第17話 異能

「さて、方向性は決まったことだし。本格的な話に入ろうか」


 少しの雑談を挟んだ後、ソフィアはそう言って切り出した。


「君は異能ちからをまだ扱いきれていない。そうだね?」


 ソフィアの問いに無言で頷く。


「なら当面は君が異能ちからを自在に扱えるようになることが目標になる。

 扱えないと話にならないからね」

「扱うってどうすれば?」


 賢者ソフィアに言われるまで知らなかった異能の存在。

 告げられた今ですら真実なのか半信半疑だというのに。


「意識しても何も感じない?」


 そう言われて、目を閉じ意識してみる。


「……感じない」


 感じるとは具体的にどうするのか。


「どうしたものか」

「……そもそも本当に僕が扱えるのか怪しいんだよな」


 確証が持てていない上に、話が美味すぎる。

 本当は騙されていると考えた方がまだ納得できる。


「そこは私を信じてもらうしかないんだけど。どうしても信じられないというなら、別の未来では君に殺されていた話でもする?」

「そんな物騒な未来があって堪るか」


 どういう思考をすれば賢者を殺そうという発想に至るのか。

 その時の自分に何があったのか少し気にはなるが、聞いて気持ちのいい話にはならないだろう。


「……分かった。ひとまず信じて、もう少しやってみるよ」


 そうして異能を扱えるようになるまでの修行が始まった。


--- ---


「ヤバいヤバいヤバい!」


 険しい山道を駆けながら、迫りくる理不尽に対して叫ぶ。


 どうして今、自分は全力で走っているのか。

 何故、自分は今殺されかけているのか。


「ふざけんなよ。あの賢者!」


 後ろを振り返ると木々をなぎ倒しながら、巨大な紅熊ルフス・ベアが追いかけてきているのが視えた。


 修行に必要だからと言われ、疑うことなくついて行ったことが馬鹿だったのかもしれない。


 ある意味で紅熊ルフス・ベアも被害者だ。突き落とされてきたとはいえ、自身のねぐらに人間が侵入してきたのだ。怒って当然と言える。


「ほんと、どうするんだよ。これッ!!」


 邪魔な障害物を乗り越えながら嘆く。


 ソフィアは別の未来では僕に殺されていたと言っていた。

 その時は殺した理由を考えても出なかったが、今なら分かる。


「絶対、賢者あいつが悪いだろ」


 こんな事をされたら誰だって怒る。命の危機なのだ。

 殺されたとて文句は言えない。


 そんな思考を一通り終え、いつまでも追ってくる紅熊ルフス・ベアの対処に頭を切り替える。


「どうするかな」


 魔術で対処するのもいいが、あの巨体に効き目があるかどうか怪しい。


「それにお互い被害者だもんな……」


 嵌められた者同士、傷つけ合うことはしたくない。

 無傷で撃退するにはどうするべきか。

 周囲を見回し、思考を回す。


 撃退。撃退するには……


「……そうか、そういうことか」


 怒りが収まる訳ではないが、賢者の意図したことが理解できた。

 撃退。それだけなら何もかも失ったあの日、世界的な脅威にやったことがあるじゃないか。


 怒りに回していた熱が冷めていく。

 散らかっていた思考がクリアになっていく。


 災厄あいつと比べればなんて事のない、ただの熊。

 あの惨劇ときと比べればなんて事のない、ただの日常。


 覚悟なんてとうの昔に決めていた。


 立ち止まり、迫る紅熊ルフス・ベアへと向き直る。

 対する紅熊は今から蹂躙すると言わんばかりに、咆哮を上げ突っ込んでくる。


石柱ストーンピラー


 紅熊へと迫りながら石柱を数本、階段のように生やして駆け上がる。

 そうして紅熊の背中を越えるようにして跳んだ。


「ごめんな」


 熊に伝わるとは思わないが、それでも空中で謝罪を口にしてから紅熊の背中に触れる。

 抽象的な何かを掴むような感覚。

 数瞬後、暖かい感触を自分の中で感じると、同時に紅熊は意識が切れたように何も言わず倒れた。


「えっ……」


 撃退するはずが、殺してしまったのかもしれない。

 恐る恐る近づいて息があるか確認してみる。


「生きてるのか……?」


 息はあるが、死んだように寝ており目を覚ます気配はない。

 あの惨劇ときは撃退できたのに。


「どういうことだ?」


 さっきの感触といい、気絶といい、分からないことが多すぎる。

 一旦、賢者の言っていた事、起きた事象などを一度整理して考えてみる。


 もしミアの魂が自分の中にいるとして、器に移し替えることができるのであれば。

 もし、さっきの感触が魂の移動だとしたのであれば。

 もう一度、触れてみれば何か起こるのではないか。

 起こらなければ別の可能性を考えてみればいい。


 そう思い、もう一度紅熊に触れる。


「うわっ」


 悪寒のようなものが走ると同時に全身が脱力感に襲われる。


 これが異能ちからなのだろうか。

 もしそうなら、紅熊ルフス・ベアはいつ起きてもおかしくないことになる。


「やばっ」


 そうして気怠い身体に鞭を打ち紅熊ルフス・ベアが起きる前に急いでその場から離れた。

--- ---


「悪かったって」


 なんとか小屋に辿り着き、気怠い身体を椅子に下ろすと共にソフィアは謝罪を口にした。


「……」


 結果的にはいい方向へと転んだものの、下手したら死ぬところだった。

 何を考えたらあんな蛮行に及ぶのか。

 無論、可能性が視えてる彼女だからこそなのだろう。


 頭では理解できる。理解できるのだが、


「ムカつくな」


 あらかじめ話してくれればよかった。

 でも話せばいい方向に転がらなかったかもしれない。

 もしかしたら、いい方向に転ぶようにわざと憎まれ役を演じたのかもしれない。


 そう考えると、思考は纏まらず感情がさらに面倒くさくなる。


「……まぁいいか。もう終わったことだし」


 思考が一周して冷静さを取り戻す。


「意外とドライだね」

「考えるのを辞めただけだけどな」

「私はそっちの方が助かるけど」


 そう言うとソフィアは紅茶の入ったコップを手渡してくる。


「ありがとう」

「いいよ。君には悪いことをした」

「自覚あるなら次からは加減してくれ」


 死ぬ一歩手前はもう御免だ。


「善処するよ」


 そう言って彼女は対面に座る。


「それでどんな感じだった?」

「一言で言うと、気持ち悪い」


 今までなかった機関が、今まで感じたことのない感覚に、新鮮さよりも不快感の方が勝っている。


「まだ慣れてないだろうから、当然と言えば当然だろうね」

「ソフィアも?」

「当然。視えるはずのない可能性が視えるんだよ? 可能性によってはとびっきり最悪の未来とか。気持ち悪くならない方が異常だよ」


 異能もいい事ばかりではないのだな、と改めて思う。


「さて、異能は発現したし、後は自在に扱えるようになるまで慣れるだけだね」

「使って気持ちのいいものではないんだけどな」


 慣れるだけとは言うが、命を掴むような感覚に慣れる気がしない。

 仮に慣れたとして、生物を殺すためにあるような異能に慣れるのは、殺しに慣れたようでゾッとする。


「そればかりは仕方がない。

 そういう異能ちからだし、慣れないと死ぬのは君だから」


 慣れないと死ぬ。

 その一言でこれから自分が何をするのか、改めて自覚させられる。


「そう、だよな」


 自分の為に悪人を殺すのだ。悪人は全力でこちらを殺しに来るだろう。

 少しでも躊躇った方が死ぬ、そういう世界だ。


 甘い考えを改め、決心しているとソフィアが切り出した。


「じゃあ、時間も惜しいし始めよう」

「何を?」

「慣れる為の練習」


 そう言って部屋の端から鳥かごを持ってきた。

 中には大ぶりな鬼鼠が入っているのが見える。


「善処するって言ったからね。これぐらいなら、大丈夫だよね?」

「大丈夫の基準がおかしくない!?」


 額から伸びる一本角が特徴的で、気性が荒く小さいながらも人を襲うこともあると言われている鬼鼠を大丈夫と言わないで欲しい。


紅熊ルフス・ベアの方がよかった?」

「善処するとは!?」


 そんなこんなで、慣れるための練習が始まった。

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