第6話 光るかぼちゃ


 美織の歌声に呼応するように、バンドメンバーのリョクさん、セキさん、ダイさんもいつも以上のパフォーマンスを魅せていた。

さらに、曲間のMCでは3人の絶妙な話術が美織の大きな助けになっていた。

いつもの出番は15分程度だから、まるまる1時間もステージに立つのはやはり疲れるのだろう。

美織の頰に一筋の汗がつたい、広斗にはそれすらも愛おしく思えた。


「次で最後の曲になります」


 えーっ、やだーと予定調和のように観客が不満の意を表す声を上げた。

ありがとうございます、と、美織はぺこりと頭を下げてその声に応えた。

後ろではバンドメンバーが袖へはけていき、別のスタッフが舞台の真ん中にハイチェアを設置して袖にはけた。


「最後の曲は、予定していた曲をやめて今さっき作ったばかりの新曲にしたいと思います。こんな勝手ができるのも今日までだと思うので、途中でつっかえても笑って許して下さい」


 オッケー、と観客が笑って答える。

美織はペットボトルの水を時間をかけて喉に通し、マイクから離れたところで大きく深呼吸を繰り返してからセンターに戻った。


 照明がいつの間にか暗く落とされ、ステージ上には淡いピンク色の光が幻想的な空間を演出している。

ハイチェアに座って姿勢を正し、ギターの弦をゆっくりとひとなでしてその音を確認した。

その一瞬で会場の空気が一変し、しんと静まり返った空間は咳払いをすることさえ憚られた。

ゴーッという換気の音だけが、やけに大きくフロアに響いている。


「最後の曲、聞いてください」


 ゆっくりと弦を撫でて始まった曲はバラードだった。

今日のライブは明るい雰囲気にしたいという美織の希望で、今日はこんなに本格的なバラードは1曲もなかった。

バックバンドなしでアコースティックギター1本の艶やかな音色で奏でられるバラードに美織のしっとりとした歌声がのって、観客の心を確実に奪っていく。


 広斗は美織の歌う姿に色っぽささえ感じた。

一番後ろから見えるたくさんの後頭部は微動だにせず、息を呑んでその音色に聴き入っているようだ。


——思えば、私たちずっと一緒に過ごしてた

生意気な私も、あなたの前なら素直になれる

強がりな私も、あなたの前なら弱音を吐ける

明日も明後日もずっと一緒にいてほしい——


 広斗は、ん? と眉をしかめた。

美織が歌うバラードの歌詞に引っかかった。


そして、1番のサビに入った。


――側にいるのが当たり前だと思っていた

いつまでもこのままでいられるわけない

そのことに私は気付かないふりをしていたの

あなたの告白が、2人の未来に繋がった

ねえ、知ってた?

私には、あなただけが光ってみえる

たとえ何億人の人がいてもあなたを見つける

どこにいても、どんなときでも

今までも、これからもずっと

あなたとなら永遠を信じられる——


 間奏に入ると、美織のクラスメイトの集団あたりから鼻をすするような音が聞こえてきた。

広斗とは別の視点で応援したきた彼女たちにも思うところがあるのだろう。

それよりも、広斗は歌詞の意味が気になって、体が前のめりになっていた。

美織は演奏に集中しているようで、自分の指を確認することに精一杯のようだ。


 2番に入ると、広斗は歌詞を一言一句逃さないよう耳に全神経を預けた。


——突然あんなこと言い出すなんてずるいでしょ

あなたにはロマンチックなんて求めてないけどね

せめて私の心の準備させてよ

しかも言い逃げとかありえないんだけど——


「まじか……」


 広斗は耳まで顔が真っ赤になった。

まさか美織がこんなことをするなんて。

2番のサビは1番と同じ繰り返しだった。

さすがに時間が足りなかったんだろうと広斗は推測した。

音楽に妥協を許さない美織にとっては、つらい選択だったと想像できる。

そうまでしてこの場でこの歌を披露する意味は、と考えると、広斗は頭の先から湯気が出そうなほど紅潮が頂点に達した。


 最後の音が響き終わると、しんと静まり返っていた会場が拍手喝采で沸き上がった。

指笛まで鳴らす者まで出て、拍手はなかなか鳴りやまない。

名曲が生まれた瞬間を、この会場にいる誰もが肌で感じた。

美織は立ち上がって四方に何度も頭を下げて拍手に応えている。


 こっち向け、こっち向け。


 いつも以上に長く会場全体を見回して挨拶している美織に向かって、広斗は目立つように両手を伸ばして振ったけど、結局周りのみんなも同じことをしていて、広斗の腕もそのうちの一つになって埋もれてしまう。

それでも今だけは、おれはここにいるんだ、と伝えたいという念を込めて手を振り続けた。

その努力むなしく美織がこっちを見る気配は一切ない。


 あの歌の歌詞は、おれの勘違いか……?

いや、そんなことはない。

広斗は自分の負の感情を払拭するために頭を振った。


「タイトルはなにー?」


 観客の1人が美織に問いかけた。


「あ、タイトル考えてなかった」


 ステージ上で頭をポリポリと掻く美織に、大きな笑いが起こる。


「どうしよっかな、光るかぼちゃ……。ううん、決めた。この曲のタイトルは、返事はイエス、です」


 再び大きな拍手が美織を包み、誰もが彼女の新たな門出を盛大に祝った。

広斗だけが1人、真っ赤な顔をしたまま立ち尽くしていた。


——返事はイエス


 この意味がわかるのは広斗しかいない。

おれは一生、美織に敵うことはないんだろうな、と思った矢先、四方に笑顔を振りまいていた美織が左手の小指で頬をこする仕草をみせた。

美織が最大限に照れたときにみせる昔っからの癖だ。


 なんだ、美織のやつも十分照れてるんじゃないか。

広斗は赤い顔のままニヤケ全開の満面の笑みを隠せずにいると、ステージ上の美織とばっちり視線がかみ合った。


 なに笑ってんのよ。


 言葉に出さなくても、美織の表情がすべてを語っている。

思いがけない状況に広斗の笑みは瞬時におさまった。


 え? 今、美織がこっち見た? おれと視線合った?


 美織は、既に何事もなかったかのように観客と会話を楽しんでいる。

一瞬の出来事だったが、あれは確実にお互いの視線が合っていたし、営業用の顔ではなく広斗にだけ見せる素の表情だった。

今までただの一度も観客席にいる広斗に一瞥もしなかった美織が、広斗のニヤケ顔に文句を言うなんてどういうことだ。


 もしかして、美織はずっとおれの居場所を把握していた……?


 やばい、一刻も早く美織に直接会って確かめたい。

広斗は落ち着きを隠せずにそわそわとその場で右往左往していると、今度こそ確実に、美織は広斗の顔を見ていた。

その顔は明らかに、なにしてんのよ、と言いたげな呆れた表情をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る