第10話 かめたろうのはなし



 空気がぽかぽかと温まり、春もどんどんと進んでいます。昼間の気温が15度を超え、ついに洗濯物が外ではためきました。

「ふう!」わたしは落ちてきた前髪を、手の甲でよけます。

 ただいま、珍しく午前中です。AM10時20分。太陽光で暖められた地面や大気の匂いが心地よく、空は快晴。まさに洗濯日和です。

 二階のベランダで布団カバーがはたはたと風に揺れています。カルロスのグレー、いもうとの白、わたしの紺色が並んでおよそ国旗のようです。

 しのざき家のベランダは、十畳ほどあります。地べたは合板に木の板を張り、家屋に近い半分には屋根もついています。しのざき兄妹が子どものころに、しのざき父が制作しました。


 すべての洗濯物を干し、台所へ戻り麦茶のボトルを出していると、楽太郎が居間から呼びかけてきます。

『おい、しのざき』ケージの入口で楽太郎がちきちき鳴いています。

「どうした?」

『目覚めだ』

 楽太郎がつぶらなひとみを見開いた、気がします。



 玄関のたたきに、かめたろうのねどこがあります。60センチ四方ほどのプラスチックケージの中に砂を敷き、上から落ち葉をわさわさにかけてあります。かめたろうは砂に潜り、いままで冬眠していました。

 かめたろうはロシアリクガメです。黄色がかかったまるい甲羅と、太めの前足についたゆびがとてもかわいい陸亀です。

 しのざき家の兄、にいちゃんが、小2のときに「なんかカメいた」とか言って、しのざき家から歩いて5分のこばやしさんちの畑へ流れる農業用水路のわきから、連れて帰って来たのです。

 完全にリクガメですが、水路の近くでうたた寝をしていたかめたろう。こばやしさんもびっくりです。その時既に甲羅は直径15センチを超えていたので、たぶん小2のにいちゃんよりも年上だったと思います。それから二十年程が経ち、かめたろうの甲羅は現在30センチに迫る勢いです。


 本当は、亀の冬眠はむずかしいのですが、かめたろうと仲の良い楽太郎が「奴は今年は眠りたいと言っている」と訴えるので、気温や湿度に細心の注意を払い、今日まで冬眠を見守りました。


 赤や茶色の落ち葉の山が、もこ、もこ、と動きます。

 しばらくすると、まだ眠たそうな(気がします)、かめたろうが顔をひょこりと覗かせました。

『起きたか!』

 タッパーウェアの中に入った楽太郎が、身を乗り出すのでガードします。かめたろうは楽太郎を見ると、口を何度かぱくぱく開けて、目を細めました。

 ちなみにかめたろうは喋りません。彼の要望、食べたい野菜の種類などは、楽太郎がいつも代弁してくれるのです。


『眠りはどうだった?』楽太郎が聞きます。かめたろうはまばたきを三回、ぱちぱちぱち、とします。

『そうかそうか。それは重畳』どうやら、実りの多い冬眠だったみたいです。

『腹は空いているか』タッパーウェアの中に、自らと一緒に入っていたこまつなを、楽太郎はかめたろうに差し出します。かめたろうはまた目を細めて、ちょっと頷いたあと、玄関の引き戸へ首を向けます。

『陽に当たりたいそうだ』「お、わかった」わたしは楽太郎のタッパーを、上がり框のうえに置き、かめたろうのねどこを外に出すことにしました。



 しのざき家の玄関前には、ちょっとした地下室への入り口と、二台分の駐車スペースがあります。

 コンクリートを打った、ちょうど太陽がよく当たる場所へかめたろうのねどこを移動させます。

 家の前の、少しだけ坂になった道路を、自転車に乗った女性がたちこぎでのぼっていきました。


 楽太郎入りのタッパーと、一緒に持ってきた水飲み容器もねどこの端っこに設置して、かめたろうの甲羅干しの時間です。外壁についた郵便受けの下に置かれた、平たい石にわたしは腰掛けます。

 かめたろうは水をちびちび飲みながら、矢継ぎ早に質問をする楽太郎へ、ジェスチャーで返します。

『夢は見たのか』『さみしくなかったか』『寒かったか』『ずっと眠っていたのか?』などなど。かめたろうは首を振ったり、四つ指の腕を上げたり下げたり、などして返事をします。

『巨大なきゅうりの夢を見たそうだ』『眠りの端でしのざき面々の声がしていたらしいぞ』『少し寒かったらしい、大事なくて良かった』『眠りに落ちたり、うつらうつらしたりを繰り返していたそうだな』楽太郎も、次々に説明してくれました。


 陽に当たり、お腹が空いてきたらしいかめたろうが、こまつなを少しずつ喰みます。楽太郎もひとふさもらってもひもひします。わたしはそれを眺めながら、風が吹くたび飛んでいくねどこの落ち葉を拾ったりしていました。


『背中に乗ってもいいか』楽太郎が、そわそわしながらかめたろうに聞きました。かめたろうがいちど瞳を大きく開けて、そして目を細めて、にっこりとします。

『しのざき、ざぶとんだ』楽太郎が勢いよくこちらを振り返ります。「はいはい」わたしはスウェットのポケットから、楽太郎のざぶとんを取り出しました。

 かめたろうは陸亀ですが、爬虫類には多かれ少なかれサルモネラ菌がいるのです。楽太郎が彼の背中に乗りたいときは、手洗いできるミニざぶとんをそっとかめたろうの甲羅に載せて、その上に楽太郎が鎮座します。

 丸くてかわいい甲羅のうえに、ざぶとんをふわりと置きました。裏にはちょっとした滑り止めが施されているため、滑りません。四隅にきちんとふさもついた、この紺色のミニざぶとんはいもうとが作ってくれました。


 タッパーを近づけかたむけて、楽太郎をかめたろうに乗せます。楽太郎は胸を張り腕を突き上げます。

『相棒再結成だ!!』

 かめたろうが首を動かし、記念の毛づくろいをする楽太郎を見ながらほほえんでいる、ように見えました。


















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しのざきんち フカ @ivyivory

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ