第7話 帰り道
ライブの幕が降りたあと、広斗は一目散に楽屋へ向かった。
最後の曲の歌詞の意味を知りたい。
あの場で名付けたタイトルの真意を確かめたい。
観客が出口へ向かう流れの中で、すいません、と大声を張り上げながら人波をかき分けて進んだ。
楽屋に到着すると、さらに奥にある会議室へ向かう美織の後ろ姿が見えた。
その先導に、見たことのないスーツ姿の大人の男性2人がいた。
「美織!」
広斗は思わず叫んだ。
ダッシュで駆け寄って、美織の腕を掴んで自分の後ろに隠そうとした。
「広斗、事務所の方たちだよ」
美織はあえて落ち着いた声で広斗に微笑みかけた。
そうだった。
スカウトしてくれた事務所の親会社の重役が観にくるって言っていたのを思い出した。
広斗は体を直角に曲げるお辞儀をして、失礼を詫びた。
「すみません、勘違いしていました」
「いや、いいんだよ」
年配の男性のほうがにこやかに返事をしてくれた。
「とりあえず、ここではなんだから部屋の中へ入ろう」
通路の向こうには出口に向かう人たちが、まだたくさんいる。
もし美織の友人たちがこの場に来ると、広斗よりもややこしい事態になってしまう。
若いほうの男性が会議室のドアを開けて3人を招き入れ、最後に周囲を確認したあとドアを閉めた。
「改めて、私は近藤と言います。こちらは、高杉です。高杉が美織さんの直接のサポートにあたり、私は彼の上司になります」
年配の男性が、丁寧に自己紹介をした。
近藤と名乗った男性はブラウンのスーツをラフに着こなし、目尻の下がった顔が優しそうな印象を受けた。
高杉と紹介された若い男性は少し頭を下げてお辞儀をしたが、こころなしか広斗を見る目つきが鋭い。
高杉は黒いスーツをきっちりと決め込み、背が高くスタイルがいい。
おまけに人の目を惹くような整った顔をしたイケメンだった。
「失礼だが、君は?」
近藤が手のひらを上に向けて広斗を指した。
「美織の幼なじみの川野広斗と言います」
広斗は体育教官室に入るときの作法を思い出していた。
体育教官室は、職員室よりも礼儀作法に厳しい。
少しでも無礼があれば、ガタイのいい体育教師に叱責をくらう。
背筋を伸ばして指の先まで力を入れ、はきはきと発音することを心がけると、自然と気持ちまで強くなれた。
「広斗くん、申し訳ないのだが、我々は明日からの方針などを話し合う必要がある。君に同席してもらうわけにはいかないので、先に帰宅してもらえるかな。美織さんは我々が家まで送り届けるつもりだ」
近藤の口調はあくまで穏やかだが、その言葉の奥には有無を言わさぬ圧がある。
ちらりと美織を見ると、美織の口は真一文字に結ばれていた。
相手は会社の重役で下手な発言はできない、という意思表示だと広斗は受け取った。
「いえ、お話が終わるまで待っているので美織と一緒に帰ります。彼女の両親に頼まれているんです。おれ1人で家に帰って、もし美織に何かあったとしたら一生顔向けできません」
広斗はあえて背筋を反らせて、より一層はきはきと発言した。
「彼女は僕の車で送っていくんだよ。何も危険なことはない」
高杉が横から口を挟んだ。
「じゃあ、その車に同乗させてください」
「君ねぇ」
高杉は呆れたという顔を隠さず、おまけにため息もついた。
やたらイケメンなもんで、そのため息の仕草も様になっている。
「君と一緒に帰るとしたら徒歩だろ? 徒歩と、車で彼女の家の前まで付けるのと、どっちが安全か明白だろう。それともあれか? 君は僕が危害を加えると思ってるのかな?」
「いえ、ただ自分が言っているのは、美織を彼女の家の玄関まで送り届けることが使命だというだけです。徒歩が危ないというのならタクシーを使います。彼女の両親から費用の許可ももらってます」
言いながら、広斗は受験が終わればすぐに車の免許を取りに行こうと決心した。
ははっと高杉の乾いた笑いを遮るように、近藤が口を開いた。
「広斗くん、よくわかりました。君の言うことはもっともです。今日の美織さんの送迎は君に任せます。ただし、必ずタクシーを使ってください。これから1、2時間ほど話をするので、さらに遅くなりますから」
「わかりました。じゃあ、楽屋で待ってます」
「ありがとう、終わったら声をかけますね」
頭が膝につくほど深いお辞儀をして、部屋を後にした。
会議室を出ると、受付のところでミキさんと店長と話していた初老の男性が、広斗が退出したのを見計らって会議室に入っていった。
すでに観客は全員帰っていて、スタッフがのんびりと後片付けをしている。
初老の男性は広斗とすれ違うときに、にこりと微笑んだけれど、面識のないおじさんなので軽く頭を下げて挨拶を返した。
「あのおじさん、だれ?」
おじさんかおじいさんか微妙な年齢だけど、妙に若作りな髪型と服装のせいでおじいさんと呼ぶのは無意識に遠慮した。
「このライブハウスの1番偉い人だよ。ここのオーナー」
ミキさんが答えた。
「え? 1番偉いのって店長じゃないの?」
「ばかたれ、おれは全権を任されてるとはいえ、雇われ店長だよ」
店長はグーで広斗の頭にこつんと当てた。
「オーナーってわかるか? この店の所有権はあの人が持ってるんだよ」
「へー」
「へー、ってお前、あの人は知る人ぞ知る、伝説のミュージシャンなんだぞ。おれの親父の世代のカリスマってお方だ」
そんなことを言われても、広斗にとってはただのおじいさんでしかない。
「あの世代でアメリカに渡って、それなりの成功を収めたんだぞ。今と違って、広斗のおじいちゃんの時代にアメリカに行くってすごいことだろ」
「ふーん」
だめだこりゃ、と諦めた店長は、ミキさんに向けて会話を続けた。
そんなすごい人がここのオーナーだったことも初耳だが、なぜその人が会議室に入っていったんだろうという疑問のほうが、広斗には重要に感じた。
2時間が経とうとしたころ、美織が楽屋に戻ってきた。
「帰ろう」
さすがに疲労の色を隠せない様子で、今すぐにでも眠りたそうだ。
「タクシー呼ぶからちょっと待ってて」
広斗は既に美織の母親に遅くなる旨、一報を入れてタクシーで帰宅することも伝えていた。
楽屋では、帰り支度をする美織を手伝うだけの会話しかできなかった。
改めて近藤と高杉と初老の男性に挨拶し、広斗の話し相手になってくれていた店長とミキさんにお礼を言って帰路についた。
「お疲れさま」
「ありがとう。正直、本当に疲れた」
タクシーの後部座席で、美織は全身の筋肉を緩めてぼんやりと車窓を眺めている。
1時間のライブを満席の観客の前で行い、その後、自分の人生を左右するであろう大人たちと2時間の話し合いをしたのだから、疲れ切って当然だった。
美織に直接聞きたいことはたくさんあるが、10分弱のタクシーでは到底時間が足りないし、それよりも疲れている美織を労わることが最優先だと判断した。
「今日のステージ、かっこよかったぞ」
美織の体がぴくりと反応した。
「今まで見た中で、1番感動した」
美織は何も言わなかったが、代わりにそろそろと左手を伸ばして広斗の右手を握った。
広斗は思いがけない幼馴染の行動に心臓が飛び上がりそうになった。
しかし、車窓から目線を外さない美織を見て、何も言わずに彼女の左手を強く握り返した。
手を繋ぐのは初めてだった。
初めてにも関わらず、お互いの手の感触にしっくりとくる。
言葉はなくても、手から伝わる温もりが何よりの安心感をもたらしてくれた。
美織は、手を動かす気力も少しの握力も残っていないようだった。
それでも広斗は、繋いだ手がほどけないように何度も強く握り締めた。
今まで何度も通っている道が、今日は特別で忘れられない帰り道になった。
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