第2話 散った希望
毎週末、美織が15分間ステージに立つ間、広斗はいつも観客として客席から見ていた。
ある日、ふと、ステージ上の美織と全く視線が合わないことに気が付いてから、広斗なりに工夫をしてきたつもりだった。
最初のころは少ない椅子を譲るために後ろの壁にもたれて立っていることが多かったが、後ろまでライトが届かないから暗くて気が付かないのかと思って、あえて最前列に座ってみた。
それでもだめで、次に、ステージから自然な角度で視線が届くであろう4,5列目に座ったこともある。
だがしかし、広斗の努力むなしく、どの席に座っていてもステージ上の美織と視線が合ったことがない。
広斗が長年抱いていた疑問をどうやって確かめるか試行錯誤していた時間をあざ笑うかのように、その答えは何気ない会話の、何気ない美織の発言であっさりと解決した。
美織にとって広斗は特別な存在ではなかったのだ。
広斗は数年に及ぶ疑問を解した達成感よりも、失望感を強く味わった。
美織がこのライブハウスに出演者として通うようになった回数と、広斗が観客として客席に通う回数は共通している。
広斗の名目は心配性の美織の母親に頼み込まれたボディガード役だったが、広斗はその名目を作ってくれた母親に感謝している。
隣同士の家に産まれたときから家族ぐるみで付き合いがあり、特に美織の両親がキャリアを積むようになって帰宅時間が遅くなると、1人っ子の美織が広斗の家で過ごす時間も必然的に増えた。
幼いころは一緒にいるのが当然で周りからも微笑ましい目で見られていたが、思春期になってくると、今まで当然だったことに理由をつけなければ冷やかしを食らうこともあった。
そんな中、音楽や楽器に興味のない広斗にとって、美織の母親から頼まれたボディガード役は渡りに船だった。
それでも、母親から頼まれて客席に座っているとはいえ、美織にとって自分は他の観客とは違うと思っていた。
美織の気持ちを聞いたことはない。
さらに、年頃の男女が仲良く連れ立つ光景に傍から見ると勘違いされることもあったが 、気の強い美織と一緒にいて甘い雰囲気になったことなどない。
それでも、広斗はそう信じていた。
そう信じたかった。
だが、それは広斗の独りよがりな思い込みだったようだ。
密かに抱き続けてきた恋心は見事に砕け散った。
体中の力が抜け、首を支える力さえも抜けて自然と天井を仰ぎ見た。
それでも胸の奥にふつふつとこみ上げる熱さが、足先に伝わってきた。
その熱さの矛先として段ボールが視界に入り、衝動的にその内の1つをおもいきり蹴り上げた。
段ボールは広斗の靴の形に穴が開いて、いびつな形になった。
そのとき、ドアが勢いよく開いて美織がミサイルのような速さで楽屋の中に駆けこんできた。
「お客さん、すごい多かった」
肩で息をする美織は広斗の不自然な体制にも気付かないほど、動揺しているようだった。
ふらふらともう1つのパイプ椅子にロボットのようなぎこちない動きで腰かけ、そばにあったギターを手に取って練習するそぶりを見せたが、ギターはジャラランと力なく不協和音を奏でた。
おそらく、美織は外の行列や人の多さを目の当たりにしてきたのだろう。
夏休み最初の週末ということを相乗して、並んでいる人たちの熱気は異常なほど盛り上がっていた。
SNS効果で観客が増えてきたことに慣れているとはいえ、今日は今までのそれとは比べ物にならない。
今さら緊張してんのかよ。
広斗は、いつもなら頭で考えるより先に出る軽口をぐっと堪えた。
ギターのチューニングを続ける美織の指先に余裕はない。
他の人が見れば気付かないような小さな変化だが、幼いころから一緒にいた広斗には一目瞭然だった。
突然、楽屋のドアをどんどんとノックする音が響いた。
かと思うと、こちらの返事も聞かずに、ドアが勢いよく開いた。
「美織、あと10分で本番だぞ。客入りやべえぞ。まじ満員の勢い。イスは全部取っ払って、全員立ち見にしたからな。それでも2階席まで埋まってきそうだ」
ライブハウスのスタッフの中で1番若いカジさんは、息継ぎもしない勢いで一気にまくしたてたあと、これまたこちらの反応も聞かずにドアをバタンと閉めた。
ドアが開いた瞬間に流れ込んできた喧騒と、いつもふざけてばかりいる顔なじみのスタッフの興奮したような赤ら顔が、まじやべえ状況を裏付けていた。
「2階席なんてあったんだ。長い間通ってるのに知らなかった」
広斗の会話とも独り言とも判断つかない言葉に美織は無反応のまま、ギターのチューニングを続けていた。
美織の肩は強張っていて、指先は棒のように一定の動きしかできていない。
「大丈夫だよ、美織。お前は絶対成功するって」
今度こそ、頭で考えるより先に広斗の口が動いていた。
いつもの広斗であれば、もう少し冗談を交えたりして美織の気を紛らわす言い方ができたのかもしれない。
それこそ、10分前の広斗ならそうしたであろう。
だけど、ついさっき発覚したかぼちゃのことで頭がいっぱいの広斗は、優しさを加味することができなかった。
「なに急に。そんな簡単なわけないじゃん。変な慰めいらないよ」
内心は緊張感でいっぱいのはずなのに、口先は相変わらず強がりの言葉が出てくるところがいかにも美織らしい。
「明日から、綿原美織はいなくなって、歌手のミオになるんだろ」
違う、こんな投げやりなことを言いたいんじゃない。
広斗の頭の片隅で自分を止める気持ちはあるものの、衝動的に動く口を止めることができない。
「やめてよ。広斗は成功するありきで話をしてくるけどさ、そんな甘い世界じゃないって誰だってわかるでしょ。そういう風にプレッシャーかけられると辛いんだけど」
「いや、美織ならやれるよ」
「やめてってば」
「世界でトップを獲れる」
売り言葉に買い言葉で、つい喧嘩腰になってしまう。
いつもは気の強い美織に対して広斗が折れる形で落ち着いていたけれど、今はそんな余裕がない。
ここまでならいつものように最後は笑って済ませられるのに、ステージ上の美織が一度も自分のほうを見なかったことに今さらながら腹が立ってきて、言葉の棘が鋭くなっていく自分を制御できなかった。
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