部屋の隅になにか見えたとき

柏木祥子

部屋の隅になにか見えたとき

「そういうのは気にしているから見えるのよ。気にしなければ気にならないわ」

 と、お姉ちゃんはわたしのベッドに腰かけ云いました。

 わたしは云いました。

「で、でも。あそこに――」

「ほらまた気にしてる。別のこと考えなさい」

 お姉ちゃんは有無を云わせてくれませんでした。

 わたしにはそれが、役に立つアドバイスとは思えません。

 だって部屋の隅には、未だに真っ白なそれが動き回っているのです。二頭身ぐらいで、教科書にのっていた、土偶のような顔をしています。手足はか細く、たちちっ、たちちっとフローリングの床の上を右往左往しています。

 こちらには気づいている様子で、軽い足音を立てながらその大きいような、細いような目でこちらをじっと見てきていました。

「ほら、ベッド潜り」

 お姉ちゃんが胸の上のあたりに触れて、わたしをベッドに押し付けました。廊下から漏れた光で、薄暗く、白い天井、お姉ちゃんの顔が見えます。そして、やはり部屋の隅からあの足音が聞こえるのです。

 たちちっ、たちちっ。たちちっ、たちちっ。

「目をつむって」

 目をつむりました。上から布団がかぶさります。

 そうなるとくぐもったお姉ちゃんの呼吸の音と、あの足音。わたしには、それ以外が聞こえなくなってしまいました。

「お姉ちゃん」

「なに?」

「部屋の隅、なにも見えない?」

「埃が見えるわ」

「ほんとにそれだけ……?」

「私のウォークマン貸してあげるから気にしないの。さっきも言ったけど、見えると思うから見えるのよ。見えない、聞こえない、それならないも同然なのよ」

 お姉ちゃんはそう云いましたが、わたしは気にしないようにと考えれば考えるほど、あの白い土偶が気になってしまいます。

 いったいあれは、なんなのでしょうか。幽霊?それとも別の何か?人間ではないでしょう。お姉ちゃんには、見えていないのでしょうか。

 子供だけに見えるなにか……?

 わたしは、一つ思い出しました。

 ブギーマンです。

 タンスの中やベッドの下に潜む怪物で、子供をさらい、魂を食べてしまうという話でした。

 いやでも、あれには口らしきものがあったでしょうか。土偶のような頭にあるのは、やっぱり土偶のような口だったはずで……。

 あれ、とわたしは思いました。

 あの白い土偶の口は、どのようになっていたのでしょうか。というか、土偶の口がどんなだったかを思い出せません。

 わたしの耳にイヤホンをかけようとしていたお姉ちゃんの袖を引っ張ります。

「お姉ちゃん、土偶の口ってどうなっていたっけ」

「まだ気にしてるの?ほら、手を放して。じゃないと鼻につけるよ」

「いいじゃない。土偶の口よ。ねえ、どうなっていたっけ」

 たちちっ、たちちっ。

 お姉ちゃんは面倒くさそうに舌打ちをしました。こういうところ、どうかと思いますが、注意するほど気にはしません。

 お姉ちゃんは少し考えるそぶりを見せると、背後――部屋の隅に目を向けました。今もまだ、土偶は足音を立てています。そしておもむろにお姉ちゃんが立ち上がりました。わたしも思わず、ベッドから起き上がります。

 お姉ちゃんは部屋の隅に寄ると、土偶を蹴っ飛ばしました。

 土偶の、顎のあたりを足の甲で救い上げるような感じでした。土偶は避けようとも、そもそも当たるとも思っていなかった様子で、驚いたような、高い悲鳴を上げて壁に激突しました。頭の後ろが少しかけました。土偶は起き上がろうとした様子でしたが、その前にお姉ちゃんが今度は胴体を踏みつぶし、足を上げ、踏みつぶし。

 土偶のかすれた声が聞こえると、お姉ちゃんは土偶の頭を踏み壊しました。

 わたしは今起こったことがもうよくわからなくて、呆然と白い土偶を壊して床を踏み鳴らすお姉ちゃんを見ていました。

 はっとして、わたしは云いました。

「お姉ちゃん……見えていたの?」

 お姉ちゃんはこちらを向きました。肩を上気させて、少し疲れているようです。

「だからね、言ったでしょ。そういうのは見えないと思えば見えないし、聞こえないと思えば聞こえない。ないも同然だって……あー疲れた。よく寝れそうだわ」

「そう……」

 お姉ちゃんは廊下に出ました。

 扉が閉められます。閉められる前にと、わたしは訊きました。

「ねえ、土偶の口はどうなっているの?」

「そこに割れたのあんでしょ」

 部屋の扉が締め切られ、廊下の電気を消す音が聞こえると、部屋は深淵に包まれました。

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