないのだ。

 ……あとで聞かなくちゃな。


「余計なお世話だ、馬鹿野郎!」


 俺が悪態をついた時、宝物庫の外が人の声でざわめき始めた。

 ようやく応援がきてくれたようだ。


「クロード、おとなしく投降しろ! さすがに神聖騎士団ホーリーナイツが相手だと分が悪いだろう!?」

「本当にそう思っているのですか?」

「くっ……!」


 ぶっちゃけ神聖騎士団ホーリーナイツでもクロード相手は荷が重い。

 そもそも戦士系クラスではクロードに近づくことすら困難だろう。


 その時、耳をつんざくほどの騒音が響き渡った。

 巨大な門扉が二枚とも宝物庫の中へと吹っ飛んできたのだ。

 俺が砂埃の舞う入り口へ視線を移すと――


「ジルコ! 何がどうしてこうなってるんですのっ!?」


 ――まぶたをピクピクさせたブチギレ寸前のフローラの姿が見えた。

 わざわざ自慢の怪力を披露せずとも、入ってこれるだろうに……。


 フローラに続いて、ヘリオ率いる神聖騎士団ホーリーナイツの数名が宝物庫へとなだれ込んでくる。

 さらに後から、名前も知らない聖職者クレリックや衛兵の皆さん。

 それにリッソコーラ卿までも。


「ジルコ殿!? ここで何が――」


 俺の存在を視認したリッソコーラ卿は、次に奥にいるクロードと、その傍で浮遊する岩塊を見て糸のように細い目を丸くする。


「――こ、これは……これは一体なんたることかっ!!」


 事態を把握したのか、リッソコーラ卿の顔が真っ青になった。

 隣ではフローラとヘリオが口をあんぐりと開けている。


「クロード殿! 一体きみは何をしているのだ!?」

「ちょっとクロード!? 何をやってるんですのっ!!」

「クロードさん、聖剣をどうしようと言うのです!?」


 リッソコーラ卿、フローラ、ヘリオが同時にしゃべるから、もはや誰が何を言っているのか聞き取れない。

 後ろでは聖職者クレリック達が慌てふためき、宝物庫は混乱の様相を呈してきた。


「クロードの目的は勇者の聖剣アルマスレイブリンガーです! 神聖騎士団ホーリーナイツとフローラは前へ! 衛兵は奴を逃がさないように入り口を固めてください!!」


 異常事態を前に神聖騎士団ホーリーナイツも動きが鈍い。

 仕方ないので、ここは俺が仕切らせてもらう。


「馬鹿な! 彼が勇者の聖剣アルマスレイブリンガーを狙っているなど、ありえんことだ!!」


 言いながら、リッソコーラ卿がフローラ達の前へとのこのこと出てくる。

 非戦闘員が何やってんだ!


「リッソコーラ卿、下がって!」


 俺はすぐに下がれの手振りジェスチャーを送るが、彼は気づいてくれない。


「まさかクロード殿が……。ありえんっ」

「そんなこと言ったって、現にこうなっちゃってるでしょ!」


 俺の声が届いているのかいないのか……。

 リッソコーラ卿は俺の警告をことごとく無視して、さらに近づいてくる。

 さすがにヘリオが取り押さえてくれたが、不測の事態に混乱しているのか?


神判の奇跡シビュラ・アイズで彼に教皇庁への悪意がないことは証明されている! それがなぜ!?」


 そう言えば、俺達をこっそりくだんの奇跡で調べたと言っていたな。

 その奇跡が聞き及んだ通りの効果を持つのなら、クロードは一体どうやって彼らを出し抜いたんだ?


「せっかくのご質問ですからお答えしましょう、猊下げいか――」


 リッソコーラ卿を見据えながら、クロードが続ける。


「――魔法の世界は広く深い。一般には知られていない魔法も数多あります。例えば、一時的に記憶を書き換える魔法など、ね」

「き、きみは……自分の記憶を書き換えていたと!?」

「ええ。虹の都に入ってから洗礼の儀が終わるまで、私は純粋に教皇庁の客分でした。あなた方への悪意など微塵もない」

「なんということだ……!」


 へなへなとリッソコーラ卿がその場に両膝を落とした。

 すぐに神聖騎士団ホーリーナイツに引っ張られて、宝物庫から連れ出されていく。


 ……それにしてもクロードのやつ、とんでもない策士だな。

 賊を拷問していた時に記憶操作の魔法があるようなことを匂わせていたが、まさかそれを自分自身に使って教皇庁の目を欺くとは。


「クロードォ! あなた……私を! 教皇庁を!! たばかったと言うわけっ!?」


 今度はフローラがクロードへ向かって動き始めた。

 こめかみに青筋を立て、眉間にしわを寄せ、白い歯を噛みしめて歯軋りする様は、マジギレの証だ。

 過去の経験から、今の彼女には周りの声など耳に入らない。


「そのくだらない質問に答えなければいけませんか?」


 へらっと明らかに小馬鹿にしたような表情で返すクロード。

 ここにきて一番厄介な奴を煽るとは、何を考えているんだ!?

 窓もない。出口も一ヵ所しかない。

 敵対する人間がこれだけ集まっている状況で。

 すぐにでも聖剣を持ってここから脱出したいはずなのに……。


「な、ん、で、す、ってぇぇぇぇ!?」


 フローラの顔が紅潮していく。

 両拳を震えるほどに握りしめ、踏み出す足は床に陥没する。


「私にとっては、ジエル教も竜信仰ドラゴン・ロウもどうでもいいのですよ。奇跡を会得するための教理さえ得られれば、その背景など興味がない」

「はぁぁぁぁぁ!?」

「読み書きもできないあなたには難しいお話だったかな。では、わかりやすく言ってあげましょう――」


 クロードはフローラを指さして言い放った。


「――あなたの信仰はカスなのですよ」


 怖いもの知らずなクロードの発言に、俺は全身総毛立つ。

 フローラから溢れ出ている――ように感じる――殺意全開のどす黒いオーラ。

 俺の毛穴が目に見えないそれを感じ取ったのだ。


「ぶっ殺すっ!!!!」


 フローラが床を跳ねた瞬間、敷石が粉々に弾け飛んだ。

 刹那、俺の真横を一瞬にして横切り、クロードへと戦鬼オーガの形相をした聖女が襲いかかる。

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