女教師紅葉


 火曜日の早朝。


 昨日のごたごたで、まだ爆睡中だった俺は何者かに激しく揺すり起こされる。


「ンガッ、…………なんだ雪姫か。というか、まだ五時じゃないか……」

 案の定、俺の腹の上には雪姫が馬乗りになっていた。


「お主、今日も学校に行くのじゃろ、その前に昨日あった事を話すと言っておったじゃろうが」

 雪姫は俺に向かってそう話す。


「あぁ、確かに昨日寝る前にそう言ったかも……」

「……で、昨日何があった?」

「実はな……」

 そう言って、俺は昨日あった事を話し始めた。


 ****


「……つまり、お主は『一心』の力で、その鬼と化した男を倒したと言う訳じゃな」

 話し終えると、雪姫は難しい顔をしながら腕を組んでいる。


「あぁ、正直自分でも信じられないけど。……実際のところあれは何だったんだ。 瘴気に呑まれて理性を失っただけであんな風になるのか?」


「無い……事も無い。だが、何者かが誘導しない限り滅多にそうはならん」

「誘導……」

 俺の脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。


「それって……」

「まあ、間違いなく先日の男の仕業じゃろ」

 雪姫も同意見の様だ。


「でも、なんでそんな事を?」

「分からん。だが、あやつが普通の人間ではないのは確かじゃな。恐らく外法の類いを使っておるのかもしれんのぅ。

 しかし、奴の目的が全く理解出来ぬのじゃ」

「だよなぁ〜」

 俺達は揃って頭を悩ませる。


「まあ良いか。考えていても仕方がない。取り敢えず学校に行く支度しなきゃ。また何か分かったら教えてくれ」

「うむ、了解したのじゃ」


 俺の言葉に、雪姫は短く答えた。

 そして、いつもの様に朝食を取り、家を出た。


 ****


 何とか馬鹿達に付き纏われる事無く学校に着く。教室に入ると、クラスメイト達の視線が俺に集まってくる。


 昨日からの噂話は継続中の様だ。

 ただ、その中に明美さんの姿は無い、今日は休みなのだろう。……まあ、無理も無い昨日あれだけの事があったのだから。


 そのまま席に着くと、前のドアから担任教師が入って来た。


「え〜っと、みんなおはよう。昨日の事件については聞いたと思うが……。

 幸い犯人はもう捕まっているが、最近物騒だから十分に用心して危ない所には近付かない様に」

 と話している。


「先生、明美さんは大丈夫なんですか? 今朝休んでますよね」

 一人の生徒が手を挙げて質問する。


「あぁ、明美なら、事件の現場に居合わせたらしくてな…………軽いショック状態で入院しているそうだ。まあ、心配はいらないよ」

 少し間を置いてから、答える。


「そうなんですか。分かりました」

 生徒は納得したようで、それ以上何も言わなかった。


 それからは普段通りのHRが続き、最後に教師が思い出した様に、

「一時限目の古典の授業は、昨日紹介した新任の先生が行うが、新任だからって余りからかうなよ」

 と生徒に釘を刺した。


(新任教師? ああ、明美さんが話していたやつか、でも何でこんな半端な時期に?)

 俺はそう疑問に思う。


「では、これで朝のHRを終わる。じゃあ、また後でな」

 そう言い残し、担任は出て行った。


「ねぇねぇ、新しい先生って凄い美人だったよね」

「うん、綺麗だった」

「どんな人が来ようが関係ないわ。私は私を磨くだけよ」

 などと女子達が囁き合っている。


 俺はその様子を横目で見ながら(ふーん、そうなんだ)などと考えていた。

 すると、ガラガラッと扉が開き、一人の教師が入ってくる。


 その姿を見た瞬間、俺は思わず息を飲む。

 そして、俺を含めたクラス全員が固まる。

 そこには、とても美しい女性がいたからだ。


 腰まで伸びた艶やかな黒髪、切れ長の目元に長いまつ毛、スッとした鼻筋、薄い唇は桜色で、肌は雪の様に白い。

 スタイルも抜群で、胸は豊満で、お尻は大きく、スーツから覗く脚はすらりとても艶っぽい。


 その姿を見て、男子達からは感嘆の声が上がり、逆に女子達は嫉妬で顔を歪めている。

 その女性は教壇に立つと、俺達の方へ向き直り、軽く会釈をした。


「では皆さん、改めてご挨拶を。私が今日からこのクラスの古典を担当する事になった、千社紅葉です。宜しくお願いしますね」

 そう言って微笑む。


「はい! こちらこそよろしくお願いしまぁす!」

 男子の一人が元気よく返事をする。


「あら、ありがとうございます」

 彼女はそう言うと、俺の方をチラリと見た気がした。


 ****


 その後、授業が始まり、彼女の説明が始まった。


「さて、皆も知っているとは思いますが、平安時代の文化は大変栄えていてですね……」

 と、席の間を歩きながら話していたが、正直あまり興味は無い。


 親父達にうんざりする程聴かされているから。


(それより明美さんは大丈夫だろうか……)

 そんな事を考えていると、不意に視線を感じた。

 顔を上げると、彼女と目が合う。


 そして、俺に向かって。

「ではそこの君、宍戸君。今言った所を読んでくれる?」

 と、言ってきた。


「え、え?」

 慌てて教科書を見るが、話しを聴いていなかったので何処の事か分からない。


「ほら、早く」

 急かす様に彼女が促してくる。

「あ、はい。『春はあけぼの』」

 と言うと、クスクスと笑い声が聞こえてくる。


「そこではないですよ。……まあいいでしょう、誰か他の子お願い。

 ……宍戸君。君は放課後、国語準備室に来ること。良いですね?」


「は、はい」

「では、次のページに進みましょうか」


 結局そのまま授業は進んでいった。

 そして、あっという間に放課後になった。やはり、明美さんが居ないと学校生活も味気なく感じる。


 俺は言われた通り、国語準備室の前までやって来た。


 コンコン。


「失礼します」

 ノックをしてドアを開けると、窓際にある机に座っている彼女だけが居た。


「いらっしゃい。まあ、そこに座りなさい」

 彼女に言われるまま、近くにあった椅子に座る。


「あのぉ、一体何の用でしょうか」

 恐る恐る訊ねる。

「別に取って食おうってわけじゃないわよ。ただ少し話がしたかっただけだから」

「はぁ」


「まず最初に、私の自己紹介がまだだったよね? 私は千社紅葉、……と、今は名乗っているわ」

「名乗っている?」

 おかしな事を言い出した先生に俺は疑問の目を向ける。


 すると彼女はにっこりと微笑みながら、

「私は雪姫の姉なの。妹がお世話になっているわね、孝之君」

 と言った。


 …………雪姫の姉? て事は、神様!?


 ****



「私は雪姫の姉なの。妹がお世話になってるわね、孝之君」

 そう言われて俺は言葉が出なかった。

 だってそうだろう? いきなり姉だと言われても信じられない。


(でも、確かにどこか似ている)

 俺は目の前にいる女性を改めて見る。

 髪の色や瞳の色も同じ、顔立ちは確かにとてもよく似ている。


 ただ一つ違うとすれば、性格かな。

 雪姫は、本当に子供かと思う程抜けているというか天然というか……。


 だが、この人は……怖い。

 まるでこちらの全てを見通しているかの様な眼差しで見つめられると、背筋が凍った様な感覚に襲われる。


 それにしても、何故神である筈の彼女が学校の教師なんてしているのか疑問だった。


 その事を尋ねると、

「私はね、今こうして人間の真似事をして生活しているの。

 理由は色々あるけど、一番は退屈だからかしら。……特に、あなたみたいな面白い人間がいる時は尚更ね。

 だからこの学校にも来た」

 と言って微笑んだ。


 どうも気に入られてしまったらしい。

 それから、彼女は色々な話をしてくれた。

 雪姫が産まれてから今までの出来事をずっと。


 ****


 話しを聴くと二人は元々人間だったらしい。そして、なんやかんやあって神になった……と。

 まさに語るも涙聞くも涙、な話だった。


 そして、雪姫がドジをやらかして眠りに就いた後は、その神域の維持までしていたらしい。

 だから雪姫が復活して俺とつるんで色々やっている事も知っていたらしい。


「さて、もう良い時間ね。今日はもう帰りなさい」

 時計を見ると、既に五時を過ぎていた。

「はい。では失礼しました」


 そう言って部屋を出ると、

「最後に一つ。……貴方達が相手にしているのはなかなか厄介よ。

 ……心して掛かりなさい」

 と、忠告された。


 何を、と聞き返そうとした時には既に準備室の扉は閉められていた。


 ****


 俺は下校する途中で、立花骨董店に寄ることにした。

 結局昨日は買い物も出来なかったし、何より雪ことが心配だったのだ…………一応。


「孝之君!! いらっしゃい」

 中に入ると、いつもの様におじさんが出迎えてくれた。


「こんばんは。……雪の調子は?」

「ああ、うん。大丈夫だよ。まだ入院してるけど明日には帰って来れるみたいだ」

「そうですか」

 それを聞いて安心した。


 すると、立ち上がって近付いてきたおじさんが、いきなり俺の手を掴み深々と頭を下げた。


「孝之君。本当にありがとう! 君は娘の命の恩人だ!!」

「ちょっ、ちょっと待って下さい。別に俺は大したことは……」

 いきなり感謝されて戸惑う。


「いや、そんな事は無い。君が居なければ娘は、雪は死んでしまったかもしれない」

 そう言うと、今度は泣き始めた。……参ったな。


「落ち着いてください。ほら、ハンカチ」

 ポケットから取り出して渡す。

「すまないねぇ。いや、歳を取ると駄目だね。つい感情的になってしまう」

 鼻をかみながら謝られた。


「……じゃあ、雪も平気なら帰りますね」

 また、長々と引き止められても面倒くさい。

「ああ、このお礼は必ずするから。宍戸にも宜しく伝えてくれ」

「はい、じゃあさよなら」

 そう言って、俺は店を出るのだった。


 ****


 家に帰ると俺は早速、部屋にいた雪姫に尋ねた。


「雪姫のお姉さんって紅葉って名前だったりする?」

 すると雪姫は今まで読んでいた漫画をばさりと床に落とし、

「な、何故知っておるのじゃ?」

 と震える声で呟いた。


「学校の新任の先生がそう名乗ってた」

「そ、それは本当なのかや!?」

 雪姫が詰め寄る。

「ああ、間違いないよ」

「な、何故姉上がその様な場所に……」


 呆然と立ち尽くす雪姫に俺は疑問を尋ねる。

「ところで疑問なんだけどさ。雪姫は俺にしか見えないのに、何で紅葉先生は皆に見えて、まして社会に紛れ込んで働いていていられるんだ?」


 雪姫はハッと我に返り、

「…… おそらく、顕現の仕方が違うのだろうの。妾はお主に依って顕現しておるからな、お主にしか見えんのじゃ」

 と答える。


「妾に何か言っておったかや?」

「いや特に。雪姫を宜しくってさ」

「ふ、ふむ。なら良いか、姉上については一旦忘れよう!」


 …………おいおい、それで良いのかよ。お姉さんだろ?

 まあ、よっぽど怖いんだな。なんかまだ震えてるし。

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